呪解師のテオドラは死体の見ている夢を眺めていた。
貧しいながらも、優しい母親と兄弟妹とともに楽しく生きていた日々を思い出し満足のうちに死んだ彼女の屍。
テオドラは小さな穴を掘り彼女を埋めた。周囲には多数の死体があり、街を死臭で埋め尽くしているがテオドラは彼女の死体だけを葬った。理由は彼女が幼く小さかったので、容易に葬る穴を掘ることが出来たから。
彼女を埋葬してから、テオドラは以前訪れた時の面影が破壊によって全て消された街をみてまわった。
07 夢見る屍
彼女には母親しかいなかった。父親の顔は知らない。
他人は彼女たち兄弟姉妹を指さし、全員父親が違うと言ったが彼女は全く気にすることなく過ごしていた。彼女は兄弟の中でもっとも活発で、よくいろいろな場所に潜り込んだりもした。
あまり行儀の良い行動ではないが、人の家に忍び込んで全く違う世界をのぞくことがとても好きだった。
彼女はある日、街でもっとも美しいと評判の建物に迷い込んだ。外側から見た建物は飾りを施した大きな窓枠を持つ窓が並んでいるのだが、室内には明かりが届いていない。大きなその窓の全てを天鵞絨のカーテンが覆い隠している。
アーチ型の天井を見上げてあまりの高さに驚き、そこに描かれている絵にも彼女は愕然とする。あの場所にどのように絵が描かれたかを考えることよりも、その絵の美しさに打たれた。
人の形に大きな蝙蝠のような羽をつけた美しい者と、自分の尻尾をくわえている大きなトカゲの絵を背負った人。
絵を眺めていた彼女は、遠くから呻きながらも喜んでいるような声が聞こえてその方向へと息を殺して進む。その先にいたのは、亜麻色の髪の女性が銀色の檻に身を預けるようにしている。
檻から出ている手と、すこしだけ見える口元、なによりも目を引く銀の檻と融け合ってしまうようにみえる銀髪。
蝋燭の明かりだけの暗い室内だが、檻の中にいるのがこの建物の天井に描かれた人物だと彼女にははっきりと解った。
“魂が魅せられる” 食事風景に、幼い彼女もまた魅せられた。
立ち尽くし見つめていると、母親が現れ彼女を連れ帰る。母親は何も言わなかったが、彼女は建物には入っていけないことは解った。
夜空の下にあって、周囲に全くなじむことないそびえ立つ建物を見上げながら彼女は世界を少しだけ知った。
それからまもなく、彼女はあの日銀の檻に溶けてしまいそうだった人物に軽き痛みと、それ以上の喜びを与えられていた亜麻色の髪の女性は彼女たちが住んでいる場所の近くに越してくる。
事業に失敗し、何もかも失った夫とやつれてゆく彼女。
一度見たきりだが彼女は天井に描かれた蝙蝠の羽を持つ銀の檻に繋がれた人の側にいた時の方が、幸せだったように見えた。そのことを母親に言うと、困ったような顔をしたので彼女は二度と口にすることはなかった。
亜麻色の髪の女性を見るたびに彼女は建物を思い出し眺めるために向かい、迎えに来る母親と共に帰途につく。
ある日の夕方、彼女が建物を眺めにくると扉が開き二人が現れた。
一人目は彼女も見たこともない相手だったが、その後ろから続いて出てきたのは銀の檻に溶けてしまいそう《だった》彼。
黄昏の街を歩く彼は銀の檻に溶けてしまいそうな雰囲気は消え、背に人の目には解らない羽を背負い歩く姿を前に恐怖し立ち尽くす。
街から出て行こうとする彼にやせ細った亜麻色の髪の女性が駆け寄り殺されたことを彼女は知らない。
立ち尽くしていた彼女を母親は連れ帰り、それからしばらくして彼女の家族は《檻の存在意義》を失った建物に隠れ住むことにした。
大きく切り裂かれた銀の檻を見つめながら過ごす。
彼女は彼が《吸血鬼》なる存在であったことを知るが《吸血鬼》とはどんな物なのかは理解できなかった。解ることは彼女の大きなアーモンド型の瞳に映った彼の背にあった羽、それは普通の人は持たないこと。
それ以外なにが違うのかを理解する必要性もなく、ただ沈黙となった街で過ごす。
ある日街は侵略された。彼女には侵略と言う言葉は解らないがただならぬ空気と音を体に感じる。
ただ城壁を破壊して恐ろしい顔の人間が列をなし街の人々を殺す行為を、息を潜めて見ているしかできなかった。
彼女が感じた恐怖はあの日見た《吸血鬼の後ろ姿》とも違う。
恐ろしい顔をした人々が頭を下げる金髪の男が、彼女たちが身を潜めている建物へとやってきた。
建物の周囲を恐ろしい顔をした人間で取り囲ませて男は一人扉を開き、一直線に銀の檻へと近付いてくる。引き裂かれた檻の前でしばらくの間凍ったように動かなくなり、そして両手で顔を覆い叫ぶ。
「エリーゼ!」
男の叫びをアーチ型の天井は無機質に跳ね返した。
男は命じて恐ろしい顔をした人間達は街を破壊し尽くして去ってゆく。廃墟に取り残された彼女とその家族は餓えにさいなまれながらも必死に生きようとするが、努力の甲斐無く全員が死に絶えた。
― でも幸せだった ―
テオドラは彼女に触れて見た夢を辿りながら町にあふれている死体をより分ける。
腐敗した肌に目立つように蛍光の染料を投げつけ、持ち帰るものと持ち帰らないものの判別をする。
街をくまなく見て回り、全ての死体に判別印をつけてかつて美しかった建物の瓦礫に背を預けて、この建物向かって吐かれた怨嗟と共に、自らにも向けられた憎悪を感じながら目を閉じる。
「テオドラ」
声をかけられて目を開くと、すでに空は藍色が支配し始めていた。
テオドラは立ち上がり、体のこわばり解す動きをしながら声をかける。
「死体の積み込みは終了しましたか、アッサーラ」
「完了した。そうだ、今朝テオドラが埋めていたのは?」
テオドラは彼女を埋めた小さな穴に視線を向けて答える。
「猫の死体です。無意味な程に幸せを夢見て《死に続けて》います。悪夢師には必要ないものですよ」
彼女に触れてテオドラは戦いに巻き込まれて死にながらも恨みを抱かずに死んでいることを知り埋葬をした。
「そうか、猫か。じゃあ悪夢師セフィロトに憎悪という悪夢を見続けている死体を届けてくる」
悪夢を身に宿した死体を運ぶ死の葬列車を見送ったあと、テオドラは死の沈黙と僅かな幸せに支配された街にもう一日滞在し《毛色の違う兄弟妹と優しい母親》を探しだし、彼女に並べて埋葬し街を去った。
その街は幸せを見て死んでいる死体だけが残された。街の名はピエタという
《終》
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