私の名を呼ぶまで【32】
私の名を呼ぶまで:第十五話
連れて来られた男も、リュシアンと似たようなものであった。
「進軍中の街で捕らえた者だ」
「……」
特徴のない顔立ち、特徴のない体付き。周囲に簡単に埋没できそうな薄汚れた男。
「どうした? 先程までは、無害な浮浪者だと言い張っていたではないか」
逆にそれがエドゥアルドの注意を引いた。
ここまで無個性な人間をエドゥアルドは見たことがない。どれ程個性がなかろうが、どこかに特徴はある。だが彼には特徴がなかった。まさに特徴がないことが特徴。
それは完全に自分の意志で消しているもの――埋没するために特徴を消す理由は、人目を避けるため。このホロストープ王国の現状と、完璧なまでに特徴を消した男。二つを並べてエドゥアルドは有無を言わせず彼を拘束した。
「エドゥアルド皇子。これで王城を落とすことができます。捜す作業を省いて下さり、感謝します」
「貴方の役に立ててよかった、テオドラ殿」
「テオドラ?」
紐で縛られ自由を失っていた男は、その名を聞き返す。
「はい、テオドラです。呪解師の」
「……やれやれ」
男は何時の間にか立ち上がる。彼を拘束していた紐は切れもせずに地上に落ちていた。
「虫師のグレンだ」
特徴がなかった男は名乗り笑い、浮かべた笑みを戻したとき、先程までの特徴のない顔から、美しい顔立ちへと変貌を遂げた。
顔ははっきりと変わったのだが、どう変わったのかははっきりと表現できない。
エドゥアルドが柄に手をかけて構える。
「やたらと敵意を持たれているようだが、俺は関係ないぞ。ホロストープの古くさい虫たちは、その檻に入れられている時代遅れな虫師リュシアンの物だ」
閉じ込められているリュシアンが膝を折った高さまでしかない檻の中で暴れる、グレンは舌を出して無用に挑発する。
「言い争うのは後にしていただきましょう」
「分かったよ。それで呪解師テオドラさんよ、俺に何をしろって言うんだ?」
「王都を覆っている虫を排除してください」
「分かった」
虫師のグレンは駆け引きせずに、テオドラの頼みを聞き入れた。
「排除が完了したら、全軍で攻め込んでも平気なのか?」
「いいえ。そんなに数は必要ありません。ヨアキム皇子と率いて来た騎士たちで充分足りることでしょう」
「私では駄目なのか?」
「ヨアキム皇子のほうがよろしいかと。ちょっと皇子のお二方、こちらへ」
テオドラは二人を連れて場を移動し、ヨアキムの右目を覆っている布を外させて右目があった部分を指し示す。
眼球が失われ空洞になっているはずの眼窩に、黄色い宝石のようなものが埋め込まれていた。
「これは……血の呪いか」
「はい。あちらに戻って説明しますが、リュシアンの狙いは”これ”だった筈です。ですのでホロストープ王国の呪いは全てヨアキム皇子に向かいます。それを考慮して呪いを拡散するよりは一点に集中させたほうが、ラージュ側の被害は少なくて済みます」
ヨアキムな布を巻き直し、血の呪いが現れた右目を隠して、エドゥアルドは部下たちの元へと戻り、自分は掃討戦に向かうと告げた。
「王都を落とすのはヨアキムに任せる」
「エドゥアルド殿下」
国境を越えて戦ってきたのはエドゥアルドと彼が率いてきた本隊。
だが最後でもっとも華々しい王都陥落の任をヨアキムに譲ると聞き、従った兵士たちは不服であった。
自分の武功ではなくエドゥアルドの武功が失われることに。
エドゥアルドは兵士たちに人気のある指揮官であった。あまり政治的なことに囚われず、歯切れもよく、作戦を遂行するために戦う。単純といえばそれまでだが、しがらみを持ち出し無駄に兵士を殺すような作戦をたてる男ではないので、その点彼は人気があった。
「私は戦功が欲しいのではない。ラージュ皇国の安定のために戦っているのだ。王都を落とすのは私であろうが、ヨアキムであろうが構わん。それに……テオドラ殿、よろしくお願いいたします」
彼の姿勢は故国に対する忠誠心に基づいているので、故国に有益であると判断すれば、功績を他者に譲ることも厭いはしない。
「頭を下げなくて結構です、エドゥアルド皇子。それではリュシアンについて説明しましょう。それとも自分で現状を説明しますか? リュシアン」
テオドラに促されたリュシアンは自分の口を触りだす。
「ああ、もう声は出せますよ」
「大人しいと思ったら、貴方が声を封じていたのか呪解師テオドラ」
「はい」
「お……おお!」
”なんだ”
カレヴァと対面していた剥き出しの山の斜面で、ヨアキムたちが聞いた声であった。
有り触れた顔の男は声もまた同じであったが、語る内容は容姿とはかけ離れていた。発熱した狂人の譫言のような言葉を紡ぎ、人を馬鹿にしたような随所に見られた。
「抱いた女から虫が湧き出したときはどうだった? ヨアキム」
ヨアキムは無表情で動きはしなかったが、
「貴様!」
激高したエドゥアルドが檻ごとリュシアンを斬ろうと剣を振り下ろす。
剣は固い音を立てて砕け散っただけで、檻には傷一つつかなかった。
「エドゥアルド。その檻は呪解師テオドラが作った檻だ。いくらお前でも破壊はできん」
彼はヘルミーナに対し女性の魅力を感じたことはなかったが、剣士としての彼女のことは尊敬していた。
「それは……申し訳ありません、テオドラ殿。あなたの作った檻とは知らず」
ヨアキムが動かなかったのは、どんな態度を取っていいのか? 分からなかったため。リュシアンが語っている言葉は、ヨアキムを傷つけることはなかったが、爪の先まで冷えていった。
リュシアンが欲していたのは「血の呪いの原石」
それを手に入れるために、ホロストープ王国を根城にし、カレヴァたちのクニヒティラ一族を使うことにした。
カレヴァの父に虫を仕込み、ゆっくりと内部から揺さぶりをかけていったのだと――
「あの一族は−−−−−−−」
自慢気に語っていたリュシアンの言葉が突然途切れ、焦る彼を指さしてもう一人の虫師グレンが笑いだした。
「自慢気に語って、そこで欺かれてるのかよ! 情けねえなあ! リュシアンさん」
歯軋りをしながらリュシアンはテオドラを見るが、その視線を完全に無視して王都を眺める。
「終わりですか? リュシアン」
リュシアンは何度か口を動かすが、どうも声が出ないように―― ヨアキムには見えた。
しばらく口を動かしたリュシアンは肩を落とし、
「俺は終わった」
頭を抱えて世界に背を向けるようにして体を丸めた。
「そうですか。中途半端な説明ですね」
「ひでえ、テオドラさん」
「そうですか? ところでエドゥアルド皇子、さきほど壊れた剣の代わりを、私が用意しましょう」
呆気に取られている彼らを無視し、テオドラはエドゥアルドに申し出る。
「剣の控えは幾らでもありますが」
「その剣をこの戦い限定で、最強の剣に致しましょう。いま着ている鎧も」
「全ての攻撃を防ぐ鎧と全てを切り裂く剣、ということですか? テオドラ殿」
最強の武器と防具が同時に存在することはあり得ない。
「エドゥアルド皇子が思われた通り、両者が同時に存在することはありえませんが、ある条件で作ることができます。剣をお願いします」
「持ってこい」
「はい」
エドゥアルドは装飾のない”ふるう”ためだけの剣をテオドラに差し出す。
「いい剣ですね。鎧は……このまま使いますか?」
「ああ」
「ではエドゥアルド皇子、大切なものを二つ挙げて下さい」
「大切なもの?」
「そうですね。たとえばラージュ皇国に対する忠誠心だとか、好きな相手だとか」
「それをどうするのだ?」
「エドゥアルド皇子の思いの強さで防具や武器を強化します。どんな者にも負けぬと自負できるものを……」
「皇帝陛下への忠誠と、リザへの愛。この二つは誰にも負けん!」
「畏まりました。では陛下への忠誠で防具を、リザ殿への愛を剣に。よろしいでしょうか?」
「ああ」
「リザ殿につながるものはありませんか?」
「つながるもの?」
「貰ったものなどを触れさせてもらえれば。マティアス陛下はヨアキム皇子やエドゥアルド皇子から推測できるのですが、そのリザ殿という方は見当がつかないので」
エドゥアルドは胸元から小袋を取り出し、油紙に包んで肌身離さず持ち歩いていた、側室リザが「ブレンダの非礼を詫びるために刺繍を施した」ハンカチを手渡した。
「リザから貰ったハンカチだ」
「ありがとうございます。すぐにお返ししますの……」
テオドラは受け取ったハンカチをそっと握り、剣に「呪術」を施そうとしたのだが掛からない。エドゥアルドがハンカチの持ち主を慕っているのは確実なのだが、その先を薄い”もや”が阻む。
「どうした?」
”呪い”は本当の名である必要があった。
「リザ殿の本名をお教え願いたいのですが」
「呪解師テオドラ、こっちへ」
エドゥアルドがなにかを言おうとしたがヨアキムが制し、テオドラの腕を引いて少し離れた場所へと連れて行き、周囲に気づかれないよう声を潜めて耳打ちをする。
「リザが本名ではないと気付くとは、さすがだな。リザとは女装したベニートのことだ」
「ベニート・ラージュ・ウカルス……でしたか?」
「そうだ。内密にして欲しい」
「かしこまりました」
テオドラは表情を変えることなく、エドゥアルドの元へと引き返し、続きを行う。
「本名を聞いて参りました。それでは……」
テオドラは内心で[エドゥアルド・ラージュ・エサイアスがベニート・ラージュ・ウカルスに対する愛を剣に宿し……]名を呟きながら呪いをかけた。
手渡された剣をエドゥアルドが握ると、飾り気のなかった剣身が輝き出した。
「この輝き!」
陽光とも月光とも違う。この世界のどんな光りにも属さず、だが神聖を本能に感じさせる輝き。
「エドゥアルド皇子の忠誠心が尽きぬ限り防具は壊れず、愛が尽きぬ限り剣は壊れません」
「私はいま、最強の力を手に入れたということだな!」
はっきりと言いきるエドゥアルドに、テオドラが同調する。
「はい、そうなります。あとエドゥアルド皇子の忠誠心と愛は無限に近いようで、溢れ出しています。近くにいる護衛の皆さんの武器や防具も少しは性能が上がっているはずです。本当でしたら皆さんに忠誠心で性能を高めて差し上げたいのですが、ラージュ皇族でもない限り、このような特殊な装備をまとって戦うことはできませんので、ご了承ください」
エドゥアルドは部下たちを引き連れて、兵士掃討と非戦闘民の保護へと向かった。
「ヨアキム皇子」
立ち去ったエドゥアルドを見送ったテオドラの表情は、とても楽しそうであった。短い付き合いのヨアキムだが、彼女がこんな表情をしたのは初めてだ……そう思うと同時に、とてもいたたまれなくなった。
「あまり深く聞かないでくれ」
「分かりました」
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