ALMOND GWALIOR −290
誤作動を起こしている巴旦杏の塔を閉鎖するための下準備に、エーダリロクは約一年かけた。その間に皇后ロガは第一子のデギュゼーク皇女親王大公を無事出産する。
臣民は次の皇帝が生まれたことを喜び、事情を知る者たちは「女性」が誕生したことに安堵する。皇后ロガは跡取りを一人産むだけで終わるわけにはいかない。他の王家に嫁がせる皇女親王大公も求められている。そのため産後の肥立ちには細心の注意が払われ、出来る限り無理をせず、危険から遠ざかるように求められたのだが……ロガ本人の希望で塔の閉鎖に立ち会うことになった。
産後半年を経たロガは、バロシアンを護衛にし、ケシュマリスタの【柱】へと向かう。巴旦杏の塔を閉鎖する為には四大公爵全員が同時に一時的に生命活動を停止しなくてはならない。彼らが完全に無防備になる時間とも言える。
当然王に身の危険が及ぶ可能性があるので、信頼できるものが警備につき、その警備を見張る立会人もつけられる。
場所が場所のため、つけるのは二人だけ。ラティランクレンラセオの警備は皇君で、ロガは立ち会い人となった。
【今回の】停止は三日がかりの作業となり、警備も立会人もその場を離れることが許されない。他の者は三日三晩無理をしたところで問題はないが、ロガは普通の人間であり、産後半年ほどしか経っていないので、非常に心配されていた。
この三日間の間は除外されるが、ロガは原則として毎日体調を検査される。
「ですが皇后」
当日朝の検診で、こともあろうか”妊娠”が確認された。バロシアンとしては、宮殿に残り大事を取って欲しいのだが、ロガの優しいが芯の強さを感じさせる微笑みの前に折れた。
「少しの間だけ秘密にしておいてください、バロシアンさん。陛下にも内緒にしておいてくださいね」
「畏まりました」
シュスタークにも告げてはならない――言外にデウデシオンにも告げないで欲しいと希望していることを読み取り”あとで大変なことになるな”と思いはしたが、希望通りに動くことにした。
「これはこれは、皇后」
バロシアンがロガをケシュマリスタの【柱】へ連れてゆくと、そこには既にラティランクレンラセオとヴェクターナ大公がいた。
二人はロガに礼をし、バロシアンは一歩下がったところで礼をしたあと、ロガが寝泊まりする簡易のログハウスを造り、
「それでは。親王大公殿下のことはお任せください」
「お願いします」
心配ではあったが、二人にロガが妊娠していることを気取られると困るので、早々のその場を立ち去った。
「これが柱ですか」
ロガは初めて見た柱を見上げる。巴旦杏の塔によく似ているもので、違いは蔦に覆われることはなく、表面に模様が刻まれていないこと。
「そうです、皇后」
ヴェクターナ大公が隣に立ち、彼もまた柱を見上げた。
**********
ロヴィニアの警備はリグレムス。ランクレイマセルシュに最も年齢が近い異母弟で、かつてはケシュマリスタ系僭主と手を組み、追い落とそう……としたものの、寸前で僭主側を裏切ってランクレイマセルシュの部下の地位を守った。
身体能力的にはランクレイマセルシュよりも、そして”エーダリロク”よりも強い彼は、警備を担当することになった。
エーダリロクは当然ながら、巴旦杏の塔を停止させるために塔の側にいる。
そのような過去のある彼を見張る立会人は、当然ながらメーバリベユ侯爵。
「どうなさいました? メーバリベユ侯爵」
メーバリベユ侯爵の表情があからさまに冴えないので、リグレムスは体調が悪いのだろうかと声をかける。
「少し……」
「体調が優れないのですか?」
「いいえ、そうではないのですが」
メーバリベユ侯爵は塔の閉鎖も、リグレムスのことも心配はしていなかった。なにせ塔はエーダリロクが一年近くかけ用意を整えたのだから、どのような事が起こっても対応しきれると確信している。
後者のリグレムスに関しては、彼一人ではどうすることもできない事と、自暴自棄になるような性格ではないことは調べがついているので「リグレムス本人よりも」メーバリベユ侯爵のほうが彼のことを信頼していた。
「ずっと忙しかったので、疲れが溜まっているのかもしれませんね。王弟殿下との休暇、楽しんできてください」
確かにメーバリベユ侯爵は忙しかった。
式典というものがよく解らないロガに代わり取り仕切り、生まれた皇太子候補の皇女に関する雑事などもこなす。かつて皇帝の正妃候補となった彼女が代わりに取り仕切っていた。
だがメーバリベユ侯爵は然程疲れてはいなかった。
知らない人がみたら忙しそうだが、彼女の人生でもっとも忙しかったのは皇帝の正妃候補になるまで。
王族と縁付いたこともない家柄の十代後半の娘が、独力で皇帝の正妃候補にまで登り詰めるのは、王の庶子として生まれ育ったリグレムスには決して分からない苦労の連続であった。その頃に比べれば、いまは楽とは言わないが体調を崩すほど忙しいとは言えない。
では何故顔色が優れないのか? 理由はリグレムスが語った”王弟殿下との休暇”である。
「ありがとうございます」
ここまでメーバリベユ侯爵から逃げていたエーダリロクが、突如”彼から”誘って来たのだ。
行き先は二人が初めて出会った惑星。塔の閉鎖が行われたら即座に、とても重要な話があると ――
いままで適当でありながら華麗にメーバリベユ侯爵を避けていたエーダリロクが、真剣な面持ちで。
見たこともない鋭い眼差しと、誘ってはいたが断ることを許さない語気。皇帝から休暇を取り、全て用意を整えた状態で。
なにがあるのか? 【柱】を仰ぎ見ながら、メーバリベユ侯爵は様々なことに思いを巡らせていた。
**********
エヴェドリットの警備はビーレウストで、立会人はアシュレート。これ以上ないほどに無難な組み合わせである。ザセリアバはランクレイマセルシュ同様、既に柱の中へと入り、生命活動停止準備に取りかかっている
「警備する必要ないよな」
アジェ伯爵は国に帰っている……別に逃げたわけではなく、仕事があったので帰国しただけのこと。
「決まりだからな……誰も訪れはしないだろうが」
「王族は決まりが多くて面倒だ」
ビーレウストは生い茂っている草の上に腰を下ろして、足を無造作に投げ出す。
「決まりを八割方無視しているお前が言うな、ビーレウスト。……ところで巴旦杏の塔の誤作動とは、どんな物なんだ?」
アシュレートはビーレウストの隣に座り、背中を柱に預ける。
巴旦杏の塔を停止させる方法はアシュレートも知っている。だがこれ程時間がかかるとは思ってもいなかった。
皇帝の命に従い、即座に停止させられるとばかりアシュレートは考えていたのだが、エーダリロクが『誤作動が確認された』と全員に告げ、随分と時間がかかった。
他にも仕事があるとは言え、あのエーダリロクが一年ちかくも準備に時間をかけるとはただ事ではない――
「聞いてねえから解らねえ。聞いたとしても解んねえと思うぜ」
ビーレウストは<ライフラがディブレシアというシステムに乗っ取られている>とは聞いていたが、説明するのが面倒だったので、最初から聞いていないことにした。
「これもまた、お前らしいなビーレウスト」
「興味があるなら直接エーダリロクに聞けよ。真面目に説明してくれると思うぜ。相手の脳みその性能を無視して自分基準でな」
「エーダリロク基準で話されたら、解るわけがない」
アシュレートもそこまでして知りたいわけではないのでわざわざ尋ねるようなことはしなかった。
二人は座ったまま、どうやって時間を潰すかを考えたが、
「三日間、二人でこうしてるのか、アシュレート」
「殴り合いも殺し合いもできんしな」
良い案が思い浮かぶことなく。
「ビーレウスト」
「なんだ? アシュレート」
「潜伏ミッションでもするか?」
「ああ、それいいな。ミッションな、ミッション」
二人とも仮死状態のザセリアバさながらに三日間地面に転がったまま、一切動かずに過ごした。
**********
巴旦杏の塔を機動・停止させる為の【柱】に王が入る際、警備と立会人になれることは栄誉である ――
仮死状態を強要されるので、当然のこととも言える。
「そんな顔しないでよ、ローグ公爵」
テルロバールノル王の警備はキュラティンセオイランサで、立会人はローグ公爵プネモス。部外者であるキュラティンセオイランサを立ち会わせることに、ローグ公爵は異論を唱えたものの、相も変わらず頑固なカルニスタミアが押し通した。
「……」
カレンティンシスも最初は難色を示したが「キュラティンセオイランサを兄貴の警備にしなければ、儂は塔へと赴かぬ!」と脅しをかけて勝利を得た。
カルニスタミアは巴旦杏の塔閉鎖のために、直接塔へと赴きエーダリロクに協力しなくてはならないのだ。
エーダリロクから塔の閉鎖方法を大まかに聞いていたカレンティンシスは ―― この……頑固者がああ! ―― と叫び、ヒステリーを起こし暴れたあと、渋々と許可を出した。
その一連の騒ぎを黙って見ていた元凶カルニスタミアの表情には、説明する必要もないほどに”兄貴に言われとうないわい”と書かれていた。
どっちもどっちなテルロバールノル王族兄弟である。
「僕は立候補したわけじゃないし、辞退したいって何度も言ったよ! カルニスタミアが聞いてくれなかっただけだよ! ローグ公爵だって知ってるでしょう? テルロバールノル王族の頑固さは。僕が言ったくらいで、意見を変えるわけないじゃない」
”僕が嫉妬されて殺されたらどうするの?”叫んだが”守ってやる”の力強い一言で、キュラティンセオイランサも下がるしかなかった。
カルニスタミアは口だけの男ではないので、確りと守っていた。それこそザウディンダルと付き合っていた頃以上に。
キュラティンセオイランサとしては、そこまで必死に守ってくれなくてもいいのに……という気持ちもあるが、
「黙れ、ケシュマリスタ」
「はーい。でもカルニスタミアの大事なお兄さまからだ、一生懸命に守らせてもらいますとも」
守られる幸せというものを知り、精神的に落ち着いた日々を過ごすことができていた。
「”でも”とはなんだ? ”でも”とは」
―― お小言うるさい……でもこれカルニスタミアに言うと「ローグじゃからな」で終わっちゃうんだけどさ。でもちゃんと答えておけば何も言われないから……分かってるのに、ついついやっちゃう僕が悪いんだよねーはいはい、分かってますって
「はい。気をつけます」
「よろしい」
心中で「はいはい、気をつけますって」と呟きながら、小言をもらわない答えを返した。
**********
巴旦杏の塔の蔦で上部が多い隠されている入り口の前に、シュスターク、デウデシオン、カルニスタミアにザウディンダル、そしてエーダリロクがいた。
「じゃあ陛下、頼みます。ザウ、任せたぞ」
エーダリロクが色々と調査した結果、通常は外部制御だけで停止できるのだが、この新しく建てられた巴旦杏の塔は内部からの制御も必要であった。
内部制御に必要な機器を作り、図面から切断が必要なコードなどを割出し、停止用のプログラムを組んだ――までは良かったのだが、誰がこの機器を持ち込み、コードを見極め、プログラムを流し、外部と連絡を取り合って更なる指示をエーダリロクから受けて実行するか?
現在塔の中に入れるのはシュスタークとザウディンダルのみ。エーダリロクは今だ入ることは出来ない。
《お前が入れるようにした方が早いのではないか?》
―― そうなんだけどさ、ある意味ここが取っ掛かりだから直さないで進めようと思うんだ
《どういうことだ?》
―― 以前の実験で、容姿判定システムがどんな物かわかった
《ヒドリクの末が帰還する途中で、僭主に襲撃された時か》
―― そうそう。それでさ、この後付である容姿判定システム。これは間違いなく≪ディブレシア≫の方に属するわけだから、ここから攻めていける
《なるほど……さすがだな》
―― おう!
塔の中に問題なく入れる二人のうち、ザウディンダルは技術庁勤めでもあり、かなりの頭脳を持っている。
そしてこの一年間、エーダリロクの元で打ち合わせを繰り返し、機器の開発にも携わり、シミュレーションを繰り返し、先遣部隊として遣っていける技術を身に付けた。
「ああ! 行ってくる」
シュスタークは<ライフラ>に指示を出すために入らなくてはならない。<ライフラ>は規定の範囲内においては両性具有の言うことを聞くが、停止のような命令は当然聞かない。
内部の≪ディブレシア≫が消えてから……とも考えたのだが≪ディブレシア≫を排除する途中、シュスタークが立ち入れなくなる可能性もあったので、二人は同時に入る必要があった
「デウデシオン、少々ザウディンダルを借りるぞ」
「はい。お気を付けください、陛下。ザウディンダル、怪我するなよ」
「解ってる、兄貴!」
シュスタークとザウディンダルは緑が眩しい蔦に覆われた塔の中へと入っていった。
「四王に仮死になれと……よし、連絡終了。あとはザウからの連絡待ちだな」
指示を出し終えたエーダリロクが端末画面から顔を上げる。
「エーダリロク」
カルニスタミアは塔を見つめたまま、
「なんだ、カルニス」
「暇か?」
「今の俺、暇そうに見える?」
「見える」
「ひでぇな。なんだよ」
「そろそろ儂は動く。その策ができあがった。帝国宰相と共に目を通してくれぬか?」
デウデシオンは渡された小型の画面に映し出される書類を読む。
「まさかお前が簒奪するとはな」
「儂とて驚いておるわい」
長年簒奪を考えていたが最後の最後で出来なかったデウデシオンは、カルニスタミアの決断力と実行力を、当人に面と向かって語りはしないが称賛した。
「両性であることを使って退位させたら楽であり、犠牲も損害も少ないだろう」
「儂は王位を簒奪するのじゃ」
「そうか」
「じゃが殺しはせん。大君主となった兄は陛下に引き取っていただきたい」
実子ではなく実弟が王位を継ぐと、帝国では前の王は国に居ることも戻ることも叶わず、身分の高い親戚の元へ身を寄せることになる。
「……あの喧しいのがくるのか」
「帝后宮に住むことになるじゃろうな」
最近やや薄くなってきたと評判のデウデシオンの眉間の縦皺。それが久しぶりに深くなった。
「諦めろよ帝国宰相。俺は全面的に賛成するけど……出来るだけ被害は抑えろよ!」
「この位でいいか?」
画面を見続けているエーダリロクの元へと二人は近付き、画面の「予想被害総額」を見せる。
「もうちょっと少なくしようぜ。そんな被害を出さなくたっていいじゃねえか」
「どの程度なら文句ないのじゃ?」
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