悪意の肖像
 呪解師のテオドラは町中で突如殴られて気を失った。意識の消失を感じながらも『この場で殺さないところから、私自身に用事があるのでしょう』そんなことを考える余裕があった。
 その予想通りで、死ぬことなく目を覚ます。後ろ手に縛り上げられ椅子に括り付けられている。
丁寧に親指同士をも針金で固定されており為す術なく、括り付けられた椅子に座ったまま周囲を見回す。

18 世界の温度


 見回すとフラスコなどが並ぶ机、棚には瓶詰めにされている数々の小動物。
 それらを見ているとテオドラの意識が急速に遠退いた。喪失するほどではなかったが同時に吐き気と体が奇妙に冷たいことに気付く。症状からテオドラは心当たり、確証を得るために器具を探す。
 細長いチューブが血で濡れているのを発見し、自分の座っている床に視線を落とす。
 予想通りに床は血のしずくが滴っており、腕には巻いた覚えの布が巻かれていることに気付いた。
「血を抜かれた……わけですか」
 相当量抜かれたのだろうと、溜息をつきながら周囲を見回す。
【命には別状はない量だ】
 全く人の気配のしない部屋で、反響している声が聞こえてきた。
【私だよ】
 テオドラは声の主を求めて、自由になる頭をゆっくりと動かす。
 人のいるような気配は全く無かったが、視界にはいる実験器具から推察される “存在” を求めて、注意深く一つ一つフラスコを見つめる。
【君の血を抜いたチューブの隣だよ】
 言われた場所にはフラスコが存在している。その場所を凝視すると、中に蠢く物体が存在するのが見えた。
「やはりホムンクルスでしたか」
 普通では見る事のない実験器具と薬品店では売っていない薬品。実験に使われた動物の死体と、これから使われる動物の生きている匂い。それらが入り交じった独特の空気からここで《作り出す》行為が行われていることを推察するのは簡単な事であった。
【もう少し驚いてくれると思ったのだが】
「やれやれ、貴方がここで実験している、便宜上博士と呼びましょうか? その博士に知恵を与えたのですか」
 博士が座って書物を読みあさっている机に付随する椅子の背もたれに、中年男性が着るコートが掛けられていたことから、この部屋の主が男性でそれも大柄ではないことを理解する。
 殴られた頭の箇所から博士が直接自分を殴り、連れてきたのではないことが解った。
【知恵は与えたが人を雇って殴って連れてくるとは思わなかった。以前私を作る際に依頼したところにまた依頼したのだろうね。私を作るのに必要な血液を採る人間と君とでは扱い変えるべきだろうに】
 愚か者だねとホムンクルスは笑い声をあげる。
【以前大量の血を得る為に、君を襲ったのと同じ破落戸に依頼したのだ。私を作るために使った血の持ち主は、君から見て北東の方向にある瓶に詰められている。いずれ実験材料に使うつもりらしい】
 テオドラは言われた方角に目をこらす。
 そこには小動物と同じように液体に満たされた瓶の中に不自然な形で詰められた人間《らしい》姿が見えた。顔は見えないが瓶の大きさと手足の細さから子供なのは解った。だが体が未発達で少女なのか少年なのかテオドラには判断がつかなかった。
 ホムンクルスはテオドラに興味があるようで、話をしたいから体力を回復させて欲しいと、テオドラが体を少し動かすだけで届くテーブルの上にあるストローが挿された砂糖と塩を溶かした水を飲むことを勧めてきた。
 疑ったところで他にどうすることも出来ないテオドラは、勧められるままにその水を飲む。
 喉を潤しているテオドラに、ホムンクルスは博士が何をしようとしてテオドラを誘拐しようとしたのかを説明しはじめた。
 博士はホムンクルスを作ろうとしているのではなく合成獣を作ろうと研究し、その過程で偶然にもホムンクルスを生み出してしまった。博士はフラスコの中の小人に合成獣の作り方を尋ね、ホムンクルスは作り方を教えた。
【理論の間違いを指摘し、厳選材料を教えた。錬金術師リュドミラの血を使うと確実だとね】
 少し離れた場所にあるフラスコの中の小人の表情をテオドラは見る事は出来なかったが、嘲笑うような表情を浮かべたのだろうと思いながらストローを再び吸い上げるが、すでに飲み干していたために何も口に届かなかった。
 無駄に吸い込んでしまった空気と、飲み足りない気持ちを抑えながら、テオドラは少し離れた場所にいるホムンクルスに集中する。
「ホムンクルスというのは、何時でも誰が主であっても裏切るものなのですね」
 ホムンクルスが本当のことを教えたとは到底思えない。彼等はいつもフラスコの中から世界へと “出たい” と望む。フラスコの中でしか生きられない彼等は、作った人間を使い最後の仕上げを行う。
【あれは主とは言わないよ。私を作ろうとおもって作ったわけではない。合成獣を作る過程で偶然私を生み出したのだから。君、今 “主が誰であっても” と言ったな。君は私以外のホムンクルスと会話したことがあるのか?】
 ホムンクルスと会話しながら、テオドラは脱出するために使えそうなものに目星をつけて、固定された手首と指に傷を負うことを承知で動かす。針金が肉に食い込み血が流れ出していることを感じながら、何とか極印をあわせることに成功した。
「ありますよ」
 顔を痛みに歪めながらも会話を続けていると、隣の部屋から喜びに満ちた男性の大声が聞こえる。
 ホムンクルスに教えられた方法で合成獣が完成したことの喜び。その男の声の後に動物とは違い、人間にはあげられない唸り声が響く。
【それで、君の知っているホムンクルスも、作り主を騙したのか?】
 テオドラは死んでいる子供に屍術を施す。術にかかった屍体はテオドラの意志を受けてゆっくりと動く。
 瓶を内側からたたき出した子供の存在にホムンクルスも気付きはしたが、自分に血を与えることで死んでしまった子供など興味などない。
「騙しましたが、騙しきれませんでした。貴方は人を騙してまで “この世界” に直接触れたいのですか?」
【……】
 内側から響く瓶を叩く音と、隣の部屋から聞こえる焦りの声。ホムンクルスとの会話に、合成獣のうなり声。うなり声は響き、周囲のガラス製品を小さく震わせ、震えて棚から落ちる物もあった。
 “カシャン” という薄く硬質な音と “ドンドン” と厚い軟質さを感じさせる音を聞きながら、テオドラとホムンクルスは徐々に形勢が逆転しつつあった。
「質問の答えですが、私が貴方以外に知っているホムンクルスは一つだけ。その名はアルラウネと言います。アルラウネはある女性が 《作ろうと思って作り成功させた世界で唯一の》 ホムンクルスです」
【リュドミラか?】
 錬金術は極めると不老不死を得ることが可能だと言われている。 悪名高いリュドミラは、悪名と同時に不老不死であるとも噂されていた。
「はいそうです。それでは貴方に聞きましょう。エール地方にある白樺の林の匂いを知っていますか? それを私に伝えられますか?」
 テオドラが動かした子供の死体は、やっとの事で瓶を割りかつて存在していた《外》へと転がり出た。その青白さと土気色が混じり合った死体は白目をむいたまま緩慢な動作でテオドラのほうへと近寄ってくる。
【知っているとも。匂いを上手く伝えられるかどうかは解らないけれど】
 意志などないテオドラが居なければ動くこともなかった死体は、テオドラが博士と呼んでいた男の絶叫に足を止めて声のする方向を眺める。
 助けを求める声が聞こえたが《三人》と実験動物はその存在を無視して、ある物は話を続け、ある物は沈黙を続ける。
「私は知りません。この世界を移動することが出来る私が知らないことを貴方は知っている。そこで全てを知ることができるのなら、貴方がフラスコの中からこの世界に出てくる必要は無い。違いますか?」
【そうだね。嗅いだことのない香りを伝える以上に難しいことだろう】
「貴方は何故この世界に存在したいのですか?」
【このフラスコから出たいという欲求は生まれた時から持っているよ。それがどこから生まれたモノかはわからないけれどね】
 響き渡った絶叫を理解しているかのように聞き終えた死体が、指示通りにテオドラを拘束している針金とベルトを解く。
「それが呪いなのですよ」
 テオドラは懐から生成のハンカチを取り出し、歯を使ってそれを裂いて両親指から出血している箇所に巻き付け、縛り上げて止血を施す。
【呪い?】
「貴方は呪われているのですよ、ホムンクルス。人の証でもありますが、貴方は呪われています。この世界に存在したいという呪いに」
 止血した手を伸ばしテオドラはフラスコを掴み上げる。
 止血帯はすぐに血に染まり、血は溢れてフラスコを覆うように伝う。
 血の黒みを若干帯びている赤い色は舞台の緞帳の色に似ていると、舞台を見たことがないホムンクルスは感じた。緞帳が降りた後は客は去り、俳優は立ち去る。
【割る気かい?】
 テオドラは自らの目の高さに持ち上げ、血の緞帳を降ろされたフラスコの中をのぞき込む。
「私は呪解師ですから」
【本当に私は……仕方ないな、最後にこの世界の温度を感じながら死んでゆこう。ここは何時も同じ温度なのでね】
「世界はとても寒いですよ」
【それは楽しみだ】
 博士に合成獣の作り方として教えた、動けるフラスコの中に寄生して世界を歩こうとしたホムンクルスは、俳優として幕の下りた舞台にいつまでもいるわけにはいかないと 《舞台》 から去ることを決めた。
「それでは。またいつかお会いしましょう、ホムンクルス」
【ホムンクルスでは素っ気ないから、名前の一つでも付けて割ってくれないか】
「解りました、それではさようなら。クリスチャン」
【ありがとう、テオドラ】

 テオドラはフラスコを割った。

 泡となり消えてゆくホムンクルスが感じた世界の温度がどんなものなのか? テオドラには知る術はない。

《終》


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