私の名を呼ぶまで【55】
[55]博愛,あなたは美しいが冷淡で,誠実:3
エドゥアルドは鏡の前に立ち、着衣がおかしくはないかの確認ををしヨアキムの後宮へと向かった。彼にしては珍しく、後宮の出入り口から――
『行動がヒースに似ているな。リザとやらがフランシーヌ似なら上手くいくかも知れないが』
主が不在の後宮というのは、些細なことでも大問題になることがある。問題の根本は男の目がないこと。
主が長期不在の場合は、城に残った皇族男子が見て廻り、問題が起こらないように処理をおこなう。
ホロストープとの戦争中、エドゥアルドの後宮はバルトロが、ヨアキムの後宮は折衝を終えて帰ってきたベニートが管理を代行していた。
「リザ」
「エドゥアルドさま」
今回ヨアキムがテオドラに会うため一時、不在となる。その間の管理をエドゥアルドに依頼した。
「こうやってゆっくりと話すのは初めてだな」
「そうですね」
ベニートに任せなかったのは以前伯爵令嬢を誘惑し、結果彼女が死亡した――ことをユスティカ王国側が知り、警戒し、管理を任せないで欲しいとヨアキムに依頼したため。
さすがは王女の身を守るために派遣された元侍女という名の側室たちだと、ヨアキムは感心すると共に、オルテンシアのことについて気付かれないよう注意を払わなくてはと考えた。
それはともかくベニートが除外されると、残るはバルトロかエドゥアルドなのだが、
”ヨアキム、どうしてエドゥアルドを? この場合、バルトロに任せるべきじゃないのか?”
”リザ・ギジェンがいなければな”
”どういうこと?”
”将来エストロク教団の司祭になるであろうバルトロによると、リザ・ギジェンとベニート・ラージュ・ウカルスの魂は同じ性質を持っているそうだ”
”……ばれた?”
”ばれてはいないようだが、下手をするとな”
側室リザの正体がばれないようにするために、エドゥアルドに依頼することにした。
ヨアキムとしては本当は正体がばれたほうが楽な気もしたのだが、バルトロの性格からすると「ベニート=リザ」であると知っても誰にも言えず、悩みすぎて病みそうなので彼を除外した。病みすぎて「人には言えない愛なのだね」と勘違いされたら、間違いなくヨアキム自身が病み、バルトロを殺しかねないという理由もある ―― そんな絶望の如き消去法で選ばれたエドゥアルドは最初断ったものの「後宮にはユスティカのエスメラルダがいる。彼女を守るという名目で五名……ではなく四名の侍女に身をやつした”闇”とか言われるやつらが側室となり守っているが、私はそいつらを信用してはいない。王女の護衛だ、それなりに腕も立つだろうから、ベニートではなくお前に頼むのだ……私とて、リザにお前を近づけるのは不本意だが、エスメラルダの身の安全はそれ以上に大切だ」と言われ引き受けた。
「リザ」
「はい」
「飴細工、ありがとう」
「いいえ、そんな……」
ユスティカ王国側もエドゥアルドがまったくエスメラルダに興味を持っていないのは分かっているので、なにも口を挟んではこなかった。
エドゥアルドはヨアキムの後宮を見て廻り、最後にリザに持てなされる。
そんなことをしなければ良さそうだが、わざわざ時間を取り、彼女たちが危ない目に遭っていないかを確認しにやってきてくれている皇族を、そのまま帰すような真似はできない。
ヨアキムの代わりに側室たちが労るのは当然のこと――バルトロがやってきていたら、誰が対応しても良かったのだろうが、エドゥアルドとなれば全員が「リザ殿が……」としか思わなかった。
―― 翌日
「おはよう、エドゥアルド」
「なにをしに来た、ベニート」
昨日の「リザ・ギジェン」への態度とはまるで違う、不機嫌極まりない表情のエドゥアルドを前にして、ベニートは思わず噴き出した。
「なにを笑っているんだ」
「いや。ひどい顔だなと思って」
世間的にはひどい顔ではなく、怖ろしい顔だが、ベニートにとってはひどい、もしくは面白い顔にしか見えない。
「どうでもいいだろう。用事がないのなら帰れ」
「用事を尋ねようという気持ちはないのか? エドゥアルド」
「ない」
「あ、おはようエリカ。朝のお祈りは終わった?」
とりつく島もないエドゥアルドの脇を抜けてエリカに挨拶をする。
「おはようございます、ベニートさま。朝のお勤めは終わりました」
「エリカ。こいつに挨拶してやる必要はない。それで、私の後宮になんの用事だ?」
「ヨアキムの後宮にどうやって侵入しているかを知りたくて」
エリカは微笑を浮かべたまま二人の側から離れる。
「知ってどうする!」
「一応知っておいた方がいいかなと思って。ここからヨアキムの後宮に忍び込もうなんて思っていないよ。私の後宮からも忍び込めるし」
「貴様は忍び込むな!」
エドゥアルドは結局ベニートに侵入に使用している箇所を教えた。
「分かったら帰れ」
蹴り出されるようにしてベニートはエドゥアルドの後宮をあとにする。
**********
「なにごとだ? 兄上」
エドゥアルドは教会に呼び出された――
ことの発端は虫師の元へと使いに出した部下が手ぶらで帰ってきたこと。部下に理由を尋ねると、バルトロの配下が虫師を見張っており、エドゥアルドの部下である自分が購入しようとした際に声をかけられ、そのままバルトロの元へと連れていかれた。
購入目的を問われた部下だが、そこまでは知らなかったので正直に答える。
命じたのがエドゥアルドであることを聞いたバルトロは、少々困惑の表情を浮かべたものの、すぐに気を取り直し、エドゥアルドに教会まで足を運ぶよう伝えてくれと言われた。
報告を受けたエドゥアルドは急ぎの用事もなかったので、すぐにバルトロの元へと向かう。
「エドゥアルド……虫の購入理由を聞きたいのだが」
「構わんぞ」
深刻な表情のバルトロに少々首を傾げながら、エドゥアルドは最近皇后が蜂で困っていることを教えた。
「それで蜂を追い払うにはどうしたらいいか? クリス……聞いたところ虫師から同種の虫を購入し、紐でつないでおけばいいと言われたかからだ」
話を聞いていたバルトロの表情は硬いまま。
「どうした? 兄上」
「エドゥアルド、その蜂は……」
「私も遭遇したが、かなり大きいものだ」
「切って死んだか?」
「ああ。死んだ……どういう意味だ?」
バルトロはヨアキムのことには触れず、凶暴な虫師の蜂が後宮や修道院などで頻繁に見られること、それらの調査を行っていることを説明した。
「街にいる虫師を調べたのだが、彼らが販売している虫ではないようだ。近々、彼らにつけている監視は外すつもりだが」
「なにか困ったことがあったら言え。だが母上を困らせている蜂をどうする? 私が毎日通って切り殺すわけにもいかないし。蜂を全て殺すわけにもいかな……ん?」
聖堂と通路を隔てている扉を叩き付ける音。
「何ごとだ?」
荒い息を整えもせず扉を開きやってきた伝令が告げたのは――
「ヨアキム皇子が妃を迎えられました」
故国を離れていたヨアキムの、誰も予想していなかった行動。
「えっ……」
先日の会話で、いまだヘルミーナのことを引きずっていたヨアキムの行動に驚くバルトロと、
「なっ! 妃候補だったリザのことを、どう……ヨアキム!」
”リザは妃候補”と言われ、一度引き下がったエドゥアルドの叫び。
二人は教会を飛び出し、城へと戻る。城内も慌ただしく、
「本当だそうだ」
マティアスも驚愕の表情を浮かべたまま、早馬で届いた結婚証明書の写しを二人の前に広げた。
証人はロブドダン王国にいるエストロク教団の神官長の名。彼が証人ということは相手は王女か……とバルトロは妃の欄に目を通したのだが、
「ロブドダンの王女はクローディアではありませんでしか?」
証明書に記載された名前はクローディアではなかった。
「侍女、正式には下女だそうだ。ヨアキムが望んだことだからな……結婚相手については、ベニートに調査を依頼した」
ラージュ皇国にいた誰もが驚き言葉を失ったヨアキムの結婚。
「なぜ……私は……妃……ええ……」
ヨアキム自身、顔色を失い、驚き、言葉をなくしているとは思いもしなかったことだろう。
**********
皇帝に調査を依頼されたベニートは頭を抱えた。
ヨアキムが妃を迎えたとなれば、エドゥアルドがすぐに後宮に乗り込んでくる。だが自分は調査のために国を離れる――
ベニート自身の後宮のことは手紙でバルトロに依頼し、側室リザに関しては”ヨアキムから、一時的に保養地へ連れて行けと言われた”とエドゥアルドに言付けるよう命じ、自身は急ぎロブドダン王国へと発った。
ヨアキムが妃を連れて帰ってきたとき、エドゥアルドは「リザを邪魔にして! 彼女がどこにいるのか教えろ! 迎えにいく」と、完全に行方不明の側室リザを心配し、ヨアキムに詰め寄る。
そこで初めてヨアキムは側室リザが後宮に居ないことと、ベニートがマティアスの命令で国外に出ていることを知るが、側室リザが居る場所など「ない」
一連の騒動の対処方法としては間違っていないことは分かったので、
「教える筋合いはない」
エドゥアルドを突っぱねる。こうして「妃のせいでリザが蔑ろにされた」と、事態は悪い方を向いてしまった。
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