君雪 −21
「ラス〜ゆき降ったよ」
 ケープ付の白いコートを着て嬉しそうに近寄ってきたカウタ。
「散歩に行きたいのか」
「うん、ラスと一緒に」
 外套を羽織り、手を繋いで外に出る。
「ゆき〜」
手をはなすと、嬉しそうに足を引きずりながら走ろうとする。
「転ぶから走るんじゃないカウ……言ってるそばから転ぶな!」
 手をついて顔から突っ込むのを避けるくらいしろと……
「つめたぁい」
 起き上がるだけで立ち上がろうとはしない。
 顔についた雪を触りながら、冷たいと笑う。このまま生きてゆけば、寒さも熱さも理解できなくなるらしい。
「冷たくて当然だ。ほら」
 自らに触れている物が何なのか理解できず、それがどのような温度を持っているかも理解できなくなる前に連れていこう。私がそうしたいのだから。
「ん?」
「おぶってやるから、ほら背中に乗れ」
「ありがと」
 抱きついてきた腕を直し、背負って歩く。
 耳元で調子の外れた歌を口ずさみ、上機嫌だ。
 遠くに見える内海と雲の切れ間から覗く日の光。
「雪降ってきた」
 その日の光に照らされて、キラキラと舞うように降る細氷。
「いちいち言わないでも解る」
「むにゅ〜」
「何が言いたいのだ。 “むにゅ〜” では解らないぞ。それと今日付けで総司令長官を退官してきた」
「辞めちゃったんだ」
 ひどく残念そうに聞こえた。
 言えないだけで思考回路はまともだと言われているから、もしかしたら後悔したのかもしれないが……別にお前の為ではない。
「別にお前の為に辞めたわけではなく、自分の最後を自分で片付けるためであって、その一部がお前であって」
「ながい」
「煩い」
 首にしがみついている腕に力を込めて、頭を必死に押し付けてくる。
 喜びを表しているのかどうかよく解らないが……触れてくる髪の毛の柔らかさは不快ではない。出来るはずもないし、叶うはずもないがこのまま永遠にこの細氷が舞う中を、これを背負ったまま歩き続けていたい。
 何時か凍ってしまっても良いほどに、この歩みを止めたくはない。


***********


− それと今日付けで総司令長官を退官してきた −
 本当に辞めてしまったのか……
 私はケセリーテファウナーフの人生を駄目にしてしまったようだ。本当は最後までやり遂げたかったはずなのに……でもねえ、謝る気にはなれないんだ。
 謝れないってこともあるけれど、嬉しいよ。
 一緒にいてくれるって、それを行動にうつしてくれて。
 最後まで一緒にいよう……最後まで。
 レーザンファルティアーヌ、御免ね。私は随分と早くにいなくなるよ。
 “それは許可してやる。そしてカウタよ、此処からはお前の内心に留めておけよ。お前にはそのように告げたであろうが、クロトハウセはお前を最後の最後で殺せまい”
 私はその言葉になんと言えたかは自分では解らないけれども、言っていることは理解できた。
 “だが安心するがよい。お前とクロトハウセの望み、余が確実に叶えてやろう”
 それはレーザンファルティアーヌが私とケセリーテファウナーフを殺してくれることらしい。
 “気にするな”
 私は頬をしとどに濡らして泣いていた。
 レーザンファルティアーヌが弟全員をどれ程愛しているか知っているから。
 それでも『要らない』とは言えなかった。そして私はその後に、何とレーザンファルティアーヌに向かって言ったのだろう? 私は自分の言葉は覚えていないが、返って来た答えは覚えている。

 “それが ≪人間≫ というものであろう。そうは思わぬか、カウタよ”

 そこで私とレーザンファルティアーヌの≪そのこと≫に関する会話は途切れた。途切れたというよりも必要がなくなった。

 私はレーザンファルティアーヌに殺される、ケセリーテファウナーフと共に。それは二人で望んだことであり、二人が最も罪悪を感じる行為。死ぬことではなく、死をレーザンファルティアーヌ、いやシュスターサフォントから直接死を賜ることが。
 それでも私とケセリーテファウナーフは、シュスターの手を汚してまでも死を求めるでしょう。
 
 黒く艶やかな髪に顔をうずめながら、前を見て歩くケセリーテファウナーフの横顔を盗み見る。
 私はケセリーテファウナーフを愛している。それが言葉に出来ないのは辛い。それを表すために取る行動は奇妙で、全く伝わらないのも辛い。
 私は壊れていなければ、ケセリーテファウナーフに幾つもの意味が伝わる言葉を告げただろう。告げることに恥ずかしいと言う感覚はない、ただケセリーテファウナーフを好きだという気持ちに後ろめたさも何もないから。
 レーザンファルティアーヌと話をしている時は悲しい事が多々あって泣くことも多いけれど、ケセリーテファウナーフに愛を伝える時には涙は必要ない。私はこの感情に涙など一切必要ないと知っているから。
 この感情を笑顔ではっきりと言葉で伝えられたら……でも私は思っていることを伝えることが出来ない。
 そして雪が降ってきた。
 正確にはダイヤモンドダストだ。どおりで寒いわけだ。
 輝きながら舞うダイヤモンドダストが、ケセリーテファウナーフの頬に触れそして直ぐに溶けてなくなってしまう。

 嗚呼、私の言葉は肌に触れて溶けてしまう雪のようだ

 届けと放った言葉は触れて直ぐに溶けて消えてしまう。気付いてはくれるかもしれないけれど、それがどんな物であったのか届いた所でなくなってしまう。私が届けと放った幾千の言葉は、届きそして直ぐに形を変えてしまい、本当にそれがどんな物であったのかは……
「解る」
「え?」
「お前は馬鹿か? ああ、馬鹿だったな」
 私は何か言ったのだろうか?
 知らぬまに何かを口にしたのだろうか?
「何が」
「一片しか降らぬ雪でもあるまいし。肌に触れた雪は溶ける、だが周囲に広がる景色はどうだ?」
「どうって?」
「雪を想いに例え、触れると溶けて消えてしまい届かないというのなら、私に触れず溶けなかった雪はどうなる?」
「どうなるの?」
「私を取り囲み、私の目にはいってくる」
「……」
 周囲を取り囲む真白な風景。
「私に向けたものは溶けてしまうな。だがそうでないものは周囲を飾り私に気付かせる。私自身に向けられるものではなく、お前が周囲にばら撒いたその想い私は見る事ができ、知ることができる。お前が私に向けた感情に無駄など一つもない、届かなかったとしてもその言葉は必要だった」
「……」
「それら全てを見渡してはっきりと言おう、ありがとう」
「……」
「何言葉を失っているのだ? カウタ」
「あのね、あのね……」
 この想いがケセリーテファウナーフに届いていたという事が
 ケセリーテファウナーフは目元を細め、そして言った。



「私は君の事好きなんだよ、子供の頃から。ずっと、ずっと。知らなかったでしょう」



 ……ねえ、何て言えばいいの? なんて良いの?  これは言葉にしないと、告げないと伝わらないよね、レーザンファルティアーヌ!
 ああ……ケセリーテファウナーフになんと言えばいいの? 言いたいことはいっぱいあるのに……私の口からしっかりと “意味のある言葉” は言えているのだろうか?
「あのね! 私もねラスが小さい時にお嫁さんになるって言ってたんだよ! 知らないでしょ!」
 私だって子どもの頃からずっと、ずっと大好きだったんだよ。
 知ってる? 知らないでしょう?
 本当に大好きだったんだよ! 髪の毛の色とか、性質的に決まっているとかじゃなくて、大叔母様がケセリーテファウナーフが良いといったからでもなく、
「ああ? 何の話だ? 大体私が小さい頃って何時ごろの話だ?」
 私はケセリーテファウナーフのことが、ずっとずっと……
「ラスが二歳の頃」
 ねえ、ちゃんと言葉は言えてますか?
 伝わってる?
「お前 “が” 覚えているはずないだろうが。何かと勘違いしてるんじゃないのか」
「本当なの! 本当なんだよ、そうだ! ムームーに聞いてよ! ムームーなら覚えてるはずだから!」
 ねえ、あの日のことレーザンファルティアーヌなら覚えているよね! お願いだよ、本当だって!
「はいはい」
「ああ! 信じてない! 本当なんだってば! ムームーに! ムームーに!」
「陛下にお前の戯言の真偽判定をしてもらえと?」
「本当なんだって!」
「解った解った」


「本当なんだよ!」
 あまりにも言い募ったせいか、ケセリーテファウナーフが深く溜息を吐き、私の方に振り返って、
「別にいいだろうが、今お前の望む “お嫁さん” のような状態なのだから。それ以上何を望むんだ」
 白皙の肌と蒼い瞳と、微笑んだ口元。
「あ、うん」
 ……そうだね。
 レーザンファルティアーヌに尋ねてくれたら嬉しいけれど、知らないでも……私は確かに言ったんだ。
「寒くないか? 寒いならもう戻るが」
「もっとお散歩」
 ちっとも寒くないよ、ケセリーテファウナーフの背中に抱きついてるから温かい。
「散歩と言っても歩いているのは私だけだが。寒くなる前に帰ると言えよ」
「うん」
 だったらずっと言えないね、絶対に寒くならないから。


― 君雪・終 ―




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