ビルトニアの女 外伝1
貴方を抱いた日
 ジェダという男 

−俺の目の前にいるのはジェダ−

 一度だけマシューナル王国で見かけた、オーヴァートと因縁があるのかもしれない相手。詳細は知らないが
「……ジェダ?」
 足元にいるのは……オーヴァートの形をとどめていないオーヴァート。そしてオーヴァートとジェダの間に位置する場所に立っている俺。オレクシーはどうした? 突如乾いたように感じる喉奥と、全身に圧し掛かってくるような冷たさ。オレクシーは? 俺を殺した「はずの」オレクシーは?
「うぇ……うぇぇ……うぇぇん……」
 すすり泣く声が聞こえてくる。まるでオーヴァートが泣いているかのような、小さな泣き声が。
 俺の指示に従ってオーヴァートの下に隠れたミゼーヌの泣き声、その声に肉体的な痛みなどは感じられない。オーヴァートの身体は、“あの”状態でもオレクシーの力を弾いたんだな。ただ、俺が記憶しているオーヴァートの身体は上半身半分があったが、今はまるで溶解してしまったかのようだ。
 その身体をみて、オーヴァートだと判断した俺も俺だが、自嘲なんぞを浮かべている暇はない。
 間違いなくオーヴァートだ、褐色の肌ではなく蛍光緑の、単細胞生物にも似た形状でしかないその物体だが、紛う事なく。オレクシーと戦ってこの状態になったのか?
「オレクシーもデズラモウスもザーベディアも、良く立ち回ってくれた」
 初めてこの男と会った時と同じだ、本能が逃げろと命じている……生き返ってもどうやら俺は人間のようだ。
 そして何となくわかった、デズラモウスとザーベティアは総学長選挙に絡んで、オーヴァートを排除する策をこのジェダが考えた策に乗った。
「俺は死んだ筈だが」
「お前の後にいる物体が生き返らせた。正確には、時間を戻した“過去干渉”。因果律自体を無効にする為、その因果律に関与する力が大きければ大きいほど、皇帝に負担がかかる」
「……あぁ……が……」
 呻き声のようなものが、硬い床に木霊した。声じゃなくて、何かが鉄の筒を抜け響いた時のような音、あの容赦ない先程の放送に近く感じるられる。
 そういえば、オーヴァートはまだ此処の環境を俺達に合わせているのか?
 大きな穴から惑星がみえる、そうだ俺はあそこから来たんだ、中々の速さで惑星の周りを回ってる……どうしたもんか? 生きて戻れるかどうかは知らないが……この男、どうやって此処まで来た?
 そうだ! オレクシーはどうやって此処まで来たんだ? いくら寝ぼけていたと言え、部外者が来た形跡はなかった。誰よりも解かる、俺とミゼーヌが同行届けを受理されて、本人の確認作業をした後に来たのだから。ヤロスラフだって、何時も同行届けを出して遺跡調査について来る。あの場所にオレクシーは居なかった、当然このジェダも。
「言葉を操る部位が壊れているようだな」
 ジェダが語る、俺に説明しているらしい。そうだ、この男は前に俺に何かを言いやがった。

『……長い年月見たが、この女が始めてかも知れん。貴様らのような人の形をしているだけの化け物が、情を抱いた相手は』

 “人の形をしているだけの化け物”あの時は性質だと解釈したんだが、この言動から察するに、この男はオーヴァート以外のフェールセンが人間の形状以外でも生きている事を知っている……何故だ。
「お前が、黒幕か?」
「別に驚くことではない。この皇帝は知っていた、私は代々皇帝を殺そうとしていることを」
 あの日王宮で顔を合わせて、そして……オーヴァートもヤロスラフもこの男を追おうとしなかった。殺そうとしている相手に対して、寛容さなど微塵もない二人が。それほどまでにこの男は強い、だが……あの時、この男は逃げた。恐らく二人を同時に相手にする事はできないに違いない。
 だとしたら、ヤロスラフがこの場にいれば、あの日と同じで殺せないにしても撤退させる事はできるんじゃねえのか? オレクシーが此処まで来れたんだ、オレクシー以上の力を持つヤロスラフは簡単に来る事ができる…… 何をしているヤロスラフ……ヤロスラフ? 此処は時間を引き延ばしてみるか?
 待て、今何と言った? 代々? ……代々? もしかしてこのジェダ、見た目はオーヴァートよりちょっと上くらいだが、本当は物凄く年齢的に上なのか?
 俺は濡れているのに開き辛い唇を開き、乾いた喉から声を出す。
「だが成功はしてねえようだな、今此処にオーヴァートがいるんだから」
 ミゼーヌの泣き声を耳の奥に聞きながら、俺は“また死ぬんだな”と理解した。この男も俺を殺す。
「その物体は、人間ではないから。お前達もそう思うだろ、見た目だけでも我々とは違う。それでも、そんなに溶けてしまったような姿となっても稼動しているんだぞ“皇帝”は」
 よほどオーヴァートを殺すのは難しいらしい。この男が何者なのかは知らないが“皇帝”じゃないだろうから、能力的に負けているはずだ。
「そうだな。何でオーヴァートはこんな姿になったんだ? 死んでたから解からねえが」
「お前を生き返らせた事に、相当な力を使い人間の形状を保てなくなったようだ。そいつらの姿は、本来ならばそのような姿だ! ただ人間の姿を模倣しているだけであって」
「悪いが、俺はお前の言っている事を理解できるほど頭が良くはネエ。何を言っているのかは解からないが、オーヴァートがこの姿になったのは、俺を生き返らせた結果なんだな?」
「ああそうだ。一万七千年も生きてきて」

俺達がいる遺跡は惑星を一周した

「一万七千年? ジェダ、お前人間だろ?」
 選帝侯でもなさそうだし、皇統でもなさそうだ。となれば残りは人間しかいない……魔物なんかじゃないのは、解かる。魔法生成物だったら驚かないかもしれないが。だが、違うような気がする。何かが……
「人間だった。一万七千年も生きてきて、お前が始めてだ! オーヴァート=フェールセン。人間の女に、此処まで狂わされたのは。自壊した皇帝は多数存在したが、外因で此処まで狂った皇帝はお前だけだ」

 一言云いたいのは、俺は何を云われているのか全く理解できないって事だ。

 ただ解かる事はジェダはオーヴァートが俺を気に入っていると感じている。その為、俺を殺してオーヴァートを狂わせるかなにかをしようとしているらしい。ジェダが考えているような事になるとは思えない。やはりコイツも血の婚礼を勘違いしているんだろう、オレクシーと同じように。だが、内幕を知れば、この男は引き下がるかも知れない。
「にぃ……ろ……は、わた……だ……」
「何言ってるか解からねえぜ、オーヴァート」
 血の婚礼の真実を言ったとしても、簡単には信用しないだろうが躊躇うに違いない。完全でなければこの男は仕掛けてこないだろうから……撤退するかもしれない。それとも全く信用しないで殺しにくるか? それにしてもオーヴァートのやつ、よほど怪我が酷いのか全く姿が元に戻らねえ。せめて表面の色くらい、褐色に戻ればいいのに……戻った所で事態は変わらねえけどよ。
「うぇ……うぇぇ……うぇ……」
 微かな泣き声が聞こえてきた。
 オーヴァートの下に隠れろなんて言うんじゃなかった。本当にオーヴァートが泣いているみてえだ……泣いているみてえだ……泣いているのか? どうしたら良いと思う? 誰に聞いてるんだよ、俺は。
 アレクサンドロス=エドに祈っても無駄だろうし、精霊神に願っても見捨てられるだろう。祈ってどうにかなるんだったら……祈ってどうにもならない事は、一番良く知っているじゃねえかよ……俺の左手が。左手の薬指が!
「“逃げろ、目的は私だけだ”と言っている。それは違う、オーヴァート=フェールセン。此処まで生きてきて、始めてお前達一族を苦しませる事ができるとは! 目の前でこの女が死んだら、お前は悲しむだろう?」
 ジェダはご丁寧にも、オーヴァートの言葉を翻訳してくれた。本当にそう言ったのかどうかは知らねえが、そう理解するしか俺にはない。
「……」
 援軍は唯一人・ヤロスラフ。この状況を知っているのか知らないのか? ただ、オーヴァートは警戒して呼び寄せていない事だけは解かる。ヤロスラフに殺される事を恐れている。

へぇ……あんた、死ぬのが嫌なんだな

 いつでも死んでいいようなツラしやがって、それでおきながら
「ぇ……うぇぇ……うぇぇぇぇ……うぇぇん……」
 あんた、全く死にたくネエんじゃねえかよ! 最初から言えよ! 言ってくれよ!
「うぇ……うぇぇ……うぇ……うぇぇん……」
 この場に俺が居なければ、あんたは生き延びられるのか? どうなんだよ!
 目の前の男の指先に力が集まる。綺麗なオレンジ色の発光体が、あれで俺を貫く気らしい。暴虐の限りを尽くして殺されるんじゃないなら……それに、あの程度なら
「うぇ……ぇぇ……うぇぇ……うぇん……」
 泣いているミゼーヌにも届かない。あの壊れた躯でも貫かれることはないだろう
 泣くな、泣くな! 
 ああ、その緑色の溶けた物体から聞こえる泣き声。煩ぇよ、煩ぇよ!


貴方は涙を流す事はできないが、泣く事はできるのではないでしょうか? 泣けるのならば、泣いてください。私の為にも、貴方の為にも、そしてあの人の為にも


オーヴァート、お前死にたくねえんだろ? 俺も死にたくはねえんだが……
無力だな、あの日と同じくらいに無力だよ
此処までお前を追い詰めた相手に、俺は勝てない事だけは解かる

だから、死ぬしかねえだろ

「とっとと俺を殺せば良いだろ? 口上はそのくらいにしてなっ!」
 時間を稼げば何とかなるのか? 解からないが、

 一日に二度死ぬなんて、何て贅沢だろうな! 王侯貴族だって魔王だって体験できねえ、俺以外の誰も出来ねえ体験だ! さあ、死んでやろうじゃねえか!

「生き返らせてもらえると、思ってるのか? 生き返らせるのには、時間を巻き戻すのにはフェールセンでも多大な負担を」
「かければいいだろ? 生き返らせるかどうかは知らねぇがな。さぁ、殺せ! やってみろよ、一万七千年目にして悲願が成就するなら、してみろよ! 命じろ、オーヴァート。信じろとは言わねえから、命じろ。ヤロスラフに来いと命じろ!」
「エールフェン選帝侯を呼ばない理由は」
「ヤロスラフを信用していないからだろ? 此処まで弱ったオーヴァートなら殺害できる可能性があるから。確かに叛意を抱いたとしても、即死はできないようだからな。出来ないように設定したんだろうけれどな。だが、命じろ! いいじゃねえか、ジェダに殺されるよりはヤロスラフの方がまだマシだ。違うか? 俺はジェダが何者かは知らねえが、ヤロスラフが選帝侯なのは知ってる! お前の選帝侯なんだろ! あの男は待っている、お前が自分を呼ぶことを待っている! 待つしかできない男を呼べ!」
 俺は思う、ヤロスラフはオーヴァートを裏切らない。
 昔から、仕えた頃から……いや仕える前、生まれた時からオーヴァートを、フェールセンを裏切る気なんてなかったはずだ。
 ヤロスラフの死に至る病は、オーヴァートに信頼してもらえない事が原因だ。
 あいつは、オーヴァートに信頼されれば何処までもついて来る男に違いない。そう祖先がお前を裏切ったのだとしても、ヤロスラフは違う。
「……」
 認めてやれとは言わないが、一度だけでも助けさせてやればいい。
 それでヤロスラフは満足するはずだ。
 あいつを、ヤロスラフを絶望から救えるのはお前だけだ、オーヴァート。
「うぇ……うぇぇ……うぇぇ……うぇん……」
「オーヴァート!」

その空白を俺は“聞き取る”事はできない。ただ、泣き声だけを聞いている

「選帝侯を呼ばせるかっ!」
『呼んだ』のか。解かるんだな、ジェダには。そして呼んだなら、後は時間を引き延ばすだけだ!
「テメエは俺を殺すんだろ! ジェダ! 呼べっ! オーヴァートォ!」

俺は誰も救えない。それは現実であって、それから逃げようとは思わない

ジェダの腕にしがみ付いた、自分の腕の下から見えたオレンジ色の光が、胸を貫い……

「……よぉ……ジェダ」
「生き返った、な」
 何で死んだのかは知らないが……おそらくあのオレンジ色の光だろう。何処を貫かれたのかは知らないが、頭か胸だ。腹って感じはしねえな、ジェダの身長と俺の身長差からしても。それにしても、生き返ったって事はオーヴァートの身体に多大な負担をかけてる筈だ。
 オーヴァートの躯がどうなっているか見る為に振り返った時、首に手が触れた。あの、オーヴァートによく似た、あの時肩に触れた冷たい手が。

 首が折れる音を聞いたか聞かないか? 判断はつかなかった。死ぬなんて、そんなモノなのかもしれない

「生き返った……のか?」
 俺が最後に見た地点よりも僅かに大陸が動いている、ほんの少しだ。そして、俺の時間だけを戻しているらしい……それほど力が残ってはねえんだろう。
「何度でも殺してやる」
 再び首にかかった手に、敵わないと知りながら手をかける
「あ……あ、殺せ……ば」
泣き声が聞こえる。泣いているのは誰だ?

「うぇ……うぇぇ……うぇぇ……うぇん……」

「もう二十回目だぞ」
「それでもまだ殺すんだろ?」
「ああ」
 床に溶けているオーヴァートの身体は、今にも流れ出しそうだった。その姿に、オーヴァートが俺を生き返らせている事を知りながら、死んでゆく。
「ただの人間を殺すのに、此処まで苦労したのは始めてだ」
 虹彩のないその瞳に宿る、焦り。俺には記憶がないから、ただコイツが焦っているようにしか見えない。
「そうかい。ただの人間で此処まで生き返ったヤツも始めてに違いねえぜ」
 俺はこの男に殺されているが、それは知らない。
「お前が心の底から怖ろしく感じられる。ドロテアよ」
「そうかよ。何が怖いのか聞きたいもんだ。殺される俺は怖くねえのにな!」

「うぇ……うぇぇ……うぇぇ……うぇん……」

自分は死んでいるという“外”から与えられた情報だけが、俺の死

「うぇ……うぇぇ……うぇぇ……うぇん……」

 死ねば死ぬ程、それは軽いものとなってゆく
 窓から見える惑星や、星々の位置から時間だけが流れている事はわかる
 その空白にあたる死
 このジェダという男の憎悪の根源は、間違いなく今自分が行っている行動
 殺されたんだろう、オーヴァートの祖先に
 そう、殺されたから殺している
 だが、恐怖を感じてもいる
 女か誰かは知らないが、ジェダが失った相手は一度だけで死んだんだろう

「うぇ……うぇぇ……うぇぇ……うぇん……」

 俺は死ぬ
 何度も死ぬ
 その度に俺の中で死は軽くなるが、死にたくないと思う気持ちは変わらない
 殺す度にジェダは焦る
 “死”をオーヴァートに与えられないが為に
 俺は殺される
 俺は殺されている
 知らないが
 知らないけれども

「うぇ……うぇぇ……うぇぇ……うぇん……」

 泣き声だけが、酷く頭に残る
 何もかもが戻っているのに、その泣き声だけが残る

何処に?


 どれほど時間を巻き戻しても、過ぎた時間を完全に忘れ去る事はできないような気がしてきた
 身体に纏わりついて離れない、この泣き音が

 何度目かは知らないが、ついに声が聞こえた。
「オーヴァート!」
 俺が時間を計るのに惑星を観ていた大穴に、ヤロスラフの姿。待ち人来るだ。
「エールフェン選帝侯!」
 ジェダは引いた。飛び退いたといっても言い。完全な状態とは言いがたいが、選帝侯と正面から事を構えるのは避けたいようだ。
「遅ぇ! ヤロスラフ!」
「悪かった! ドロテア! オーヴァートも無事のようだな」
 すげえ……オーヴァートだって、一目で理解しやがったぞ。俺やミゼーヌは、まだ“原型”があった頃から見てるから解かるようなモンで、この状態を出されたら絶対に解からない。そして、この“姿”が“無事”に見えるお前は、心底偉大だ。
「久しいな、エールフェン選帝侯」
「そのようだな。前もドロテアに危害を加えようとしていたな」
「その女が皇帝の寵愛を独占したからだ」
 勝手にそう、解釈されているらしい。勘違いされるってのも、大変だ。
「ジェダ。お前はいま憎悪だけか?」
 ヤロスラフが何かを言い出す。時間稼ぎなのかどうなのか? 俺はそれを聞きながら、溶解しているオーヴァートの下からミゼーヌを引き出した。中々度胸のあるミゼーヌは、鼻水をすすりながら泣いているだけだった。漏らしているか? と思っていたんだが。
「憎悪以外何がある?」
「嫉妬はどうだ? ドロテアは、権力者を魅了する。フレデリック三世、ハミルカル、そしてオーヴァート。滅亡王国グレニガリアスの王ジェダよ、お前は魅せられてはいないのか?」
 グレニガリアス王国? 聞いた事のない王国の名。そして、紅蓮の色合いの髪を持つ男は、鈍色で虹彩を持たない瞳が最大に開く。
「その国名を口にするな!」

**********

「グレンガリア人って、本当に長生きだよな。長生きしてくれてもいいけどよ、アンセロウム」
「実験体グレニガリアス人のパターンを模して作ったから、かなりの長命だ」
「グレニガリアス? グレニガリアスって、滅亡王国ってヤロスラフが言った?!」
「ジェダの子孫といえば子孫だな。全く違うと言えば違うのだが」
「そうじゃなくて! もちろんそれも……だけどよ、実験体って?」
「先に、実験体だった方の意見を聞いてくるといい。その後、こちら側で知っている事を教えてやろう」

**********

「……ドロ……こを、持て、飛べ」
 足元で、聞き辛い割れてしまっている声がした。耳を近付けると、聞き取れなかった事を理解したのか、再び口を開いた。何処が口かは知らないが
『ドロテア、子供を持って、飛べ』
 俺が床や壁に触れていると困るのだろう。俺はミゼーヌを持ったまま、飛ぶ。
「怒るな、滅亡王。そして、皇帝を追い詰めるとどうなるかは、まだ身を持って体験してはいないだろう?」
 ヤロスラフも飛ぶ。
 直後、床が共鳴するかのような音を響かせて、黄金に輝きだす。眩しさに目を細めながら下を見ると、ジェダが半分になっていた。そう、アメーバが原生菌を捕食するかの如く。捕食されているのはジェダ、捕食しているアメーバはオーヴァート……というよりは、ハプルー自体が。
「ドロテア、こちら側の区画の空気調整は全て回復させている。床や壁などが輝いていない場所で待っていてくれ」
「後は任せたぞ、ヤロスラフ」
 そうは言ったものの、どこもかしこも床や壁や天井が光り輝いていて、俺は所在無く飛んでいた。これに触れると、ジェダのように食われる……食われていたのかどうかはしらないが、とにかく身体が吸収されるんだろうな。詳しい事は全く解からないが。
 大体、自称一万七千年生きている男だとか! 宇宙空間を物ともせずに来る男だとか! 原型がなくても生きている男だとか! 理解の範疇超えてるだろ?! そして、やっと一息つけたから疲れが身体を襲ってきた。気を抜けば疲労から、意識が混濁しそうだった。
 眠いというよりは、意識が遠の……
「気を抜くと、存外幼い表情をするのだな。まだ十八だから、当然か」
 声に、ミゼーヌがしがみ付いてくる。取り逃がした事を責めるべきか? 逃げ切った事を褒めるべきか?
 壁から抜けてきた、縦に半身がないジェダが宙に浮いている。俺は、子供の頃にトルトリア最後の日を目の当たりにしているから、少々グロテスクな生き物を見ても、平気だが……ミゼーヌは、コレ見たら倒れるんじゃないだろうか? さすがに。
 内臓などが見事にはみ出している。どうやら、再生している途中らしい。内臓から再生してくタイプらしい……いや、再生する人間を目の当たりにしたのは始めてだけど。筋肉や骨がまだ未完成なんで、内臓だけがボコボコと篭った濡れた音を立てて再生していっている。
 顔にかかり気味の脳みそなんざ、笑うしかないような状態だ。
 ミゼーヌの顔を俺の胸に押さえつけて、目を離さないで話しかける。床などはまだ光り輝いているから触れられない。
「お前の作戦、上手くいかなかったな。ジェダ」
「そうだな。此処まで酷いとは思わなかった」
「何が?」
「オーヴァートのお前に対する執心。早く修復する為に、自己修復機能ではなく外部構築を行うなど、狂気の沙汰だ」
「何言ってるか全く理解できねえんだが……もう、来るなよ」
 共鳴音の中、俺はジェダに言う。
「それは聞けない」
「もう良いじゃねえかよ。大体、お前俺を何回殺したんだ?」
「五十四回」
 殺すに殺して五十四回か。それほど殺されておきながら、別にこの男が憎いとも感じない。血の婚礼の時と同じだ、記憶にない。俺自体には何の損害もない……なんでこういうヤツラって、周囲に多大な損害を与える方向にその知能を働かせるんだ?
「皇帝の目の前で、皇帝が最も愛した女を五十四回も殺せたんだぜ? 一人の皇帝に対する復讐は終わったと言ってもいいだろ?」
 最も愛した女……ねえ。自分でそう口にしながら、曖昧な気分になってくる。
 それにしてもオーヴァート、よく五十四回も生き返らせたな。オレクシーに殺された回数を含めると、一日で五十五回殺された事になる。新記録じゃないか? そんな記録つけている所はねえから、新記録だろうがなんだろうが無意味だけれども。
「貴様は知らないだろうが」
 知ってたら困るだろうが、一万七千年も生きてる……らしい男の過去なんか。
「ジェダ。もしもテメエが“愛していた女を皇帝によって、目の前で殺された”って言ったら笑うぞ?」
「……」
「そして、お前が目の前で相手を殺された回数は、ただの一度」
「何故解かる?」
「一回だけだから、ただ一度だけだから、此処まで恨みを引き摺ってこれたのさ。何度も繰り返し殺されたなら、お前は此処まで恨みを連れてはこれなかっただろう。一度だ、一度だけだ。それが人間にとって、最も無力を感じさせ怒りを持続させる。オーヴァートにもヤロスラフにも解からないだろうが、俺はお前と同じ人間だ。だから、解かる」
 この男と俺が“同じ”人間だとは思わないが。
 鳴り響いていた共鳴音はやみ、それと同時に光り輝いていた全てが元の状態に戻る。俺は床に降りて、ジェダを見上げる。
 警戒しているのか、ジェダは降りてはこなかった。そして、相変らず不気味な音を身体の内部から上げて、修復している。
「また会うかも知れんぞ」
「俺がオーヴァートの側から居なくなったら来いよ」
「そんな日が来るのか?」
「さぁね? 待ってりゃいいだろ、一万七千年も生きてるんだから」
 聞き終えるとジェダは足を後にずらし、透明な壁から身体をすり抜けさせ、漆黒の闇に落ちていった。そのまま、地上に舞い戻るらしいあれ程の大怪我で……治ってしまうから大怪我ではないのかもしれないが。
「絶対、同じ人間じゃねえよな」


 面倒な男に引っかかるのはクセらしい


「やっと居なくなった。もう大丈夫だ」
 腕の中で泣いているミゼーヌに声をかける。
「驚かせたな、ミゼーヌ。悪かったな、こんな事になるなんて、思ってもみなかったからよ」
 泣いているは、震えているは……仕方ないよな。トラウマにならなきゃ良いが、何て言えねえ。そんな楽観視は出来ねえ……ミゼーヌの記憶を操作してもらった方が良いだろう。腕の中で必死にしがみ付いているミゼーヌが、泣きつかれた喉から搾り出した声。
「……な……さい」
 先刻まで聞いてた、オーヴァートの下から聞こえてきた声とは全く違う。あれは多分、オーヴァートの身体を反射した為に声が変わって、俺にそう聞こえたんだろう。少しだけ、人間らしくないあの泣き声。
「何だ?」
 まだ落ち着かないミゼーヌに、俺としては最大限の努力を払って優しい声をかける。俺自身としては最大限の努力だが、それが“怖い”になっても責任は負わない。ミゼーヌが俺に言いたかった言葉は、予想していなかった言葉だった。
「ごめんなさい!」
 子供特有の高い、キィィンとした、生きている人間の声が自分の腕の中から聞こえたことに驚く。その言葉自体も。
「何がだよ?」
 謝る事は多数あるのに、何でお前が謝る? ミゼーヌ。
「何にも出来なくてゴメンなさい! 殺されている時、怖くて、何にも出来なくて……怖くて……」
 そりゃ、怖いだろうさ。だから
「……良いんだよ。それで良いんだよ」
 当たり前の事だ、何よりお前が出てきたって何の解決にもなりはしない。
「ごめんなさい!」
「良いんだって」
 俺も、それほど役に立ったわけじゃねえけどな。むしろ、ミゼーヌのトラウマを作るのに役立ったとしか思えねえ。
 また、謝りながら泣くミゼーヌの背中を叩く。慰めはしなかったが、黙ってそれを聞いていた。このまま終われば、泣き止まないミゼーヌを抱えて着陸する筈だったんだが、そうもいかなかった。


此処からがハプルー墜落事件が始まる

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