ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【18】
 撤退した敵を追いかけ魔物を生み出している ”目” を消滅させに向かっても良かったのだが、セツの損傷の大きさから万全を期す為に、明日総攻撃をかける事になった。
 そしてオーヴァートは首都に結界をかけると、負傷者をそのままに何処かに消えてしまった。
 自分の力で負傷したセツを治そうという気持ちは皆無なのは誰の目にも明かであり、誰も何も言わなかった。
 オーヴァートは人を治す皇帝ではないことを、誰もが理解し始めた。オーヴァートが 《皇帝》 が治すのはただ一人。


 四本指の女は、それを拒み敵の巣を見つめる。


「指揮個体は失われたが魔物の目が消失したわけではない。おそらく明日には爛熟体となり、最後とばかりに魔物を量産してくるだろう」
 ヤロスラフの説明に、
「死兵同然でぶつかってくるって訳か……まず明日は開始と同時にオーヴァートを吹き飛ばすぞ、レイ! ヤロスラフ」
 ドロテアは何時もの作戦を叫ぶ。
「了解した。レクトリトアードと共に勢いよく剣で殴り飛ばそうではないか」
 捕捉が苦手でドロテアに叱られ続けていたヤロスラフは、今日成功させた事によって、何かとても晴れやかで嬉しそうであった。
”ヤロスラフ……楽しそうだね”
 そんなやり取りを眺めるエルストの前には、何時も以上の山盛りの食事が。
「済まない、エルスト」
「謝らなくて良いから、泣き止んでこれ食べよう」
 ”落ち込んでいるクラウスさんを元気付けて上げましょう!” とヒルダが腕によりをかけて料理を作り、途中でクナが立ち寄り理由を聞いて、
『セツらしいと言えばセツらしいが。どれどれ、妾も同派代表の詫びとして』
 料理人に号令をかけ、用意出来る最高の物を用意させた。
 ヒルダに悪気はなく、クナは別宗教の権力者に対する謝罪として用意したので、
「落ち込んだ私が悪かったんだ」
「気にするなってクラウス」
 断ると角が立つという判断から、ありがたく受け取り男二人暗澹たる気分に陥りながら、ソレの前に座っていた。
 海鳥が鳴いている場所から離れた、屋根までしつらえて貰った場所で二人は、スプーンを持ったままギュレネイスの食事前の祈りを始めた。


「具合が悪いというのは、こういう事か」


 セツは初めて体験する不調に唯でさえ厳しい表情に、苦痛が入り交じり怒っている様にしか見えない表情を露わにして、物陰で仰向けになって寝ていた。
 何時もならすぐに生える腕も、未だに生えてくる気配がない。
『腕を這い進んできたあの感触。思い出すだけで嘔吐感がこみ上げてくる』
 セツの腕を昇ってきた 《何か》
 表現し難く、セツですら出来れば忘れてしまいたい感触。
 そのセツの世話をしろと命じられたのがレイ。 
「最高枢機卿」
 水の入った桶とマリアの作った量が適切な、軽い食事を持って来たレイが声をかけた。
「セツで構わん」
 レイに身を引き起こして貰い、壁に背を預けて溜息をつく。レイは上着を脱ぎ捨てて上半身を露わにする。自分の体にもある見慣れた紋章の色違いを眺めながら、何をする気だと思いながら黙っていたセツの目の前で、
「ではセツ。応急処置として ”これ” を代用品にするといい」
 レイはそう言うや否や自分の右腕を肩から切り落とし、地面に落ちた腕を拾いセツに差し出した。
「それを付けろと?」
「治るまで不自由だろうからな。俺はすぐに生えてくる」
 言葉通りに恐ろしい勢いで生えてくる腕。
「そのようだな。ではありがたく頂くか。切り口に押し付けてみてくれ」
 セツの右肩断面にレイは自分の腕の断面を押しつけた。レイもセツも切れた部位を押しつけると簡単に繋がることは何度も経験しているが、自分以外のパーツを繋げようと思った事は無い。
 それほど大怪我をしたこともなければ、すぐに生えてくるので当然なのだが。その為、レイの取った行動はある意味 ”賭け” であった。
 接続されないかも知れないし、もしかしたら拒否されるかもしれない。
 その反面レイは、何となく ”大丈夫” という思いもあった。良くは解らないが、絶対に付いてくれる筈だという思い。
「解った……簡単にくっついたな」
 その思い通りに、自分で切り落とした腕はセツの肩から生えてすぐに動き出した。
「細めだが悪くはない。これを基本にして俺の右腕を作ろう」

 その二人の行動を眺めていたアードとクレストラントは絶句していた。
【クレストラント……あれ】
【まさか……】
 二人はその理由を語るべきかどうかを二人で話し合い、結果を出すのにかなりの時間を要した。

 それは手遅れにはならなかったが、既に手遅れでもあった。

**********

 ドロテアは夜空を明るく照らす月を、椅子に腰掛けて眺めながら酒を飲んでいた。
 月は酷く黄色く、妙に語りかけてくるかのようでもあった。
「そろそろホレイルの大潮か」
 その月に答えようと思った訳ではないが、結果として話掛けるような独り言を呟いた。
「姉さん」
「どうした? ヒルダ」
「酒の肴作ってきました」
「……いや、別に要らねぇんだが。どうだ? お前も飲むか」
 ドロテアは自分の使っていたグラスの縁をハンカチで拭き、酒を注いでヒルダに差し出した。
 それを受け取ったヒルダは立ったまま、
「良い勢いで飲むじゃねぇか」
 ドロテアに褒められる程の勢いで飲み干した。
「姉さんと一緒に旅してたら、強くなりました……姉さん」
「何だよ。聞きたい事があるなら早く言え」
 ドロテアはヒルダの作ってきた肴を摘みながら尋ねる。
「私達、なんでホレイル王国に居るんでしたっけ?」

 ヒルダは蹴り倒された。

「テメエ、何を言い出すかと思えば。ヤロスラフがホレイル首都が攻められてるって教えてくれたから来たんだろう」
 ドロテアは持っていた酒瓶を直接口に付けて飲みながら、前傾姿勢になり声を低くしてヒルダに答える。
「それなんですが、姉さん何で援軍……援軍……」
 ”援軍” という度に城があった方角を振り返るヒルダに、
「解った、言いたいことは解ったから、それ以上過去を振り返るな」
 ドロテアは背を向けた。波音と月影の中ドロテアは暫く考えてから口を開く。
「仮説なんだがな、此処には 《何か》 があるはずだ。イングヴァールの配下の選帝侯崩れが襲う程の物が」
 額に手を置き、自分の考えを整理するためにもドロテアは語る。
「おかしいと思わねぇか? ヒルダ」
「何が……ですか?」
「此奴等ホレイルに必死に攻めてくるが、エルセンから興味を失っている。前回エルセンを攻めた奴等は、何も手に入れる事なく俺が消失させた。本当に何かが欲しかったのなら、まだ攻め続ける筈だ」
 ドロテアはまだ半分ほど残っている酒瓶をテーブル代わりに使っていた瓦礫の上に置き、椅子を動かしヒルダの正面に座り直す。
「何だと思う? あいつ等がエルセンで狙ってた物」
「見当が付きません」
「じゃあ此処で狙ってる物は何だと考える?」
「解りません」
「不思議だよな」
「不思議です」
「俺は此処にアレクサンドロス=エドの棺があるんじゃないかと思う」
 ドロテアはそう言ってヒルダを黙って見つめる。
 鳶色の瞳同士が月明かりの下で交錯し、長い睫を持った瞼が同時に閉じられる。
 二人は瞳を開かないまま、一人は話しを続け、もう一人は聞く事に専念する。
「パーパピルス王国で、セツが誘拐されたっていう報告を受けた後、俺はアードにゲートを作って近場まで移動させられないか尋ねた。結果はお前も解っている通り、無理だった。その理由ってのが……」

**********

 パーパピルス王国からエド法国に向かうとなると、旧トルトリア王国領、エルセン王国を抜けて向かうのが最も近く、瞬間移動させる際にもそのルートを短縮する方法を使う。
 その移動空間に存在する旧トルトリア王国領の “時を刻む棺” がアードの力を阻害しているという。この阻害はいずれ魔帝が降りてくる場所に対する抵抗。通常の世界には干渉しない、他次元に向けて発動する魔力。
【この干渉が無いと、魔帝の側からもっと大量の尖兵が送られてきているはずだ】
 魔帝がこの場所から現れることは既に判明しており、その時も刻々と迫ってきている。
「何匹かは抜け出して、この世界に影響を及ぼしている……ってことか?」
【たぶんそうだ。そこら辺を探ってみたら、最近ちょっと大きいのが抜け出したような跡がある】
「追跡できるか?」
【あとで追ってみる。それでエルセンにも入ることが出来ない。逆方向のギュレネイス皇国だったよな、そうギュレネイス皇国側は当然フェールセン城があるから無理。それと、ホレイル王国なんだが……誰かがいるような気がする。要するに、ハルベルト=エルセンかアレクサンドロス=エドのどちらかが。だがシュスラ=トルトリアのように棺の外に力を出していないから、はっきりと言いきれない。でもその僅かながらに現れている力の関係で、近くには何処にも】
「ホレイルにいるのは、アレクサンドロス=エドじゃねえのか?」
 アードの話を聞き終えたドロテアは、何時もとは全く違う言い方で問いかけるよう口にした。
【何か理由でも?】
「いや……言った俺自身にも解らねえ。でもな、何かが頭に引っかかって、エドじゃないか? と思ったんだよ。何か俺、知ってんだよ。理由を口にすると、誰もが “ああ!” 言うみてえな理由を。おい、エルスト! 何か思い当たる節はねえか?」
「何も無い」
 いつも通りの答えに、ドロテアは返事を返すこともなくベッドに腰をかけて本を手にとって読み始めた。

**********

「アードはそう言った。だから棺は此処にあるんだろう。そして俺はその棺が ”アレクサンドロス=エド” の物という考えから逃れられない。理由が出てこねぇ」
「……」
「アードはエルセンのことは言わなかった。エルセン王国にハルベルト=エルセンが居るとは言わなかった。だがエルセン王国は敵の襲来にあった。その理由は?」
「……」
「此処が襲われたのはおそらく棺だ。だがエルセンは……何が? だから違う事から考えてみようじゃねぇか」
「……」
「勇者達の国の建国理念だ。即位にも理由があったんだ、建国理念にも理由があると見て間違いないだろう。はっきりと解るのはシュスラ=トルトリア。シュスラは国を作るつもりはなく、あの場所を監視するために残った。そこに人々が集まってきて国になった形だ。だからシュスラはあの場から動かなかった。アレクサンドロス=エドがエド法国を建国した理由は? 吸血大公を封じる為にあの場所に首都を作った。ヘイドから取り上げたエルセン文書とその手引き書を今ミゼーヌに解読させているが、その他の理由もあるらしい。でもな、エルセン王国だけ解らねぇんだ。全く思い当たる節がねぇ。一体あの国は何のために建てられた?」
「…………」
「意味なく建てたとは思えない。そして俺が俺自身の直感を信じるのなら、存在する筈のハルベルト=エルセンの棺は何処にある? そして此処にあるはずのアレクサンドロス=エドの棺は何処に? おそらく棺さえ此処から持ち出せば、もう襲われる事は無い。逆に言えばそれが存在する限り、ここは襲われ続ける」
「……」
「それで最初のお前の質問 ”何でホレイルに援軍らしいモンを送ったか?” 答えは簡単だ。俺はあの瞬間、アレクサンドロス=エドの棺が思い浮かんだ。それが敵に奪われちゃあならない事も」
 沈黙の後、互いに瞼を開き再び視線を合わせる。
「姉さん」
「何だ? ヒルダ」
「恐らく私達は既に答えを知っているのです。それが理解できないだけなんだと。理解できない事が姉さんの焦りに繋がっているのだと」
 ドロテアは足を組み直し、口元を手で隠して視線を外してから頷く。
「俺もそう思う。だが、それがなんなのか繋がらなけりゃ意味がない。折角セツが引き出した情報も同じだ」
 セツがセラフィーマから引き出した 《空の果て》 に繋がる場所。
「あの映像の場所は、この方向を直進したら辿り着けるが、辿り着く前に場所を特定しなけりゃならねえ」
 ドロテアは長い腕を伸ばし、人差し指で海を指す。
 エルベーツ海峡。船がゆく事は決してできない、荒れた海。
「無いんですか? 《空の果て》」
「それらしい場所は思いつかない……どうした? ヒルダ」
「姉さん、多分私はその場所を知っているはずです。ただそれが繋がらない……これは嫌な感覚ですね」
 二人はネーセルト・バンダ王国の方角を無言で眺め続けた。


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