呪解師のテオドラはフラドニクスの運び屋アッサーラと箱を挟み並んで歩いている。
なんの変哲もないただの鉄の箱を乗せた荷車を、日雇いの男二人が引いている。男二人は箱の中身はおろか、何処に向かうのかも知らされていない。
町に入り料金を支払われ男二人は立ち去り、アッサーラは新しい男を二人雇い入れる。
料金を支払われた男の一人が金欲しさに後を付けてゆく。箱を挟んで歩いている二人は、それを知りながらも無視して目的地へと向かった。
08 光にも似た
月の美しい夜、沼のほとりで呪解師のテオドラと吸血鬼のデューンは向かい合っていた。
二人の間にあるのは、なんの変哲もない飾り気ひとつない有り触れた鉄の箱。強いて特徴をあげろと言われたら、ほとんどの者が 《人を隠す事ができそう》 としか特徴は言えないだろう。
泥の沼から引き上げられた箱は、水をかけられて洗われた。留め金もなにもない、ただ蓋をかぶせているだけにしか見えないその箱にデューンが指をかけて蓋を開こうとする。
吸血鬼が全霊を込めて開こうとするが、固く閉じたままで開く気配すらない。吸血鬼の指は変形し、血があふれ出す程に力を込めても箱は変形どころか、軋む音すら上げることはない。
誰か特別な人物が作ったのかと尋ねられるが、テオドラは首を振って否定する。
「いいえ。その時通りかかった、近くの村の鍛冶屋に依頼しました。名工という程ではありませんでしたよ、逃げられないように腱は切られていましたが」
鍛冶屋を失うのは村にとって大きな損失なので、能力を持つものを逃がすまいと足の腱を切ることは珍しいことでもない。
村に繋がれていた鍛冶屋は、外から来た客であるテオドラの依頼に興味を持ち話しかけてきた。
たとえ彼が足の腱を切られていなかろうと依頼された品が変わっているので、話しかけてきたではあろう。
「お前が飾ってやれば良かっただろう。こんな素っ気のない箱にしなくても」
「派手にしたところで、中に閉じ込めた人には見えませんし、この底なし沼に沈めるつもりでしたから考えもしませんでした」
底なし沼に沈めたリュドミラを封印した鉄の箱を引き上げることが出来るのは、人とは全く違う存在であるデューンだけだとテオドラは考えた。
そのテオドラの考え通りにデューンリュドミラの存在を知ると、テオドラを連れて箱を引き上げに向かう。昼過ぎに沼地にたどり着いたが、デューンは鉄の箱を引き上げるのを夜まで待った。
昼間でも夜とほぼ変わらない力を発揮できるデューンだが、対峙するのはかつて自分を封じた相手。
万全を期すために満月の夜に再会する事に決めた。
青白い月光に照らされている箱をデューンは愛おしそうに撫でる。
「まさか私を封じた封印師が、その孫に封じられているとは思いもしなかったよ」
ピエタの街に封じられていた吸血鬼デューン。彼を封じ込めたリュドミラは技巧を凝らし、中に閉じ込めた吸血鬼をより一層美しく見せる銀の檻を作った。
閉じ込められた吸血鬼は出入り口の扉を飾る鏡に映る 《自分がいない》 檻を眺めながら、美しさに自分を閉じ込めた女のことを思い出し時を過ごす。
「そうですか」
閉じ込めたテオドラは手袋を脱ぎ、極印を月光に晒しながら吸血鬼の言葉を待つ。
「この箱を開いてくれ」
「構いませんよ」
箱の傍に手を近づけようとしたところで、吸血鬼にその両手首を握りしめられる。
「随分とあっさりとしているな」
「言われたら何時でも直ぐに開きましたよ」
そういって嗤う呪解師のうなじを見下ろしながら、吸血鬼は再び尋ねる。
「私とリュドミラがお前を殺そうと手を組んだらどうするつもりだ?」
「どうもしませんよ。さあ、デューン手を離してください」
離された腕を箱の上に置き、その箱の封印と呪いを解き放つ。月明かりの支配する明るい闇夜に地上から空に向けてオーロラが伸びた。
リュドミラを解き放ったテオドラは、まだ残るオーロラの輝きに背を向けて手袋をはめながら歩き出す。
鉄の箱が深い草の上に落ちた音を聞いたが、テオドラは振り返ることはしなかった。
二人に背をむけたテオドラは、洞窟へと向かう。
ここはフラドニクスの中にある沼地だが、テオドラの家に戻るには遠すぎる距離あるので、夜を明かしてから戻ろうと道すがらの洞窟に入り背を預けて目を閉じる。
固い岩の感触を背に感じながら夢うつつの中で、箱を作った鍛冶屋のことを思い出す。
鉄の箱を何に使うのかと尋ねられた時、正直に「祖母を封印する」と告げたテオドラに彼は驚き、そして大声で笑った。
あの笑い声の結末はどうなったのだろうか? 浅い眠りから意識を覚醒させると、すでに洞窟の入り口から朝靄が姿を見せていた。
地面でうつぶせに寝ていたことと、自分にかけられているデューンの外套に驚きながら、テオドラは身を起こして朝の中へと歩み出す。
沼の傍へと近付いてゆくと、そこには箱があったが周囲には人の姿も吸血鬼の姿もなかった。そして箱の蓋が少しだけずれていた。
中をのぞく事も出来たがテオドラは敢えてそれをのぞかずに、蓋を閉めて中を確認せずに再び封印を施す。
靄が晴れるまでテオドラは朝の寒さを感じながら、朝露に濡れる箱を眺めていた。
テオドラとアッサーラを付け回していた男は、二人がフラドニクスに入って行くのを見て後を付けたのが無駄になったと背を向けて戻っていった。
二度と会うことはないだろうなと思っていた男は数年後、鍛冶屋の前で見覚えのある鉄の箱を乗せた荷車を見かけた。足を止めて、その荷車と荷台に乗っている鉄の箱をみつめる。
荷車の傍に立っている男に見覚えがあった。
そして鍛冶屋から出てきた女にも見覚えがあった。女は男に何かを話しかけ、男は一人で金で雇った男四人に荷車を引かせてその場を立ち去った。
見送った女は再び鍛冶屋にはいる。
あの日と同じ男女と同じ荷物。それをまたどこかへ運んで行く姿に言いしれぬ恐怖を感じながらも、男は轍を指で触れる。
自分が運んだ時よりも、ずっと深い轍に箱の中身が増えたことだけは解った。
鍛冶屋から女が立ち去った後、男は鍛冶屋に先ほどの客の持っている箱は何なのかを尋ねた。
鍛冶屋は表情一つ変えずに「祖母を入れると言っていた」と答え、そのまま蹄鉄を打ち始める。男は言いしれぬ恐怖を感じながら鍛冶屋をあとにしようとした時、突然声をかけられた。
「最初に作るとき、男と女が二人入れるくらいの大きさで作ってくれと言われた。先ほどのは “ちょうど良かったようだ” という礼と心付けを持ってきてくれた。それと後を付けている男を鬱陶しがっていた。もしもお前が後を付けている男なら気をつけろ、殺すと言っていたから」
あの日男が運んだ箱と、今見送った箱は同じだが、あの轍の凹凸の深さの違いは? そして後を付け回している自分。鉄を打つ音に男が振り返ると、鍛冶屋の背後にある溶鉱炉の日の光のような明るさが熱とともに視界に飛び込んでくる。
その熱さと光に眩暈を覚え、再び襲ってきた生涯ぬぐい去ることのできない恐怖に足をとられながら男は急いで鍛冶屋から逃げ出し、足の腱を切られて逃げ出すことのできない鍛冶屋は、男の無様に逃げてゆく姿を見て《嘘だよ》と呟き、ほくそ笑んだ。
《終》
Copyright © Rikudou Iori All rights reserved.