私の名を呼ぶまで【33】
[33]私の名を呼ぶまで:第十六話
ラージュの騎士たちは後に言った。
虫師のリュシアンの顔は平凡で特徴がなく覚え辛い。
同じく虫師グレンの顔は本来の顔”らしい”美しい顔立ちがどうしても説明できない。最初捕らえた時の特徴のない顔と同じくらいに説明ができない。
そして呪解師テオドラに関しては、覚えているのだが語るのが怖ろしいで意見が一致した。容姿そのものは普通であったが、語れば死が寄ってきそうな。決してどこか病的なところがあったわけではなく ―― だが生命力に満ちあふれているわけでもなく。
「俺は依頼をこなすとするか」
「お願いします。それで報酬ですが……」
テオドラはエドゥアルドが捨てていった柄を拾いあげ、手の中で鍵を作り出す。
「その檻、この鍵で開きます」
打ち拉がれたリュシアンが入っている檻を指し示すが、その程度の鍵では報酬になるはずもない。
「それだけ?」
「あの檻を開いたら、三回だけこの世に存在する全てを開くことができます。個人の日記帳から天空の門まで」
鍵はどこにでもあるようなもの。クローバーに似た三つの丸がくっついたような持ち手、古銅色。大きさは成人女性の手のひらほどで、先端には二つの突起だけ。
飾りにもならないような有り触れた、シンプルな鍵。
「そんだけ万能な鍵ってことは、しっぺ返しもでかいんだろ? テオドラさんよ」
グレンは万能鍵に飛びつきはしなかった。警戒心を露わにし、言葉を濁さず直球で尋ねた。
「鍵をかけることはできません。開きっぱなしということですね」
「えげつないな」
グレンは笑顔を浮かべて鍵を受け取る。
「あなたほどではありません」
「そうですか。さて、誰か一人俺についてきてくれ」
「なんのために?」
「虫を捜す。地面掘ってる間に、斬りつけられるのは御免だからな」
「……」
「あのな、あの王都を覆っている虫を殺すのには、あれと同じ虫の雌に食わせるのが最短だ。普通の昆虫でもそうだが、交接した雌は交接した相手である雄を食って養分にする」
「分かった。私が付き添おう」
「ヨアキム殿下。そのような……」
リオネルが代わりにと言い出すのを遮る。
「リオネル、ここに天幕を張れ。呪解師テオドラ、私の部下たちの安全を確保してください」
「分かりました」
テオドラもリオネルを制して、二人に”どうぞ”と促す。
二人が離れ、騎士たちが天幕を張る。部外者であるテオドラと、ヨアキムの代理として指揮する立場にあるリオネルだけが手持ち無沙汰の状態。
「呪解師テオドラ殿」
「なんでしょう」
「危険は……」
「ヨアキム皇子の身に危険が及ぶことはありません。正確にはグレンではリュディガーの呪いに手を出すことができません――ですが。グレンはそこら辺は弁えていますので大丈夫です。リュシアンと違って」
テオドラは答えながらも、王都に視線を向けたままであった。
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「それで、何が聞きたいんだ? ヨアキムちゃん」
「……」
「俺から見たら、あんたは子どもだな……そんな顔するなよ、皇子さまって呼ぶからさあ。その、目玉が入ってないほう……で、何を聞きたいんだよ」
「まずお前がしようとしていることを説明しろ」
「はいはい。俺が今捜すのは、王都を覆っている虫の卵だ」
グレンは石を拾い両手で包み込むようにして握り、エストロク教団の祈りに似た呪文を唱え、終わってからしばし無言の時間が続き、ゆっくりと手を開く。
「石がスコップに?」
そこに現れたのは小振りの園芸用スコップ。
「皇子さま、スコップ知ってるんだ」
「ああ。虫師や呪解師というのは、物の形を変えることができるのか?」
「これは錬金術の一つだ。俺は錬金術で”虫”を変化させることができる。テオドラは大陸でも一、二を争う錬金術師でもある……そうだ」
「争う相手がいるのか?」
「実質あの人が頂点に立ってるらしいけどな。あの人が生まれる前は、あの人の祖母リュドミラってのが最高最悪な錬金術師だったそうだが」
「最高最悪とはまた……」
「素晴らしい錬金術の才能と、その才能で生み出してはならないものを次々と作り出した……らしいな。見たことはない」
「なるほど」
グレンは地面を撫で回す。
「奇妙な動きをしているように見えるだろ。俺はいま、土中にある虫の卵を捜してるんだよ」
スコップを突き立てて掘り返し、目線の高さまで持ってきては捨てる。
「これは違うな……こっちも違うな」
ヨアキムはその捨てられた土を注意深く見るものの、どこにも虫の卵らしいものは見つけられなかった。ヨアキムも幼い頃は外で遊び、虫の卵なども直接見たことはある。
「皇子さまには見えないだろうが、ここに虫がいる。ホロストープの大地は虫だらけだ。普通の虫じゃなくて、リュシアンが作った虫な」
「普通のものとは違うのか」
「違うね……おっと、いたいた」
グレンはスコップの黒土の中に親指と人差し指を突っ込み、汚れた指をヨアキムに見せる。
「……」
ヨアキムの目には何も映らなかったが、布で覆っている側の目が「なにか」を感じとった。
「虫の包ってやつで、普通のやつには見えない……皇子さま、その右目は」
布を剥ぎ取り傷跡を露わにして、目蓋を開く。
「うわっ! それ……目閉じてくれ」
閉じ辛い目蓋を指で引っ張り隠し、ラージュ皇族しか知らないはずの血の呪いの原石について何か知っているのか? 尋ねてみた。
「これについて知っているのか?」
「…………」
「どうした?」
「皇子さま、なにか変なもの持ってないか?」
グレンはスコップを地面に投げ捨てて、虫の包を握りしめながら首を傾げる。
「さあな。私にとってはお前が持っているものは、ほとんどが”変”だ。その逆も然りだろう」
ヨアキムは虫師という存在は知っていても、詳しいことは何も知らない。だから彼が言う物がなんなのか、見当もつかなかった。
「それもそうか。ところで皇子さまは俺に何が聞きたくて付いてきたんだ?」
リュシアンの自分語りでヨアキムが聞きたいことに見当はついているが、わざと尋ねる。
「先ずはこの右目からだ。お前は何を知っている?」
―― 自慢気に語って、そこで欺かれてるのかよ! 情けねえなあ! リュシアンさん ――
ヘルミーナやカレヴァについて語っている途中で声が消え、絶望したリュシアンに向けてグレンが放った言葉。
これが意味するもの。そしてヘルミーナの身に起こった出来事について、虫師として知っていることを教えて欲しいという願い。同時にこれ以上聞きたくもないと考える自身。
いまだ迷うヨアキムは、話を逸らす。
「その右目、恐らくだがリュシアンが欲しがっていた物だ。ただしリュシアンは、あんたのそれを勘違いしている」
「曖昧で解り辛い。もっとはっきりと言え」
彫りが深く、くっきりとした造形の顔立ちのグレンだが、表情を浮かべると途端に顔が薄くなる。それというのもグレンのこの顔も虫たちの集合体で、本当の表情ではない。
グレンが指示を出し、それに従い極小の虫たちが動き表情を作りあげている。真の顔ではなく感情のない虫が指示に従い作り出す表情。そのせいで表情に喜怒哀楽もなければ無ですらない、人には奇怪に感じる表情ができあがる。
「分かる範囲ではっきりと言うな。俺はあんたの右目については分からない。それで……一部の『師』の間では、リュディガーは”哲学者の石”を持っていたって言われているんだよ」
「哲学者の石? なんだ、それは」
「錬金術師だけが作り出せる無限の力を持った霊薬……と言われている。俺も本物を見たことはない」
「稀少なものなのか?」
「まあね。錬金術師を本業にしているやつでも、本物を見たことがあるのは僅かだろうさ。で、そのほんの僅かの一人にして、哲学者の石を簡単に作り出せる二人の錬金術師の一人がテオドラだとされている。もう一人は悪名高きリュドミラ」
いままで聞いたこともなかった”哲学者の石”の存在と、自分が持つ血の呪いの原石とどのような関係があるのか? ヨアキムは疑いながらグレンの言葉を聞き漏らさないように注意を払う。
「皇子さまの国って”呪い”で国を維持しているだろう?」
ラージュ皇国に強力な呪いが掛かっていることは国家間では有名。
一般に流布しないのは、それについてみだりに語ると呪われることを、彼らは身をもって知っているためだ。
当初ラージュ皇国はこれほど大きな国ではなく、小国は今の五倍近い数であった。滅んだ国の半分はユスティカ王国に、もう半分はラージュ皇国に併合された。
ある国はラージュ皇国の呪いを面白おかしく語り、話をしていた者と聞いていた者、その縁者が一夜にして絶命し、その日以来疫病のように国内に突然死が広がった。
別の常夏の国は王が口汚く罵った翌日から細氷が降りだし、人々を凍死に追い込んだ。
どちらも呪いであることはすぐに判明したものの、それを解ける呪解師はいなかった。―― 呪術師リュディガーを育てた呪解師テオドラなら解けるでしょ
う。ただしどこにいるのかは分かりません。噂ではラージュ皇国に現れる……と言われていますが、現れる理由はラージュ皇国をより一層繁栄させるためだとか
―― そして呪解師たちは彼らに唯一呪いを収めてもらえる方法を「ラージュ皇国に吸収される」と進言し、従ったことで冷えた国は常夏へと戻った。突然死
に襲われた国は対処が遅く全国民が死に絶え、それを良いことに勝手に住み着こうとした者たちも死に、大陸中の国に請われてラージュ皇国が領土に加え呪いか
ら開放された。
「そうだ」
ラージュ皇国に掛かっている繁栄の呪いは羨望であり恐怖の対象でもある。
かつてラージュ皇帝の娘が他国の妃となったこともあったが、丁重に扱えば平和のままラージュ皇国に併合され、粗雑に扱えば国難が相次ぎ滅びラージュ皇国に併呑された。
その結果とも言うべきか、現在ラージュ皇帝の血を引く娘はどの国にも求められることはなく、皇子たちも婿にと希望されることはない。
「俺は少しだけ呪術をも嗜むから分かるんだが、皇子の国は建国から二百年以上経ってるだろ? 普通の触媒であんな大きな国に呪いをかけ続けるのは不可能
だ。でも呪いは”かかっている”……だから通常では考えられないような触媒を使用していると『師』の間では囁かれている。それでだ、リュディガーの師匠は
テオドラだろ? あの人がリュディガーに哲学者の石をくれてやったんじゃないか? その哲学者の石で呪いを維持しているんじゃないか? って。そう言われ
るくらい”でかい”呪いなんだ」
「この右目に現れた黄色い石のような物は、リュディガーの呪いの根源だ」
「哲学者の石じゃなかったんだな」
「見たこともないのに、言い切れるのか?」
「哲学者の石は”赤い”そうだ。その黄色い塊っぽいものとは違う。なんか似てるんだけどな。皇子は詳しいこと知らないのか?」
「知らんな。これから呪解師テオドラに聞くところだ」
ヨアキムは違和感のある目と傷を隠そうと、懐から布を取り出した。
「そうなんだ。でもその禍々しさ、なんで気づけなか……ちょっと待ってくれ。あんたその布」
グレンは布をつまみ、すぐに手を離して汚れを払うかのように手をふる。
「この布がどうした?」
「あんた、これで……変な物を包んでいなかったか?」
ヨアキムは顔を隠している布を見て思いだした。
「呪解師テオドラが……なる程、お前が言っていた”変な物”とは悪夢師の本のことか」
布はつい先日まで悪夢師の本を包んでいた布。
テオドラとの再会したので本を返し”テオドラが”その布でヨアキムの傷跡と、血の呪いの原石を覆い隠すように頭に巻いた。
「それも半端な悪夢師じゃないだろ」
「ローゼンクロイツと名乗ったが、知っているか?」
「会ったことはないが、厄介な男だ。いま王都にいるしな」
「どこの?」
「皇子がこれから攻め落とすホロストープ王都にだよ」
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