ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【16】
 ヤロスラフは受け止めたオーヴァートにそのまま流れるように寝技に持ち込み絞めあげる。
「わかんなぁ〜い」
 そのままの体勢のオーヴァートにドロテアは最後の場所を問いただすが、答えは予想通りだった。
「そうだろうとは思ったが、厄介だな。地の果てと海の果ては存在するが、他は聞いたこともねえ」
 ドロテアは寝技をかけられて喜んでいるとしか思えないオーヴァートの傍に座り、視界の端に空を捉える。
 聖水神や聖地神、そして聖風神を監禁した場所を作ったのはオーヴァートの祖先・初代皇帝。
 地の果てと海の果てで発見することができた聖地神と聖水神。
 捕らえられていない聖火神。そして 《空の果て》 に捕らえられているだろう聖風神。
 聖風神が捕らえられている場所が、ドロテアには皆目見当が付かなかった。
 知っているとしたらオーヴァート以外にないだろうと聞いたのだが、知らなかった。そうなると、この世界に現在生きている者達は誰も知らない事になる。
 捕らえられ 《魔王》 に変えられたクレストラントも、兄弟であり聖風神の半身を持つ聖地神も、はっきりとした場所は解らない。
「イングヴァールがどれ程のものかは知らねえが、出来れば聖風神も召喚できるようにして手駒を増やしてぇ」
 ドロテアは既にイングヴァールとの直接対決に向けての布陣を考えていた。どの神を何処の国の守りに向かわせるか? 戦いに適している神達のリストを作り考えると、どうしても足りない。


 イングヴァールとの直接対決は避けられない。
 だが誰が直接対決をするのか? となると、それはまだ決まっていない。
 イングヴァールに勝てるのはドロテアのみ。オーヴァートも敵いはしない。だがオーヴァートが直接対決を望むのは明らかだった。
 オーヴァートは間違いなく死ぬ為に、イングヴァールと対面する。問題は 《それ》 だった。
 ドロテアはオーヴァートを簡単に楽にしてやるつもりはない。だから過去の皇統と、最後の皇帝の直接対決は阻止するつもりだ。
 阻止する為には、最低でもオーヴァートを超える力が必要。

”精霊四神で超えられなかったら、その時は……”


 手甲を眺めていたドロテアの頭上から、不必要に偉そうな声が降り注ぐ。
「敵の強い個体に尋問してみたらどうだ? 雑魚ではなく、統率している個体なら知っている可能性も高い。俺を捕らえた女は、あの場所にフェイトナがいると知っていた。クレストラントを捕らえた者は 《魔王》 に作り替えることが出来たのだから」
 セツはクナにこの場を一任して、ドロテア達の傍へと戻ってきた。
「確かに知ってるだろうなあ……でもよ、聞きようがねえってか、拷問で口割らねえだろうしよ」
 湿気の多い海風が運ぶ潮の匂いを吸い込んで、溜息を吐く。
 場所の ”あたり” をつけるのに、敵からの情報を得るしかないのだが、それを所持していそうな相手が人間など足下にも及ばず、戦闘力では亜種に劣るが、多種多様な能力を持つ選帝侯の血筋なのが問題だった。
「頭に直接は?」
「無理なんじゃないか? おい、オーヴァート、ヤロスラフ!」
 セツの意見に、どうなんだ? と四方固めをかけているヤロスラフと、かけられているオーヴァートに尋ねると、
「選帝侯同士は互いの思考をのぞくことは出来ない。そして選帝侯は皇帝に思考をのぞかれると死ぬ。先ほどのエセルウィサのように崩れ去ってしまう」
 無理だと言った風にヤロスラフは首を振り、オーヴァートは笑顔で頷く。
「俺が魔の舌を使うのは?」
「そいつは危険だぜ、セツ。戦う能力はお前達 ”勇者” の方が上で作られてるが、能力は選帝侯の方が高いんだからよ。対能力技術戦になると負ける可能性もあるんだぜ」
 ドロテアは立ち上がり、埃を払いながら瓦礫の山になったホレイルの首都を見回す。
「提案した以上は責任を取る」
 セツの言葉にドロテアは、やれやれと首の辺りをかいて、
「その際に、お前が足止めしろヤロスラフ」
「ふむ。足止めなら可能だ。任せろセ……って、がっごっ……ぐぇ!!」
 完全に決まっていた筈の四方固めがいつの間にか解かれ、今度はオーヴァートがヤロスラフを三角締めにしていた。
 この家臣と主は何をしているのだろうとセツは思ったが、聖職者の道を捨ててこの道を本人が選んだので、何も言うまいと感情のない眼差しで見下ろしていた。
 感情を込めてしまうと、笑ってしまいそうだったからなのだが。
 もっとも聖職者の道三十余年のセツの言動も ”どうか?” と思われるところが多いのだが、セツ本人は全く気にしていない。
 首に青筋をたてて外そうとしているヤロスラフを無視し、オーヴァートはある提案をしてきた。
「じゃ、俺はソイツの体を使って “鏡” を作ってやろう」


「どういう事でしょうか? 皇帝陛下。委細を教えていただきたい」


 突然丁寧な言葉を使ったセツに、ドロテア以下、首を絞められているヤロスラフや間違って声が聞こえてしまったクラウスなどが一斉に振り返る。
 あまりの周囲の驚きぶりに、クナは苦笑した。
「あの男は最高枢機卿ぞ。平素はあのように猊下と話をしておるのだ、驚く程のことでもあるまい」
 その猊下とも二人きりの場合はかなり崩れているのだが、その言葉は尤もであった。
「ほら、セツが幾ら敵選帝侯の頭の中を探っても、探った場所が解らなければ意味がないだろ? 知識を得たセツを殺してドロテアが情報を引き出す訳にはいかないから、皆にも観られるようにするために、セツが引き出した情報を選帝侯の体を媒介にして皆に見せるのさ」
 セツは聞きながら完全無視されているかつての同僚に、少しだけ助け船を出してみた。
「そろそろヤロスラフを自由にしてやってください」
 ”オーヴァートの腕の中で赤くなっている” 端的に表すと多種多様にも取れる言葉だが、実際は首が絞まっている上に ”セツに危ないことさせるな! 声がっ!” 青筋と怒鳴りだしそうな焦りの怒気を含んだ赤い顔。
「やめろ! オーヴァート! お前の力に触れたらセツでもただじゃ済まねえ!」
 ほどけていないヤロスラフの代わりにドロテアが否定の言葉を上げるが、止めるつもりはない意志をはっきりと解るように込めてセツは返す。
「だが即死ではないのだろ?」
 セツは言いながらドロテアの美しい鳶色の瞳に無言で語りかける。

《手前が解いてやらなけりゃ、ヤロスラフあのままじゃねえのか?》
《面倒だからあのままにしとくに決まってるだろが》

 その美しい鳶色の瞳は、緑の中にある鋭さに、やはり無言で返した。

 瓦礫の上でうめき声を上げているヤロスラフを無視し、
「即死じゃねぇとは思う。前にレイがエヴィラェルヴィスにある、オーヴァートの作った結界に触れてもかなり持ちこたえたからな」
 通常の人間なら指先が触れただけで霧散する結界に触っても、即死もしなければ体も残った。
「ならばやってみよう。援護はお前に任せたぞ、ドロテア」
「仕方ねえな。援護できるとしたら、レイに指示を出すタイミングだけだろうがな」
 二人は話し続ける。
 ”そろそろ助けて上げてください、ドロテア様” と思いつつも、瓦礫の下敷きになった人達の救出を優先しているミゼーヌにヤロスラフは文句はない。
 どの瓦礫を撤去するべきか、どの瓦礫にふれると瓦解するかをグレイの正確な目測から計算してはじき出す。
「あれが次期学長と名高い天才少年かえ。素晴らしいと言うしかないの。何を計算していのか、妾には全く解らんが……言葉通りになるのぉ」
 クナも感動しながら、説明を聞き部下達にミゼーヌの言葉通りに動くように指示を出す
 オーヴァートさえ絡まなければ、落ち着きのある天才なのだ。

**********

 ホレイル王国の首都はオーヴァートの結界により、外敵の攻撃から一時的に護られることになった。
《張れるのなら最初から張っていただければ……やはり寵妃の存在か》
 誰の言葉にできない言葉なのかは、敢えて記載しない。ドロテアと一時的に別行動を取りホレイルにいて戦っていた人物の胸中であることは確かであるが。

 オーヴァートが張った結界に護られながら、救出作業終了後に、明日の作戦会議が開かれた。
 作戦会議といっても、瓦礫の山に銘々に腰をかけて、各自手元に好き名銘柄の酒や、手に入るつまみなどを置いて、レイに「一番強そうな敵は倒すなよ」「開始直後に今日と同じにオーヴァートを殴り飛ばせ」などとドロテアが指示を出す。

まったく会議らしくない会議だった。

「話すことは以上だ。何か知りたいことや、疑問はあるか? 特にセツ」
 助けられる形となったセツは、同行者を見回して一人の男で視線を止めた。
「なぜチトーの子飼いが同行しているんだ」
 チトーの子飼いとはギュレネイス皇国の警備隊隊長クラウス。
 現時点でセツと国家レベルで最も不仲な男の直属の部下が同行しているのは、裏や何らかの取引があると見られるのは当然のこと。
「同行希望だったから連れてきたんだがよ」
「それだけか?」
「裏があったとして、それを手前に教えると思うか? セツ」
 言い終えた後に面白そうに壊れた大きな住宅からエルストが失敬してきた酒をボトルごと口に運ぶ。
「貴様に聞いた俺が愚か過ぎだな」
 ドロテアの相変わらずな言い分には気分も害してはいないが、クラウスに対する視線は決して受け入れない意志を露わにしていた。
 そんな状況の中、本日の片付けを終えたクナが召使い数名に料理持たせて、会議している場所を訪れた。
「今の首都の状況ではこれ以上の料理は用意出来ぬが、明日もよろしく頼む」
 治療する際に邪魔だと、故郷でヴェールを完全に外してしまった痣のあるクナの顔は、とても優しげだった。
 ヴェールに関してセツは ”顔を隠すのは廃止する” 方向で進めていたので、特に何も言うことはない。
 各々距離を持ち座っていた場所から、料理の置かれた場所へと集まり手を伸ばす。。
 料理はそこの岸壁で釣った魚が主だが、
「さすが王女が持ってきただけのことはあるな」
 ホレイルの命運を握っている者達への食事である以上、味は王族が食べるそのものだった。
 全員しばし無言で料理を堪能した後に、ドロテアはセツに尋ねた。
「なあ、セツ」
「なんだ? ドロテア」
「お前さ、クラウスのこと嫌ってるよな。チトーの子飼いだからってだけじゃなくて、別の理由でも嫌ってるように見えるんだが。俺の気のせいか? 生理的に嫌いなら嫌いって教えてくれねえか? この先色々な場面で作戦立てる際に、嫌いだ嫌いだって言われても困るしよ」
 バゲットにバターを塗りながら聞いていたセツは、
「そうだな。俺は男の愛人は生理的に嫌いだ。そんな理由で警備隊長の傍にも居たくない」
 淡々と答え、一呼吸置いて全員がクラウスの方を振り返った。
 フォークに刺した魚の身と、硬直しているクラウス。
「警備隊長が愛人だったとは知らなかった。知っていたか? ミロ」
「いや、聞いたことないな。バダッシュ」
【あー男の愛人かあ】
【そういう事もあるだろうなあ】
 ドロテアは顎に手を置き首を傾げて、マリアは不思議そうに見る。
「ちっ! 違いますよっ! 誤解です! セツ最高枢機卿!」
 全員の声や行動を見て顔が真青を通り越し、死人のような色になったクラウスは、エルストに背中を叩かれて正気に戻り声を上げた。
「違うのか」
 ”推測だけで……良いのでしょうか”
 ヒルダは思ったが何も言わなかった。目の前にある鯖のマリネを食べるのに忙しくて口を開かなく事は無かった。
 ちなみにヒルダが食べている鯖のマリネは運良く難を逃れたもので、丁度良い具合に味のしみ込んだ一週間ものである。
「違います! 違います! 私だって! あっ! うわっ!」
 鯖のマリネはさておき、他の国の権力者に自国の最高権力者の愛人だと勝手に思われていたクラウスは、力なく肩を落としながら否定する。
「たしかに我が国にはそのような噂と……真実である部分も否定はしませんが、私は違います……言って信じてはもらえないでしょうが……あの、私も……」
 だんだんと声が小さくなってゆくクラウスの肩に手を置き ”ちょっとおいで” といった風にエルストが連れ去った。
「手前、本当に嫌いなんだな」
「ああ。虫酸が走る程嫌いだ! 殺せるなら殺したいくらいだ! 俺の居る部屋で息するな、と言うくらいは嫌いだ」
 唸るような声で言い捨てたセツに、誰もがどれ程嫌いなのかを理解できた。この話題をこれ以上セツに向かって振るのは危険だと感じる程に。
「エド正教も全面的に禁止なんすね」
 イシリア教国出のグレイが尋ねると、ヒルダが頷きながら答えを返す。
「基本的には禁止ですけれど、はっきりとは書かれていなかった……ですよね、姉さん?」
 話をふられたドロテアは、コップの縁を持って口元に運んでいた。
「はっきりとは書かれてねえが、文面の至る所に今のセツの言動っぽいのが散りばめられてるな。真君に瓜二つと二人を見たことがあるアンセフォの野郎が言ったんだ。想像つくだろうが」
 それだけ言ってから酒を飲む。そうしていると、クラウスを連れて立ち去っていたエルストが、にこやかと言うかやる気なさそうというか、何時もの適当な雰囲気のまま戻ってきて、
「あ、セツ枢機卿。クラウスも嫌いなんですよ」
 早く話題を切り替えたかった人々の気持ちを無視して、未だ話題を継続する。
 ”やめようよ” という思いの人々はうつむき加減で食事を続ける。かなり腹一杯なのだが、食事で口を封じるくらいしか思い浮かばなかったのだ。
 その場を立ち去るという選択肢は緊張のあまり選べなかった。
「実力一本なのに、可哀想なことをしたな。だがチトーのヤツは何人かそれで地位を与えているから誤解されても仕方ないだろう」
 全く悪びれないセツと、
「そうなんですけどね、クラウス本人も嫌な思いしているようでして。幼馴染みとして弁明をしてあげようかなあと。もっとも俺の弁明は弁明にならなかったりするのですが、そこはまあ……良いかなと」
 全く良くないだろうエルストの会話は続く。
 フォークを指先で回しながら、
「警備隊長は美形なのが噂を増長する一因だ。それと最近新しいの男の愛人を迎えたな。若くはないが女のような綺麗な顔立ちをした男らしいな」
「それ愛人になりましたが、本人自身も中々に実力があるらしくて。クラウスに敵対心をも持っているようです」
 警備隊長も色々と大変なのだ。
「その女のような顔立ちの男が実力者なのは知っている。こちらでも調べていた所だからな」
 誰だよ? と思いながら聞いていたドロテアも、セツの語った名前が知っている相手だったために、珍しく驚きの声をあげた。
「あいつねえ……。確かにもう若くはないが、綺麗な顔だったな」
 ドロテアが綺麗というのだからと、顔を知らない者達も ”標準以上” なのだろうと推測できた。
「俺が悪いわけではなく、チトーがそんなことをするのが悪い。俺はしたことはないからな」
「建前として性別が解らない聖職者だからな……馬鹿馬鹿しいけど」
「ほっとけ。愛人ごときに地位をくれてやるくらいなら、あの死んだハーシルにくれてやった方が、まだましだ」
「死んだんじゃなくて、俺と手前で処刑したんだろうが」
「そうも言うな」
 この国の王族処刑しましたと語り合う二人に、都合の悪そうなミロとバダッシュとレイ、それと姿を消しながら ”ぼそぼそ” と言い合うアードとクレストラント。
「お皿下げにいきましょうか、ヒルダ。あら? 珍しく残したの?」
「残りになっちゃいましたが、中座したクラウスさんに」
 クラウス隊長さんは食べるほどの気力は残っていないのではないだろうか? ミゼーヌやグレイ、イリーナやザイツは思ったが黙っていた。
 ヒルダなりの励ましとして、魚の骨は全て抜いた。それを持って「遠慮しないでください〜」と言いながら歩み寄ってゆく。

 『料理を勧めるヒルダ』それはクラウスにとって軽いトラウマなのだが、ヒルダはそんなこと当然知らない。

 物陰に隠れている状態になっているクラウスの元へと向かったヒルダの姿を眺めながら、ドロテアは ”来い” と人差し指でバダッシュを呼び、二人だけで肩を並べて壊され歩き辛いた街を目的もなく歩きながら話す。
「それにしてもユリウスが愛人とは。故郷に戻ったって聞いてたけど、バダッシュ何か聞いたか?」
「いいや。まさかそんな事になっているとは、思いもしなかったよ、ドロテア。あいつ主席卒業だったから、故郷に招待されたとばかり……何考えてんだろうなあチトー五世といい、ユリウスといい」
 ドロテアの一学年上、バダッシュの一学年下にあたるギュレネイス皇国出身の男で、元オーヴァートの愛人。
 ドロテアが愛人になりたての頃に少しだけ時期が重なっていた。その奇妙な縁でドロテアは覚えていたのだが、ドロテアとは違い隠された関係なので、バダッシュなど普通の人達は誰も知らない。
「さぁなあ……」

 目を閉じたドロテアの脳裏には、正体の知れない悲しさを湛えた瞳でオーヴァートを見ていたユリウスの姿があるが、それは誰にも告げることはなかった。


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