剣の皇子と偽りの側室【03】
[愛されることより……]
マティアスの心はいまだラトカにある ――
それはシュザンナが誰よりも知っている。だが彼女はマティアスを愛している。だからこそ愛することを息子に説いた。
エドゥアルドは母親であるシュザンナに「愛されることを望むより、愛するようになさい」と言われ育てられた。シュザンナ自身が「そう」であるが故に息子に語った言葉でもある。エドゥアルドは両親の複雑な事情は知らないが、難しく考えず、だが正確に理解していた。母シュザンナが皇后となった理由は、死亡したカレヴァの妹ラトカにあることを。だから母シュザンナがそう言うのであろうと。
彼はそれ以上深くは考えなかった。それは浅慮ではなく、他者の心に土足で踏み込むことを嫌う性格故に、しっかりと線引きをして皇子らしく節度を持って。
だが彼は心の底からそう思ってはいない。
十五歳で側室を抱えて公職についたエドゥアルドは、好みの女性がいなかったこともあり、側室に対してはおざなりであった。
彼の側室たちもヨアキムの側室たちと同じで【この地位や皇子には興味ありません】姿勢。ヨアキムの側室たちと違うのは、どの側室も同じ立場であったこと。
ヨアキムは今は亡きヘルミーナが最初から特別扱いされていたこともあり、負け惜しみを含む【妃になんてなりたくはありません】であったが、エドゥアルドには特定の女性がいなかったので、多くの側室たちは牽制を含む【妃になんてなりたくはありません】状態。
エドゥアルドは正直なところ、自分のことを好きになってくれない女を気に入り、愛されることを望まずに愛することが出来る気がしなかった。
自分が好きになったら、相手にも同じくらい好きになって欲しい ―― だがそれを誰かに語ることはなかった。言えば「子供っぽい」あるいは「真実の愛はそうではない」と言われることが分かっていたので。
妃に据える相手くらいは、自分のことを好きになって欲しい。
それは彼の密かな希望であった。
ヨアキムとは違い気に入った女性がおらず、どのような女性が気に入っているのか? もはっきりとは分からない。
唯一分かるのは同年代や年下はあまり好みではないということ。これはラージュ皇族という立場で考えると、好みの女性を見つけやすいタイプでもある。
後宮が存在し、その中で皇子を産んだ女性が皇后となる仕組みの国は、年上女性が皇后となる割合が極めて高い。
側室というのは子を産むことが大前提。十五歳の皇子と同い年や年下よりも、三歳から五歳年上、十八歳から二十歳あたりの女性のほうが問題なく出産でき、産後の回復力もある。
跡取りが生まれると、今度はその跡取りを産んだ女性の実家が、見目麗しい幼女を送り込み、新たに皇子が生まれることを阻止しようとすることもあるが……それはさておき『自分は年上が好み』その漠然とした感覚だけを抱えていた彼は、ある日運命の人”側室リザ”に出会うことになる ――
ベニートはエドゥアルドの五歳年上
いつも通り夜会で皇子としての務めをしていると、ヨアキムが見たことのない女性の腕を引き中庭へと出ていった。ヨアキムの態度に尋常ならざるものを感じ、エドゥアルドは人の間をすり抜けてヨアキムとその女性こと”側室リザ”を追った。
そして彼が見たのはヨアキムに頭を叩かれた側室リザ。
二人がなにを話していたのかは分からず、ヨアキムはそのまま会場へと戻り、側室リザは叩かれて崩れてしまった髪飾りを外し、笑顔のままヨアキムを見送った。
女性に手をあげたことに少々どころではなく腹を立てたエドゥアルドは「女性が怪我をしていないかどうか?」心配になり近寄り声をかけた。ヨアキムは好いていたヘルミーナ以外の女性には冷淡であったこと、彼女の死後その傾向がより強まっているようにエドゥアルドは感じていたので、少々心配したのだ。
「初めまして、だな」
「初めまして、エドゥアルド皇子」
このとき側室リザは気負わず微笑み”壁”を作らなかった ―― これがエドゥアルドの心を掴んだ。
側室たちは積極的にはならないのが最近の傾向。会った時に礼儀正しくはするが、好まれようとする表情を浮かべることなどない。
「私のことを知っているのか?」
呪われた皇子であろうとも血の通った人間だ。過度の媚は唾棄すべきものだが、少しくらい愛想がいいほうが可愛く思えるもの。
「もちろん」
「私はあなたと会うのは初めだ。良かったら名を教えて欲しいのだが」
「リザと申します」
「リザ、夜会は初めてか?」
明かに平民とは違う気品を感じ、どこかの貴族の娘だろうかとエドゥアルドは考えていた。
「はい」
「誰と来た?」
「独りで参りました」
「独りで?」
「はい」
「独りでは会場には入れない筈だが」
「私はその他大勢の一人です」
自分が皇子だと知りながら微笑み、逃げることなく、落ち着いて話しをしてくれる美しい女が側室であるとは思いもしなかったのだ。
「お前、側室なのか?」
「はい」
「誰……ヨアキムの? それともベニート?」
エドゥアルドは興味はなくとも自分の側室であれば顔は覚えているので、自分の側室ではないことは明か。バルトロの側室たちも、兄の代わりに後宮に足を運び、様子を見ることがあるので全員記憶にある。
「私はこの身をヨアキム皇子に捧げているものです」
美しい顔にいまだ微笑みを浮かべエドゥアルドの問いに答える側室リザ。いつもの頑なな拒絶や、側室になりたくはないという態度がまったく見えない。その姿にエドゥアルドは恋に落ちた。
暴力をふるう男の元に置いてはおけないと ―― 他人の側室ではなく、自分の側室には暴力をふるおうが、殺害しようが罪に問われることはなく、もちろんエドゥアルドも知っている ―― 夜会終了後、馬鹿正直にヨアキムに告げ、側室リザを自分に渡すように言った。
言われたヨアキムは一瞬「アレでよければ、いくらでもくれてやる」と言いかけたが、なんとか耐え拒否した。こういったことは、拒否されればされるほど、燃え上がることは分かっているし、側室リザ以外の側室であれば誰でもくれてやれるのだが……よりによって側室リザ。
「女性を殴るような男の手元においてはおけん」
男性として真っ当なことを言っているエドゥアルドの頭頂部を見下ろしながら、ヨアキムは内心文句を呟いていた。
―― 私だって、相手が本物の女性ならば殴りはしない。殴ったのは男だ……それもベニートだ、ベニート。ベニートなのだ、ベニート
だがどうやっても説明できないので、エドゥアルドに「断る」とだけ告げ、後宮へと急いで戻った。
エドゥアルドも自分の後宮へと戻り、そしてベッドに体を預けた――だが、側室リザのことが忘れられず、寝られそうになかったので、彼は剣を持ち中庭へと出て、月明かりの下で、素振り始めた。
―― 母上が言われた「愛されることを望むより、愛するようになさい」の意味がはっきりと分かったぞ! 彼女なら愛されずとも愛することができる!
母親の教えや思惑からは若干ずれた、迷惑な付きまといになりそうな宣言をする彼だが、その剣に一切の迷いはない。雑多なことは全て消え、唯一である側室リザだけが残り、そしていつしか朝日が白銀の剣を照らし出す。
「ヨアキム! 彼女を私に寄越せ!」
今朝も勝負で負け一人でしてきたヨアキムは、朝から元気なエドゥアルドに、常人であれば逃げ出すような昏い眼差しを向けて否定した。
Copyright © Iori Rikudou《Tuki Kenzaki》 All rights reserved.