ビルトニアの女
真実を望み滅びるならそれでも構いはしない【1】
 イシリア教の国境を抜けてギュレネイス皇国の北を走る。
 最短ルートではなく、人気の少ない主要地から離れた道を選んで進んでいる。主要道路ではないので、悪路だが役人が立っていないだけマシなのである。袖の下などを当たり前のように要求するのが常なので。適当に支払って通り過ぎるのも、中々大変なのだ。
 ドロテアの性格が性格なのと、ドロテアやマリアやヒルダの顔のせいもあって、乱闘沙汰になるのは何時もの事。敗北を喫するのは、小役人達であり、そんな愚かで可哀想な小役人を増やしても仕方あるまいとエルストの優しい心使いで、少し道を外れ走っている。
 そんないらぬ苦労を経て、一向はあと七日も経てばギュレネイス皇国の国境をも抜けられる位置まで辿り着いた。此処を過ぎればやっと目的のエド法国に入る事ができる。最もそこからも、人気の無い道を走る事にしているので、早くともその後二十六日はかかるのだが。一応急いだ方が良いような手紙を預かってはいるので、それなりには急いでいる。物凄く急いでいる訳では無いらしいが。
「ギュレネイスらしい森だな」
 馬車の中からドロテアが、外を眺めてエルストに話し掛ける。黒い森と評したくなるような、深い森があたりに広がっている、かつての皇帝の住居は非常に静謐だ、今の皇帝を見ていると、そんなのは必要ないような感も受けるが。
「そうだなあ。こっちには二,三度来た事があるけど、森が深い。森が深いから役人も旅人を見逃すんで、人気の無い場所でもあるだろうなあ」
「違いない。一日こんな深い森を見張ってて、何も手に入れられなかったら悔しいだろうし」
 比較的、往来が自由なギュレネイス皇国。イシリア教国とは格段に違い、豊かでそれほどギスギスしていない。
 その繁栄ぶりはエド法国かギュレネイス皇国かと言われる程である。かつて最も栄えていると言われたエルセン王国は対魔王戦の為、軍備に資金をつぎ込んだ結果、繁栄が翳り、その影が色濃くなり始めている。
 最も、繁栄と背中合わせにして相反するとも言うべき治安は、急速に発展したギュレネイス皇国ではやはり良くは無い。
 唯、ドロテア達が住んでいたマシューナルも似たようなものだ。マシューナルには大陸で唯一"円形闘技場"があり、そこで色々な"戦い"を見る事が出来る。強さが求められる時代なのか、"円形闘技場"の対戦は年々激しくなっている。その中で最も人気なのは、相手が死ぬまで戦いトーナメント形式で勝ち上がってゆくものだ。人気のカードであれば客席は満席どころか、立ち見で溢れかえり、興奮して人死まで出る。
 勝利者には莫大な金が支払われ、栄誉もあたえられる、勿論死ねば何ももらえないが。
 それよりランクが劣る大会も常時行われており、それに参加して日銭を稼いでいる輩など、腕に物を言わせて酒や女を脅し取るようなヤツも往々にしている。
 そして腕に自信のある者は"ならず者"を止めたり、仲裁に入ったりするものも多い。
 "実力が無いので金を支払わないで取り上げてるんだろう? 優勝出来りゃ金なんて余る程あるし女も付いてくるしなあ"と何処かの口の悪い女学者は荒れている破落戸に、つば吐きかけて言い放った。破落戸は悔しそうに、だが自分を蹴倒した女に勝てそうもなく歯軋りをして拳を振り上げ地面を叩く
 "地面なら叩いてもタダだから、叩くならソコにしな"
 そう言い立ち去った女に誰も何も言い返せなかった。トーナメントで五十七回連続の優勝を誇った男がその女の恋人だった頃の話。
 "孤独の剣士"と言われた全てを持たぬ男は、後にその女に置いていかれた。今では栄誉として彼は王太子付き親衛隊長を務めている。

 女の名はドロテア、男の名はレクトリトアードといった。

「村があるみみたいですよ、姉さん」
 馬車が止まり、ヒルダが幌を上げて話かけて来る。どうやら遠目で村を発見したらしい。
「まあ、在るだろうな」
 ドロテアと言えば相変わらずの口調である。こう言う物の言い方しか出来ないのだろうか?出来ないんだろうな、最も三人ともなれたものだが。
「どうする? 寄って行くか?」
 馬車の中で、ドロテアとカードゲームをしているエルストが声をかける。優雅だな? と思われるが、エルストこれでカジノの資金をドロテアから貰うのだ。カジノに行く前に賭けで金を儲ける男、エルスト=ビルトニア。カードを持ったまま
「何か足りないモノでもあるか?」
 御者台の二人に声をかけるドロテア。勝負はいつも五分五分と言った所だ。
 ドロテアが意外にゲームに弱い訳ではなく、盗み半分賭博半分でいい歳まで生きて来た男エルスト、弱い訳がない。
「取り立てては無いけれど。強いていうなら冷たい水が飲みたいわね、アナタが凍らせた水もいいけど」
ドロテアは水瓶の水を軽く凍らせて、冷たい水を提供する。
「そうか。じゃあ立ち寄るか」
 それでも汲みたての水が飲みたくなるのが人情と言うものだろう。走る馬車の荷台で、金庫から金貨を取り出しドロテアは負けた分エルストに支払っていた。

 金の管理はやっぱりドロテアのようだ。

 村外れの小川で水を汲んでいると、小さな教会の鐘の音が狂ったように鳴り響いている。村中どころか、人気のない山の奥まで鳴り響く音に耳を押えながら、音のする方角を四人で見据える。教会の鐘の音があのように鳴るというのは、緊急を示すものだ。
「様子を窺ってきていいですか?」
 これだけ打ち鳴らすとなるとただ事ではない。ヒルダが興味津々とばかりにドロテアに話し掛ける。
「まあ、好きにしろよ」
「はあい」
 ヒルダが駆け出した背を見ながらエルストが
「何だろうな」
 声をかける。
「まあ、この手の小さな村で最高の大事件と言えば殺人ってとこじゃねえのか?」
「それって、一大事じゃない?」
「かもな」
 水を汲み終え、細かいものをマリアとドロテアが洗濯をし、馬車内部をエルストが掃除しているとヒルダが元気よく走って戻ってきた。ローブを捲り上げて走るその姿は、間違っても高僧には見えない。そのヒルダが語る所によると、
「……だ、そうです」
 またもや厄介事を拾ってきた模様。捲くっていた袖を下ろし、手袋をはめ直し、音の止んだ見えない教会を見据えて、
「司祭補ってのは、トコトン人に使われる生き物だな」
 軽く話しを聞いたドロテアが苦笑いする。それでも、司祭補としては立派と言うべきだろう。一応困っている人を救うという点で。
「どうする?」
「近くの教会に引っ張っていく程度なら引き受けてもいいが」
「神父の殺人って、初めて聞くわ」
 村の一大事というのは、ドロテアが言ったとおり殺人事件だったのだが。犯人が村に二人いる神父の内の一人、確かにこれは小さな村では大事だ。
「そうか。……マリアはそうだろうな。だが結構有るんだぜ、揉消してるだけで」
 最も首都では結構ある話で、よく捕らえるのにドロテアも協力した。何せちょっと高位の聖職者になると、それなりの魔法を操るので捕らえに向かう人物がそれ以下では、話にならない。そこで、魔法に造詣の深い学者やその卵達が借り出されたりするのである。
「へえ」
「それに、聖職者は教会独自の者でなければ捕まえられないんだ。ギュレネイス神聖教内では警備隊というのが権限を持ってる。勿論、警備隊は聖職者の一種だけど、異質な存在さ、あそこでは……」
 雑巾を絞りながら、聖職者の多い首都で長年過ごしたエルストがマリアに話し掛ける。エルストが昔、ギュレネイスの警備隊に務めており、聖職者の犯罪摘発などをしていたというのは、マリアもヒルダも知らない。そして非常に似合わない。因みにギュレネイスの警備隊といえば、それなりにいい仕事だ。
「内輪で片付けるって訳ね」
「そうだ。人殺しだなんて、あまり大々的にやるもんじゃないからな」
 確かに天下の往来で人を殺すなど、破落戸かドロテアならばやるが、他の人は滅多にそんな事はしない。
「ふ〜ん」
 興味深く話しを聞いているマリアの横で、雑巾掛けをしているエルスト
「だがヒルダ。テメエの拾ってきた事件は、ギュレネイス教の聖職者だろう?」
 国と村の大きさから言っても、ギュレネイス教の聖職者以外に考えられない。
「そうです。神父さんです」
「神父ね。それなら話は早いかもな」
 片目を瞑って、煙草を指に挟み一息つくと、適当にこれからの手順をヒルダと話し始めた。
「宗教が違っても大丈夫なの? エルスト」
 エルストの馬車掃除を手伝いながら、マリアが尋ねる。
「大方は大丈夫。エドの司祭補がギュレネイスの神父を裁くなら、身分的に言っても問題は無いよ」
「ヒルダが?」
 マリアは何度言われても、ヒルダが高位聖職者には感じられない。徳が感じられないというのではなく、まして尼僧に見える訳でもない。強いて言うなら正しく"お嬢さん"という雰囲気を感じる。元々裕福な商家の娘達なのだからそれはそうなのだろうが、因みにドロテアには既にそんな"商家のお嬢さん"の雰囲気は欠片も残ってはいない。
「ヒルダってよりは、ドロテアだろう」
 笑いながらエルストがマリアの問いに答える。
「ドロテアに権限は無いんでしょう?」
「司祭補と一緒であれば権限はあるよ。ドロテアはあれで裁判官の資格もあるから。王学府を出ていると付いてくるし」
「はあ。でもドロテアって裁判官ってよりかは、調べる人の方が向いてるわよね」
「確かに」
 ドロテアに調べられたら、逃げ延びられ無さそうな気迫があるのも事実だが。
 行くぞと合図を出し、ドロテアはヒルダの後を付いて歩き出した。


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