ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【17】
翌日の明け方にさしかかる時刻に、敵は大群でホレイルへとやってきた。竜騎士を率いてきたのは、昨日のエセルウィサと同じく人間の形をしている ”者”
それを出迎えるのは、
「馬鹿面下げて来やがったな、選帝侯の血族が」
エド正教最高枢機卿セツ。
「セラフィーマのようだ」
エールフェン選帝侯ヤロスラフ。
「前にソイツのこと、ドルトキアフェンの血って言ってたな。選帝侯はエールフェンとゴールフェン以外に馴染みがねえが、何か特別な力でも持っているか?」
三神を従えた女ドロテア。
「無いな」
そしてフェールセン皇帝オーヴァート。
四人が完全武装で腕を組んで堤防の上に立ち、海風に煽られる服の端が音を立て、灰色の空を背に大群を見据える。
「あの四人が並んでいるのは ”これから悪いことするぞ!” としか見えません」
ヒルダは四人を少し離れた場所から見上げながら、その場にいる誰もが思いながら口にしなかった事を大声で語る。
「そうか。特別な力がないなら問題はねぇな。さてと、それじゃあ最初に情報を聞き出しちまおうじゃねえか。セツ、ヤロスラフ用意は?」
左腕を横に伸ばし、人差し指と中指を軽く動かす。
「万端だ」
ヤロスラフは背負っている剣を抜き構え、
「任せろ。あの程度の個体能力なら遅れはとらん」
セツは弓を両手で握る。
「オーヴァート」
最後にドロテアは口元を少し動かし、微笑むような唇の形にしてオーヴァートの方を向く。
「どうした? ドロテア」
「遊ぶなよ」
「はい、はい」
それだけ言うとドロテアは堤防から飛び降り、着地前に魔法を唱えて、体重などないかのように、軽い音を立てて着地する。
「クラウス、雑魚敵はお前に任せ……任せていいな?」
「……」
昨日のことから未だに立ち直れないでいるクラウスは、ドロテアの問いも聞こえないで、一人落ち込んでいた。
隣で慰めになっていない慰めをしているエルストに親指で首の前を横に引き ”殺れ!” と無言で指図をするドロテアに ”御免” と無音で口を動かし、詫びるポーズを取っていた。
「おい、ミロ。お前がこの連合部隊の総指揮を執れ」
仕方ねえなぁ、とばかりにもう一人総指揮官になれそうな男に声をかける。
「あ、ああ! 俺に任せてくれ! これでもパーパピルス国王だからさ」
「解ってるから声かけたんだろうが。まあ、もしかしたら即座に撤退するかもしれねぇがな」
ドロテアは言いながらレイの隣に立つ。
『戦いが始まると必ず負傷者が出るので』
ヒルダはその治療に向かうとドロテアに事前に申請しており、マリアがその護衛につくことになった。
聖騎士というのは元々、その様な仕事をするのだ。
ヒルダが用意をしている最中、マリアは槍を持ちながらドロテアに疑問に思っていることを尋ねた。
「アンセフォ呼び出して力を倍増させなくていいの?」
昨日セツに踏みつけられまくった、可哀想な神様・アンセフォ。
セツは今日、昨日よりも力を使うのだから、アンセフォを呼び出した方が良いのではないかと? マリアは思ったのだが、
「ちょっと面倒ってか、間違って死なれたから困るから。オーヴァートの力にあたると、アンセフォでも死ぬからよ」
オーヴァートが近くにいると容易には呼び出せないので、今回はセツの力だけで行うことにしていた。
セラフィーマを早くに近寄らせる為に、
「早く来い、セラフィーマ! 行け! レイ!」
「了解」
朝靄の中飛び上がったレイは、その靄を一瞬にして消し去る一撃を振り下ろし、敵を容赦なく破壊してゆく。
「さあ、何処まで我慢できるかな? セラフィーマ」
ドロテアは煙草入れを取り出し蓋を開いたが、入っているのは以前落とした物だけだった事を思い出し、一本だけ取りだして蓋を閉めてケースを仕舞い、その一本を指で玩ぶ。
そしてアードが押さえているクレストラントの方を向き、無表情のまま言い捨てた。
「自分の家族を殺した相手と対面すると、怒りが抑えられねぇものか?」
セラフィーマはクレストラントの村を滅ぼした相手だった。そのセラフィーマを観て、村を襲い大切な家族を殺害された事がクレストラントには昨日のことの様に思え、怒りを露わにし今にも襲いかかりそうな状態になっていた。
【……】
ドロテアの感情の篭もっていない声に、かつて 《魔王》 としてドロテアの家族を殺害した男は一瞬怒りを鎮めるが、声をかけた方は、ゆっくりと首を振り否定する。
「怒れよ」
【……】
「怨めよ。あいつが居なけりゃ、俺も今ここに居なかったんだな。皮肉なもんだなあ」
ドロテアは竜騎士の劣勢に近付いてくるセラフィーマを眺めながら、誰に向けるでもなく語り続ける。
「ドルトキアフェン選帝侯に作られたトルトリア人は、ドルトキアフェン選帝侯の一族が捕らえ改造した勇者に滅ぼされ、トルトリア人の生き残りである俺がその魔王になった勇者を殺して……よく言うな、復讐の連鎖ってよ。逃れられねぇもんなんだろうなあ」
ドロテアは煙草を握り手甲の上で焼く。
紫煙が立ち、独特の香りが僅かながらに漂った。
「エールフェン!」
「ドルトキアフェンの血筋の端に連なる男が、何か私に用事でも?」
突進してきたその男の軌跡を追いながら、クレストラントはその日のことを脳裏に描く。
真っ先に殺されたエセルハーネ、そして滅ぼされた村。
【復讐の連鎖を断ち切れと?】
「そんな事じゃ無くてよ。俺は復讐を完成させたんだが、そこに至るまでの過程で色々な事を考えた。そして一つの真実にたどり着いた」
【真実とは?】
「自分が無力だった事だ。それに気付き認めるまで長い年月がかかった。復讐者は馬鹿だ、その通りだと知った。俺もお前も無様な程に無力だったから、復讐心を抱いているのさ。無力な自分をから目を背けたいが為に。クレストラント、お前は今憤怒に身を任せていやがるが、それでセラフィーマに勝てると思っているのか?」
【勝てないだろう】
憤怒だけで勝てるのなら、目の前で家族が殺害された時に勝つことが出来る。
「負けても良いから? そう思っているのなら好きにしろ」
ドロテアはそれだけ言って、レイを呼び寄せ堤防から場所を移したセツとヤロスラフの方へと歩き去った。
そこに残った、掴むことの出来ない煙草の香りにクレストラントは手を伸ばし、
【待とうか】
アードが声をかける。
【そう言えば、キルクレイム。お前の村を滅ぼしたのは】
【何て言ったかなあ。顔見りゃ解る筈なんだがね】
*********
変わった髪色をしているとセツは思った。
セラフィーマの髪色は、セツが今まで観た誰とも似ていない。大きく分ければ土色だが、その土色は日にあたる角度によって無数の色合になる。
どうしてあれ程までに変化するのだろうかと少しばかり興味を持ったが、セツはそれではない事を尋ねた。
「空鏡の原理は空中にある細かい砂のような物を何種類か集めて形作ると……お前の大事な皇帝陛下に教えられたのだが」
「オーヴァートで良い。そして別に大切ではない……セツも ”お前の大事なアレクサンドロス” と言われたら嫌だろ」
「嫌だな。それは良いとしてだが、空中にある砂のような物」
「素粒子と反粒子だ。空鏡を作る際の素粒子は、ラーディ粒子、クラドド粒子。その反粒子にあたるエー……作るだけなら何となく解るだけでいいのだが」
「その粒子とやらだが、選帝侯によって所持している分量が違うようだな。ヤロスラフや昨日殺した女と、今現れたセラフィーマとやらの粒子は随分と違うように見える」
「かなり違うな。だがドルトキアフェン選帝侯の血筋の体の方が、空鏡に適した粒子が多いから作りやすかろう。皇帝には関係のない些細な事だがな……気をつけろよ、セツ」
「大丈夫とは言わないが、あの女に遅れを取るのは悔しいからな」
そう言うとセツは魔の舌を使う為の呪文を唱え始める。その魔法詠唱中無防備になるセツの警備にレイがドロテアとともに近付く。
それらを確認した後、すっかりと姿を消したオーヴァートを、無駄だと思いながらも見回して捜し、眉間に縦皺を寄せてヤロスラフは飛び上がった。
互いに灰色の空を背に、睨み合う今の選帝侯と、過去の選帝侯の ”一族”
「エセルウィサを滅ぼしたようだが、私は……」
折角の語りだったのだが、ヤロスラフは最後まで言わせてやる筋合いはないと、終わるのを待たずに剣を突き出し睨み付けた。
「前口上は必要ない。早くしないと、ドロテアに叱られる。やるぞ」
”ヤロスラフ、お前もなのか?” セツは自分の目の前に立っているドロテアの変わらない表情と、何度も頷いている剣を構えたレイを見ながら、魔の舌をかける呪文を完成させた。
「良いぞ! ヤロスラフ」
セツの声にヤロスラフは全能力を持ってセラフィーマを捕捉した。
攻撃をしかけてくると思っていたセラフィーマは、体の動きを止めるだけに全ての能力を使っているヤロスラフの真意を読めずに声を上げる。
「貴様! なんのつもりだ!」
彼等は破壊されない限り機能停止しないので、捕縛など無意味な行為に近い。
「答えてやる義理はない。だが一つだけ言っておこうか。私は歴代選帝侯の中でも、最も捕捉が得意な選帝侯だと! 捕捉ろと命じられ失敗し、何度ドロテアに叱られたことか! そして叱られない様にするために、どれ程努力して捕捉の練習をしたことか! 貴様は知るまい! 私の血が滲むような努力を!」
紫の瞳と、黒いマント。両刃の大剣を持った貴公子が、積年の鬱憤とも違う魂の叫びを響かせ、それを聞いた人達は 《元》 になった人に視線を向ける。
向けられた方は全く気にせずに言い返す。
「本当にヤロスラフは逮捕とか苦手でな。皇代は逮捕とか監禁って無い時代だったらしくて、それが今でも続いてやがった」
ヤロスラフの努力物語に少々興味のあったセツは、これを終えたら聞こうと思いながら術をセラフィーマに 《かけた》
セラフィーマは自分の体に浸入し這い回る物を感じ、それが脳内から情報を引き出す物だと理解して、体の内部で攻撃を仕掛ける。
「ちっ! さすがは選帝侯の血筋か」
空中に固定されているラフィーマの体に、セツの腕から無数に現れ浸入していった魔の舌は次々と焼かれ落ちる。
「そんな事もできるのかよ」
体内で浸入してきた魔の舌を焼くセラフィーマと、次々と呼び出し体の中に浸入させ情報を引き出そうとするセツ。
焼け落ちる魔の舌を眺めながら、言いだしたセツが記憶に辿り着けるのをドロテアは待った。
焼けた匂いが周囲に充満し、その煙に視界が悪くなった時、ついにセツは記憶を見る事の出来る箇所にたどり着いた。
セラフィーマもそれに気付き、焼き払おうとするがセツは次々に魔の舌をそこに送り込む。
「たどり着いたか? セツ」
「ああ。これで ”繋がる”」
記憶にたどり着かれたセラフィーマは、怒号を上げて拒否するが、セツは逃がしてなる物かと、セラフィーマが見えなくなる程の魔の舌を突き刺す。
「……どうだ? お前の能力で処理できないか?」
この状態でオーヴァートがセラフィーマを変えると、セツはオーヴァートの能力に直接触れ危険な状態になる。
どの世界においても、誰に対しても異質な死に至らしめる能力。
出来ればこの状況でセツが 《聖風神の居場所》 に辿り着けるのが最善だったのだが、
「無理だな。記憶が多すぎる。向こうも何を探りに来たのかは理解しているようで、記憶を遮断している」
ドロテアは舌打ちをして、もう一人に声をかける。
「クレストラント! セラフィーマの頭の中から探りだせ」
【解った】
その声にクレストラントがセラフィーマの頭に抱きつくようにして、浸入してゆく。
「何故最初からあの男を使わなかった? ドロテア」
「無駄口言えるくらいの余裕があるとは恐れ入るぜ、セツ。最初からあいつを使わなかった理由? 簡単だ、あいつの記憶はセラフィーマと重なる部分がある。下手すりゃあ、セラフィーマの記憶に飲み込まれる」
飲み込まれたらそのまま殺すだけだがよ、ドロテアが笑うと。その笑い声を聞きながら、
「なるほど……な。だがどうやら、飲み込まれなさそうだ」
セツは魔の舌の周囲を巡る、違う力を感じつつ答えた。
「そうかい」
「ドロテア!」
「何だ、セツ」
「皇帝に鏡を。到達した、だが到達したのを知ってセラフィーマが記憶を完全に遮断して 《溶かし始めた》 そうだ。そうクレストラントが言っている。記憶を溶解する酵素がと叫んでいる。イシリアにいた虫の持っていた能力では?」
「オーヴァート! セラフィーマを変えろ!」
セツの言葉を聞いて ”仕方ねぇ!” と何処に隠れているのか解らないオーヴァートに向かって叫ぶ。
「虫が持っている力程度なら、持っててもおかしくねぇもんな」
七色の髪をしていた人間の形をした物が、突如四角く巨大で薄く透明な ”板” になった。
「此処からは時間が勝負だぞ、セツ」
どこからか現れたオーヴァートは、三日月のように笑みを浮かべる口に、見開いた鈍色の瞳で睨めながらセラフィーマを指さす。
「突破した!」
「何処だ! 出てこい!」
叫び声を上げる巨大な画面に映し出された景色は、壊れ果てた街とは対照的な、静けさしか感じられない風景だった。
空と雲、緑の山が途切れることなく続く。
人の世から隔絶されたかのような風景の中に、何がか見える。
山の斜面に建っている城。
「あれは……」
ヒルダは治療する手を休めて見上げる。
「何処なの?」
マリアも血を吐くような声を上げる鏡を見つめる。
近付くとそれは大きな建物で、規則正しく窓が並ぶ。だがその城に現在人は住んでいない。
蔦が壁の色を変え、雑草が生い茂る中庭。小鳥たちが巣を作り、雛たちに餌を運ぶ。
草原に映る雲の影がとても濃い。周囲には何も無い、高地にある城。
「まさか……ネーセルト・バンダ王国の!」
ネーセルト・バンダ王国の紋章を捕らえた瞬間、画像が乱れ赤黒い物体が映し出される。
次々と破壊されてゆく赤黒い物体は、セラフィーマの内臓。次々とオーヴァートの力に浸食され、破壊されてゆく。
セラフィーマの断末魔が響く中、ドロテアはセツとセラフィーマを繋いでいる形になっている魔の舌を掴む。
「セツ! 魔の舌を切れ!」
すれは既にセツの魔の舌ではなく、オーヴァートの力に浸食された別の物になっていた。
変質しその内側を ”何か” がボコボコと音を立てて、セツに向かって走ってくる。
「切れん! 何だっ! これは」
”何か” の浸入を許してしまったセツの腕は、血管が五倍近く腫れ上がり蠢き出す。同時に上空にいたセラフィーマだった物が砕け散った。
「レイ! セツの両腕を肩から切れ!」
「了解したっ!」
見た目は肘下までしか浸食されていなかったが、ドロテアは念のために肩口から切り落とさせた。
切り落とされ地面に落ちた腕を踏みつけながら、
「調子はどうだ?」
ドロテアはセツに尋ねる。
「最悪だ……これが皇帝の力か」
真っ青な顔に冷や汗を浮かべ睨みながら答えるが、その声に何時もの力はない。
「そうだ。特にお前やレイは気をつけるんだな。破損率が一定量を超えるとすぐに動かなくなる、所謂 ”死” だ」
ドロテアに踏みつけられていたセツの腕は、少しの間暴れていたが、徐々に止み力を失って溶け出し始めた。
「どのくらいで壊れる?」
自分の腕だった物が、崩れゆく様を見ながらセツは尋ねるが、
「身をもって試せよ」
そんな事知るわけねえだろ? と馬鹿にしたような口調で返されて終わってしまった。
「誰が試すか」
「レイ、セツに付いてろ。後は……どうやらセラフィーマも死んだから撤退し始めやがったな」
シュワシュワと音を立てて消えてゆく腕の音を聞きながら、逃げ去った竜騎士を眺めていた。
「次に来た時が終わりか。……で、どうだった? クレストラント」
セラフィーマの居なくなった空間に佇んでいる、かつて魔王にされた男にドロテアは声をかけた。
【……】
「俺だったら最高に楽しいな。怨んだ相手が滅びる様を、内側から見られるなんて最高じゃねえか」
【最高だったよ。ヤツの痛みと恐怖と絶望、それらを全て感じ取ることが出来て……笑って良いか?】
「ああ、思いっきり笑え」
虚空に響き渡ったのは魔王の笑い声。灰色の空で霊体は笑い続けるが、徐々にその声は力無くなり最後には小さなものになった。
同じ霊体のアードが ”行こう” と声をかけると、クレストラントは笑いを止めてゆっくりと空から舞い降りた。
「魔王は消えたのですね」
ヒルダはその光景を見た後、一人祈りを捧げる。
魔王は死んだのではなく、消えたのだ。魔王など最初からいなかったのだ。
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