悪意の肖像
 呪解師のテオドラは捕らえられていた。
 依頼を受けて出向いたのだが、それが罠で捕らえられてしまい拘束されて牢につながれた。テオドラは《呪》に関しては比類ない能力を持つが、身体能力は普通の人程度。旅が多いので体力はあるが、武装した相手に取り囲まれて戦って勝てるような能力は持ち合わせていない。
 大人しく連行されて牢に入れられた。
 その際に『これは領主様のご指示だから、騒いでも無駄だ』といわれた。
 牢には多くのものが捕らえられていたが、一人で牢につながれているのは自分だけで『特別扱いとでも言うのでしょうかね?』と思いつつ出された食事を、手首がつながれた状態で口に運ぶ。
 『それにしても復讐とは。私も恨みを買っている自覚はありますけど、両親や祖父母や養父はその比ではありませんからね』
 誰かの巻き添えになったのだろうと思いながら、看守に飲み水の催促をする。


19 其処に愛は無い



 向かい側の牢に閉じ込められている男がテオドラに声をかけてきた。
 看守は良い顔をしなかったが制止もしなかった。彼も牢獄でぽつんと一人で立っているのに飽きていたのだろう。
「お前さん、何もんだ?」
「呪解師です」
「呪解師って、あのフラドニクスの呪解師か」
「そうですよ」
 その言葉に看守が驚いたようにテオドラを見る。視線が合いすぐに逸らしたが、看守はここに捕らえられている人物が何者かは聞かされていなかったらしく落ち着きを失い始めた。
「看守さんよ、そう緊張するなって。でも呪解師を閉じ込めるとは領主様もおっかないことするな。元々怖い方ではあったが、一体何失敗したんだ?」
 もみあげから顎にかけて髭で覆われている長髪の男は楽しそうに声をかけてくる。
 捕らえられて間もないのか、髭はまだ手入れしなくても平気な状態であった。
「失敗はしていませんよ。人質目的、いや復讐目的で依頼したようです。恨みを買うのは慣れていますのでね」
「呪われなくても、恨まれはするってわけか」
「そうですね。軽微な恨みなど問題にしませんし、呪は私には通用しません」
 通路を挟んだ向こう側にいる男性は、テオドラに興味を持ったようで延々と話しかけてくる。
「俺はローゼンクロイツってもんだ」
「何故捕まっているんですか? 何か失敗したのですか?」
「俺は錬金術師だってだけで捕まった。領主様は錬金術師が嫌いらしい」
 ローゼンクロイツの言葉にテオドラは得心がしたと頷く。
「どうした?」
「私も身内に錬金術師がいるので、その関係での復讐かなと思いまして」
 錬金術師はフラドニクスの錬金術師よりも《錬金術師と名乗っている》人のほうが多い。フラドニクスに住むのでなければ自分の判断で『錬金術師』と名乗り生活していっても何の問題もない。
 ただ詐欺師が名乗ることが多い呼称でもあった。
「へえ。あんたの親も錬金術師ね」
「祖母も母も錬金術師です。私も真似事はできますよ」
 テオドラが見る分に、向かい側の髭を蓄えたローゼンクロイツという男は錬金術師としては詐欺師の部類だろうと判断した。
「それであんたの手首をがっちりと縛ってんだ。それにしても祖母と母が錬金術師で本人が呪解師って、まさかテオセベイアの娘とか言うんじゃないだろうな。アイツの娘は《大陸の神々の寵児》だ。それを牢に繋いじまったら、いくら領主様でも大変だ」
「テオセベイアの娘ですよ。呪解師テオドラです」
「じょっ! 冗談だろ? テオセベイアの娘って祖母さんはリュドミラか? あの大陸最強の吸血鬼デューンを封印した、封印師にして錬金術師リュドミラの孫なのか? 嘘だろ?」
 捕らえられていた者達の中にも《大陸の神々の寵児》の存在を知るものが居たようで、牢獄が俄かに騒がしくなる。
「本当です。リュドミラは祖母です。身内に封印したり錬金したりする人が多くて、血縁以外に解くことができない《物》が多いので、今回もその関係だと思ってきたのですが」
 テオドラの牢の前に居る、唯一の看守が持っている棒で牢を叩き音を立てて静かにするように威嚇する。それでもローゼンクロイツは話をやめようとはしない。看守も二人の会話を止めようとはしなかった。
「テオセベイアはまだしも、リュドミラは悪名高いからな。それにしても《大陸の神々の寵児》をねえ。領主様は知らないのか?」
「知って捕らえているのでしょう。復讐と言うのですから、私が誰の子か解ってのことでしょうし」

 突如看守はテオドラの牢を開き、手首を繋いでいるベルトに移動用の鎖をかけて引いた。

 引かれたときに体勢を崩して転んだテオドラに看守は手を差し伸べて立ち上がらせ、もう一度ゆっくりと鎖を引き、テオドラはそれに合せて歩き出した。
 無言のまま牢から地上につれて行かれ、その後隠し通路らしき地下に降りて長く暗い廊下を歩き、また階段を登る。そこに来て看守は移動用の鎖を外しテオドラに話しかける。
「本当に《大陸の神々の寵児》なのか?」
「自分で名乗ったことはありませんけれども、そう言う人もいます」
 看守はテオドラの背を押し、登るように指示して背後から話しかける。
「領主様は昔、愛した相手を奪われたと聞いた」
「リュドミラにですか?」
「違う。パラケルススという男だが、知り合いか?」
「祖父がパラケルススです、骸師パラケルスス。死体を扱うのが専門ですよ」
「領主様と諍いがあったらしい」
「そうなんですか」
 祖父の一人パラケルススは、テオドラの血縁の中では一般的には《有名ではない》人物だ。牢でローゼンクロイツが《悪名高い》と叫んだリュドミラに比べれば、その知名度は低い。それは彼が通常の人は欲しない《死体》を扱う者であることも関係している。
 逆に言うと《死体を扱う世界》ではパラケルススの名は誰よりも有名であった。
「私も詳しいことは知らない……申し遅れた、私は領主の息子ジュドーだ。先ほど慣れてはいないといえ、鎖をかけて引いて転ばせて悪かった。それともう暫くこのまま黙って捕まっていてくれないか?」
「安心してください。私は天変地異を起こしたりできるわけではないので。ただの呪解師ですよ」
 ジュドーに背を押されて、テオドラはやっと階段を登りきり床に崩れ落ちながら息を整えた。
 息を整えた後に、ジュドーに促されて室内に入りジュースを出されてそれを飲む。一息つき室内を見回すと、テオドラが通った通路以外にもこの場所に来る通路があるらしく、それは楽に此処に来られる仕組みとなっていた。
「裏から連れて来るように言われたので。辛かっただろう」
「此処から帰ったら少し運動します。今でも運動不足とは思っていなかったのですが」
 そんな話をしていると領主が一人きりで現れた。
 領主はテオドラをチラリと見てソファーに腰を下ろして、牢に繋いだ侘び一つしないで話し始める。
「フラドニクスに問いただしたところ」
「私は骸も扱えますし、封印もできます。そう答えが返ってきたのではありませんか?」
 対するテオドラも挨拶一つなく言い返す。
 領主はこの部屋にとても不似合いだった。室内は女性らしさに彩られているが、目の前にいる領主はこの室内とは全く調和しない。
「解っていたのか」
「全く知りませんでしたね。息子さんが《死体》なので、そうではないかと思いまして。どうやら当たったようですが」
 この部屋の全てのものが領主を拒んでいた。憎悪すらしている。
 美しい飾り窓も、ステンドグラスのスタンドランプも、革張りノソファーも、飾られている絵すら領主の存在を恨んでいる。
「ジュドー。腕のベルトを外してやれ」
 息子は言われたとおりにテオドラの腕のベルトを外す。
「さて貴様に依頼するのは、妻を生き返らせろ」
「生き返らせるのは無理ですよ」
「動けば良い」
 領主は天幕に覆われているベッドに近付き、息子は天幕をあげる。
 ベッドの上には女性が横たわっていた。
「失礼しますよ、奥様」
 テオドラは近寄り領主の妻に触れる。死体特有の冷たさはなく、少しだけ温かみが感じられた死体に手袋を外し触れないで探る。
 祖父の施した《術》を探っているテオドラの隣で、領主は自慢げに語る。
 ジュドーの母は美しい娘であったので、領主が妻にしてやろうと誘拐してきた。だが娘は何を思ったか自殺を図る。
 まだ触れてもいなかったので骸師を呼び、死体でも良いから奉仕できるようにしろと命じた。骸師パラケルススは死体のまま、拍動はないが温かみがあり動くようにしつらえた。
 骸師は死体であっても子が産めるようにしていたが、子を産むと彼女は温かさはあるものの動かなくなった。
「死体が産んだ子ではあるが、動きもすれば私に従順で優秀だ」
 動かなくなった妻を動かせと骸師に依頼したが、骸師は《再び動かせるようになるまで、相当な時間がかかる》と領主に告げる。そんなことは聞いていなかったと、領主は怒り狂ったがパラケルススは無視し、領主の依頼は二度と引き受けないと宣言し、依頼が取りつがれることもなくなった。
 死体であっても美しい妻に興奮を覚える領主は、どうしても動かしたいと考え多方面に手を伸ばし、ついにパラケルススに孫がいることを知った。
 孫を人質にとり、パラケルススに依頼を受けるように連絡したのだが、
「貴様はパラケルスス以上だと聞いた」
 それを聞き領主はテオドラを牢から出すことにした。
「死体を動かしたら良いのですか?」
「そうだ」
「どのように?」
「どのようにとは?」
「命じて動くだけですか? それとも自由に考えた通りに動けるように? 奥様が骸師に動く死体にされてからも研究が進んで、そのような《遊び》も生まれました。どうします?」
 領主は『自由に動けるように』と命じた。
 この部屋から出られない久しぶり動く妻が反抗し、それをいたぶることを楽しみに。テオドラは祈るように手を合わせ、緑色の光を纏った掌をジュドーの心臓の上に置いた。
 ジュドーはテオドラの手の上に己の手を乗せて、フラドニクス印を見てからテオドラに視線を合せる。
 微笑んだテオドラの手を離して、彼は踏み出した。
「母は貴様のことなど愛していなかった。愛していなかったからこそ自殺したというのに! 貴様に汚されたくなったら死を選んだというのに! 死体になってまで!」
 領主の首に手をかけて叫びだす。
「母が私を産んだのは貴様に復讐するためであり、愛などではない! 断じてありえない!」
 テオドラはジュドーの肩に手を置き、離れるように促す。
 口の端から泡を飛ばしながらテオドラを批難する領主に、
「死体が自由に動けるようにしたんです」
 テオドラは笑って言い返す。
 自由のなかった死体から生まれた《死体》は、やはり自由はなかった。
 そして領主に言われたとおりテオドラは《死体》を自由にした。
「呪解師テオドラ」
「はい、何でしょう?」
「この領主を呪い殺してくれ。私が手を下してはいけない、母の積年の恨みで呪い殺してくれ」
 腰を抜かし震える領主を見下ろしながら、テオドラは語る。
「どうですか? 領主。見事なまでに《自由を持った死体》でしょう。そしてジュドーさん、折角ですからお母様の意見を聞いてみたらいかがですか?」
 テオドラはベッドに眠るジュドーの母親の死体を《動かした》


 領主は半狂乱になり城から逃げ出していった。


 ジュドーの母はパラケルススに恨み言と感謝を半分ずつ言い、テオドラにより唯の死体となり朽ち去った。
 踊り場から領主の捜索隊を見下ろしているジュドーにテオドラは声をかける。
「領主になりますか?」
「この秘密が誰かに知られては」
「パラケルススは骸には興味はありません。心配といえば、隠れていないで出てきたらいかがですか? 錬金術師ローゼンクロイツ」
 テオドラの張り上げた声に髭を整えたローゼンクロイツが柱の影から現れた。突然のことに驚くジュドーの胸にテオドラは再び手をあてて《すうっ》と何かを引き出した。
「それは何だ?」
「悪夢です。人が発狂するほどの悪夢。お返ししますよ」
 テオドラはその黒い《もや》をローゼンクロイツに投げつける。受け取ったほうは悪夢を握りつぶし牢につながれていた時とおなじように質問してくる。
「何時気付いた」
「錬金術師ローゼンクロイツは聞いたことはありませんが、悪夢師ローゼンクロイツなら聞いたことがあります。そして《死体》に悪夢の禍」
「お前さんにこの世の地獄を見せろといわれたが、死んでるんじゃどうにもできねえよ。ま、身内だよ領主様の身内が、財産狙いで。お前さんが発狂すりゃいいと思ったらしい。こういうのは狂った状態で置いておくのが一番効果的だからな。まあ、パラケルススの骸術は普通の人には判別できねえな」
 無駄な術かけちまったよと笑う。
 声を失っていたジュドーに振り返り、ローゼンクロイツは声をかける。
「俺は悪夢を見せた。だがお前さんは狂わなかった。そして俺はそれ以外興味はねえ、理由はその呪解師が知っている」
 二人を見比べるジュドーに、
「何かあったらまた連絡ください」
 テオドラはそう答えて、背を向けてローゼンクロイツと共に領主の城をあとにした。
 二人は捜索隊に軽く挨拶をして、森の中へと進んでいった。

「あの男は」
「誰ですか?」
「俺の師匠」
「呪解師にして悪夢師セフィロトは弟子など居ないと言っていますが」
「野郎に伝えておけ、いつかお前を狂わせると」
「解りました」

 そんな話をしながら二人は森の奥へと進み、恐怖に我を失っている領主をみつけた。
 ローゼンクロイツは笑いながら領主から狂気を奪い取り、領主は再び自我を取り戻し恐怖に怯えながら森の奥へ、奥へと走って行った。狂うことなく恐怖を感じ続ける領主のその後は誰も知らない。
 奇怪な叫び声が聞こえなくなった後、片手に領主の狂気を持ったローゼンクロイツはテオドラにもう片方の手を出す。
「どうしました?」
「金貸せ」
「どうぞ」
 テオドラに渡された金を手に、悪夢師ローゼンクロイツも森の中へと消え去った。

― 何時か俺がお前を人質にするかもな。その時は黙って人質になれよ、兄弟子 ―


 そういい残して。

《終》


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