ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【14】
クナは自分が枢機卿であることを恨みながら走っていた。
正確には枢機卿であることは良いのだが、枢機卿の着衣に腹を立てていた。青と白で彩られ金糸を多様している僧服は固く、権威を表しているが動きを鈍くする。
”修道女の格好をして走り回りたいが、枢機卿として、この国の王女としてそれもできぬな” そう考えながら片手で裾を持ち上げ走り、もう片方の手で治癒を唱え、人々に労りの声をかけていた。
クナから聖騎士の全権を預かったクラウスは、救助と防御に専念させるように指示をだす。
《戦争をしない》 ことが前提のギュレネイス警備隊の隊長は真に防御が得意で被害を最小限に抑えていた。
攻撃しようとする兵士や市民を抑え、ひたすら防御に徹するように命じている。
レイは飛び上がり、敵を一度に五体ずつ切り裂く。一度飛び上がり、着地するまで何度も剣を振るい屠る。
「一度の跳躍で約五十か。ざっと見た所の総数と、援軍の数から計算していけるか?」
ミロはレイの動きと視界に入る敵の数を大雑把に計算して頷き、
「被害はこれ以上広がることはないな。ただ援軍残数、魔物の目の生産能力がどれ程残っているかか解らないから楽観視は出来ないが」
隣にいたバダッシュも、同じように計算して答える。
そんな計算をしている二人は、張られた結界の中にいた。怖いから守られているわけではなく、二人ともそれなりに偉いので何かあったら他の人の責任問題になってしまうので、それらの迷惑をかけない為に大人しくしていた。
「それにしても、クナ枢機卿閣下も結界の中に留まって下さればいいのに」
バダッシュがあちらこちらを走り回るクナを眺めながら溜息をつく。
「猊下のご命令以外は従わないと言われてしまったからなあ」
「困った物だ」
安全な結界の中にと頼まれたが無視して走り回っていたクナは、法力を使った疲労と、走り回った事で息が上がり足を止めて深呼吸を繰り返していた。
「あの空を舞う勇者、息が上がらぬのか……凄いのぉ」
白銀の長髪で敵を切り裂くレイを眺めながら、呼吸を落ち着けていると周囲がどよめいた。
「指揮官?」
「……選帝侯の類か」
叫び声に何事かと視線を動かすと、そこには空中に停泊している女がいた。竜騎士とは全く違う、選帝侯の着衣をまとった女にクナは乾ききった口で、答えてはもらえない疑問を呟く。
「いつの間に?」
整った顔だがマルゴーと同じ様な内面からにじみ出てくる醜悪さを感じさせる女は 《腕を薙ぐ様に》 動かした。
魔法を使えない者には、何も無い空間で腕を動かした様にしか見えないのだが、
「間に合うか!」
【俺に手を乗せろ! 警備隊長!】
魔法を使える者達には、それが破壊に働く力だとはっきりと観て取ることが出来た。彼女が薙いだ手から発せられた力は、残っていた建物を破壊する
大きな建物が次々に中心部から折れ、上部は原型を保ったまま地面へと降り注ぐ。
「抑えられている間に逃げろ! 総員市民を連れて走れ!」
クラウスがアードの力を使い、落ちてきた建物を一時的に魔法で止める。
「何分持つ?」
大きく広範囲に崩れた建物の傍にいた者達は上を伺いながら走って逃げる。当然魔法をかけたクラウスの姿は彼女には丸見えで、生かしておくと邪魔と判断をされ攻撃対象にされた。
彼女が再び手を上げ、薙ごうとしているのを観てミロは声を上げた。
「落下してきたのが大き過ぎる! ……マズイ! レイ、警備隊長の前に立って、あの女の攻撃を弾っ!」
レイがミロの言葉に従いクラウスを守る為に地上に降りた時に観たのは、バダッシュの腰に手を回して結界から飛び退いている国王の姿だった。
彼女はレイに指示を出したミロに ”煩い” とばかりに攻撃を加えたのだ。張られていた、竜騎士も破れなかった結界が簡単に破壊されてしまった。
「危機一髪」
「感謝する、ミロ」
ギリギリで逃げ延びた二人は、急いで立ち上がりレイとクラウスの間に逃げ込む。
「盾にして悪いが、ちょっと頑張ってくれレイ」
「大丈夫だ。それよりも二人とも、あの瓦礫の中に人が後二人いる。あの女の攻撃は俺が防ぐから助け出してきてくれないか」
「解った」
二人は駆け出し、同時に結界から逃げ出した二人が面白くないと彼女は再び攻撃を加えるが、それはレイによってはじき返される。
レイも周囲への被害を考えてはじき返しているのだが、攻撃を仕掛ける方は周囲に被害が及ぶ様に加えてくるので、背後にクラウスと救助されている人を抱えながら、敵の攻撃を防ぐレイの方が徐々に劣勢になる。
”ドロテアが他人を守らない気持ちがわかる……でも、助けに行ってくれと言ったのは俺だし、行けとと言ったドロテアは絶対に守りきるから”
次々繰り出されてくる攻撃を防ぎながら、何時攻撃に転じようかと相手を見据えるレイ。
「なにっ!」
レイは彼女から視線を外していなかったのだが、一瞬にして相手が消え去った。
瞬間移動だと気付き、振り返るとちょうどクラウスに敵の攻撃が肉薄していた。アードが急いで別の魔法を紡いでいるが、間に合いそうにない。
レイは振り返り様に一歩踏み出し、体勢を崩しながらその 《衝撃》 を防ごうと手を伸ばす。
衝撃はレイの手と顔を裂いたが、クラウスは無傷だった。
「レイ!」
「逃げるぞ、クラウス。目が潰れた、治るまで時間がかかる。魔法を解け」
右手と両目に裂傷を負ったレイは、骨が裂けているのが見える腕をクラウスに回し、逃げる体勢をとる。
「だが、国王と……」
【大丈夫だ、俺が助ける】
聞き終えずにレイは、敵の攻撃を感じてそこを飛び退く。同時に支えていた瓦礫が次々と落下を始め、周囲には土埃が舞い上がり、地面が揺れ動く。
クラウスから離れたアードは、二人を補佐しながらその場を何とか逃げ切ろうとした。
「霊体で生き延びているとはな」
二人に逃げるように、幽霊らしくない幽霊のアードは指示して、彼女に向かい合う。
【生きてはいないけれどね】
アードは敵が選帝侯であることを理解した。
”本物だ。エールフェン選帝侯じゃないけれども、その血を間違いなく引いている紫の瞳……どうする?”
降り注ぐ瓦礫の中、瓦礫をはじき返す選帝侯の血を引く女と、瓦礫が通過してゆく霊体は睨み合う。
クラウスを助けたレイは破壊の中心から少し離れた堤防の上にいた。レイはクラウスを置いて目は治っていないがアードの元へと向かおうとしていが、
「治すのが先だ。その状態で行って勝てる相手では」
クラウスは止めた。
クラウスも彼女を一瞬だが正面から見た。その時、ヤロスラフによく似た選帝侯の雰囲気を確かに感じ取っていた。
「何時もより治るのが遅い」
クラウスは自分の服を引き裂き、レイの顔の血を拭うと、その下には横に裂けた目玉がのぞいていた。そして顔の傷からは、血がまだ滲んでいる。
「何時もと違う傷を負わせるような相手に、怪我をしたまま挑むのは無謀だ」
そう言いながら、服を次々引き裂き顔の傷を布越しに押さえながら、敵を捕捉しようと、建物の落下と破壊で視界の悪くなった方角に目をこらす。
全く見えない厚い灰色の埃の中に、
「危ない!」
クラウスはクナの姿を見た。
クナは崩れてきた建物の中に、子供がいるのを見つけ駆けだしていった。その行動に彼女が気を取られた隙にアードは魔法を唱えて、彼女を別の場所へと飛ばした。
別の場所といっても、同じ町中に少し移動させるだけなのだが時間は稼げる。
【枢機卿!】
「この子供を助けや、勇者!」
クナは自分自身が驚く程の力で、子供をアードに向かって投げつけた。
「これが奇跡というものか……」
自分が投げた子供が落下してくる瓦礫の隙間をことごとく抜けて行くのを観ながら、妙に高揚し幸せな気分になった。
それに見とれているクナとは別にアードは先ほど彼女に使った魔法と同じ魔法で子供を避難させ、クナの方へと近寄る。
【早くアンタも逃げるんだ……しつけぇ!】
アードは叫びながらクナを助けようと練っていた魔法を変化させて、移動させた彼女がクナに向けて放った力を相殺させる。
【余波がっ!】
急いで魔法を変化させたので、上手く相殺させられずに余波が周囲に広がり、落下し終えた瓦礫が再び勢いを持ち暴れ出す。
その一つがクナに向かって突進してゆく。
”死ぬの……か……”
自分に向かってくる石の塊がゆっくりと、そしてはっきりと見えるが、クナの体が動かない。瞬きすら出来ない体で動かすことが出来るのは唇だけで、微かに動かしながら聖典の一節を唱える。
突如光りが降り注ぎ、クナに向かっていた石塊は消え去った。
「これは?」
クナを襲った瓦礫は、何らかの力によりかき消され、同時に周囲に舞っていた土埃も一斉に地面に落ちる。
クナが力の現れた方をゆっくりと見上げると、そこには男が立っていた。
「無事か、クナ」
短く刈り込まれた銀の髪に、壮年を感じさせる彫りと皺。
「その声は……セツ! 想像以上に人相の悪い男じゃのぉ」
何時も聞いている魔力を通した声とは違うのにセツと ”解る” 声の方向に視線を向け、助けてくれた事に対し礼を言おうとしたクナだが、礼を言う前にセツの今までの人生と、生来の性質がはっきりと現れている顔を観て、思わず考えた事がそれよりも先に口の端からこぼれ落ちてしまった。
「クナ! 市民の保護は任せた!」
言われた方は全く気にせずに、それだけ告げ向きを変えて、戦いの最前線へと向かう。セツの後ろ姿がクナから見えなくなった後に、やっと傍に近寄る事ができたゲオルグが尋ねた。
「あの人は本当にセツ最高枢機卿なので?」
顔を見たことがない彼には、同じく顔を見たことのないクナが 《セツ》 と言っても全てを信じることはできなかった。
「顔は見たことはないが声と雰囲気は間違いない。何よりあのドロテア卿が “セツ” として連れてきた男だ、疑うだけ愚かしいというものよ。卿が偽物のセツを連れてくるような女か?」
クナの言葉にゲオルグは頭を下げて、聖騎士達を指揮して瓦礫に足や体を挟まれている人々の救出を開始した。
**********
「ドロテア様! ヤロスラフ様! お待ちしてました!」
泣きそうになりながら、ドロテアの元へと駆け寄ってきたミゼーヌの頭を軽く撫でて、
「で、あれはオーヴァートの仕業なんだな」
ドロテアが以前訪れた時とは、全く違う作りになっているホレイル首都のシンボルがあった筈の場所を指さす。
「はい、王城は止めるまもなく、到着直後に吹っ飛ばされ……うわぁぁぁん!」
”解ってたんだけど止められなかったんです! ごめんなさいぃぃ!” と泣き出しドロテア以外には解らない勢いで叫ぶミゼーヌ。
「お前が悪いわけじゃねえから、泣くなよミゼーヌ。どうせヤロスラフが居たとしても、全壊が半壊以下に止まれるかどうか? 程度の差なんだからよ」
敵の猛攻の中、ドロテアは ”気にするな、気にするな” と声をかける。
「こんなこと気にしないようになれって、何度も言ったじゃねえか。俺なんか目の前で何千人殺されたって気にならねえ。そのくらいになれよ、ミゼーヌ」
”そりゃ姉さんだけでしょ” ヒルダは思いつつ、前線で戦い傷ついた兵士達の手当を開始していた。
ドロテアは ”さてと” と言った表情で、
「レイ! オーヴァート! こっち来い!」
「何だ! ドロテア」
「はい!」
二人を呼び寄せた。
「何怪我してんだよ、レイ」
ドロテアは傷を撫でた後に、
「レイ。オーヴァートを剣を使って殴り飛ばせ」
それは恐ろしい笑顔でレイに命じた。レイはその気配だけで ”目が潰れたままで良かった” と思うほどに。
「わ、解った」
オーヴァートは嬉しそうにレイの前に立ち、
「さあ! 大陸の果てまで殴り飛ばしてくれ!」
先ほどまでマルゴーに向けていた声と態度とはまるで別人のように叫ぶ。
レイはその声に頷いて、今出せる最大の力でオーヴァートを殴り飛ばした。鈍い轟音と共に褐色黒髪の迷惑な男は吹っ飛んでいった。
「飛んでいったな」
その《吹っ飛び》本人の力が入っていたのは解ったが、とにかく球体の大陸を一周して来るくらいには吹っ飛んだ。
「飛んでいかれたのか……」
目が見えないで良かった、レイはそう思いつつ言われた通りにドロテアの作った結界に、ミロとバダッシュと一緒に入って傷が治るのを待つことにした。
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