ビルトニアの女
真実を望み滅びるならそれでも構いはしない【3】
 遠くで人を追い立てる声が聞こえてきた。ドロテアの意見と、逃げ出そうとしていたメルの兄が見つかり彼は捕まったらしい。
 四人は一度もメルの兄の顔を直接見ることはなかったが、ヤンの記憶にあった男の顔は"冷酷な顔つき"の一言で言い表せるような顔だった。

 人々の喧騒に背をむけてドロテア達は馬車を引き、教会に入った。今夜は此処に泊まる事になってしまった訳だ。色々とやる事が出来てしまい。
「で、結局は?」
 教会の片付けをしながら、マリアがドロテアに尋ねる。あの後神父二人とドロテアで二,三会話して、それで全てが決ったのはわかったが内容はマリアは知らない。マリアの問いに
「横領罪と殺人罪の二つ罪を被るとさ。当人は心底惚れてたらしいな」
「当の、メルさんはどうだったのかしらね?」
「良心の呵責に苛まれるくらいだ。それに……教会の金はクルーゼの方が預かっていたそうだ。わざわざブラミレースを選んだのは、当人の判断だろうな」

−ブラミレースじゃなくてクルーゼを誘惑すれば話は簡単に済んだのにな
−両方をモノにすりゃいいだろう
−嫌よ! 断るわ!!
−言う事を聞け!
−嫌よ! それにもうこんな事やめるわ
−本当のことを言えばブラミレースも離れていくぞ
−それでも構やしないわ!! アンタみたいな外道な兄に一生使われるくらいならね!! 本当にクズよね!! 父さんが言ってた通りに

アンタがブラミレースを選ばなければ、ブラミレースは人を殺す事も無かったかも知れねえんだがな

−人の皮被った悪魔ってアンタだろうな
−そうか
−神父だった親父まで殺すたあね
−邪魔だ。神父が派遣されてくるらしい。こんな小さな村だ。来るのは耄碌したジジイか若い新米神父だ。やりたいようにやらせてもらうさ

 後悔してるか?

「それで……してもいない横領罪まで被る訳」
 マリアは些か呆れたような声で聞き返す。ドロテアも微かに笑い、
「そうだ」
 バカな男だとは思うが、当人の希望なら別に異存は無い。無実にしてくれと言われても、ドロテアは別に意を唱えないだろう。この手の犯罪に関しては特に。
「兄の方はどうするの?」
 黒幕というにはあまりに小物の兄の処遇は、
「知らねえ。村人が殴る蹴るで片付ける可能性があるが、其処までは面倒を見る気は無い」
 となる可能性が高い。聖職者でも無いので、罪を裁く云々において他者の裁量を必要としない。それはとりも直さず、揉消していると同じであるが。
「私刑ね。それよりもブラミレース神父はどうなるの?」
「極刑希望。仕方あるまい、死刑にしておくさ。それに……あの手の男は嘘を付いて長生き出来るタイプじゃねえしな」
 顔も取り立てて際立った特徴がある訳でも無い、声に張りがある訳でも、まして魔術に傑出している訳でもなければ、深い学識を持っている訳でも無い。何処にでもいる、普通の青年。運が悪かったとしか言いようの無い、そんな事件だったのだろう。
「真実を知っているクルーゼの方は?」
「さあな。ただ、ヤツが横領に気付いていれば事件は未然に防げただろう。間抜けと言えば間抜けだ」
「そんなもの」
「そういう事だ。精々苦悩して長生きしてもらうさ」
「……難しいわね」
「もっと上手く立ち回って欲しいものだな。横領や窃盗や殺人はな」
「アナタならね」
「ああ」
 村人達が、人を殺したブラミレースが自由に村の中を歩き回っている事を許しているのは、ヤンは本当に厄介者だったのだろう。殺してくれてホッとしてると言う様な表情を浮かべている者もドロテアの視界に入っていた。
 そして、恐らくメルの兄は村人に処断される。

−世の中そう上手く行くかな?

 墓場か火事になった為に、村人から嘆願されてヒルダが墓場の後片付けをする事となった。村人は全員ギュレネイス教徒だが、犯罪を犯した神父よりは司祭補に頼むのが筋だろうと。最もこの司祭補が、人を見捨ててアンデットの中を逃げて来たとは思うまい。
 兎も角村人から頼まれ、ギュレネイスの信徒っぽいエルストと共に、小さい墓所を一つ一つ廻り、死者に再び安らかな眠りを捧げる祈りをあげて回った。全て終了後、メルの遺体は二人の神父の手によって掘り返され、ドロテアの指示通り火葬に処す事になった。
 遺体は持ち歩けないが、火葬にするとこれからこの場を旅立つ二人にも持ち運べる。
「火葬に処してっと!」
 それに、いくらブラミレースが罪を被るとは言ってもそれは所詮、ブラミレースの心の内。当人の罪を軽減するのには、死後であれば火葬しか無いとされている。両者の安らぎを得る為にも火葬するのが妥当だと、クルーゼもブラミレースも納得した。
 二人の了承を得てエルストの火術でメルを焼き、小さな壷に骨をしまい込むと夕暮れの空から吹き付ける風が突如冷たくなる。
「雨が降り出しそうだな。ギュレネイス特有の雨雲だ」
 夕日を眩しそうに手で遮り、エルストが空をみる。灰色でもなく、鉛色でもない見えぬ雲が空を覆い初めていた。風だけがそれを知らせるが、長い事ギュレネイスに住んでいれば自ずとそれは判断がつくようになる。
「そうですね……故郷でもこんな雨が降りました。エルストさんは首都出身ですよね」
 ギュレネイスの首都は大陸でもっとも雨が多い。かつて其処に帝国を築いた人々の涙だといわれる、天気雨と呼ばれる冷たい冷たい雨。
「まあね。ヒルダ、片付いたかい?」
「はい!!」
 エルストが燃やし尽くしたその遺灰に祈りを捧げ、何処かから調達してきた小さな壷に遺灰を丁寧にしまい込むとヒルダはブラミレースに手渡した。
「これか……小さな壷だな」
 既に縄を解かれた神父は小さな壷を受け取り、それだけ言うと黙って胸元に抱き込み、無言で遺灰に語りかけていた。
「はい」
「戻ろうか……。マリア嬢一人じゃ小さな教会とはいえ片付けが大変だ」
「そうですね」
 明日にはこの村を出るように指示された二人の神父は、黙ってそれに従った。
「これ、受け取りな」
 この村に来る途中にカードゲ−ムでドロテアから貰った金貨と、元々持っていた金貨を二人の手に乗せる。金額的に相当なモノだ
「お金……こんなにいただけません!」
「道中金かかるし、首都に付いてからも金かかる。それに教会に泊まる訳にいかないだろ」
「あの」
「それに俺はアンタのやった事、批難しない」
 ブラミレースを指差して、エルストは笑う。三人より少し離れて前を歩いているヒルダには聞こえないだろうが、神父二人は顔を見合わせ
「エ……ルストさん?」
 驚いたように聞き返す。"どうした"と言った様な表情で、エルストは自分より年下の神父たちに"声だけはいい"と褒められるその声で
「もしも俺がその当事者だったら、間違い無く俺も殺す。躊躇わずに切り裂く」
 言い返した。当たり前のように
「それは……」
「そんなもんだ。最もタダでは殺されないような女だし、俺より強いけどね」

**********

 誰もいない教会の礼拝堂に、紙と言う紙を集め"印"を押し付け"書類用紙"を作り細かく書き始めたドロテアが、雨の音に外を見る。
 マリアは教会の片付けと夕食の準備をかって出た。ドロテアよりも、数段手際良く片付けるマリア。昔オーヴァート邸でメイドをしていた。勿論、ドロテア付きのメイドという事で。それ以外でも、普通に家事手伝いをしていたマリアは手際が良いし料理も上手い。
 小さな教会にカチャカチャと響く皿の音と、食欲を誘うような暖かな香りが流れる。それとは対照的な外の雨

ギュレネイスの雨は皇帝の涙
暖かな空気の中落ちる雨は後悔の涙
世界を支配せしめて何を後悔したのでしょう?
世界に生まれた事を後悔してしまったのでしょうか?
それとも罪を犯したことを悔いているのでしょうか?
フェールセンに落ちる雨
青空から落ち虹を幾重にもかけるその涙
救われてくださいと  救われたいと  救いたいと  救いましょう  と


「……だったな。この女が救われる事はあるのかどうか……神のみぞ知るか」
 書類に記す女は "落ち度無く殺された" 事にして。
「ただいま!!」
「ギリギリだな。後の3人は?」
「もう少しです。歩くの速かったかな?」
「……ま、いい」
 ヒルダより少しだけ遅れて到着した三人は、急いで教会を片付けろとドロテアに指示され、それに従う。
 その間にドロテアとヒルダが書類を作成しはじめる。静かな小さい礼拝堂にペンの走る音だけが響いていたが、突如雨足が強くなりその音を消し去る。
「雨が本格的に降って来たね」
 普通の家と何ら変わりの無い、唯のガラス窓に打ち付けられる雨と澄み渡った夜空を、ヒルダはペンを止めて見つめる。ドロテアも手を止め、煙草を咥え火を付けて
「ギュレネイスはいきなり雨が降る事が多い。そんな土地柄だ。それであの森の奥、おかしい感じがしなかったか?」
 気になっていた事を聞き返す。ヒルダは"そうそう"と言った表情で
「それがですね、何の探知にも反応しないんですよ。緑色の"霧"が掛かって当然駄目でした」
 当然"緑色の霧"とか言うのは魔術の心得が無ければ、見える訳ない。だが、見えればある程度"あたり"は付けられる筈だ、ヒルダやエルストなら。
「神聖魔法系じゃねえよな。黒魔法でもなければ当然邪術でもねえ……」
 だがその二人でも駄目だと言う事は、相当複雑な造りなのだろう。唯ドロテアも、緑色の霧とか言うのには心当たりが無い。形も色も極上の唇を噛締めているドロテアに、
「古代魔法ですかね? でも古代魔法の結界を張るようなモノ、姉さんの記憶にありますか?」
 ヒルダも不思議そうに尋ねる。
「ない。これは直感の部類なんだが、遠く離れていながら"入れない"ような気がしなかった。根拠もねえのに」
「そんな気はしましたね。アレは直感と言うよりは……体の表面がピリピリするような」
「本能、だろうか」
「探ってみますか?」
「残念ながらこの場に残る気も起きねえし。そのうち書類でも提出してみる。それよりヒルダまだまだ書類あるからな」
 タンッ! と先程作った"用紙"の山を叩く。
「ひえええ。凄い量ですね」
「ドロテア、ヒルダご飯出来たわよ」
 呼びに来たマリアが、二人が書いた傍から床に投げ捨て、ドロテア風に言うと"乾かしている"状態の書類の散乱した礼拝堂を見て
「まあ……まずご飯にしましょう。温かいうちに食べて、なんなら夜食も作るから」
「そうするか」
 どうやら夜食を取りながら、徹夜に近い作業になるらしい。


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