悪意の肖像
 テオドラとアッサーラ、そしてローゼンクロイツはクラ人が住むと言われている北限の山脈をひたすら登っていた。
 登っているといってもテオドラはデューンとリュドミラの入っている鉄の箱に腰掛をかけて、それを二人が運んでいる状態ではあるが。
「万年の吹雪も主の帰還に空を割ったようだな」

06 劣性遺伝子


 クラ人の住んでいると言われている村は吹雪の向こう側にあり、天空を目指す者達を何時も阻んでいた。
 だが今はその噂が嘘としか思えない程に晴れ渡っている。
 寒さが緩むことはないが、薄く冷たい空の下、鉄の箱とテオドラ、そしてアッサーラとローゼンクロイツを歓迎するかのような環をまとった冷たい太陽が空に座していた。
 暑さよりも痛みを感じる日差しの中歩き続けた 一行は、ようやく村にたどり着いた。氷と石で作られている熱のない村には、クラ人は一人もいなかった。
「滅んだのか?」
「滅んだ、というのでしょうかね」
 人のいない家に上がり込み、鍋を一つ持ち出して周囲の氷で洗ったあとに氷を入れ煮溶かす。
 その水を飲みながら三人は何の音もない場所で空を見上げた。白っぽい太陽にかかる環をテオドラは目を細めて語り出す。
「クラ人というのは、神のなることの出来なかった神の子を差します」
 神になり損ねた《クラ》が地上に送られた。地上に落とされたクラは人との間に子を儲けると、その子は神としての力が備わっていた。その神を天空へと戻す為に、クラは《門》を開く力を得た。
 それからも神になり損ねて地上に送られる者、そして地上で神として生まれる者が現れる。
 なり損ね達は 《天空の守人》 としての力を持ち、いずれ地上で生まれる神を天空に返す役割を担わされるが、神になり損ねた者達は地上に降ろされたことに関して神を憎み、地上で生まれた神を呪った。
「神に対するこの憎悪こそ、呪いの起源とも言われています」
 神は本来あるべき場所へと帰るのだから、この地上に帰ってくる必要は無い。よって門を開き直ぐに閉じるのだが 《人》 は神を天空に戻すまいと、請われれば易々と人を、そして人外を 《天空》 へと導き、自らの力を無駄に使い捨てた。
「クラ人が他の人よりも力があるのは当然です。神になり損ねた者達なのですから」
 ついに吸血鬼を天空へと誘い、神々の寵児を包み込む白い花をも手折る。
 それでも神はクラ人からその力を奪い去ることはない。その理由を知るために、クラ人はフラドニクスなる場所で地上で生まれた神を捕まえて研究している。
「私も何人か捕まえて引き渡しました。もっとも私以外には神を捕まえられる人はいないのですがね」
 神になり損ねた者達に神を捕らえることは出来ないが、神々の寵児は神をいとも容易く捕らえる事が出来た。
「神は何がしてえんだろうな?」
「それを聞きに行くのでしょう? 元は神だったローゼンクロイツ、貴方が」

 神から人へ、そして死亡して生き返り、再び死を迎えて吸血鬼となった男は、人外として故郷へと戻る。

 テオドラは手を寒さの中、手袋を脱ぎ捨てて天空の《門》を開くことにした。テオドラが太陽の環に向かって両手を掲げ伸ばすと、太陽の環は無数の小さな環となりテオドラの上に降り注いでくる。
 指輪のように首輪のように王冠のようにテオドラを飾った環。光に飾られたテオドラはそのまま極印を合わせる、同時に環は砕け散り石と氷の村に黒い門が現れた。
 テオドラはその扉を手前に引き、開く。
 扉の向こう側にはかつてデューンが語ったとおり、空気が希薄なこの場には考えられない濃密な生を感じさせる空気と、無音でありながら視覚に轟音を感じさせた環の崩壊とは全く違う、穏やで微かながら “はっきり” と聞こえる旋律が流れてくる。
「行ってくる」
 立ち上がったローゼンクロイツが門に手をかけて足を踏み出す。
「どうぞ」
「デューンはリュドミラ連れで行ったって聞いたが」
 五歩ほど歩いたところで振り返ると、門を開いたテオドラは元に戻った太陽の環を背に、いまだクラの地に立っていた。
「当時のリュドミラはこれを完成させていなかったので、ついて行く必要があったのです」
 手に持っているのは白い薬包に包まれている粉末にしたエリキサ。
「不老不死の霊薬ね。お前それ本当に飲むのか?」
「信用ありませんね。では貴方の前で飲んでおきましょうか、ローゼンクロイツ」
「おう」
 テオドラは煮溶かして出来た水の残りを椀に注ぎ、粉を舌にのせてしっかりとローゼンクロイツに見せた後に椀の氷の匂いが強く残る水を飲み干し。
 薬包を握りつぶしまだ水気の残る椀に放り込んで証拠として投げつける。受け取ったローゼンクロイツは中を確認したあとに投げ返した。
「何時かまた会おう」
 背を向けて歩いていったローゼンクロイツに、テオドラは見えていないことを知りながら手を振る。
「ええ待っていますよ」
 完全にローゼンクロイツが見えなくなった後、門を一時的に封じる為に鉄の箱をはめ込む作業をしているアッサーラが、テオドラのほうを見ないで話しかけてきた。
「私がエリキサを口にしたらどうなる?」
 死印のあるアッサーラ。
「人間に戻りますよ。飲みますか?」
 いつの間にかテオドラは手袋をはめ、もう一包みを人差し指と中指の間に挟んでいた。
 気配と薬包特有の乾いた紙のこすれる音を聞きながら、アッサーラはしっかりデューンとリュドミラの入っていると《思われる》鉄の箱をはめ込み振り返る。
「お前を目的地まで送り届けたら貰うよ」
「解りました」
「それで目的地はどこだ?」
「海の向こうにあると言われている大陸まで。船すら出ていませんが、可能ですか?」
 何故大陸があることを人が知っているのか? それを問うこともなく、アッサーラは言い返した。
「何でも運び届けることが出来る。それがフラドニクスの運び屋だ。天空であって運び届けてみせる」
「ではお願いします」

 アッサーラはテオドラを目的地まで運び終えた後にエリキサを受け取りその場で飲み込んだ。
 彼はそのまま人として新しい大陸で、普通の生活を送った。老境も半ばにさしかかった時に彼は思った。テオドラはどうやってローゼンクロイツを迎えにゆくのだろうか?

《終》


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