剣の皇子と偽りの側室【02】

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[ヨアキムは左利き。ベニートは右利き]

 物語に登場する美形で知的で軍事的才能に優れた皇子さまは、相手に無理強いしない ――
「妬心に駆られて襲うタイプもいるけれどね」
「なんの話だ、ベニ……リザ」
 ヨアキムと側室リザが同じ部屋で過ごした翌朝。
 寝起きは化粧が落ちてベニートの顔に戻っているのではないかと思っていたヨアキムだが、側室リザは側室リザのままであった。
 側室リザにそのことについて尋ねると「女性の美に対する執念を甘くみちゃいけない」と返された。
 思い出してみると母親のアイシャは化粧専用の部屋があり、早朝であろうが深夜であろうが美しいままであった。どれほど美しく飾ろうともマティアスの気持ちが傾くことはないのに――真実を知ったヨアキムはそうは思ったが、だからといってアイシャに化粧しても無駄だと言う気にはならない。
「それで、ヨアキムどうする?」
「なんのことだ?」
「痕跡」
「痕跡?」
「シーツの」
 考えてみると随分衝撃的なことをマティアスから教えられたことにヨアキムは気付いたが、ヘルミーナの死がいまだすべての驚きを包み込み、ほとんどなにも感じさせなくなっている。そのせいもあり、他のことに気が回らない。
「具体的に言え」
「格好よく優しくて相手のことを思いやる皇子さまって、清らかな処女を大切にするってことで、自分の指先切って血を散らしたりするじゃない」
「なにが言いたい」
「たしかに確認する係りはいるよね、性交の痕跡」
「まあな」
 側室リザは笑いながらシーツを指さす。
 皺が寄り寝た痕跡はあるが、行為があった痕跡は当然ながらない。
「皇子さまって、シーツに一滴も零さないものなの?」
 稀に娼婦には一滴も零さない女はいるが、それは特殊技能で他の娼婦たちよりも高値がつく。
「そんなわけないだろう」
 生まれた時から皇子であるヨアキムが呆れたように言い返す。
「だよね。私の経験では一滴も零さなかった女性はいないな。それで、同衾しても抱かれない女性って”大切にしている”って思われるのが最近の傾向」
 他の側室たちは抱くので、ここで側室リザを抱いたという証拠を残しておかないと、怖ろしい噂が立つ ―― あくまでも可能性だが。
「私もそんな女を抱いたことはない。……痕跡をお前が一人で残せ」
 中身ベニートのことを大切な人などと思われるのは、ヨアキムとしては耐えられないので汚しておくように命じた。
「女装して自慰かあ。とっても変態的だなあ」
「女装して後宮に入っているだけで……」
 ”女装男と分かりながら後宮に入りを許可したほうが変態だろう”と頭を過ぎり、ヨアキムは語尾を濁す。側室リザは笑顔で寝間着の裾を持ち上げ、
「私がいなくなってからにしろ」
「やっぱり見るの嫌? 遠慮しなくていいんだよ」
「……」
 ”これ以上なにか言ったら呪うぞ”と無言で本気な「呪い」を感じとり、側室リザは裾から一度手を離す。
 ラージュ皇族はみな一流の呪術師。
 通常の呪術師では呪いをかけられないというだけで、呪術師としては最上位である。常に飽和状態の呪いは他者からの呪いを受け付けることなく、そして他者を呪っても目減りすることがない。
 呪術師は普通、道具を用い呪いを作るのだが、ラージュ皇族は血脈から絶えることなく、濁流のように溢れ出す。
 その根源ともいえる”血の呪いの原石”を持っているヨアキムは、意図せずともすさまじい呪いを放つ。
「でもさ、指先切って偽装する後宮の主って、絶対寝てるその相手を見ながら自慰をして、シーツを汚して痕跡つくってるよね」
「まあ、そうなるだろうな。そんなことをするくらいなら、血も散らさないほうがマシだと思うが」
「だよね。女性って男が格好良ければ、寝ている間に自分をおかずにして自慰されても幸せ感じるのかなあ」
「女の気持ちは分からない。あとは任せたぞ、ベニ……リザ」
 ヨアキムを見送ったあと、側室リザは一人ベッドに乗った。

 抱いた痕跡を偽装しその他大勢の側室と同じように――とはさすがにいかなかった。
 他の側室たちは「入れているだけ」で扱いは適当であるが、
「ベニ……リザ」
「お待ちしておりましたわ」
「……」
「このドレス、似合ってます? ヨアキム皇子」
「似合っている。本当に似合っていて、なぐ……(気味が悪いわ! 殴らせろ)。アイシャドウの色変えたか?(お前はいつも化粧品を何処で購入しているのだ?)」
「気付いてくださいました? 同じ色ですが、こちらの方が少々明るいのです。普通殿方はこの程度の差違には気付かないはずですが、ヨアキム皇子は違いますわ」
「……(黙れ)」
 リザはその他大勢たちから見ると、大切に扱われている……ように見られていた。ヨアキム本人に言ったら、そのまま無意識発動呪い殺されルートを辿るところだが、彼女たちは全員賢さが”売り”なので余計なことは言わなかった。

 ちなみに以前は化粧品などは業者が後宮に持ち込み側室たちが、皇室持ちで購入していたが「清貧が美徳。素顔が正義。美人でなくとも化粧はしないほうが男心を掴める」となって以来、売れなくなったので業者持ち込みがなく、礼儀としての分を自分たちで購入するしかない。

 出迎えられそのまま側室リザの部屋へと消えるヨアキム。
 ヘルミーナもそうであったが、リザも美しい。ヨアキムは最近には珍しく美しい顔立ちの女性が好きなのだろうかと ―― 言われそうだがヨアキム自身が美形なので「ご自身のお顔を基準にしているのなら、美しい女性も普通に見えるのだろう」と言われていた。

「明日の朝、お前が汚せよ」
 女を抱かず眠るための部屋だが、
「ええーひどい。今日はヨアキムが抜いてよ。じーっと見ててあげるから」
 悪戯好きはなかなか眠らせてくれない。
「……」
「そんな顔しない。私は見ないとしても、自慰ってのいいもんだよ。皇子さまなんて自慰する自由もないでしょう。そりゃ双方好きでもない側室なんて自慰用肉壷みたいなもんだけど、それとはまた違って楽しいって」
 どうしようもない程に嬉しそうな表情の側室リザを前にして、
「黙れ……それは明日の朝、じゃんけんで決める」
 ヨアキムはその提案を一部受け入れた。
 面倒ということもあるが、ヨアキムはベニートに弱い。正確には無垢な魂に心癒やされて、強く言えないのだ。
 「性質」を持つ魂は様々あるのだが、全体で見た場合性質を持たない魂が全体の九割を占めているので、同じ性質の魂が出会うことは稀である。
 魂を見分けられるバルトロが、ベニートと側室リザの魂が同じ種類だと見分け、気にかけたのはその希少性も理由の一つとして上げられる。
 バルトロは当人の魂には性質は備わっていないが、備わっていないことにより、他者の魂をはっきりと見分けることができる。
 エストロクの神官となる条件は性質が備わっていないことが挙げられる。もちろん性質を所持していても拒まれはしないが、最高位に就くことはできない。
 余談だがベニートの魂である「無垢」この魂と相性が良いのは「冷淡」「高潔」「冷静」「沈着」など落ち着いた性質のもの。これらは落ち着きゆえに持つことができない純粋さに惹かれる。対して相性が悪いのが「誠実」無垢は心からお願いするのが得意なタイプゆえに、心から頼まれると断れない誠実は、これに振り回されてしまう。
 悪いことに無垢はいつも本気で、誠実は本気であることが分かるゆえに、拒否することができず、嫌いになることもできない。
「やったー! ちなみに私、じゃんけん強いよ! 覚悟してねヨアキム」

 翌朝。爽やかな青空と差し込む陽射しの元、ヨアキムがベッドの上で頭を抱えていた。

―― 次は剣の勝負で決める!


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