ビルトニアの女
真実を望み滅びるならそれでも構いはしない【2】
 村の外れに立ち、ヒルダを待っていたのは小柄なギュレネイスの神父だった。ドロテアよりは若いだろう、
「クルーゼです」
「はいはい、で何だ?」
 手短にクルーゼと名乗った男が説明をする。要約すると
「……妻を殺された?」
 と言うことである。その復讐にもう一人の神父が妻を殺した男を殺したらしい。
「先程彼が殺めてしまったのは、村の中でもならず者でして」
 よくある話だな、とドロテアは腕を組んだまま話を聞いていた。ただ、話をしている神父よりも、その背後が少々気になっていた。
 視線を背後に向けているドロテアと、クルーゼを見つめて話を聞いているヒルダ。そのヒルダに
「エド正教の司祭補殿!」
 頭を下げて彼は依頼する。が、
「確かに司祭補ですけど、略式裁判ですか? それなら姉さんに頼んだ方がいいですよ、裁判官の資格あるんだよね」
「ああ? そりゃ、王学府出りゃ誰でもあるわ」
 王学府というのは、コネや賄賂が一切通じない真の実力勝負の学問所だ。百二十年ほど昔に、大馬鹿王族が古代遺跡でイタズラして、国一つ滅ぼした事が切欠で設立された最高学府である。
 因みにバカが一応卒業と名乗るのには、金で卒業した神学校やこれまた金と賄賂でどうにかなるが学習院の二つ。だが王学府はたとえ王族であろうと、学力や知識が規定に満たなければ入る事が絶対に適わない狭き門である。そして入学するのも難しければ卒業するのはもっと難しいとされている。
 これまた規定のランクに到達しなければ、卒業させてくれないのだ。そして最も苦しいのは、途中退学が不可なのだ。なまじ古代遺跡の起動方法などを学んでしまったが為に(起動は簡単だが制御が難しい為)それを半端に使用させる事を避けさせる為に規定を満たすまで外にも出してもらえず本当の監禁状態になる、その監視の厳しさは牢獄や強制就労所など比ではない。そしておまけに高額な学費は払い続けなくてはならないという、最早入ったが最後、死ぬ気で学び取れ! と言う切羽詰った学問所でもある。
 自殺者も多数でるのが特徴で当然遅刻するものや、サボルものはいない、そんな事している暇はないのだ。そもそもそんな奴では王学府に入学する事は出来ないが。それ故に卒業するとかなりの色々な資格を手にする事が可能となる。その一つが裁判官の資格だ。
「ブラミレースを」
「ブラミレースってのが、か」
 どうやら殺しを犯した神父の名前らしい。聞きながら頷くドロテアと、自分より僅かに背の高い姉を軽く見上げる様にして
「どうしますか」
 ヒルダが尋ねる。ヒルダの視線を受けて、ドロテアが短い髪に絡ませた指を止め視線を泳がせ
「まずブラミレースってのを連れて来い」
 ドロテアより小柄なクルーゼが一礼し、駆け出す。明らかに難しい事件でも何でもないのに、ドロテアの顔は難問を抱えたかのような顔つきとなっている。
 元々引き締まって、凛として怜悧なイメージの強い表情に険しさが出るのが特徴だ。他者が見れば唯怒っているだけのように見えるらしいが。
「どうした、ドロテア?」
 ドロテアの性格上、この程度の事件で悩むような事はない筈だろうとエルストが不思議そうに声をかける。エルスト=ビルトニア、適当だが、人の機微には敏感に反応する男。ギャンブルと盗みで生計を立てていた元警備隊員……矛盾した男だ。
「殺人事件自体は別に構いはしねえんだが……ヒルダ、エルストと一緒に森の中を調べてこい」
 エルストの問いに首をかしげながらドロテアは指示を出す。ドロテアが気に掛かっているのはどうやら殺人事件ではなく、村の外れの森らしい。クルーゼに付いて行かずに追っ払ったのは、森の方に興味があるせいのようだ。
「はい?」
「どうかしたのか」
 言われたヒルダとエルストは森を眺める。マリアも森を眺めるが、深い森としか見て取れない。暗く昼間でも明りが地面に届かないような、大樹が並ぶ原始の森と言ってもいいだろう森がそこには広がっている。
「殺人とは何ら関係がねえ。ただ……おかしい、直感だがな」
「直感? 珍しいな」
 エルストが問う。ドロテアは自分の直感をあまり信用しない。まして何も見えない森の奥が気になると言い出すのは珍しい限りだ。
「ああ」
 だが、余程気になるのか、エルストに言われても気にもせずに唯ひたすら森の中を見つめている。
「はい。じゃあ調べてきます」
 森に吸い込まれるように消えた2人を見送ると、マリアと共に村に向かって歩き出した。
「直感って?」
「さあな。ただ、昔の男を思い出した」
「誰?」
「レクトリトアード」
「ふ〜ん。あの人こっちの出身だったけ?」
「違う。エルセンとエドの間でマシューナルに近い所だ。ましてこんな地の属性の場所出身な訳はない」
 "炎の男と称するのが正しい男だったな"そう思いながら村の中を歩く、見慣れない人物に驚きながらも顔に見惚れている輩も大勢いる。
 気にも留めずに二人は歩き、向こう側から歩いて来るクルーゼと縄で手首を縛られたブラミレースを見つけた。

「妻が殺されたので、復讐。そう言う事だな」
「はい」
「どうしたい? この手の事件なら……」
「おい、名前は?」
「ブラミレースと申します」
「出身は?」
「ギュレネイス皇国の小さな村です」
「だから何処だって聞いてるんだよ!」
「フレイスです」
「で、幾つだ?」
「二十五歳」
「それで、死んだ妻の名前と年齢は?」
「……メルで、同い年です。私は無罪など必要は無い!!」
「ブラミレース!!」
「うるせえ!!! 黙って聞かれた事言えやバカが!! 無罪かどうかを決める裁判で、口答えすんじゃねえよ!! 望むんなら理由聞いてから極刑くらい軽くくれてやるわ!! テメエは犯罪者だ、黙ってろ!! 聞かれた事だけ答えろ!! 解ったな!!」
「は……はい……」
『頑張りなさい、若いの』
 マリアは自分より小さい神父クルーゼの隣に立ち、ドロテアに怒声を浴びせ掛けられるブラミレースを優しく見守った。
 黒地に銀の縁取りがあるだけの、地味な神父の服装。首から下がっている聖痕と、白い手袋の甲にも同じ紋章。大柄なブラミレースと小柄なクルーゼ。
 同じ村出身で、同い年。親を早くに亡くし、教会で育てられそのまま地方の教会で人が足りないので派遣された。何事も無ければ忘れられるように、この村で生涯を終えていた筈の二人だ。
 訥々と語るブラミレースの話によれば、妻メルが村でも厄介者のヤンに殺害された。メルの兄が偶々その殺害現場を通り……その後は。
 そしてクルーゼの語る所によると、メルとその兄はこの教会の前の神父の子である。二人が来た際に下働きをしてくれて、ブラミレースの妻となった気立てのいい女だったという。
「所で、メルは埋葬されたとしても、さっきあれ程鐘が打ち鳴らされたんだ。ヤンてのは今し方お前が殺したんだろう? 手袋をはいていないし、縁取りの銀が血で汚れている所をみると」
「はい。既に土の中に葬りました」
 クルーゼの言う所によれば、元々厄介者なので殺されても誰も引き取り手も無く、早々に村人総出で大急ぎで穴を掘り埋めたと。
「手際がいいな……気に食う、食わないは別として」
 ドロテアが二人に五つ六つ質問を出すと、二人は不思議そうに答えた。基本的に犯人が目の前にいるのに、今更取り調べもなにも無いのだが。
 メルの兄の仕事などそれこそ何の関係もない事を聞き、頷くと
「付いてこい、地面を掘る道具を持ってな」
 いきなり背を向けて、ドロテアは神父二人に言う。
「え?」
 驚いた声を上げて、顔を見合わせる二人にマリアが優しく声をかける
「早くしないとドロテアに蹴られるわよ」
 内容はどうであれ。そんなマリアに促され、二人は大急ぎでスコップとそれに替わる木材を持って後に続いた。
「所で、墓場は何処だ?」
 二人は顔を見合わせながら、クルーゼが先導して村の中を歩き出した。
「ドロテア、何をする気?」
「……今から死体を掘り起こす」
「え?」
「まあ、聞きたい事があるんでな」
 誰に? と聞くのは愚問というものだろう。死者に直接聞くのが、真実に最も近い。
 村を歩いていると、子供が駆け廻り叫んでいる。焦げているのとはまた違う、変わった臭いが風に乗って流れてくる。
 クルーゼの姿を見つけると子供が足を止め、途切れ途切れ要点を得る事が困難な喋り方で見てきた事を話し始めた。
 身振りや遠くに見える赤い色彩で粗方判断が付いた。
 "墓場が火事になった"と。
 モノの焦げる臭いに村人が大慌てで墓場に向かい、総出で水をかけ始めていた。が、焼け石に水というか、水をかけると益々燃え盛る炎に人の輪が崩れる。その輪の切れ目に身を躍らせ、邪魔な村人をなぎ倒し叫び
「邪魔だ、どけ!!」
 神の火を操るドロテアにとっては、この程度の火災はものの数にはいらないのか手を大きく横に振ると火は一瞬にして鎮火する。魔法使いのいない寒村では、これ程術が使える人間を間近で見ることはまず無い。
「普通墓場って火事になる?」
 煤が纏わりついた墓石や、溶けかけている墓石を見据えてマリアが驚いたように声を上げる。墓に火を持ち込むものはいない、火事になる事を恐れ決して火だけは持ち込まないのが、何処の宗教でもきまりとなっている。
「あまり聞かねえな……原因は放火だ。油を撒かれてるな、この臭いは。……此処はアレが取れるんだろう」
「アレって?」
「燃える水と呼ばれるヤツだ。何処かにきちんと管理してあるんだろう? アレは火が付いたら大変だ」
 誰かが燃料を撒いて、火を点けたようだ。消すのが困難なその水は、厳重に管理されている筈。していなければ村ごと吹き飛ぶ可能性もある。
「はい。村のもの全員で管理しております」
「ふ〜ん。ま、自分の姿を露わにしてどうするのやら」
 面白そうに口の端を上げて笑い、手首を回して小さな声で呪文を唱える。
「どう言う事」
 そのドロテアの言葉に疑問を即座にマリアが投げかける。頷くとドロテアが面白そうな顔で
「コイツで死体から情報を引き抜かれると、非常に困る奴等がいるんだろう」
 学者が来たと言うのは既に村中に知れ渡っている。少し知識のある者なら、学者が魔の舌と呼ばれる死体から記憶や知識を引き出す"術"を持っている可能性に気付く。黒い手袋とエメラルドのカフスボタンのはまった袖ぐりから二,三本の黒い意思を持っているかのような影が動き回り、ドロテアが笑う。
「えっ?」
「アンタの妻は……何かを知って殺されたんじゃないか?」
 人の輪を無理矢理割って入って来たヒルダ。村人が大騒ぎしているので、ドロテアは其処だろうと当たりをつけて走ってきたらしい。それは見事に的中している、
「あっ! 姉さん!!」
 ただ、立っている場所が墓場で黒焦げ状態。ヒルダの後を付いて来たエルストは心底驚いたような声で
「ドロテア?! まさかお前が!」
 さすがエルスト、ドロテアの亭主。喋る事が違う。
「バカか? 俺がやったらこんな生焼けじゃ済まねえよ」
 そして間違ってもいるが、墓場の状況は悲惨だ。地中に埋まっていた棺にまで火が到達しているらしく、地面が異様な色を放っている。これを生焼けと言うのだから、ドロテアの性格が窺え、術の威力も窺える。
「あ、そ……」
 新しい死体が少ないのが幸いしてか、臭いまでは大丈夫だが、ドロテア達は墓場の中を歩き回る。
「姉さん、森の奥は結界が張られていて入れませんでしたよ。私やエルスト義理兄さんじゃ無理です、多分姉さんでも無理だと思いますよ」
「だろうな。種類の判別は出来たか」
「それも、まるで駄目でした」
 知識だけなら、そこそこのヒルダとエルストでも解らないとなると"それなり"の結界といっていいだろう。其方を調べたい気もあるが、今は此方を片付けようか? とドロテアは話を打ち切り、
「じゃあいい。さてと、どれがお前が殺した死体だ、ブラミレース。大方でいい」
 死者が眠るには丁度いいであろう温度に戻った地面の上を、ドロテアの後を付いて回っていた二人が、大急ぎで埋められた為に他者より浅い所に埋まっていた筈のヤンの墓所を指差す。かなりの地中に達していた火と熱だ、浅く急いで埋められたヤンの死体はそれこそ消し炭状態になっている。ドロテアはそれを見ると、口の端を上げて笑い、魔の舌を消し炭に差し込む。
「こんな黒焦げになっても解るの?」
「灰からでも記憶を探れるんですか?」
 マリアとヒルダが死体を締め付けるように、それでいて何かが引き出されている雰囲気に驚きの声を上げる。
「ああ、解る。大体犯罪者の考える事は似たり寄ったりでな、焼けば探られないと勝手に解釈する。そんな単純なものじゃねえ、バカの考え休むに似たり。バカだよな。さっき話を聞いていて少々気になったんだが、此処の村の教会の運営資金は」
 黒い手を垂直にし、肘を押え手首を回しドロテアは二人に問い質す。恐ろしさ半分の村人が遠巻きに見守る中、クルーゼが小さな声で答える
「寄付が大半です」
 これ程小さな村に配分される資金などたかが知れている上に、横領されている事も往々にしてある。となれば、この何も無い村にある教会の資金は"ソレ"しかない。
 手首を上下に振り、消し炭になった死体を転がしドロテアは響く声で笑う。薄気味悪いよりも、本当に心底怖い。
「横領か」
 エルストが納得いったと頷く。教会の資金の横領は日常茶飯事だ、特にギュレネイス皇国のような新たに強国に成り上がった国は金で階位を買ったり、それができなければ自らで金を掠め取る。この小さな村で、国が教会に配分した金を横領するのは不可能だが村の資金源ならば可能だ。横領犯を何十人と捕らえたエルストにしてみれば、直に思い当たる。
「ブラミレースの妻は元々この村にいた女だ。横領の片棒を担いでいる、いや担がされていたと考えてもおかしくはないだろう」
「でもどうして?」
 殺されたの? という言葉をマリアが口の中で呟く。
「夫に打ち明けようとしたらしい」
 消し炭になった死体を踏みにじり、ドロテアはブラミレースに向き直る。
「口封じって訳? ですか」
 ヒルダがはあ〜と言う表情を浮かべてドロテアを見る。
「だろう」
 何時か上手くやれば教会の一つくらい任されそうな妹に、注意しろよと言う表情で頷く。
「ですが……」
「口封じをした男をブラミレースが殺害した。ここで話が終わっていれば、墓場で火事など起こらない。第三者がいるんだろう」
「誰?」
「男の死体に直接聞くのが一番だが、まあ十中八九でメルの兄だろう。聞けばそれなりに学があって村の出納係をしているそうじゃないか。そのくらいだったら、人より多く燃える水も貰えるだろう」
 大急ぎで村の備蓄庫から取り出した筈はない。むしろ、元から持っていてそれを撒いたと見るほうが正しい。誰にも知られずにするにはそうなる。
「えーと。こうなる訳ですね。ブラミレースさんとクルーゼさんが村に派遣されてきた。前の神父様の息子と娘はこの村に住んでおり、兄の方は村の出納係、妹は教会で下働き。兄は妹の目をかすめて寄付金を横領していた」
 ヒルダが人差し指を立てて、話を組み立てる。ヒルダ、頭は悪くは無いらしい。
「あの……」
「そして妹が真実に気付き、夫に打ち明けそうになったので共謀者のヤンに妹の殺害を持ちかけた。その後ヤンはブラミレースに殺害されて、神父は首都に戻る」
 片方の神父が事件を起こした場合、もう片方の神父が連行するのは誰にでもわかる。聖職者を捕らえられるのは原則として聖職者のみ。
「次に神父が派遣されてくるまでの間に、金を持って逃げるって訳?」
「いい線だと思うぜ。この焦げた死体を持って首都まで行けば、な」
「含みがあるが? どうしたドロテア」
「妹は知っていたみてえだな、元から。騙されていたのは……アンタ達のようだな」
「えっ」
「それでも、女は兄より救いがあったんだろう。世間一般的に言えば良心の呵責ってヤツ? するくらいなら最初からしなきゃいいだろうが。どうする? 持って行くか? メルを無罪のまま事を済ますなら此処で適当に話を纏めるが」
「どうします?」
「面倒だ。当人達に聞くさ」


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