君雪 −9
 私は誰が死のうが悲しまない自信があった。
 自信というのはおかしいな……悲しめないのではないかと思っていたし、今までそれ程悲しいと思ったことはなかった。他者が悲しんでいる姿を見て、胸が軽微に痛むことはあっても自分が落ち込むほどに悲しいと思うことはなかった。

 血に濡れた母を見下ろしながら悲しさという《もの》がどこかに消えていったと感じていたのだが、あの日本当に悲しいという感情を捨ててしまえれば、

「オーランドリス伯爵閣下。皇婿ザデュイアル殿下の戦死が確定いたしました」
 悲しまなくて良かった。
「そうか。ではその穴に投入する騎士は……」

 この喪失感。胸に穴が開いたのではなく、自分から最も良く見える手に穴が空いたかのような気分だ。胸の穴ならば見ないふりもできるが、手の穴は中々に難しい。手袋をしていようがいまいが……。
「カウタが作った手袋は穴が開いているが穴が隠れてしまうような気がする……元気か? カウタ……クロトハウセと喧嘩していないか……」

− ゆきしこえ −


 クロトハウセは些細なことでカウタを怒鳴りつける。
「何でお前は私の名前をいえないのだ!」
「ラスはラス〜」
 言うことができないのを知っていながら苛立ちを隠さない。
 陛下にそれとなく『クロトハウセの態度はあれでよろしいのでしょうか?』と尋ねてみたが、陛下は『あれでよい』と仰られた。
 カウタが本当は何を考えているのか? それを知ることが出来るたった一人の陛下が良いと言われれば私が口を挟む問題ではない……無かった。
「カウタが行方不明だと?」
 カウタが何をしようとしたのかは解らんが、行方不明になったことだけは確かだった。
「探査システムに映らんのか? クロトハウセ」
「映っていたら貴様なんぞ呼ばん! オーランドリス!」
 もっともだ。
 カウタが迷い込んだ場所は、宮殿の監視システム不可の場所のようだ。地表であれば目視で確認可能だが、間違って地下通路に迷い込んでいたら早目に発見しなければ罠にひっかかって死んでしまう可能性もある。
 罠の種類や道順、地上に出る手段など……覚えているか覚えていないかは解らないが、カウタが行動に移せないと考えてこちらも行動を取るべきだろう。
「クロトハウセ! 大君主殿下が行方不明だって!」
「ロガ兄上」
 第三皇子まで借り出され、本人は率先して来たようだがカウタの捜索が開始された。駆け出していった第三皇子の後姿を見送った後、私も捜索に出る。
 心当たりなどないのだが、カウタがおかしくなる前に私に説明してくれた場所を重点的に探してみよう。……昔、宮殿のことなど誰も教えてくれなかった頃、カウタだけは教えてくれたな。間違いだらけではあったが。
 アウセミアセンのように意地悪く嘘を教えるのではなく、本心から間違っているカウタ。子供の頃はどちらも厄介だった。
 陛下のようにすぐアウセミアセンの嘘やカウタの間違いを見抜ける才能のない私には、あの二人と会話するのは苦痛だったのだが。
「いなくなったカウタ……か」
 呟いた瞬間に胃液がこみ上げてきた。
『いなくなったカウタ』を探した結末は皇帝クロトロリアの暴露。

― お前もこうやって生まれてきたんだぞ、ゾフィアーネ。狂人だった皇女を兵士に押さえつけさせて、タナサイドが自慢げに語っていた

 聞きたくは無かった、語ってくれと頼んだわけではない。
 人形のような生気のない瞳に青ざめた肌、それを嬲る皇帝が語る《私 の 製 作 工 程》
 それは目の前で起きている事実。愛されていないことだって知っていた、知らないふりをしていただけなのも。陛下が当時のカウタの母と陛下の母を連れていらしたのを確認して、私は膝が笑い出し崩れ落ちた。
 何をして良いのかさっぱり解らなかった。
 目の前で先ほどまで傍若無人に振舞っていたクロトロリアの表情の変化と恐慌ぶり。
 そのクロトロリアはケシュマリスタ王の手によって連れ出され、皇后は半狂乱になりカウタに飛びかかろうとして陛下が止められた。
 皇后は瞬間的に夫が強姦していた相手に怒りを向けたという。
“被害者などということではなく、感情として夫に抱かれている相手が許せなかったのだ”
 そこまで人を愛したことが無いから解らない。
 
 前の妻が浮気していると聞いても怒りなど沸いてこなかった、浮気相手を見ても何も感じることはなかった。前妻の浮気相手は妙に私を怖がるらしく、どの男とも長続きはしなかったようだが、浮気にはそれが丁度良いと前妻は言っていると聞いたことがある。
 それを聞かされても何も思いはしなかったが。
 絶対的な感情が欠落しているのか、感情が全て戦いに向いているのか判断がつかないまま……
「第三皇子。そちらは?」
「オーランドリス伯爵閣下。行方不明になった時間から割り出した行動範囲に間違いがあったのでしょうか?」
 首を振って答える。
 短い髪と帽子を被った、琥珀色の瞳をした皇帝陛下に『副帝の座をも与えてやろう』と言われたこともある皇子は、いつまで経っても変わらない、私に閣下などつけなくても良いものを。
 前妻と同じ地位にあるのに態度は全く変わらず。
 前妻は勝手に第三皇子を敵視しているが、敵にもなっていないことに気付いていないようだ。もしかしたら気付いているかもしれないが、認めるわけにはいかないのだろう。
 王女が妾妃の息子如きに負けるのは、あの女の性格からして許容できるはずがない。
 それを認めたらあの女は狂ってしまう、だがそれが現実だ。現実である以上、いつかあの女も狂うかもしれない。

だが……

 絶対に狂うなよ、クラサンジェルハイジ。父も祖母も狂人でお前まで狂ったら、ザデュイアルは自分も狂うと恐怖する。その恐怖が狂気を呼ぶ。
 ザデュイアルのことを息子と認めなくても良いから、狂うな。お前がザデュイアルにできる唯一つのことだ、クラサンジェルハイジ。

 私には出来ないこと

「少々時間が過ぎましたので、私もう少し捜索範囲を広げます。第三皇子は同じ箇所を念入りに探してください」
「解りました」
 言うと同時に第三皇子は駆け出していった。
 私にはあの感情も欠落している……不安や心配。
「ゼンガルセンしか心配したことがないからな。あいつは私が心配せずとも、滅多なことではない男だからな」
 カウタ、早く見つかってくれ。
 私は居なくなった人を探すことが苦手で仕方ない。居なくなった人を探すという意味が解らないのでなあ。
「カウタ……どこに隠れている、カウタ」


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