君が消えた六月三十一日
[25]水没都市【3】
こうして復讐は終わった――
アリがここを見ているとは思わないが、もしも見ていたときのために、これだけは言っておく。
復讐は本当になにも生み出さない。
本当の復讐は彼らのことを忘れ、ナターリアの笑顔だけを覚えて、新しい人生を歩むこと。
死んだナターリアもそれを望んでいる。
本人に聞いたわけでもないのに! 言われそうだが、実は聞いてきた。
霊能力者を使ってナターリアの霊を降ろして聞いたとかじゃなくて。それはもう少し先で明かにするからちょっと待て。
まず今は復讐について。
どうしても復讐したいと言うのならとめないが、カールハインツたちはその後、二宮医師の元で人体実験に使用され、去年全員息絶えたそうだ。
<del>根性ねえなあ! おらっ! (font size="+15")お得意の弁護士呼べよ! 根性みせてみろよ!</del>
アリが復讐したいと考えていた相手は死んだ。片目と片腕を奪われた憎しみから逃れられないかもしれないが……それでも過去に囚われず生きていってほしい。
あ? 私ですか。私はいいんですよ。復讐のつもりでやったけど、なんか楽しくて、楽しくて。むしろこれを復讐と言ってしまったら、ナターリアに悪いんで。私がやったことは、ただの趣味です。実益はかねて居ませんので、正真正銘趣味です!
正義とか悪とかじゃなくて、楽しいか否か。
「あ、サバチー。ルマンド食う? はいどうぞ、ルマンドも好きだもんね……なんで、こんなにぱっきぱっきなお菓子なのに、サバチーが食うとうじゅるうじゅる感が。あ、うん、そうだね。プレミアムルマンドより通常バージョンのほうが美味しいね。サバチーも私も貧乏口なんだよ。もう一個食う? それでさ、サバチー。なんと”ハバチ”というお菓子が! はい…………口に合わなかったのか! 残念だな、私は結構いけるんだが。はいはい、ルマンドもう一つね。いま包みを開けるから。待ってて」
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どのようにして失われた水没都市に辿り着いたのか?
その道程は詳しく書くまい……いや、書いてもいいんだけど、長々と書いても飽きるだけだと思うので割愛。
―― ミスカトニック大学を出発した私たちは鉄道を使い、乾いた大地へと向かった。水没した都市があるとは到底思えない、乾ききった大地。
それはチリのアタカマ砂漠に似ていた。違うことは砂漠の中心に汽水の湖が存在すること。冷たき鉛色をした海に続く川。凍えたあの狂気にも似た山脈に囲まれたその場所。
湖面は黒い粘着質のモノで覆われており、水の動きは見えないが、川の流れはあるので、この黒い粘着質の物体の下は、我々が思う「水」が流れていることが分かる。同時にそれはここが水没都市であることも証明していた。
湖から突き出している尖塔。それは現代の高層建築を見慣れた私たちですら圧倒されるものであった。
尖塔に施されている飾り彫刻は悪趣味で、ガーゴイルよりももっと悍ましいなにか。悪魔と評することをすら憚られる、人間の本能を疲弊させる酷く醜悪なものであった。それらがずらりと並んでいる。
多くの部分が水中に没しているため、入り口以外の部分から侵入しなくてはならない。運が良いことに ―― この先自分たちの身に降りかかったことを考えると、決して運が良かったわけではないが、このときは運が良かったと考えていた ―― 尖塔の一部分に足場つきの窓があった。
それは本当は足場ではないのだろうが、足場に使える程の突起が円柱をぐるりと、階段のように下から上へ螺旋を形作っていた。
私たちはそこまでエンジン付きのゴムボートで向かうことにした。
ゴムボートの定員は六名。とは言ってもゴムボートは一つしかないので、往復させる必要があるため、一回に運べるのは五人。荷物や体重の関係もあるので(太めの人も混ざっていたのさ)数は更に減り、一回で三人尖塔の足場に近づけたら良いくらい。
私はというと、チキンというか面倒というか、尖塔のあの足場で窓へ近づける気がしなかったので、荷物番を買って出た。
こうして私は一人残って……とはならず。
ゴムボートが六度目の接近を試みた時、尖塔が突如崩れた。いままで壊れる気配などなかった巨大な尖塔が、突如震え崩壊したのだ。
落下してくる巨大な建築物の破片により、黒い粘着質の物体が跳ねる。その跳ね上がった黒い物体に、六度目に乗った者たちは絡め取られ……たような気がした。
大地を揺るがす崩壊が去ったあと、目の前には黒い湖だけが残っていた。崩落の痕跡一つ見当たらず、いままで自分たちが見ていたものは幻だったのか? 不安になるほどに。
だが ――
「ゴムボートだ!」
アンディは湖の反対側を指さしながら叫んだ。
その声に反射的に私たちは振り向くと、ゴムボートの底が見えた。おそらくルッツ ―― ゴムボートを操縦していた助手 ―― は崩落から逃れる際にスピードを最大限に上げて湖を突っ切り、その勢いのまま湖面を飛び出し地面をバウンドして、船首が持ち上がってゴムボートがひっくり返り、
「首の骨が折れている……」
首の骨を折って死んだ。
ゴムボートは壊れてはおらず、エンジンも奇跡的に無事だったので、ルッツの遺体を引きずりだし、レジャーシートを被せて荷物で四方を押さえて、取り敢えず遺体を隠した。
アンディはゴムボートを操縦できる数名の一人で、エンジンを再確認して燃料を補充すると黒い粘着質が支配する湖面へ、クラリス(准教授)と共に漕ぎ出でた。
「なにか見える?」
「なにも見えない!」
陸地に残った私と生徒三名は、二人を見守ることしかできな……
「あんでぃ! ルック! あっち、るっく!」
残念なくらい英語ができない誰か(私ですが)が片言の英語で、湖面を指さしながら叫ぶ。そこには人の手が僅かに見えていた。
アンディは急ぎボートをそちらへと進め、近くでエンジンを切り、救助用の浮き輪を投げてやる。二度ほど外したが、三度目に指先にヒットして、腕の持ち主は急ぎ浮き輪に捕まり、黒い粘着質の湖面から顔を出した。
私と共に”残念な東洋人”と呼ばれる(なんというか見た目が残念。オリエンタル・ビューティーの対極に存在している)柳生であった。
アンディが「放すな! しっかり掴まってろ!」と叫んで……いたと思われる。すろうりぃにいんぐりっしゅ喋ってもらっても、りっすん出来ない私が、本気出してるのを聞き取るのはみっしょんいんぽっしぶるってもんだ。
助け上げられた柳生を岸まで運んできたアンディは、再度助けに向かった。
柳生の治療は医療スタッフという名の一名の看護師に委ねられた。手伝おうかと思ったのだが、看護師が”水面を見て、人を捜して”と言ってきたので。
見ていたのですが中々……そうしていると、突如盛り上がる湖面。
「あんでぃ! ごおおお! こっちに、ごお!」
うねり上がる黒い液体を前にして、私が言える精一杯の英語。思い返してみると、赤面するよりも、良く英語で叫べたなと、自分を褒めたくなる。
お前どんだけ自分に甘いんだよ ―― 批難は甘んじて受けるが、反省はしない!
日本人がほとんどいない(居たのだが消えた)アメリカの大学に三年も在籍しているとは思えない英語力だが叫んだことが功を奏してアンディ「は」無事に生還した。うねる湖面でバランスを崩したクラリスは湖面に真っ逆さま。
そして湖面から突き出す尖塔。
先程まで私たちが侵入しようとし、数名は成功した建築物が。
脅威の高さを誇るそれが、一瞬にして戻って来た。ただし先程とまったく同じというわけではなく、侵入口に使った窓の場所は変わり、足場となる突起も変わった。突起は先程よりも大きくなり、侵入を容易にしてくれるよう様変わり――
大声で中に入った人たちの名を呼んだが返事はなく、湖面に目を凝らしてもクラリスの姿も見当たらない。
アンディは銃の弾倉を確認してから、ゴムボートに乗り込んだ。あともう一人ブエノスアイレスから来た男も乗り込み、尖塔への侵入を果たした。
窓からこちらへ向かって手を振るアンディとブエノスアイレスから来た男。こう言っちゃなんだが”いらっ”とする位に外国人的な良い笑顔。
本当に”いらっ”とした訳じゃないが、雰囲気がもっとも伝わるかと。
すると突然笑顔が固まり、そのまま驚愕の表情へと移行しつつ、アンディは銃を構えてこっちにむけて発泡してきた。
「うあっ……」
力ない叫び声を上げながらしゃがみ込んだら、ルッツの遺体にかけていたシートが真っ平らになっていることに気付き、見なきゃいいのに右側に首を捻って見上げてしまった。
そこにいたのは、尖塔に施されていた飾り彫刻の像。ニメートル以上はありそうな(正確な大きさは不明のままです)悍ましい姿をしたそれが、口にルッツの遺体をくわえて、こちらを見下ろしていた。
―― えっと……
恐怖を感じると叫べないって言うじゃないですか。その通りで、叫ぶことすらできなかった。ただし、
「きゃああああ!」
叫ぶことができる外国人が、大声で悲鳴を上げ……その凶暴な九本のかぎ爪で顔から腰までを引き裂かれた。
叫び語に興奮したのか、ルッツを口にくわえていた名状しがたきそいつは、腕を持ち上げ振り下ろす。
三人目の生徒が殺され、次に看護師が狙われた時、その手のひらをアンディの銃が射貫き、次は頭部をブエノスアイレスから来た男が吹っ飛ばした。飛び散った体液は腐臭が強く黒いもの。ちょっと口にくわえられていた死んだばかりのルッツも一緒に吹っ飛んだから、血とか内臓とか混じってたけど、それらの匂いなどかき消すほど強烈な悪臭だった。
生き残った私と看護師で、
「せんきゅー。おっけー。ごー。さーち! みんなさーち!」
居なくなった人たちを捜しに行ってくれと叫びながら、残っていた銃を持って安心させてみた。
柳生は酸素マスクつけられたまま。意識は喪失中。
アンディとブエノスアイレスから来た男は頷き、助けに向かった。
残った私と看護師は顔を見合わせてから、死んだ人たちを集めて、もう一度シートを被せる。看護師は柳生の状態を見ながら周囲を見張り、私は名状しがたきそいつを調査することにした。
その前に私は尖塔を見た。
尖塔にはあの悍ましい飾り彫刻は渾然と存在していたが、数が減っているように思えた。一体以上 ――
この名状しがたき動き出したフィギュアが、あそこから現れたのだとしたら、あと数匹……そこまで考えて考えるのを止めた。
どうしようもないし。銃を撃っても当てられる気がしないし。恐がってもどうしようも出来ないことってのは存在するわけで。
先ずは石を持って名状しがたきそいつの隣に足もとを合わせて寝て、頭上に石を置いてから指先で数えて大まかな全長を算出し、次は三人の命を奪った凶暴なかぎ爪を触ってみた。爪は長く三十センチほどある。太さは四センチから五センチってところ。
爪のみで攻撃しているので、手のひらなどは血に汚れはおらず、その奇妙な手を見ることができた。指先には指紋らしきものはなく、つるりとしていた。指には節もなく、曲げたりできないように見えたのだが、念の為にと指を持ち折って見るとぐにゃりと曲がった。
人間の指とは違い、どの部分でも好きなだけ曲げられる仕組みになっている。
手のひらには手相はなく、変な模様があった。
ただね刻まれたようなものではなく、カラー写真を白黒コピーしたような感じの物。写真を撮りノートパソコンに取り込んで合致するかどうかを確認したところ合致した。
だが合致確認後に、ノートパソコンがおかしくなった。どこかに接続された ―― あの手のひらの模様は<旧支配者>たちが作りあげたサイバースペースに似た空間にアクセスするためのコード……としか考えられない。
私は看護師の元へとノートパソコンを持ってゆき、画面に映し出されているアンディとブエノスアイレスから来た男、最初の崩落で行方不明になった人たちを見せた。
画面は不安定で、スクリーンセイバーを思わせる状態。多数の映像が規則正しく縦に四つ、横に七つ並び映してくれるときもあれば、一つの映像が大きくなり、隣の映像が小さくなるを繰り返す時もあった。
様々なところを映し出し、そして”ここ”から見ている私たちには、どこなのか? さっぱり解らない場所が映し出された。
蒼い水の中 ―― だがそれは美しいと思わせるものではなく、ひどく不吉で、死ではなく恐怖を呼び起こすような色。
そして画面に僅かながら映り込んだ金髪。それはナターリアのものであった。
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