私の名を呼ぶまで【54】
[54]博愛,あなたは美しいが冷淡で,誠実:2
「リザ・ギジェンという名を聞いたときは驚きました。故郷の知り合いかと」
エリカの父が治めている領地の一つ、彼女が住んでいた所の近くの村にリザ・ギジェンという女性がいた。
「側室のリザさまのほうがお美しいです」
エリカは彼女たちと共に勉学に勤しんでいた。
「リザ・ギジェンという名は美しい魂と結びつくようです」
彼女の故郷にいたリザ・ギジェンは「聖なる魂」を持っており、側室リザ・ギジェンは「無垢なる魂」を持っている。
「聖職者は魂を見分けられると聞いたが、お前にもその力が備わっているのか? エリカ」
鍛錬により魂を見分けられるようになる――者もいる。聖職者となった全員が魂を見分けられるわけではなく、聖職者でなくとも見分けられる者もいる。
「バルトロ殿下のようにすぐに見分けられるわけではありません。私は時間をかけてじっくりと……ですが、やはり美しい魂はすぐに分かります」
「そうか、リザは無垢かあ」
エドゥアルドはヨアキムと並んでも見劣りしない顔立ちだが、若干険があり、目つきも鋭いので、普通にしていても「睨まれている」と勘違いされてしまうことが多い。だが側室リザについて話をしていると、その表情が和らぐ。
「はい」
エリカは側室リザと特別仲がよかった訳ではないが”彼女”は目立っていたので、エリカもしっかりと記憶していた。
「私の魂も分かるか?」
「はっきりとは分かりません」
「それでもいい。教えてくれ」
「エドゥアルド殿下の魂は不可侵、何物にも踏み荒らすことのできない高潔なるものとお見受けします」
「エリカ、お前の魂はどうなんだ?」
エドゥアルドは気分よく、話の流れでエリカについて尋ねた。
「私の魂は非常に醜いものです」
聞かれることは分かっていた彼女は気負わず静かに、真実を答えた。
「そうは見えんが」
穏やかな彼女の答えに、エドゥアルドは納得いかないと返す。
「バルトロ殿下に聞いてくだされば」
「そうか……だが魂と性格は関係しないのだな」
「ご存じだったのですか?」
エリカは生まれついて醜い自分の魂が嫌いであったが、性格で補えると知り、自らを律する生き方を選んだ。
「いいや、知らん。だがお前の性格と生き方をみていれば、そう思うのが適当だろう」
「……エドゥアルド殿下は本当に不可侵なお方です。殿下がリザ殿を見初めたのは、当然かと思われます」
**********
『エストロク教団の神官が魂を見分けられる理由と、魂の種類についてと、魂ってなにかって? ……一つ一つ説明するよ』
エリカとの話のあと、部屋へ戻って来たエドゥアルドは、詳しいと思われるクリスチャンに矢継ぎ早に質問をした。
『エストロク教団の神官が魂を見分けられるのは、魂は悪夢師の領域だからさ。夢というのは魂がなければ見ないものだ』
「ローゼンクロイツという男はどんな魂でも見分けられるのか?」
『見分けられる。そしてどんな魂でも、悪夢師を阻むことはできない』
「悪夢師以外で魂を見分けられるのは?」
『色々あるが、代表的なのは鍵師だな』
「鍵開けの達人がか?」
エドゥアルドは国で役職を設けて雇う「鍵師」が、そんな力を持っていることは知らなかった――のだが、それは不勉強ではなく、別のことをさしていた。
『その鍵師ではなく箱鍵師とでもいうか……鍵師というのは二種類あってな、どんな鍵でも開ける鍵師と、当人しか使えない鍵を箱を作る鍵師。前者は解錠鍵師、後者は魂鍵師。この後者の技能が魂に関係してくる。依頼人の魂でのみ鍵が作動するように鍵を作るのさ』
「そんな技があるのか。私は前者の解錠鍵師しか知らなかった」
国で雇うのは前者の解錠鍵師。
魂が関係する鍵を開けることは彼らにはできない。
『普通はそうだろう。後者の鍵は魂に特徴がなければ作れないからな。かといって、皇子のような不可侵な魂に呼応する鍵を作るとなると、余程の達人でもないかぎり無理だろうし』
「どういうことだ?」
『普通の人間は魂に特徴なんてないんだよ。だから鍵師の鍵なんて作ってもらえないのさ。で、皇子に関しては、魂が強情ってか他者の影響を受けない部類だから、鍵にし辛いんだ』
不可侵や高潔は「強情」とも言い換えることができる。
エドゥアルドは通常の性格が柔軟なので、そこまで酷くはない……が、恋愛に関しては魂が全面に出て現状になっている。
「なるほど……なあ、クリスチャン。お前はヨアキムの魂を判断することはできるか?」
エドゥアルドはエリカにヨアキムについて尋ねたのだが、呪いの厚いヴェールが阻み見ることができなかった。
『分かるよ。ヨアキム皇子は冷淡だ』
「支配者としては悪い性質ではないな。性格とうまく絡まったら良い統治者になりそうだ」
支配、統治する者はある程度の冷酷さが必要になってくる。ヨアキムの性格は魂に似て淡泊だが、優しさもあり、上手く両者を持ち合わせていると言える。
『そうだね』
「兄上は?」
クリスチャンは先日遠くから見たバルトロのことを思い出し、正直に告げた。
『特徴なし。普通の魂だ』
「そうか」
―― エドゥアルド皇子が側室のリザは無垢な魂だって喜んでいたが……無垢はそれ単体ならば無害だし、幼いころはそれでいいが……性格が悪戯好きだと、とんでもないことになるぞ。あのベニート公子のような感じだったら……恋する男には、小悪魔的にしか見えんだろうがなあ
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仕事と”偲ぶ会”を終えて夜更けに後宮に戻ると、さきほどまで広間で嗅いでいたものと同じ、爽やかな花の香りがエドゥアルドを出迎えた。
「ヒースか」
出迎えのエリカと、その赤紫色の花が大量に生けられた花瓶。
「はい。皇后さまから頂きました」
「母上からか……ああ、お前の名前の花か」
ヒースの別名はエリカという。
ヒースの場合は男性名とされ、エリカは女性の名前になる。
「ヒース公の命日を偲ぶ会場にも、多数いけられていた」
【ヒース公】というのはフランシーヌ・ラージュの夫ヒースのことである。彼の死後二百年以上経過しているのだが、いまでもこうして彼の死を悼む会が執り行われていた。
「エドゥアルド殿下にお願いがあるのですが」
「なんだ?」
「皇后さまに、ヒースのお返しをしたいのですが」
「なにを贈りたい?」
「百合の花を」
エリカの希望通り百合の花束を用意させ、彼女の代わりにエドゥアルドは皇后シュザンナのもとへと赴いた。
「母上。エリカからヒースのお礼にと」
白百合を受け取った皇后は、息子の訪問を喜び茶の用意をさせる。窓際に飾られ日を浴び眩しい白百合を背にした皇后と、エドゥアルドはしばし会話をし、
「良かったら一緒に散歩でもどう?」
皇后に誘われ”たまには”と、肩を並べゆっくりと後宮内の庭を散策した。
「っ!」
皇后が驚きの声を上げた先にいたのは、大きな蜂。エドゥアルドは剣を抜き、その蜂を切り殺す。
「大きな蜂ですね」
「最近、見かけるようになったの」
「そうですか。気をつけてくださいね、母上」
**********
『それは皇后の名前が百合という意味を持つからだろう』
どうしてエリカが母に百合を贈りたいといったのだろう? と零したエドゥアルドに、クリスチャンは淡々と答えた。
「そうなのか!」
シュザンナは百合のことである。
『そうだよ』
「へえ。そうか、百合かあ。母上といえば紫陽花だから、名に百合という意味があるなど、想像もしなかった」
エドゥアルドは母を表す花と言われれば薄紫色の紫陽花しか思い浮かばない。
庭の一角に植えられた紫陽花に、祈るかのようにして跪く母の後ろ姿。
『君の母上は紫陽花が好きなのか?』
「一株だけだが、いつも手入れをしていた。大切にしていて切り花にすることもない」
エドゥアルドやバルトロを連れて行くことは稀で、二人にもあまり近付かないように言いつけた場所。
父である皇帝も近付かないその場所。そこは母だけの聖なる場所であった――ようにエドゥアルドは感じていた。
『紫陽花といえば、ヨアキム皇子の側室に、紫陽花(オルテンシア)がいたな』
「私の名にも意味はあるのか?」
『富の守護者とかいう意味があったような気がする』
「皇国の富を守ることができるということだな!」
『そうなるね。皇子には似合いの名だと思うよ』
「リザの意味は?」
『神にかけて誓う、だったはずだ』
クリスチャンもそろそろこの流れに慣れてきたので、しっかりと記憶の引き出しから取りだし用意して待っていた。
「なるほど。クリスチャン、お前はどういう意味なんだ?」
『皇子には分からない名だ』
「ん?」
『分かる人にしか分からない名だよ。クリスチャンと聞いて”ああ、クリスチャンね”と答えられる人しか分からない、そういう名だ』
「なるほど。そうだ、話は変わるが、虫を追い払う方法はないか?」
『虫? なに虫だ?』
「蜂だ。どうも最近、母上の紫陽花のあたりに蜂が増えて困っているらしい」
『虫師の蜂を数匹、紐でつなぎ、飼犬のようにし、目的地につないでおくといい。普通の蜂なら近付かなくなる』
「そうか。試してみる……だが、虫師の虫はどうやって後始末したらいいんだ? 調理用に購入するのとは訳が違う」
『普通の虫師の虫程度なら、皇子が切ると死ぬはずだ』
「普通じゃない虫などあるのか?」
『ゼノヴィシャスの蛆。ゼノヴィシャスは虫師ではなく妖蛆師(ようしゅし)と呼ばれる、蛆と蝿のみを操る男だ』
「二種類だけ?」
『世間的には一種類だな。呪解師の能力も持つ、テオドラの父親、ノベラの息子だ。能力は並外れている。彼の蛆は買わないほうがいい。皇子でも殺せはしないよ』
「簡単には買えないだろう?」
エドゥアルドは”ゼノヴィシャス”という奇妙な名前が気になったものの”ノベラの息子”という部分を考慮し、それ以上考えないようにした。
『まあね。金で買うのは無理だろうな』
「ならば心配する必要はないな。ところでその蛆、それほど怖ろしいのか?」
『大きさは普通の蛆となんら変わらない。でもね、食欲が凄いんだ』
「それほどか?」
『ああ。皇子が今生きている大地も丸呑みするくらいだ。一匹で、それも普通の蛆と同じ大きさで』
―― 一匹の蛆が惑星一つを平らげるんだよ
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