私の名を呼ぶまで【34】
[34]私の名を呼ぶまで:第十七話
悪夢師が王都にいる――
ヨアキムはそれ以上悪夢師については聞かなかった。他に聞きたいことがあるので、後回しにした。
「虫の包とはなんだ?」
哲学者の石についての話を切り上げ、王都を落とすために必要な物について、聞き出せるだけ聞く。
「虫師ってのは依頼されたら依頼にあった虫を提供するもんだ。普通の虫は卵から孵って幼虫になって……と時間が必要だが、虫師は卵から成虫まで一瞬で用意する。その為に虫の卵に特殊な細工を施している。俺たちの使う卵は、孵った瞬間に成虫にすることもできるってわけさ」
手のひらにのせている虫の包――という、はっきりと見えない卵。
「虫師は体内に虫を飼っていると聞いたが?」
「それか。確かに虫は飼ってるけど、こんな下らないことに自分の虫を使うのはもったいない」
「もったいない?」
「雌は手に入らないんだよ。師匠から雌の卵をもらえたら修行完了、虫師として一人前ってくらいだ。その卵を上手く孵化させて雌を増やして、奪われないように体で飼って、雌虫に従う雄虫たちを使って自分を守らせるってわけだ」
「……」
「虫師の虫が勝手に増えないのは、単に雌がいないからだよ。この地面にみっしりと埋まっている虫の包も全部雄虫だ」
「そんなに稀少なものなのか」
「まあね。虫師にとって雌虫を何匹体内に飼っているかで、評価されるくらいだ。人が見てもわからないだろうが、虫師同士なら相手を見てどのくらい雌虫を飼っているかは分かる」
「なるほど……ではなぜ今地中から虫の包を掘り出した? 雌でなければ意味がないのだろう?」
「虫師の俺が錬金術を覚えた理由は、錬金術に性別変更なる術があると知ったからだ。悪名高きリュドミラが作った術でさ、雄を雌に、雌を雄に変えることができるんだ」
「虫の性別を変化させるのか?」
「そういうこと。テオドラは人間専門だろうからな。もちろん、あれだけ完璧に理解してるなら、虫の性別くらい簡単に変化させるだろうけどさ」
グレンがテオドラのことを知っているのは、性別変化に関する錬金術の解説書をテオドラが書いていたことが大きい。
リュドミラが残した設計図だけでは、錬金術を学び始めたばかりのグレンにはとても理解できなかったが、テオドラが分解し説明書きをつけた設計図は、初心者のグレンにも容易に理解できた。
「人間の性別を変えられるのか?」
ヨアキムの声に含まれる警鐘。それはグレンも分かりやすく書かれている本を読み感じはしたが『隠して少数の人しか知らなければ、稀少な術と思われること
でしょう。逆に多数の人が知っていれば、陳腐な術であると、また何か起こった時に対処できる人も大勢現れることでしょう。希少価値を奪うこと、それがこの
術を無効化する最大の術なのです』そう最後をまとめていたのを読み、意図を理解した。
「リュドミラが作った術は人間用だ。それを基にして俺が虫用にアレンジしたのさ。今掘り当てた卵、一匹を雌にしてあとはもう一匹と交接させて放てば、明日の昼には王都を覆っている雄虫どもは雌虫の腹の中を通り過ぎて卵の中だ」
「雌の餌が雄なのは分かったが、雄の餌は?」
「同種の雌以外の全ての生物。人間も他種の雌も含む。雄が食わないのは自分と同じ種族の雌だけだ」
雄虫に覆われた王都。そこにまだ存在する王。
「ホロストープ王族は王都を覆っている虫を体内に飼っている……と解釈して間違いないか?」
「冴えてるね、皇子さま。仰るとおり、リュシアンが虫を植え付けたヤツがホロストープ王位を継いでいる」
「なぜリュシアンはホロストープ王国にこだわる?」
「これもさっきの哲学者の石に関係してくるんだが……哲学者の石ってのは硫黄や水銀から作れるんじゃないか? と言われている。理由は哲学者の石の匂いが
硫黄臭に似ていることと、水銀のような常温でも液体らしいってことからだ。水銀の産地は石で有名なユスティカ王国が押さえたから、硫黄で我慢したって所だ
ろう」
大陸にある国のほとんどは『師』が建国に深く関わっている。
「パンゲアは水銀から哲学者の石を作ることに成功したのか?」
ユスティカ王国に立国に関係している錬金術師パンゲア。”石の”錬金術師と言われた人物で、王国の西側にある良質な建築資材が算出される石場は、パンゲアが屑石を大理石に変化させたと伝えられている。
どの国もそうだが、他国には師の存在と、彼らが関わった僅かにしか伝わっておらず、詳しいことはその国の支配者のみが知るようにされている。漏れ聞こえるだけの逸話は神秘的な韻を持ち――
その結果が勘違いによるカレヴァの一族の死につながった。
「そこは分からないがユスティカの聖地には哲学者の石があると噂はされている。とにかくリュシアンは哲学者の石の原材料の一つと言われる硫黄を手に入れる
ために、ホロストープ王国に関わったってところだ。でも結局作れなくて、奪うことにしたらしい。ユスティカを狙わなかったのは、戦争を仕掛けても哲学者の
石が攻めてくることはないからだろう。聖地まで攻めるにはホロストープは弱すぎる。その点ラージュ皇国は皇族男子が持っているから、攻めてくる可能性が高
いと考えたんだろ」
「そうか……最後に聞きたいのだが、リュシアンの”俺は終わった”とは、なんのことだ?」
檻に入れられていたリュシアンの生気が一瞬にして失われた言葉の一時的喪失と、その後の絶望。
ヘルミーナの死に関わった虫師が世界を諦めた理由とは何なのか?
「あれねえ。皇子さまは賢そうだから説明するが」
「それほど賢くもないが……なんのつもりだ?」
グレンはヨアキムの首に手を回して、虫で作られている顔を近づけてきた。
「俺が皇子さまのことを愛していると言ったら?」
「殺す」
柄に手をかけて、胴体を切り裂こうとしているヨアキムから離れて、
「ありがとう。それは正しい反応だが、皇子さまは俺が本気で好きだと思う?」
下らないとヨアキムが感じる話を続ける。
「思わない」
「その根拠は」
「ない」
「根拠がない根拠は?」
「……他人の感情など分からん」
誰もが知っていることを吐き捨てると、その言葉を待っていたとばかりにグレンが頷く。
「そういうこと。俺が自分で真実の檻を作って中に入って皇子さまに向かって”愛している”と言ったら、その声は消える」
「だろうな」
「でもそれって、俺が俺のことを知っているから、俺が作った檻が嘘だと判断し、俺の言葉を消すんだ。それでリュシアンだ。あいつは他人が作った真実の檻の
なかで、自分にとっては本当のことを語っているつもりで声が消えた。あいつは自分が信じていたものが嘘だと知った。じゃあ、あいつが信じていたものが嘘で
あると判断したのは”誰”だ?」
真実の檻は自ら作り入り、他者に誓いを立てるくらいしか使い道はないとされているが、ある人物だけは「裁く」ことが可能だとされている。
「呪解師テオドラ?」
神々の寵児と呼ばれるテオドラ。
「テオドラはリュシアンの行動を逐一見張っていたわけじゃないから、分からないはずだろう? でも嘘だと判断され、リュシアンは意義を唱えもしなかった。どうしてだと思う?」
「呪解師テオドラが作った真実の檻は、審判者が別にいる。その審判者は……神と呼ばれる存在か」
神々は彼女を通して人々に真実を伝える。
「正解。あの人は正否の判断は下さないで有名だ。人間的な良いこと、悪いことに興味がないらしい。呪解師だから感情は分かるが、それに飲み込まれることも
ないそうだ。そんな理由で普通の人間が真実の檻なんて作ったところでまともに作動せず、テオドラが作った檻で声が消えたら、それは確実に嘘であると。分
かってもらえた?」
「分かった。”理の玉座”と似て非なるもの……といった感じだな」
「そんなもんだろう。いずれ皇子さまが座る椅子」
「ふん……」
「それで。あと聞きたいことはないのか?」
グレンはリュシアンが語っていた『ヘルミーナ』について詳しく聞きたいから、ここまで付いてきて、さまざまな質問をしたのだろうと考え、実際ヨアキムはそのつもりでここまで来て話しかけていたのだが、最後の最後で聞くのを止めた。
「もういい……」
聞いても、もうどうすることもできない、そう諦めたい気持ち食い荒らす復讐心。元凶のリュシアンや、それに踊らされたホロストープ王など、手近にある復讐対象の向こう側に隠れてしまったヘルミーナの笑顔。
「そうか。じゃあ戻ろうか」
Copyright © Iori Rikudou《Tuki Kenzaki》 All rights reserved.