呪解師のテオドラが立ち寄った街の大きな広場で、薄汚れた格好をした幼女が必死に助けを求めていた。
「助けてください」
助けて欲しいと幼い声で切に祈るように。
ある人は幼女の声を無視し、またある人は近寄ってくる幼女を時には手で払いのけて歩き去ってゆく。
血色の悪い肌を覆う、色あせた古着はサイズが合っていない。裸足で履いている靴も破れ指が見えている。
16 笑う才能
自分のことをずっと見ているテオドラに気付いた幼女は、急いで駆け寄ってきて涙で潤んだ瞳で見上げながら、
「お願いです、助けてください」
懇願してきた。
幼い声は往来での長時間の懇願で掠れひび割れていた。
この街に住む住人は《何も知らぬ旅人》に駆け寄っていった幼女の後方から、テオドラに向けて《やめなさい》といった様な表情で手を振り否定を表す。
テオドラも幼女に見えないように《ご親切にどうも》といった形で街人に頭を下げた後、膝をついて話を聞く。
「方法は解っているのかな?」
幼女の着ている服の解れ掛けている襟刳を引張ると、おびえたように幼女は服を引よせながら怯えたようにテオドラの質問に答えた。
「解りません……」
テオドラは街人に尋ねて、幼女の父シュミットが捕らえられている場所へと向かった。
手をつなぐこともなく無言でテオドラの少し後ろをついて歩く幼女。
街人に尋ねたところ、幼女の父親のシュミットはこの街に幼女と共に移り住んだ男で先物取引を生業にしていた。その先物取引で大損し金を借り、再び投資して失敗。最後には借りてはならない所からも金を借り、知り合いから金を集めて利息分だけは返し、再び借りては違うところから借りた金の利息を返すような生活を送っていた。
「シュミット氏に会わせていただきたい」
そのシュミットが捕まったのは、ついに自転車操業が行き詰まり他人の家に盗みに入り《盗んではならないもの》を盗み出した結果、彼は捕らえられた。
無愛想な造りの建物に、無愛想な職員しかいない死刑囚収容所で、テオドラは面会を求めるが成功する気配はなかった。
「会ったところで無意味だ。あいつの処刑はもう確定だ」
「確定しているのなら、面会したところで何の問題もないでしょう?」
「うるさい! 許可しないと言ったら許可しない!」
「そうですか、残念です」
「その小汚い餓鬼を連れて、とっとと帰れ!」
「ならば無理矢理会わせていただきましょう」
「面会は許可しないと言っただろうが! 貴様も牢にぶち込んでやっても良いんだぞ!」
頭の固い役人を前に溜息を付き死刑囚収容所を後にする。
幼女の父親であるシュミットが《盗んだもの》は街の有力者が所有するプラチナの乙女像。有力者は大切に扱っていたのだが、少々理由があり、破損してしまった。
その大人の胴体ほどの大きさの乙女像を有力者は、この街に住む錬金術師の元に修理に出していた。
シュミットは錬金術師が有力者の依頼を受けたことを知り、前金も支払っているに違いないと判断して盗みに入り見事に盗み出すことが出来た。
前金ではなくプラチナの乙女像を。
錬金術師は逃げてゆくシュミットの後姿を確認していたので、直ぐに警邏に連絡し共に追いかけて錬金術師が捕らえた。
シュミットは金貨を盗んだだけと言い張ったが、袋から出てきたのは乙女像。錬金術師は有力者に盗まれたことを詫びて、この仕事を下りると言ったが、大事には至らなかったのでそのまま作業を続けて欲しいと頼まれて引き下がった。
錬金術師に対しては寛大な処置を取った有力者であったが、盗んだシュミットに対しては容赦なく、持っている権限で彼を即座に死刑にした。
シュミットが盗みに入った錬金術師の家を訪れて、話をしたいことを告げると錬金術師はあっさりと二人を中に通した。
錬金術が身近にあったテオドラは、懐かしい器具を見回しつつ《彼が何をしていたのか》を探る。
「テオドラ殿、なんの用でしょうか?」
「盗まれたプラチナの乙女像を見せていただきたい、錬金術師ドレイク」
テオドラの問いに錬金術師はゆっくりと首を振り否定する。
「あれは私のものではありません。何よりも既に修理を終えてお返ししております。どうしても見たいのでしたら、直接お屋敷に……見せては下さらないと思いますが」
錬金術師の言葉にテオドラは立ち上がり、フラスコの並ぶ棚の前に立ち手袋のまま台の上を人差し指で「線」を引く。そして指先に残った塵のようなプラチナの粉を掌に乗せて両手を合わせる。
「盗まれたのは、このような品ですか?」
目の前に差し出された手の平の上にある《自分が当面目晦ましように作った像と全く同じ》小さな像を見て、錬金術師は引きつったような叫び声を上げた。
「おま、え……錬金術師か?」
「驚きましたか? 詳しくお話する前に、あの子に水浴びをさせてやってください」
錬金術師は幼女を浴室に連れてゆき、その後テオドラと話を始めた。
「錬金術師か?」
「本職は錬金術師ではありません」
幼女が水を浴びている場所の近くで二人は立ったまま、向かい合って話し続ける。
「あれほどまでに華麗な錬金術を操りながら違うと?」
「違いますね。錬金術は片手間と言いますか、周囲には錬金術師も多く見聞きしているうちに覚えただけです。錬金術師達には "俺達の立場がない" とよく言われましたが」
「見て聞いただけで覚えられると? お前は何者だ?」
「呪解師」
「まさかとは思うがフラドニクスの呪解師《大陸の神々の寵児・テオドラ》か?」
「そのように言う人もいますね」
「あなたが正体を明かしてお屋敷に向かえば話は聞けるだろう」
「私は貴方から直接聞きたいのです」
薄く微笑んだテオドラを前に、錬金術師は目を閉じて頷き自らに言い聞かせるように口を開きはじめた。
有力者がシュミットを死刑にした真の理由は《盗まれた品が乙女像である》ことを周囲に知らしめるため。
実は名品と名高く、有力者の自慢の品であったプラチナの乙女像は数年前に盗まれていた。そのプラチナの乙女像の行方は今も人を使い極秘で追わせているが《最近、自慢の品を見せなくなった》という噂が出始めたので、苦肉の策としてプラチナの塊と乙女像を描いた絵を用意して錬金術師の元へと向かい、ある程度似ている乙女像を作って欲しいと依頼してきた。
そこで錬金術師は《像は作るが、像をあまり人目に出したくない理由も作ったらどうだ?》と有力者に勧め、その勧めに有力者は乗った。盗難が恐ろしくて人前に出せないという理由。そして乙女像は盗難対策として贋作も多数用意していると周知する。
二人の作戦は成功し、シュミットは死刑の身となった。
「何故シュミット氏を選んだのですか?」
「彼は何時も金に困ってるからね。関係のない人を巻き込んでしまったことに後悔しているが」
錬金術師の言葉を聞きながら、テオドラは幼女が水浴びしている部屋の扉を注意深く少しだけ開き中を見るように無言で促す。
テオドラの行動に驚いた錬金術師だったが、言われたとおりに視線を動かした。
その日テオドラと幼女は錬金術師の家に泊まり、翌日テオドラは幼女を残してその家を出る。
「あの……」
おどおどと声をかけてきた幼女にテオドラは語る。
「《助けてください》と言ったから助けたよ」
テオドラが広場で幼女に視線を向けていたのは、幼女の肌に無数の虐待の痕跡を確認したため。そして何より、幼女は《助けてください》としか言っていなかったこと。
近付いてきた時に襟を引張り、覗き込んだ肌は虐待の痕跡と判断するしかない状態だった。
― 助けてください ―
事情を知っている街人は、幼女の言葉に無意識のうちに《父を》をつけて聞いていたが、幼女は《助けてください》としか言っていない。幼女は助けて欲しかった、自分を。だが助けてもらう方法が解らなかった。
そして人々は勝手に《父を助けて欲しい》と解釈し、幼女の助けを求める手を振り払った。
「ありがとうございました」
初めて笑った少女の笑顔にテオドラも笑顔を返し、手袋を外して幼女の額に手を置き、
「ナターシャはこの先の人生は、幸せ以外与えられないことになるでしょう」
そう言って錬金術師に極印を見せる。
図らずも幼女を助けた形となった錬金術師は礼をして、二人はテオドラが見えなくなるまで手を振って見送った。
テオドラが死刑執行前場の前を通りかかると「盗んだのは金で、プラチナ像じゃない! あいつが! あいつが袋の中身を錬金術で作り変えたんだ! 何でみんな解らない!」半狂乱になりながら叫ぶシュミット発見して、腕を組んで眺めていると、
「あの子どうした?」
昨日テオドラがシュミットの娘を連れて歩いているのを見ていた人の一人が声をかけてきた。
錬金術師のところに連れて行ったら引き取ってくれると言ってくれたと告げると、そりゃ良かったと言いながらシュミットの処刑がもっとよく見える場所へと移動していった。
テオドラはシュミットの処刑を最後まで見ることなく、その場を後にする。
彼の背に取り付いている《呪》の元凶《金のためにシュミットに殺害されたナターシャの母の歓喜の絶叫》を聞きながら。
心優しい錬金術師は、死刑になった男の娘を大切に育て、娘も養父である錬金術師を本当の父以上に父と慕い仲良く暮らす。
成長した娘は養父のような立派な男性を連れて来て、養父共々ずっと幸せであったという。
《終》
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