君雪 −8
 エバカインよりも先に帝星に戻っていたサベルス男爵が出迎えた。
「皇帝陛下のご予定は動かせないから、挨拶は部屋に戻ってからってことで……いいか?」
 宮殿を個人の感情で停滞させていたデバランの死により、宮殿はやっとサフォント帝の時代に入った。長い停滞から急速に動き出した為に、あちらこちらで問題が噴出し、皇帝はその解決や調停に全精力を傾けていた。
「平気」
 何時もよりは固いが、無理をしている様子がほとんど見られないエバカインに、
「思ったよりも元気そうで良かった。やっぱり母君のところにいたのが良かったんだろうな」
 サベルスは背中を叩いて二人で皇君宮へと戻り、皇帝が来るまでサベルス男爵が集めた「表面上の」宮殿での出来事をエバカインに伝え、軽く食事をして去っていった。
 宵にエバカインの元を訪れた皇帝に、エバカインは何時にない長い帰還報告をしたあと、
「陛下! あの……」
 宮殿に戻ってくるまでの間に、どのように話し掛けようかと考え、それをまとめていたエバカインだが、いざ皇帝本人を目の前にすると考えてきた言葉が全く役に立たないような気がして、何も紡げなくなった。
 その弟に皇帝は、
「よく戻ってきたな、エバカイン」
 出発する以前と同じように声をかける。
 全く変わらない態度と雰囲気に一瞬、ゼンガルセン王が言ったことは嘘だったのではないかとエバカインは思い顔を上げてその瞳を覗き込んだ。
「は……はい……あのっ!」
「カウタはどうしておった?」
「元気でいらっしゃいました……」
「ならば良い。クレニハルテミアも折れた、クロトハウセは会戦後エヴェドリットに立ち寄りカウタを拾って戻ってくる。また遊んでやれ」
「……はい……はい」
 真実を語ってくれぬのなら、黙って知らないままでいれば良いのではないだろうか? エバカインはそんな誘惑にかられもしたが、それらのことを押し込め皇帝に尋ねる。
 それに返って来た答えは、やはり何時もと変わらない皇帝であり、兄であった。
「否定はせぬ、そして一家臣に皇帝たる余は弁明などせぬ。だが弟にならば語ろうか、死した子を可愛かったなどと語るつもりなど無いと。全宇宙に向けて告げよう、親王大公は死んだ。ただそれだけだ」
「は……い……」
 宇宙にただ独り皇帝として存在する男の前に、エバカインは一家臣として頭を下げた。

***********

 会戦を終えてシャタイアスと共にエヴェドリット王城を訪ねたクロトハウセは、不安を隠しながら約一年ぶりに見えるカウタマロリオオレトに声をかけた。自分を覚えていてくれるかどうか? 
「カウタ……」
「ラス! ラス! エバちゃんのママ、この人がねラスっていうの。ほら、ラスご挨拶しないといけませんよ」
 その不安が杞憂というよりは、無駄だったことを痛感する。
 ちょっと自慢げにクロトハウセの後頭部に手をあてて押そうとするカウタマロリオオレトに、
「お前なんかに言われたくないわ! 挨拶が遅れました、クロトハウセ親王大公です」
 手を払いのけながら、お世話になった王妃アレステレーゼに挨拶をする。
「エヴェドリットの王妃にございます。大君主殿下に仕える機会をくださり、ありがとうございました」
 クロトハウセにとって自分の母親である皇后は、頭皮が痛くなるまで髪をすいていた記憶しかないが、エバカインの母には色々と思い出がある。エバカイン盗撮の際に映り込んでしまっているという、かなり一方的なものだが。
 それらを隠して親王大公と王妃は会話をしていたのだが、脇にいた大君主がそれをぶち壊した。
「おみやげーエバちゃんのママと一緒に作ったラスへのプレゼント!」
 自慢げにクロトハウセの前に差し出された “毛糸”
「…………これ? なんだ」
「てーぶくろー」
 その一言を聞き、クロトハウセは膝を屈した。
 彼の目の前にあるのは、手袋として考えるならばミトン。
 親指とその他の指を収める手袋の小指辺りに何故か “木の枝” でも収めるかのような細長いスペースがついていた。変な形でどれ程指が長かろうが必要ないほどに長い長いそれは、編目が抜けてボロボロの翠色の手袋を寄り一層おぞましくしていた。
 渡された “大君主曰く自作の手袋” の端をつまみ、裏表を見る表情は険しい。
 好きな相手が作ってくれたものなら、何でも素敵に見えてしまう能力を持っているクロトハウセをしても、この手袋は変としか言い様がなかった。
 あまりに複雑な顔をしているクロトハウセを前に、アレステレーゼも困ってしまい、
「殿下が今まで作られた中で最も上手に出来たのを選んだつもりだったのですが。私の選び間違いかもしれませんので」
 そう言って、カウタマロリオオレトの練習作などを全て収めていた箱を持ってこさせ、お好きなのをお選び下さいと蓋を開けさせた。その箱の中にあった “編まれたもの” を前にクロトハウセは見なかったことにして蓋を閉じ、王妃が選んでくれた手袋を胸元にしまい込み、
「王妃、誠におぞましいものが作成される様を間近で見て心安らかではなかったでしょうこと、このクロトハウセ慙愧の念に耐えません……ではなくて、申し訳ございません! エバ兄上様の母君にこの失態……エヴェドリットに行けと命じたのは私なので、すべての責任は私にありますし、こんな事は二度とないようにいたしますので、本当に申し訳ございませんでした!」
 土下座をして謝った。
 箱の中にあったカウタマロリオオレトの編んだものは、人目に触れさせるのを憚る何かがあった。
 クロトハウセをもってしても、処分してくださいとしか言いようの無い物の数々。
 都合が悪いとクロトハウセはカウタマロリオオレトを抱きかかえ、急いで戦艦に乗り込む。
「また遊びに来たいな」
「来るな! じゃなくてお邪魔するな!」
 そんな言葉も我関せずで、大君主は手を振り、
「バイバイ、エバちゃんのママ! そして王女も! またね!」
 王妃も、
「娘と私に帽子を作ってくださり、ありがとうございました」
 笑顔で見送った。
 ゼンガルセンの娘と王妃に帽子を編んで贈ったらしいことを船上で聞いたクロトハウセは、カウタマロリオオレトを抱きかかえたまま硬直し、そのまま出発してしまった。
 後に宮殿でゼンガルセンから『王妃と王女が被っている毛糸の帽子』についてクロトハウセは怒鳴られたが、それだけは素直に謝罪した “被せないでください、そして被らないでくださいエバ兄上様のお母様” と思わなくもなかったが。

 

結局あの馬鹿は二度とエヴェドリットに来ることなく死んだ



 ベッドの上で身を起こしながらレースを編んでいるアレステレーゼの傍にゆき、アレステレーゼに背を向けるようにベッドに腰をかけて声をかける。
「アレステレーゼ」
「何ですか? ゼンガルセン」
 編む音が途切れた、肩越しにみるとその手を止めて此方を見つめていた。
 しばらくの空白の後、我は告げる。
「遠い過去の話だが、カウタマロリオオレトがおかしくなった原因は、クロトロリアから十回以上に渡り強姦されたせいだ」
 元々頭が脆弱だったから、強姦されなくても同じようにおかしなったかも知れないが、されなければもう少しまともであったかもしれない。思ったところでどうしようもないのが現実なのだが。
「…………」
「あの男は生前それに関して決してお前に告げるなと言ってな……だが、死んでしまったからいいだろう。あの男は壊れていたが、それなりにお前に対して思うところがったらしい。それはどのような物なのか我には解らぬがな」
 それが他人を思い遣る心だったのかも知れぬし、自らに科した罪だったのかも知れぬが我には解らん。永遠に理解することはない、我にそんな時間はない。
「私にも解りませんよ……」
 それ以上、何も言わなかった。
 アレステレーゼはその時編んでいた二対のコースターを完成させて天寿を全うした、我はその時五十三歳。
「こんなものどうするつもりだったのだ? アレステレーゼよ」
 アレステレーゼが死んだ日、それは五十四歳で死ぬのが決まった日でもある。


− 死したるお前を何ぞ我は思うのか・終 −


novels' index next back home
Copyright © Teduka Romeo. All rights reserved.