ビルトニアの女 外伝1
貴方を抱いた日
 世界最大にして最強の遺跡はギュレネイスにあるフェールセン城。その次に位置しているのが「ハプルー空中要塞遺跡」

 五十年前の出来事

第十三話・永遠の一度[01]

 宇宙空間を衛星のように移動しているその遺跡の基本管理へと向かった。前述の通り、ハプルーは宇宙空間を移動している為、許可なく稼動“させられている”危険性が極めて少ない
 それでも、定期的な調査は行われる。管理と実技実地を兼ねて選抜された学者と、学生が主隊・副隊などに選ばれて向かう事となっていた
 『ドロテア』は唯一人、どれにも属さない立場でその調査に同行した。
 皇帝の『大寵妃』として

**********

ハプルー空中要塞遺跡が『空中』に戻るまで五十年の歳月を要した

「ようやく帰れるよ、ハプルー。連れて行ってくれ、私をそして……あの人を」

その遺跡は自己修復が終わるまで、海底に眠り続けていた。私“達”の想い出と共に
想い出と共に宇宙に戻り、そして還って行く

**********

「バンサーク遺跡で制御できるのか」
 地上にある遺跡の一つでハプルーを誘導し、海に着水させる。この海のないマシューナル王国から海まで出るのが面倒だが、仕方ないだろう。
 俺もこのハプルー遺跡に向かう。勿論、成績とか実地の兼ね合いじゃねえよ、ただオーヴァートが連れて行くだけだ。何せ長期の作業になるからな……普通は“女”は連れていかないモンだが、三ヶ月ほど前のあの事件のせいで、誰も反対意見は述べなかったそうだ。
 正論吐いて殺されちゃあ敵わないからな。最も長期に渡る作業に、愛妾連れて行くのは悪い事だというのが正論かどうかは知らないが。一般的には連れて行かない、そして俺には拒否権はねえし、正式な任を受けないでもハプルー遺跡は見てみたいから、あっさりと頷いた。
 頷いたせいで、勉強の他に仕事が降りかかってきたんだが、最近は授業よりも実技に重きが置かれる学年になったから、なんとかこなしていける。
 十三歳で入学してから、留年しないで五年を過ごした。順調に行けばあと二年で卒業できる。最後の一年間は、卒業論文を仕上げるのと、後輩の授業担当などが主だ。俺の授業に当たるヤツラは可哀想な気がするが、運が無かったという事で諦めてもらうしかないだろう。
「街中のパン屋に夜食を依頼しておいた。今日も徹夜だ」
「移動中は寝れるな」
 図面引いたり、目的地に向かうまでの旅程を組んだり、人員配置やら生活準備やら、食糧の補給やら……必死でやっても次から次へと仕事が溢れかえってくる。徹夜していると腹が減る、食堂を開けさせて作らせてもいいんだが、王学府寮の食堂の資金の問題もある。
 資金源が学生から収められる学費だけで賄われている王学府、そこで規定の食事以外の料理を希望するとなると、金銭的な問題が発生する。食糧も収めている学費(寮費)で賄われているのだから、食べる回数が少ない分損をする……って理由だ。
 チンケだが、食い物の恨みは怖いし、何より主隊やら副隊に選ばれなかった連中にしてみれば面白くないから、どこまでも文句をつける。
 別料金を徴収して寮食堂の調理師に依頼するとなると、調理師の時間外手当も払わなくちゃならない……だから、集めた金で外部に依頼する。パン屋なんかが一番だな、食べながら作業が出来るから。
 俺は正式な配属じゃねえが、オーヴァートから回された仕事を終えたんで(普通は正式な学者が秘書として付くんだが)、後は邸に戻って一眠りする予定……だった。
 地図を巻き筒に片付けて、テーブルのゴミを集めて捨てる。時間はそろそろ日付が明日に変わる頃。窓から見える別室の明るさが漏れている窓と、カーテンの向こう側でせわしなく動く陰に
「お先に」
 口の中で呟いて、部屋の明かりを消した。ふらり、ふらりと歩いていると前方から大声で俺を呼ぶ声。
「ドロテア!」
「どうした? バダッシュ?」
 規模がデカイせいで、成績地を這う如きバダッシュも、準備に借り出されている。コイツの場合は、舞踏会に参加しない為に自分から喜んで借り出されているらしいが。それでも舞踏会の方には偶には参加している、俺も出た時には顔を会わせることがある。見事な貴公子っぷりで、貴族の娘が騒ぐのも良く解かる。
 その立派な立ち居振る舞いに『本当に嫌いなのか?』聞きたくなるくらい。俺の目も覚めるほど見事衣装で何時も参加しているが、嫌いなんだろうな。
「大変なんだ」
 見た目が良くて、家柄も良く、頭も基本的には良い。王学府なんて特殊なところにいなければ、普通の貴族の中にいりゃあ、最高級だ。そんな男だからマシューナル国王も娘の婿にと狙っているらしい、本当の望みはオーヴァートだったらしいが、諦めた模様だ。
 オーヴァートを諦めた理由は、言いたくはないが三ヶ月前の“血の婚礼”の騒ぎが決定打となったんだそうだ。「さすがに、アレ(俺の事だが)を押しのけて、自分の娘を妻にと願えない」と。そうなると、適齢期のゾフィーには、次々と縁談が舞い込んでくる。
 マシューナル国王はゾフィーをとっとと、普通の男……此処で言う普通の男ってのは、王族とか貴族階級に属している連中であるのは、暗黙の前提条件だ。
 ゾフィーにきている縁談の、アレやらコレやらが色々問題あるせいで、マシューナル近辺にいる大豪族の末子バダッシュを婿に迎えたいらしい。 “あのマクシミリアン四世の王妃”にはしたくないらしい、最もエルセン側も悪いと聞く『お前の所の王女を貰ってやるのだ、ありがたく思え』的な態度で結婚を打診してきだそうだから。
 恐らく、ベルンチィアのダンカンの元に嫁ぐだろうな、ゾフィーは。それでも、国王はまだバダッシュを諦めてはいないらしいが、どうもバダッシュは実家を上手く説得しているらしく、ロートリアス家は国王に対して色よい返事を返さないそうだ。それほど学問に目覚めているようには思えないんだが、バダッシュのヤツ。
 そんな王家の願いを真向から切り捨てて、今日も只管行きもしない実技の副隊の書類整理を手伝っているバダッシュが、それはまあ色男も台無しにしてしまうような取り乱した姿で、俺の所に来た。
「用件を言えよ」
 息が上がっているバダッシュを急かすと、何故コイツが急いてきたのかが良く解かった。
 用件ってのは、夜食を持ってきたパン屋の下働きの子供が、オーヴァートに捕まれている。脇に抱えていた本をバダッシュに投げつけつつ、
「何処だ?!」
「第三会議室」
「持って来いよ! じゃあな!」
 そう言って俺は駆け出した。“廊下は走らな……”まで言って途切れる言葉。人を見て注意する、しないを決めるなら最初から注意するんじゃねえよ!
 人だかりと、扉付近の人の多さに
「邪魔だ! 退きやがれ!」
 言いながら開いている扉から駆け込む。中には確かにオーヴァートに捕まれている子供がいた。十歳以下だろう子供が、泣きながら謝ってやがる。そりゃそうだ、オーヴァートに首を押さえられて目線の高さまで持ち上げられた上に、顔を近付けられて舌で語っているかのように……いや、舐めるような喋り方をしてやがる。
 怖いに決まってんだろうがよ!
「何したのか知らねえが、下ろしやがれ!」
「おう、ドロテア! この子は貰うぞ」
 欲しいならもう少し目立たない方法で誘拐……じゃあねえ!
「意味解からねえよ。自分の中で完結させるな! とにかく降ろせったら降ろせってんだよ!」
 子供は薄汚れていた。おそらく、日当で商品を運ぶ孤児だろうな。泣きながら俺にしがみ付いてくるのは、帰巣本能……じゃねえや、子供の本能的なモンだろ。少なくとも、今まで自分を拘束していた相手よりは安心できるに違いない。
 膝を付いて、壊れる程泣いている子供の背中をさすっていると、上から声が降ってきた。
「その子を養子にする」
「養子? 突然だな」
 あんまりにも突然過ぎて、周囲も固唾を呑んで……飲んでなくて良いから、仕事しろよバーカ! 明日の午後出発だろうが! 
 オーヴァートと話をしようと立ち上がると、机の上にはまだ未完成の図面……おい! この図面出来上がってねえじゃねえかよ! この程度の珍事で一々浮き足立ってんじゃねえよ! 最も、俺が叱られる訳じゃねえから構いはしねえが。
 カタカタと震えている子供の意思などお構いなしに、オーヴァートは話し続ける。
「人間としては最高級の頭脳だろうから、この私の後継者に相応しい」
 それが本当かどうかは俺には解からない。
「ふ〜ん」
「仕事なり何なりを片付けて、明日にでも引き取る。それで良いか?」
 何を企んでるのかは知らないが、この男の口から出た言葉を撤回するのは不可能だ。
「それで良い」
 それだけ言って、部屋から出て行った。俺と子供がいる部屋に、入ろうかどうしようか悩んでいる面々を睨みつけると、扉が閉められた。
「見世物じゃねえよ! あー養子になるの決定したから、付いてこい」
 多分、何言われてるか解からねえんだろうな、と思いつつ子供が運んできたに違いない、籠から野菜の餡が入っているパンを二つ取ると、手を引いて歩く。
 手を引いて、手にパンを持っている、よって両手が塞がっている。目の前には閉められた扉(俺が閉めさせたようなモンだが)仕方ねえから、蹴り飛ばす。
 ガオゥン! と音を立てて無様に傾いた扉と、その向こう側でコッチを窺ってたらしい面々。
「ご、ごめんなさ……」
 耳と鼻から血出しつつ、謝る姿は滑稽だ。そんな、耳くっつけて中の会話窺ってんじゃねえよ。大した話なんてしてねえよ!
「騒がせたな。……おい、バダッシュ」
「何だ?」
「それ、オーヴァートに渡しておけ。それと、扉の修理も言っておけ」
「本はオーヴァート卿に渡しておくけど、扉の修理なら俺が引き受けてもいいぞ」
 そういやコイツ金持ちだったな。正確にはコイツじゃなくて、コイツの実家が。家柄が良いだけじゃなくて金持ちでもありやがる。
「お前の好きにしろ! じゃあな」
 バダッシュの家柄はパーパピルス王家・ヴァルツアー家よりも歴史が古かったな。勇者が誕生する以前から続いている家柄だから、下手しなくてもエルセン王家よりも歴史が古い、当然マシューナル王国のハールポル家よりも。何で、コイツの祖先国王にならなかったんだろ?
 そういえば、ミロが言っていたな。ヴァルツアー家(ミロの実家)はロートリアス家(バダッシュの実家)の分家だとか……本当になんで国王やってねえんだ、ロートリアス家? そんな事を考えて歩いていた。あんまり難しい事は考えたくないからな、今は。

 やっと泣き止みかけた子供の手を引いて、夜の街を歩く。

 自嘲したくなる程に見事な虐殺事件のお陰で、夜道を歩いていても誰一人として声をかけなくなりやがった。それどころか、人が引いていくからな。勘違いされてようが、構いはしねえけどよ。
 持ってきたパンに噛み付いて、味から多分コッチの方角にあったパン屋だろうな……勝手に推測して歩いている。特に腹が減ってるわけじゃネエから、二個目の処分を考えて
「食えよ」
 子供に差し出した。
「いただけませ……」
 どうやら泣き止んだらしい。
「食え! ったら食うんだよ!」
「は! はい!」
 往来で立ったまま、子供がパンを食べ終えるのを待っている。
 小さいって程じゃねえけど、夜に荷物を運ぶ仕事を引き受けて良いような年齢にも見えない。職業年齢なんてあって無きに等しいもんだからな。
「所でお前、名前はなんだ?」
「ミゼーヌですっ!」
 良くみたら前歯が抜けている。殴られたようなヤツじゃなくて、乳歯が永久歯に生え変わったようだ。年齢的には十歳以下って所だろな。孤児だろうから本人に聞いて、実年齢がわかるかどうか。
「ミゼーヌか、俺はドロテアだ。明日迎に来るから、待ってろ」
 道すがら、話を聞くと八歳だそうだ。生まれつきの孤児ではなく、両親はいたが二年前に父親が事故死して、半年ほど前に母親が死んで、身寄りがなかったんで孤児になって生活しているとの事。
 現在はパン屋の下働きで、パンを積んだリアカーを引いて得意先に届けに行くのが仕事なんだそうだ。その得意先の一つが王学府で、そこで人生間違った方向に変えられた気もしなくはないが、こればかりは……。
 パン屋に送り届け、洋服を脱がせて持って帰ることにする。店の主人夫婦は
「そりゃ……まあ、……はあ、……そのよろしく……まあ…、…ええ、その……賢い子だと……おもいますけど……はい」
 歯切れの悪い、意味のない言葉を延々と繰り返した。俺としても気持ちは解かるから、かみ合わない会話は無視した。
 簡単に明日連れて行くって事で話をつけた、此処で何がしかの金銭を渡すと人買いになっちまうんで、あくまでも話でカタをつけなきゃならねえのが、孤児を養子にする際の最大のネックだ。ミゼーヌなんか半年前から働いている、半年と言えばやっと教えた仕事を、自分でこなせるようになり始める頃。
 この状況で横合いから「養子にするから寄越せ」と言われると、折角仕事ができるまでに育て、飯を食わせた方としてはワリが合わない。だから金銭の有無を……となるのだが俺が俺だったせいで、あっさりと引き渡された。血の婚礼が良い方向に働いた、珍しい例だなこりゃ……この段になって初めて思うんだが、何で俺がこの種の手続きしてるんだよ。
 気付いた瞬間に、多大な疲労感に襲われつつ、俺はミゼーヌの服と靴……これを靴と呼ぶべきだろうか? 呼んで良いんだろうか? くらいにくたびれてるが、それを持ってオーヴァートの邸に帰った……じゃなくて戻った。
 この頃、此処に戻ってくる時「帰宅する」と口をつく。此処は俺が帰る場所じゃないんだがな。
 入って直ぐの応接室で「マリアを呼んできてくれ」と頼み、俺は深くソファーに沈む。そこに聞こえてきた、パッタクラパッタクラ……「パッタ」がサンダルが床に着く音で、「クラ」がサンダルからはみ出している生足が付く部分。もっと大きいサンダル履けよ、アンセロウム。
「おう、ドロテア。お主もハプルーについて行くのじゃな。オーヴァートを宜しく頼むぞ」
 年寄りは夜早いってのは、嘘だな。この百歳をゆうに越えてる髭の闘技場好きなジジイは、夜遅くそして朝早い……一体何時寝てるんだ?
「何を頼むんだよ? アンセロウム」
「さあ? それはお主が探すが良い。そうそう、ザーベティアには気をつけよ」
「総学長に立候補してるザーベティアか?」
「その通り。あの男、反逆の兆しの強い人間ゆえにな」
「反逆の兆し? 総学長選で対立するのは反逆でも何でもねえだろ?」
「さぁのぉ……あやつはエールフェン人だ。それだけじゃ。いや〜楽しみじゃのぉ、久しぶりにレクトリトアードのカードじゃ」
「ジジイ、闘技場トーナメント見逃すのが嫌で、王学府の総学長から降りたんじゃねえだろうな?」
「儂は長い事闘技場トーナメントを見ておるが、あの勇者は始めてだ。勇者カムバック! アレクサンドロス!」
「アンタ、エド嫌いだろが……焚書坑儒と学者虐殺を忘れたのかよ」
 行方知れずの……いや、子孫知れずの最後の勇者の名前を叫びつつ、アンセロウムは言いたいだけいって、再び独特の足音で去っていく。
 王学府の総学長は選挙で選ばれる。今の総学長はアンセロウムで、そろそろ後任に任せたいと言い出した。言うのが遅いって話もあったが、前例の問題だ。
 アンセロウムよりも前の学長は皆、死亡してその任から降りている。だから、皆漠然と「アンセロウム老が亡くなったら、次の学長……」思っていたんだが、この老人死なない。中々死なない、本当にくたらばらない。百三十歳越えてるんだったっけか? その位でも可笑しくはないよな、グレンガリア王国の生き残りなんだから。
 このまま行っても死なそうなのと、そろそろ新しい総学長を選びたい、という皆様のご要望により今回の退任が決まりやがった。一人でも“退任”っていうのを作ると、それが色々とな。それでも、どうしても『長官』になりたい人がいたらしく、この運びとなった。
 五十年以上も学長を務めたアンセロウムの次の学長を選ぶ、その選挙が二ヵ月後に控えている。立候補してるのが、ザーベティアとデズラモウス、そしてオーヴァート。前者の二人は自薦で、オーヴァートは他薦だ。アンセロウムが推したのは当然オーヴァート。
 本人がやりたいかどうかは別として、後継者指名みたいなのがある、その場合大体自分の弟子を推す。偶々アンセロウムの弟子で、学長になれそうなのがオーヴァートしか居なかっただけだったそうだ……本人がオーヴァートの目の前で言ってんだから、そうなんだろう。アンセロウムはそういうジジイだ。嫌いじゃねえがよ、そういう所。
 前々からオーヴァートの圧勝が囁かれてる。前は囁かれていたが、今は既に大声で語られてるって言った方が良いかもしれないな。
「デスラモウスはエルセン出身で、ザーベティアはエド出身だったよな。でもエールフェン人って事はエド法国の首都付近じゃなくて、かつての首都エルドラド出身になるのか?」
 何故か古代の支配者の名を冠している種族は腰が重い。
 正式に言えば「フェールセン界エールフェン門ジウボリス網カルファテン目カルガテン科エールフェン属」これがエールフェン人ってのを指すわけだが、この選帝侯の名を“門”と“属”両方に持っている人間は、何故かその土地を離れたがらない。
 まるで取り付かれているかのように離れない。だが、ザーベティアは珍しくその土地を離れたエールフェン人で、結構人目を引いている。……俺ほどじゃないが。
「主が反逆者だと、周囲にいる人まで反逆者になるのか」
 無駄な事を考えていると、眠気がヒタヒタと近付いてきた。本来なら明日は出発直前まで寝て過ごす予定だったのに、そうもいかなくなった。そうなると、余計眠くなるのが人ってもんだ。
「ドロテア? 何か足りないものでもあったの? それともお腹でも空いたの? 何か食べたい?」
「あ、マリア! 寝てたところ悪いんだが、悪いが子供の洋服を仕立てて欲しい。サイズはこれで」
 本当は自分で作ればいいんだろうが、さすがに眠い。寝ていたマリアを起こしたのは悪いが、マリアを起こして仕事を任せて寝たいくらい疲れていた。
「良いわよ。この程度のサイズなら明日までに上下三着くらいは作っておけるわ」
「一着でいいよ。追って作ってもらうから」
「でも、その子連れて行くんでしょ?」
「何処に?」
「此処に来る途中にオーヴァートと会ってね ”ドロテアと一緒に、今回の調査に連れて行くから準備を” と言われたんだけど……。私、からかわれた?」
 道理で、マリアが来るのが遅かったわけだ。
「へぇ……本気で連れて行く気なのかよ。それなら直の事、一着でいい。今すぐに、仕立て屋呼び寄せて大急ぎで作らせる。マリアは暇があったら仕立てておいてくれるか? 帰って来た時に着れるように」
「ええ、良いわよ」
 マリアの作った洋服、布を張りなおした靴持って明日ミゼーヌを向かえに行って、その足で役所に書類を提出して、身元の照会を王学府の庶務課に出して同行させる許可証を取って……寝てる暇ねえような。
 俺がやるもんなのか? それとも別の誰かがするのか? それを問う為にソファーからやっとの思いで立ち上がる。
 そして、最後にもう一言。
「あーそれと……アンセロウムよろしく」
 闘技場で応援し、興奮して、暴れまわるアンセロウムを連れて帰ってくる仕事をマリアに依頼。何時もは俺がしてるんだがな。
「本当に迷惑な老人よね。何で杖あんなに振り回すのかしら?」
 鍋の蓋で、暴れる杖を受け止める。お陰で幾つ鍋の蓋がボコボコになったことやら……。恐るべし、樫の木の杖。
「いや、ゴメン。本当にゴメンな」
 あんなんでも、一応老師ってか師匠なんで……多分。
 オーヴァートの部屋へ行って、連れて行くのに必要な事を言うと『お前がやれ』とのありがたい一言。俺は結局徹夜のようだ。オーヴァートは俺が選んだ本を開きながら、読んでいるのか? いないのか? どっちでも構いはしないが。
「ヤロスラフは何処にいる?」
 ヤロスラフに頼んで、王学府庶務課の書類と、役所の戸籍係に出す書類を拝借してきてもらう事にしよう。身体の調子が悪くても、その程度のことなら依頼しても大丈夫な筈。
 朝行って書いてたら間に合わないからな。人はそれを犯罪と呼ぶだろうが、今更不法侵入して必要記入書類一枚や十枚持ってくるくらい、どうって事ねえだろ。
「ヤロスラフか? 来客中だ」
 帰って来た答えは、意外だった。ヤロスラフに来訪者があったのは、俺が此処にきて二年の間で初めてだ。
「お客? こんな夜更けに」
 それもこの体調不調の際に。見舞い客なのか? 思ったが。
「招かれざる客、とでも言うのだろうな」
 身体の調子が悪い上に、招かれざる客な……。アイツも苦労してるな。
「チッ! 仕方ねえな」
 舌打ちをすると、目の前に突然封筒が差し出された。
「書類なら持ってきておいたぞ」
「だったら自分で書けよ!」
「あの子供の名前も解からん」
「知ってるクセに」
 オーヴァートの言った“招かれざる客”が誰なのか? その時は全く気にならなかった。気にする余裕がなかったというべきだろう。
 そもそも、俺は養子に関する書類など書いた事はない、あるわけがない。既に結婚しても何の問題もない年齢だが、十八で養子を考えるヤツはそうそう居ないだろう。
「お前の望みをかなえれば、養子を取る事になるかもしれないから、覚えておけば何かと便利だろう」
 確かに俺は胎児を力に替える方法・ゴルドバラガナ邪術を望んでいるが、養子なんて考えた事もない。それでも社会勉強だと、養子手続き用の欄を埋めてゆく。

ミゼーヌ 八歳 両親死亡。死亡理由・実父:事故死 実母:病死

養子にする理由? あるかよ、理由なんて! “玩具”とは書けねえし、書いたって受理されねえだろうし。役人が怖がって受理しちまったら、それはそれで問題だろうし

「おい、オーヴァート。養子の必須欄に両親の名前ってのがあるんだが、父親はオーヴァートで良いとして、母親は? 片親だけの養子だと、また別の書類が必要になるらしいぞ。面談ってやつも必要になるらしい」
「お前の名前でも書いておけ」
「俺あんたと結婚してねえし」
「書いておくだけでいい。私には戸籍がないのだから、確かめようがないゆえに誰の名前を書いていても平気だ。ドロテアと書いていても、どのドロテアかは解からん」
「そうかよ」

養父:オーヴァート 養母:ドロテア 養子:ミゼーヌ

 こんな体裁の書類が完成した時には、既に空が白みはじめていて、そこから王学府に提出する同行許可に関する書類を書き始める。貫徹だ……

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「太陽が憎たらしい」
 徹夜明けの目が痛くなる程の朝日に悪態を付いて、俺は立ち上がった。必要書類を書き終えて、封筒にまとめてから顔を洗って服を着替える。マリアが作ってくれた洋服と、直してくれた靴を布に包んで脇に抱える。
「朝ごはんは?」
「昼前に戻ってくるから、その時にかき込む」
 ミゼーヌは目を覚まして、多分裸で困っているだろう。孤児は代えの服なんて持ってないからな。
「出発までに帰ってこなかったら、置いていってくれよ」
 そう、オーヴァートに告げて廊下を走る。
 そもそも俺は正式な配置じゃないから、置いていかれても問題はない。仕立て屋には朝日が昇る前に使いを出したから、そろそろ来るだろう。靴屋も呼び寄せたし、王学府の食糧管理担当者の方には既に一人分追加の知らせを出した、同行が受理された後では間に合わないからだ。
 あと必要なのは当面ない……筈だ。
 足りない事はないか? 考えながら広いホールを横切って、邸を出ようとした時聞こえた。怒鳴り声、珍しくヤロスラフが声を荒げているらしい。
 反射的に大声のするほうを観ると、そこにはヤロスラフともう一人の男が立って、身振りも激しく今にもつかみ合って喧嘩をせんばかりに言い争っているのが目に入った。
『あれが、招かれざる客か。昨夜から今まで言い争ってたんだろうか? 身体が頑丈だと、喧嘩も長引いて大変だな』
「オレクシー!」
 ヤロスラフが叫んだ名前らしい単語を耳に挟んで、邸から出て待機させて置いた馬車に乗り込む。

「眠い……ダルイ……からだが重い……」

『ヤロスラフが体調不良で今回の作業に同行しないから、俺がこんな面倒な目に……元とは言えばオーヴァートが……』こんな文句を夢の中で言いつつ、軽い振動に身を任せる。

**********

 半分寝た状態で、養子手続きと同行許可を得て、マリアが準備しておいてくれた俺の荷物を受け取って、準備までしておいてくれたミゼーヌの荷物の中身に足りないものは無いか確認して『吸う』だけで食べられる物体(味は既にわからなかった……悪い、マリア)を飲みつつ、マリアとヤロスラフとアンセロウムにミゼーヌの事を紹介して、馬車に乗り込んだ。
 マリアはミゼーヌの部屋を整えておいてくれるそうだ、手間かける。
 そして俺は癪だが、出発にギリギリ間に合ってしまったようだ。
 だが以降の記憶は俺には無い、それ以前もかなり怪しいんだが。完全に沈黙したらしく、丸一日延々と寝続けていたそうだ。どうも体調が悪いらしく、移動中は殆ど寝ていた。
 そういえば、この二年程体調悪化させてもおかしくないような所にいながら、全く体調を崩さなかったなあ。……崩している暇がなかった、ってよりも崩れた事に気付かないくらいだったんだろう。揺れる馬車の中で、心ゆくまで寝て過ごした。
 お陰で

「気にするな。俺もお前も部外者だ、黙ってその窓から外見てようぜ。中々観れねえもんだぜ、惑星を外側から観るなんてのはよ」

 移動に結構な日数を要するハプルー遺跡に到着するまでが、とても短く感じられて済んだ。
「いいタイミングで体調を崩したもんだ」
 そう思いながら、俺は馬車の中で殆ど会話できなかったミゼーヌと、邪魔にならない場所から外を観ている。窓ガラス(正式にはガラスではないが)から見える、漆黒の空間と青い惑星を二人で見下す。
 こう言っちゃ学者失格かも知れねえが、観光目的だったらこのハプルー空中要塞遺跡は最高だろう。眼下に広がる青い惑星、固体名がないのは惜しいが。皇代には名前が付いていたらしいが、残念がなら今に伝わっていないし、何処にも記載されていない。
 知っているとしたら、今は姿が見えないオーヴァートだけだ。
 窓の縁のような部分に座りながら、その球体を見つめている。これ程上空であっても“地の果て”と“海の果て”、そしてフェールセン城が見える。特にフェールセン城は、地上から見るのよりも大きく感じられる。子供の頃に見たフェールセン城よりも、大人になって上空から見るフェールセン城のほうが大きく見えるとは?
「うあぁぁぁぁ〜あ、あの青いのは?」
 馴染み始めているミゼーヌが、指さす。
「海だ。この遺跡に乗る時に歩いた、橋の周囲の水の事だ」
 若いから適応力があるんだろう。なかったら大変な事になるがな。俺より十歳年下だと“若い”ってより“幼い”が適切だろうが。
「じゃあ、あの白いのは?」
「雲。空にある雲だ、濃いのは積乱雲だろう」
「あ、あの。この丸いのの周りにある、四角い板は?」
 “丸いの”は惑星、その周囲には四角い板がこのハプルー空中要塞遺跡と同じように、周回している。非常に小さい板で、ハプルーが通ろうとするとそれが道をあける。ぶつからないギリギリの距離を保つので、この窓からは良く見える。
 小さい板といっても、俺よりは大きいが……よくよく見ていると、大きさが一定じゃないようだ。
 作り方に違いでもあるんだろうか?
「コイツは対空砲制御板なんだが、お前はまだ解からないだろう。勉強すりゃ解かるようになるだろ……?」
 先ほどまでは全てが一定方向を向いていた制御板が、各々別方向をむき出した。
「どうしたんですか?」
 何故制御板が稼動し始めた? 
 制御板は地上から打ち上げられたエネルギー砲を反射させて、目的の方向にダメージを与える。多数設置されているので、どの場所から対空砲から打ち上げても、目的地に到達できる。惑星の反対側から反対側までなど簡単に。
「どうして……動くんだ……」
 制御室からの音声にも焦りの声が聞こえる。
 誤作動? 誤作動にしちゃあ、見事過ぎる。この角度は
「対空砲制御板角度が……こっちを向いてやがる?」
 ハプルー遺跡を狙っているのか! 誰が? だがその前に!
「眼を閉じろ! ミゼーヌ! 俺が良いというまで目を開くなよ」
 ミゼーヌを抱えて俺は物陰に隠れて目を閉じた。対空砲が発射された事は、目ではなく身体で感じ取った。衝撃が走った、想像よりも小さな衝撃が。
「一体何が起こったんだよ。ミゼーヌ、もう目を開いていいぞ」
 “外したのか?” 宇宙空間を移動するハプルーを狙い打つのは難しいから、外したとしても……本当に外したのか? それ以前に、何故こちら側から対空砲が出なかった? 起動しているのに対空砲を撃たなかったという事は、何者かが此方側の対空砲を制御している事になる。
 狙いは何だ? 普通に考えれば殺すのが狙いだろうな。宇宙空間で狙い撃たれ、破損したら人間は確実に死ぬ。この空中要塞遺跡に搭乗している人間を殺すつもりだとして、誰を殺そうとしている? 俺か? 俺は今の所は殺そうとはしないだろう、前回の騒ぎがまだ人々の印象に残っているから。
 オーヴァート? オーヴァートは対空砲くらいじゃあ死なないような……確実には知らないが。そんな事を考えていると、頭上から誰とも付かない、人間でも魔物でもない声が俺達がいる通路に響きわたる。

『目標補足 主砲臨界』

「目標補足?! 何の話だ」
 主砲が臨界って事は直ぐにでも発射される。だが目標は? ハプルーの主砲は惑星側を向いてはいない、宇宙空間に向かって撃つのか? そう思いながら外を見ると、丁度対空制御板が八枚ほど此方を向いて集まっているのが見えた。場所から言ってあそこは主砲発射口の前。
「制御板に向かって、主砲を撃つのか? 跳ね返ってきたら……」
 主砲でハプルーを落すのか?
「ドロテアさんっ! あ……! あそこっ!」
 ミゼーヌが見つけたものは、普通ではありえないもの。
「ミゼーヌ! 目瞑れ!」
 主砲に狙われているものが解かった、やはりオーヴァートだった。正式には狙われてちゃいないが

黒い髪と褐色の肌は、無重力下でも何ら変わることはない
それだけで、通常の生物とは全く違う事が理解できる
その男は、意識を失っているかのようだった
対空砲で撃たれた際に、体の表面が溶解し、ハプルー空中要塞遺跡の表面を覆う流体金属に接着したのだろう
両腕が外殻に溶け込んでいた。罪人が十字に吊るされるような姿で
対空制御板が主砲の前に次々と並ぶ
『発射』
銀色の音が告げる

反射させ、この遺跡に溶けている主を撃ちぬく

音など聞こえないはずなのに、その漆黒の暗闇の中で対空板が砕け散った断末魔が聞こえた

『主砲83.2%的中 右第八区画から右七十八区画迄被弾 破損率54% 強制切替 右総区画ジウボリス網カルファテン目カルガテン科全属の生命維持不可移行完了予定時間 03:01 同時刻右区画閉鎖完了予定』

 受けた衝撃は、想像通り……以上だったかもしれない。その、衝撃によるショック状態に足を止めている場合じゃない。
「何だって!」
 ジウボリス網カルファテン目カルガテン科全属は、簡単に言えば「人間」全てを指す、フェールセン人も俺も全てを! その生命維持不可って事は、こちら側の区画の俺達用の生命維持用装置機能を全て落して、遺跡の回復なり何なりに使うのだろう。
「な? 何があったんですか?」
 ミゼーヌは言われた言葉が理解できないでいた、理解した所でなんら変わる事はないんだが。
「こっち側がマズイって事だ! 早く避難……逃げろって言ってる」
 言っても無駄だが、此処から走って間に合うか? 一番近い左側区画でも、48ブロックある。今の時間が何時かわからないが、あの聞きなれない音は「避難」とは言わなかった所から、避難させる「時間」をジウボリス網カルファテン目カルガテン科全属に与えるとは考えにくい。あいつらは「避難」なんて言葉自体、必要ないんだろうけどよ。
 走ってみるか?
「助けなきゃ! オーヴァート様を」
 ミゼーヌの子供特有の高い声が、繰り返される聞きなれない音声放送と重なる。
「……助ける?」
「そここにっ!」
「あれ、さすがに死んでるだろ……」
「でもっ! でもっ!」
 オーヴァートは、ハプルー遺跡より“破損”してやがった。
 鎖骨の辺りが破損した破片に刺さっている。あの長い黒髪は殆どなくなっていて、顔も顎くらいしか残っていない。下半身は全て無くて、上半身もほぼ半分ない。それでも褐色の肌と、黒髪が“残っている”ことで、ミゼーヌはアレをオーヴァートだと判断した。
「死んじゃったんだとしても! あのままにしておいたら! 可哀想だよ」
「……可哀想……ね」

 世界で一番“ソレ”が似合わねえ男だよ、ソイツは。

後になって知ったんだが、ミゼーヌの父親は、家族で船に乗っていて死んだんだそうだ
船が座礁して、避難艇で逃げる際に倒れてきたマストに潰されたんだって
連れて行きたかったんだが、死体だからと乗せてもらえなかった
その判断は正しいが、それをそのまま“仕方なかったからね”と簡単に言い切れる近しい人間も、そうはいない

 その時の俺は、そんな事は知らなかった。
 あの破片が抜けたら、オーヴァートはどこかに行くんだろうな……帰ってこれるのかな? それだけが頭を過ぎる。慣性の法則で何処までいくんだろうか? 等と。
「オーヴァートを回収している間に、避難が、此処から逃げるのが遅れて死ぬかも知れないぞ? それでも良いか?」
 走っても左区画まで時間内には、間に合わなさそうだ。此処から見えるオーヴァートが漂っている区画までは確実にたどり着ける。オーヴァーに賭けてみるか?
「あ、あの……」
 “可哀想”か……。
「俺は構いはしねえ! お前はそれで良いのか? 躊躇ってる暇はない」
「はい!」
 いい子じゃねえか? お前が選んだとは思えない子だぞ、オーヴァート。

**********

「これ以上は進めねえ」
 大回りして、オーヴァートが先ほどよりも小さく見える、救出できる場所へと到着した。
 当然、主砲の反射撃を最大量浴びた場所だ。破壊された金属片は未だに熱く、普通の靴じゃあ進めない。まだ赤黒い焼けた金属の向こう側に、僅かに見える褐色の小さな物体。あそこまで歩いていくのは無理だ。
 飛んで近くに寄る事も不可能だ。オーヴァートが漂っている箇所は、宇宙空間。俺は残念ながら唯の人間だから、あの場所まで行けば回収する前に死ぬ。まだ、制御が利いている空間内しか移動できない。無重力空間に魔の舌を伸ばしても、上手くいく可能性のほうが少ない。
「どうやって回収すりゃ良いんだよ」
 焼けた金属の向こう側に開かれた漆黒の空間、白く光る星の中に褐色の爛れた躯。
 地中に落ちてゆくアウローラを救うよりも難しい。アウローラは救えなかったが……火葬の……
「焼けている?」
 そうだ、オーヴァートはその熱で、躯が溶接されたかのようになっていた。まだ、あの躯が熱を持っている可能性は? 完全に冷え切っているとしても冷え方も尋常じゃないはずだから、この金属に躯が引っ付かないだろうか?
「何してるんですか? ドロテアさん?」
「あのくらいの大きさになってるから、このくらいの金属に引っ付いても取れないはずだ」
 オーヴァートに寄越された皇帝金属の手甲を外して、魔の舌を結びつける。
「上手く、くっ付いてくれよ! お前の主に」
 弧を描くように投げる。上手く無重力下に入ったそれは、俺が操らなくても目的の場所へと向かった。

どういう訳か、無重力下でも魔の舌の先端は自在に動いた。動くはずが無いのに……まるで手甲が何かに引かれるかのように。

 力一杯引いたところ、焼けた鉄の上に落ちた。随分と軽く、多分先ほど抱えていたミゼーヌよりも軽いような。そりゃそうだ、あのヤタラと長い足が全部ないんだから、軽くもなるか。
「ぷっ……くくく……はははは!」
 手で引いていると、ガランガラン良いながら、躯が変な方向に回転しつつこちら側へと近付いてくる。
「どうしたんですか?」
「あ? いやな、何か壊れた玩具を引き回して、益々壊しているような気分。笑うしかねえよ」
 “元”は美丈夫の躯を、ガラガラ言わせながら金属片の中を引く。死んでるのかどうかは知らないが……生きてたら叱られそうだよなぁ……助けたのに叱られるのか……褒められても仕方ないしな。無事に俺達は歩けない熱の上を通り抜けてきた躯は、非常に小さく、そして焼けているはずなのに焦げた匂いはしていなかった。
 動かしやすかったのは、手甲がオーヴァートの躯に半分ほど埋まっていたかららしい。これは熔接というよりは“取り込まれた”と言った方が正しいのだろう。溶けかけたバターにバターナイフをさして、再び冷やしたような……違うか? まあ、どう考えても今から「コレ」を持って、左区画まで走るのは無理。

 残念ながら此処で人生を諦めるしかないようだ

 それにしても主砲の反射撃を浴びていまだ熱を持つ場所と、既に熱が制御されているその躯。あの熱い金属の上を引き回したのにも関わらず。
 これを観て『生きている』と考えるのは愚かだが、普通の人間とは違うのだから「もしかしたら」?
 俺は少しだけ躊躇って、その躯の残りに触れた。いまだ体内に主砲から受けた熱量が残っていれば、俺の手は瞬時に熔解するだろう。だが触れる以外確認のしようがない。
 震える左手の手首を右手で押さえて、顎のあたりに触れてみる。触れる時に思った、死ぬ覚悟は出来ているつもりで、出来ていないものだと。たった今、これ以上の移動は無理だと諦めたのに、手が溶けるのは怖い。

死ぬ事と痛みは、己の中で別次元に存在するものらしい

 触れた体は何時もの物だった。いつもの体温と同じ、そして残る舌の濡れた冷たい感触も同じ。生きているのか? こんなになっても。
「酷い……」
「いや、大丈夫かも……しれねえ」
「その通り、まだ生きている。だが、今ならばジウボリス網カルファテン目カルガテン科全属でも止めをさせるかもしれないな」
 突然かけられた声に、ミゼーヌとともに振り返る。
「それを渡していただこうか? 娼婦」
 突如現れた男。
 青味を帯びた黒髪と、薄い紫色の瞳。正面から見たのは初めてだし、こんなに穏やかそうに気取った喋り方をしているのを聞いたのも初めてだ。
“招かれざる客”
 ヤロスラフと喧嘩をしていた相手。
「何でだよ? 死んでるんだろ」
 生きている、間違いなく生きている。
「だから寄越せと言っているのだ」
 どういう事だ?
「何者かもわからないのに、渡せと言われてもな。オレクシー」
「名は知っているのか?」
「名前だけだ。何処の誰かもわからない。大した事ないお血筋か?」
 あの喧嘩をしていた時の態度と、穏やかそうな素振りで相手を見下す喋り方……尊大で、自尊心の塊だろう。こう出れば乗ってくる可能性もある。
「エールフェン選帝侯の血に対して、よくもそれほど非礼を働けるな」
「何でエールフェン選帝侯の血筋なのに、皇帝を裏切る事が出来た?」
 この状況をオレクシーが引き起こしたことかどうかは知らないが、今現在オレクシーは裏切っている、だがオーヴァートは生きている。オーヴァートが寝てりゃあ、それは発動しないのか? そんな簡単なものじゃないだろ?
「それを知っているのか」
「説明してもらえるか?」
「その必要はない。貴様のような下賎に」
 焦っている? だとしたら、それは時間とともにオーヴァートが回復していく事だろうな。最も、この状態じゃあ治療もなにもあったもんじゃないから、自己修復能力しかない。
「一番強いのが選ばれるんだよな、当然。ってことはアンタはヤロスラフよりも下なんだよな」
 ヤロスラフはヤロスラフだが“あれ”は“あれ”で立派だ。だが、このオレクシーは絶対に選ばれなさそうなタイプだな。
「無駄口を叩いていないで」
 この程度の時間をも惜しがるってことは、相当早くに回復するらしい。回復時間を聞いておけばよかったかもな。
「渡しはしない」
「貴様を守って下さる、ありがたい皇帝陛下はお亡くなりに……」
「どこにそんなヤツが? 俺を守って下さるありがたいお方ってのは、誰だ?」
 どいつもこいつも「血の婚礼」なんて面白い名前の付いた大虐殺の、真の理由を知らないで困る。表面だけ見るんじゃねえよ! 
「ほう……選帝侯に盾突く気か?」
「選帝侯には盾突きはしねえよ。お前は選帝侯の血筋だろ、オレクシー。貴様は選帝侯じゃあねえ!」
 そこに、第三者が口を挟む。

『閉鎖完了』

 人じゃねえけど。見事な仕事ぶりだ、その冷酷さ。だが、
「閉鎖完了?」
 俺は生きている。振り返ればミゼーヌも生きている。どういう事だ?
「フェールセン! まだそれほどの力が? 既にそれほどの力が戻って?!」
 オーヴァートがここの区域を保っているのか? それにしたって、残り10,8,9,7,6……カウントダウンくらいしても良いんじゃないか? 音声さんよ! そして、どうやら俺はカウントダウンだが。
 死ぬな、この男に確実に殺される。それで時間を稼いで、オーヴァートがミゼーヌを助けるかどうかまでは知らないが。
「ミゼーヌ。気味悪いかも知れねえが、オーヴァートの躯の下に隠れろ」
 躊躇ったが、ミゼーヌはオーヴァートの躯の下にもぐりこんだ。内臓なんかがばら撒かれてないから出来る芸当。見事に蒸発しているようだ。内臓が完全に蒸発して脳がなくなっても、蘇るのかよ。それにしても……下半身なんか残ってたら、俺笑ってだろうな。
「人間如きが敵うと思って」
 オーヴァートとオレクシーの間に割ってはいる。
 コイツがどんなに屑だろうが、俺以下って事はない。その位は解かっている。
「思っちゃいねえよ」

今此処で、こんな事をしても無意味な事は理解しているのに

「愚かな女だ」
「誰よりも、今そう思っているさ」

感情に理性が付いていかない事を、知った
不必要に両手を広げて、その場に立つ
焼けた鉄
大きく開いた穴からみえる青い生まれた場所

「何を笑っている、娼婦!」
「さあな……強いて言えば、女に生まれた事か」

女に生まれた事を、心の底から誇れる

「畜生」

それが最後の言葉
俺自身に向けた言葉


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