ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【15】
 人間など物の数に数えていないエールフェン選帝侯の血族エセルウィサは、
「貴様が現エールフェン当主か」
「当主になることの出来なかった劣悪な血と対面するのはもう飽きた。貴様、エセルウィサだろ」
 ヤロスラフの声をかけ、かけられた方は平素の彼からは考えられない程冷たい言葉を投げ返した。
 世間的にはほとんど知られていないのだが、ヤロスラフには兄がいた。
 名をオレクシーと言いとにかく性能が悪く、父であった先代エールフェン選帝侯も、兄オレクシーに早々に見切りをつけて弟のヤロスラフを後継者に選んだ。その出来の悪い兄にヤロスラフは困らされ、我慢の限界も当に超えて憎んでもいた。
 それはオレクシーも同じ事で、自分が後継者に選ばれなかった事に対し恨みを抱いていており、今から十数年前に皇帝殺害という暴挙にでて返り討ちにされた。
 その兄を思わせる視線と態度にヤロスラフは、ただでさえ面白くなかったのに続けて言われた言葉に
「確かにエセルウィサだ。そして何とでも言うが良い。貴様はどうせこの弱い皇帝と共に死ぬだけなのだからな」
 ヤロスラフは頬を引きつらせたが、何も言い返さなかった。
 目の前のエセルウィサを支配しているのがイングヴァールである以上 《弱い皇帝》 というのは正しい。
「弱い皇帝と ”共に” 死ぬ……か。それは私の望むところだ。だが私達を殺したところで世界はお前達の手には入らない、その女が居る限りな」
 ヤロスラフが視線を移した先にいるのはドロテア。
「たかが人間に何ができる」
「私も劣悪なる血のお前も人間ではない。だから人間の真価は知らぬだろう、お前は認められないで死ぬだけだ」
 エールフェンの紫を持つ互いの双眸が交差した時、二人を影が覆う。
 瓦礫に広がる影は、海風に着衣の裾をなびかせて、その影は揺れる。エセルウィサは視線を外し、影の持ち主を見上げた。
「逃げ出したのか特殊兵」
「……」
 嘲笑を隠さないエセルウィサをセツは無表情で見下ろす。
「手足も出ずに囚われた男に何ができ……」
「ふふふふ。ふぁははははは! 馬鹿が馬鹿面下げてやってきやがったな! 手足が出なかっただと? 黙って捕まってやったことも理解できねえ馬鹿がぁぁ! どの口ききやがる!」
 言いながらセツはヤロスラフの隣に降り立つ。
 ドロテアをして ”悪人面とはまた違う、悪人のツラだよな” そんな矛盾した言葉を言わしめたセツの顔、そして雰囲気。矛盾しているのだが、それが最も正しい表現と誰もが得心してしまう、自信以上に高圧さがにじみ出る表情。
【ちょっと聞いて良いかな、クレストラント。あの人、誰だ?】
 聞かなくても解る筈のアードが、エルストに取り憑き同行していたクレストラントに確認の意を込めて尋ねる。
【次のエド正教の法王猊下になる予定の人で、セツ最高枢機卿と言うらしい。もちろん私達と同族】
 クレストラントにかつての魔王の表情は残っていない。
 ”ああ……なんか凄いの来たよ母さん”
 年下の同族とはとても思えない男を前に、アードはクラウスと共にその場を見つめ続ける。
 セツの言葉に度肝を抜かれたエセルウィサは、細身の剣を抜きその切先を向けて怒鳴ろうとするが、圧倒的な声量で押し返される。
「口だけは達……」
「エド法国で戦っては町並みを破壊する恐れもあるからな! 次の法王たるもの自分の国の破壊は最小限にする! だが此処ならば、幾ら壊れようとも俺の知ったことじゃねえ!」
 エールフェン選帝侯血族エセルウィサは、作られたばかりの特殊兵は知っていても、人間と共に生きてきた特殊兵は知らない。
「あの人なんだっけ?」
 マリアが呆れ気味にドロテアに尋ねる。
「世界に慈愛と博愛を説く、宗教国家の次期宗主」
 セツの言動に泣き止んだミゼーヌを眺めながら、ドロテアは腕を組んで答える。
 正しい答えが此処まで嘘に聞こえる相手も珍しいなという視線で。
「格好い良いなあ、セツ」
 周囲が脱力するようなエルストの言葉に、セツの隣から離れたヤロスラフが答える。
「昔からああいう男だったが……いや、益々磨きがかかった気がする」
 その言葉を聞いてしまった争いに巻き込まれた人々は、言ったヤロスラフと言われたセツを交互に見る。
「まずは第一陣を粉砕してやる!」
 ドロテアの殺意以外篭められていない、殺戮を呼ぶ声が瓦礫と腐臭の漂う街に波音とともに人々の耳に届く。
「セツ」
「なんだ?」
 ドロテアはエセルウィサと睨み合っているセツの隣に立つと、エセルウィサの気を逆立てるような蔑みの視線を向け、すぐに背を向けてとどめを刺す必要な物を呼び出した。
「セツ、これを使って確実に殺せ! 出て来い! アンセフォ!」
 ドロテアが片方の眉をつりあげ、召喚呪文すら唱えずにやたらと派手な神を呼び出す。初登場のロインよりも “イヤイヤ” 出てきた、地属性上位五神の一人アンセフォ。
 人に近い形ではなく、よく言われる鳥の姿で現れたそれの背中をセツは、何を言われるでもなく、そして何も言わずに踏みつけた。
「セツ、乗って戦え」
「解った」
 乗って戦えと言われる前に、まるで当たり前のように踏みつけた聖職者。
「男に踏まれるのはイヤだー!」
 真君アレクサンドロス=エドのみを奉じ、精霊神を属神とする宗教を信じる民ですらそれを “憐れ” と思ってしまう程に ”ぎゅいっ!” と踏みつけたセツ。
 だが違う見方をするならば、間違いなくこの男はエド正教の忠実なる僕。
「うぜえ召還神だな。黙って動け、ぼけ! また痙攣させられたいか!」
 精霊神を容赦なく踏みつけて道を切り開くその男の後ろ姿は “宗教的” に力強い。
 自ら奉じる神以外は言葉通りに踏みつける。
「神なら俺の望みどおりに動けるだろう! 行くぞ! 属神!」
 セツの体を覆う透明な緑の目視で解る力に、エセルウィサは飛び退き宙で戦闘態勢を整える。
「属神言うな! あっ! お前……アレクサンドロスだな! あの野郎の……性格そっくりでやがる! ふざけんな! てめええぇぇ! 存在しなくなったんじゃなかったのかよぉ! ああ、お前ら人間じゃねえから! うわあああ! 信じられねえ! またコイツに使われ……使われるのかよぉぉ!」
 アンセフォの叫びにその場にいた聖職者達は、あらぬ方向を向き聞かなかったことにした。
 粗方の治療を終えたヒルダは、アンセフォに乗り上昇するセツを見送りながら、何年もかけて神学校で覚えた伝承を語る。
「アレクサンドロス=エドは昔、精霊神にも協力してもらったって」
「とても過去に “協力” してもらったような雰囲気はないんだけど」
 ヒルダにとって、マリアの言葉の方がとても正しく感じられてしまった。
「伝承って綺麗に整えますからねえ」
 吸血大公の時もそうだったよなあ……と、中々本当のことは学ばせてもらえない世界をちょっとだけ儚んでみた。

**********


 エセルウィサは何故自分がセツを見上げているのか解らなかった。
 黒髪と紫の瞳を持つ、高慢な女は自ら気付いていないだろうが、鼻から血を吹き出しながら起き上がっていた。
「なっ!」
「女、弱ぇじゃねえか」
 瓦礫の山に拳でたたき込まれた時の圧力に、何が起こったのか理解できない。
 見上げ血が喉に落ち首を濡らしていることに気付き、怒りがわき上がる。
「たかが特殊兵が!」
「選帝侯に選ばれなかった落伍者なんだってな、このクソアマ!」
 剣を構え跳びがったエセルウィサに、セツは弦のない弓を構える。矢を番えるような動作をすると、矢が力を帯び光りが弓のような形を取る。
「なっ!」
 セツが手を離すモーションを取ると同時に、矢のような形状の力が落雷の如く降り注ぎ、エセルウィサの体を切り裂く。
「てめえは近距離攻撃以外できないのか?」
「特殊兵ごときがっ!」
 剣を空に突き刺すように掲げ、金色の粉を散らす。
「あれにぶつかるなよ。待避しろ」
「ドロテア、あれってヤロスラフの攻撃と同じね」
「一応血族だからな。それにしても範囲狭ぇなあ。一万年も生きて、もっと努力してりゃあ広範囲に設置できそうなモンだがな」
 セツは触れると爆発する砂金に、力の矢を細かくして誘爆させる。
「その程度か。選ばれない癖に、地位に就きたがるヤツってのはハーシルもそうだが、力がないことを認められないやつが多いな」
 言いながら黄金の盾を爆破しつつ、エセルウィサに近付き持っていた弓を振り下ろす。剣で弓を受け止めたエセルウィサだが、次の瞬間セツの膝がエセルウィサの腹を蹴り上げる。
 弓を受け止めていた剣を支える手に体が持ち上げられた力が入り、骨が軋む。思わず逃れようとするも、肋骨の下に膝をいれ体を持ち上げながら弓で押しつける。
「内臓吐いて無様に死にやがれ、血だるまがぁ!」
 膝に一層力を入れるセツに、エセルウィサは歯軋りで答えるが、歯の隙間から血とは違う色の液体がにじみ出す。
 体はセツの方が一回り大きく、相手が年上という程度の言葉では言い表せない程年上であっても、見た目は普通の女性なのでセツが悪く見るのだが、やっている当人はそんなこと気にもしていない。


「えっと、あの人のご職業は?」
「聖職者一筋三十余年」
 ドロテアは回復して結界から出てきたレイに ”次はあの敵を倒せ” と指示を出しながら、皇帝金属の手甲に力を込めつつ、エルストの質問に答える。


 セツから逃れたエセルウィサは、腹が抉れた形になり血を吐くよりも口から舌があふれ出しているような形になっている。
 憎しみと ”何故こうなったのか?” 驚きを込めて見上げるエセルウィサに、セツは格下を見下げるように唾を吐きかけて挑発した。
「弱いな。吸血大公の方がまだ楽しめた」
「貴様! この私を、下種と並べるとはっ……あっ……おぁ……」
 セツの言葉に剣を構えたエセルウィサの胸の下に手が生えた。彼女を突き抜けた握り拳はゆっくりと開かれ、そして
「さすが皇帝金属。たかが人間でも選帝侯の血縁の体を貫ける」
 背後から声をかける。
「弱い皇帝作った皇帝金属に体貫かれて、無様だな! 不細工女にゃあ似合いだがよ」
 亜麻色の髪の下に凄絶なる美しさを持つ女は、見上げながら死を歌うように語る。
「卑怯……」
 腹に突き刺さっている手を握り、力を込めるが、
「選帝侯にもなれなかった女がどうにか出来るとでも思ったか?」
 ドロテアは開いた手をエセルウィサの潰された腹に当てて、引きちぎるように指をたてる。
「……」
 声を失っている彼女の顔をセツが大きな手で覆い、
「弱いのに、喋ってるからだろう。エールフェン選帝侯はヤロスラフだけけだ。死ね、屑がっ!」
 言いながら掌に物理的な力を込め、周囲にエセルウィサの頭蓋が軋み割れる音が響かせながら、腕全体を緑色の光が覆い、その光はエセルウィサをも包み込む。物理的な力と同時に、常人には使うことの出来ない破壊の力をも篭める。
「あっ! ああ! がっ!」
 片手でドロテアの腕を、もう片方の手でセツの手首を掴んで引き離そうとするが、
「それで力を込めているつもりか、女」
「お前が特殊兵の力で死んでも、俺の腕は無傷だぜ。弱い皇帝の作ってくれた手甲のお陰でな」
 どちらも動かない。
 長い間生きてきた自らの体から力が抜けてゆくことに、やっと恐怖を感じたが既に時は遅く、
「てめえ程度しか攻めてこねえなら、俺は負けねえな。女」
 セツが仕上げとばかりにアンセフォから力を引き出し、より一層破壊の力を高め注ぎ込む。
 顔の表面が崩れ肉が削げ、両者を掴んでいた腕から力が抜けてだらしなく下がり、そして最後に痙攣し、
「死ね」
 セツは肉の剥げた顔から手を離し、ドロテアは筋肉の収縮すら無くなった体から腕を引き抜く。同時にセツは片方の手で持っていた弓を振り上げ、それを振り下ろす。
 弓に貫かれた体は、声を上げることも何をすることもなくエセルウィサという意志は既にそこにはなかった。
 地に憐れにも縫い付けられたエセルウィサに、ドロテアとセツが背を向ける。大きな風が海から吹き同時に強い波音が響く。
 それを合図にでもしたかのように、音もなくだが ”サラサラ” と表現したくなるように、海岸の砂が風に誘われるかのようエセルウィサの体は崩れ去った。
 何事もなかったかのように、地面に突き刺さっている弓と同時に振り返るセツとドロテア。
 指揮する個体の消失に、他の魔物達は一斉に帰還を開始する。
 クラウスは追うなと指示を出し、人々はそれに従った。
「礼は言わんぞ」
「下らねぇ事言うんじゃねえよ」
 ドロテアは指を鳴らし、アンセフォを帰還させてセツを見上げる。
「全て滅ぼす」
「言われなくても滅ぼすさ。てめえが可哀想だから止めてというくらい、残酷に滅ぼすぜ」
「俺がそんな下らん言葉を吐くわけないだろう」

 どう見ても極悪人が二人

 二人はにらみ合い、そしてドロテアが視線を外して歩き出す。
 ドロテアが向かう先にいるのはヤロスラフ。
 大剣を消えてしまった城の跡地に突き刺し、両腕を胸の前で合わせ、聖職者が祈るようにしている。
 ヤロスラフは城を元に戻せないかと、一応頑張っているのだが消し去った人が人なので、やはりどうにも出来ない。
 ヤロスラフには 《新しく城を造り直す》 ことは出来るが 《オーヴァートが消し去った城を元に戻してやる》 事は出来ない。
 ”オーヴァートのやつ、わざわざ過去干渉をして材質全てを消しさるとは……やはり力の差は歴然だな。神の力があれば、共に滅びることは可能だろうか?”
 ヤロスラフは別に 《城を壊してしまって申し訳ないから、弁償》 という意味で城を直そうとしているのではなく、自分の力とオーヴァートの力の差をはっきりとさせるために跡地に立っているだけのこと。
 近付いてきたドロテアに声をかけられたヤロスラフは、
「さてと、そろそろ殴り飛ばしたオーヴァートのヤツが戻ってくるから、受け止めろよヤロスラフ」
「……」
 溜息一つ付き、仕方なさそうに受け止める体勢にはいった。
 そう ”私の腕に飛び込んできて!” と見られてしまうかのような両手を広げた体勢に。
「ヤロスラフも相変わらず苦労しているな」
 エセルウィサに全裸で保管されていた男はその恨みを相手を殺害することで晴らし、表情は怖いながらも爽やかだった。

 エルベーツ海峡の波音が響き渡る


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