君が消えた六月三十一日
[07]<F>私のはなし・名状しがたき 〜 入学するまで【2】
売れたのが二冊だけだから、買ってくれた人のことは覚えている。性別・男性ってことだけだが。
私をミスカトニック大学に推薦してくれたスカウトの人も男性で、もう一人の購入者も男性だった。スカウトしてくれた人は在校生のアルバイトで、私が大学に入学した頃にはもう卒業していた。あの時私は中学二年で、スカウトした人は院生だったって言うから遭遇しようないわな。
だからどちらがどちらなのか? 分からないのだ。
どっちも日本語が流暢ってか普通の日本語を喋る東洋人で、歳の頃も同じくらいだった。高校は確実に卒業している雰囲気だった。当時中学生だった私からすると、高校を卒業している男性はほとんど同じに見えたわけだが。
そうだなあ、その人がここを見ているとは思えないが、万が一ということもあるので。
「プロヴィデンスの荒野に潜む人食い吟遊詩人と古の海の使徒」(A6・36ページ・両面コピー・和綴じ・表紙マーメイド紙使用)という本が手元にある方、返品受け付けてますのでご連絡ください。
あー連絡用に感想欄開いたほうがいいかな?
【色褪せない夢を見る】に遭遇して以来、掲示板系の書き込みが苦手で……私には関係ないのだけれども。やっぱり開くべきかなあ……でもなあ……
そうだ……これを書かないと駄目ですね。「プロヴィデンスの荒野に潜む人食い吟遊詩人と古の海の使徒」を書いたころの私のP.Nは「古使海徒」と書いて「ふるつ かいと」と読みます。
「古(”ふる”い)」「使(”つ”かう)」「海(かい)」「徒(と)」
タイトルに自分のP.Nを入れるという、どこに出しても突っ込まれる厨二である。
「海徒」はまだしも「古使」は、ないだろうと……。
今のH.Nもさほど違いはないような気もするが。
ちなみにこの「古使(ふるつ)」発音してもらうと分かるのだが「fruit」と非常に語感が似ており、
「ふるーつ海徒ってマジック快斗(マンガ)に響きにてるね」
「ほっとけよ!」
そんな扱いでした。そのうち「古使」と呼ばれることは稀になり「ふるーつ」呼ばわりされて、最後は「フルーツの最初のF<エフ>」でいいんじゃないか? と……日本人は省略するのが大好きなのでF<エフ>で定着することになったんです。省略し過ぎじゃねえ? そうは思いますが省略された名称ほど定着するものはありません。
それはともかく返品受け付けてます。
即売会の見本誌は大丈夫だと思う。それというのもイベント主催者、私が高校二年の頃に亡くなったとか行方不明になったとか、イベントから足洗ったとか噂は色々あるけれども、開かれなくなったので、多分処分してるはず。
それで話は逸れた……ってほど逸れていないが、願書をヘブライ語で記入して返信して約一ヶ月後、入学許可通知が届きました。
そうだ書きそびれたが狂えるユシフの書は古代ヘブライ語。
モーゼ五書よりも古いんだから、当然そうなるな。
私が持っている書は大学で確認したところオリジナルではないが、かなり古い時代の物でどのような形で日本に渡ったのかは不明。
関係者が運び込んだものだろうと……
いや、キリストの墓は関係ないと思う。絶対関係ないって。
古い時代の物なので、当然私たちが考えるような「紙」ではない。
「古い紙=羊皮紙」は普通の書物に適用されるものであって「狂える〜〜」と言われるような人たちの書物は……。
みんなだってアブドゥル・アルハザードが著したネクロノミコンが羊皮紙に書かれてるとは思わないだろう? 写本も然り ―― ここで「もしかして人の皮?」という人は、ミスカトニック大学には向いていない。あの界隈では人の皮なんて普通紙同然。
ネクロノミコンについては後述するとして
(さっきから後述ばかりだなーでも説明するための説明が足りないんだよー)
ミスカトニック大学はアメリカ合衆国にある大学なので当然九月入学。三月に卒業してから半年間、私はその間フリーなのです。
ここで英語を覚えるためにアメリカに渡るなり、日本で英会話教室に通うなりするのが普通なのでしょうが、私はコミケにサークル参加することにしました。
いや、早い段階でサークル参加するつもりでしたとも!
(夏のコミケに参加できたということは、冬のコミケが終わって文字通りすぐに申し込まないと無理なんです)
まったく英語を覚えるつもりはなかったし、アメリカに馴染む努力もしなかった。大学に入ったら頻繁に帰っては来られないし、一般参加は可能だろうが、サークル参加は無理だろうと。
実際は一般参加どころか、帰国すらできなかったんです……
心おきなくコミケを堪能し(ただし本は買わなかった。アレな本は持ち出せないからな)夏休み出国ラッシュで賑わう空港から飛び立ちました。
初めてのアメリカ。右も左も分からない――いや、いくら私がアホでも右と左くらいならさすがに分かるが、地図を片手にタクシーに乗り込んで、ぼったくられたかもしれないが、ともかく無事にミスカトニック大学に到着して、私の大学生活が始まったわけです。
「木々に阻まれて、なにも見えねえ……」
入り口でうろうろしていると、在校生が寮まで連れていってくれました。
もちろん会話はアラビア語で成立してましたとも。
入学式で学長からありがたいお言葉があったわけですが、そこで度肝を抜かれるわけです。
なにせ学長ロバート・ブロック氏なんですよ!
私が在学中のミスカトニック大学の学長はロバート・ブロック氏でした。最初は目は疑いましたし、周囲にも驚いて同期たちが多数いましたが、みな受け入れました。
私が入学した時点でロバート・ブロック氏は死んでいる筈なんですよ! ですが、ここはミスカトニック大学。些細なことです。
死亡年月日なんて飾りです。さすが御大の高弟と言われるだけのことはあります!
それで大学生活を語る上で外せないのが寮。
ミスカトニック大学内にある寮は全員一人一部屋。普通は一人二部屋、もしくは大学二年か三年あたりから一人一部屋だが……ミスカトニック大学といえば毎年大量の行方不明者を出す大学としても有名である。
その為、寮が”がらがら”なのだ。
入学した学生の三分の一ちかくが行方不明になる。
入学した学生たちは行方不明覚悟でミスカトニック大学に籍を置くので、どうってことはないのだが、家族がねえ。家族に「行方不明になっても心配しないでくれ。それがミスカトニック大学の伝統であり仕様だ」なんて言って入学する人はまずいない。私も言わないで出てきた。そんなこと言ったら止められるに決まってる。
普通の人なら止める。
肉親にミスカトニック大学を無事に卒業した人がいる学生は、行方不明になっても家族は納得してくれるらしい。
そんなに行方不明者出す大学がどうして運営できているのか? って……お嬢さん、深淵は覗くものじゃないよ。それでなくとも<旧支配者>たちはこちらを見ているのだから。目を合わせないほうが幸せさ。
質問:どうしてそんなに行方不明者が出るの?
答え:辿り着けないから
私の場合は――と注釈がつきますが、とにかく私は辿り着けませんでした。学舎と寮を行き来するのが死ぬほど大変。死者続出、草むらに黄ばんだ白骨死体とか普通にあって、それを回収して教材代わりに(私は人類学部 法人類学科在籍)調べて、ご家族にお返しするといった状況。
人間の白骨のほとんどは在学生だった人たちなんだが、たまに部外者の遺体が見つかったりもした。
何も知らない薬の売人や、ジャーナリストさんたちが。
後者は悪名高いというか、失踪者が多いのでアポなし取材とか試みてしまうらしい。まあ普通に電話で聞くと「旧支配者が」としか答えてもらえないからな。
前者は組織に属していたら絶対近寄るな言われてる大学だって教えてもらえるだろうに。
メキシコの麻薬密売関係者(麻薬王とか)たちが口を揃えて「国境にミスカトニック大学があったら、俺たちはトンネル掘らない」と言いきるほど危険なんだぜ。
特に地面掘ると……
なによりメキシコの麻薬カルテルとミスカトニック大学は仲良くやってるからね。別に麻薬密売とかじゃないよ! もう少ししたら書くよ! 後回しばっかりで悪いけれども! 二年の時に私が麻薬カルテルの人たちと蕃神の儀式へと向かったこと書くから!
でも人の白骨ならまだマシです。
草むらやら林の中に落ちている骨は人間のものだけではなく……色々な者が落ちているのです。そう、それこそ、色々な者が。
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