五人乗りの馬車に三人だけ。
黒髪褐色のオーヴァート。亜麻色髪白肌の俺。金髪碧眼アウローラ。
「僕の顔に何かついているかね?」
「いいや。オーヴァートは何時も見ているから、飽きてるんでな」
「ならば、好きなだけ見るがいいよ。僕も君を見させてもらおう。美しい花よ」
談笑する気になれないのが残念だ、これからアウローラ副教官の一族を捕まえに行く為。
ことの始まりは、センド・バシリア共和国の大統領。
大統領が、周辺部族に宗教を押し付けやがった。
それも、ギュレネイス神聖教を。聞けば息子がギュレネイスで出世しているとか……その絡みらしい。
最終的には自国民を全部、ギュレネイス神聖教徒にしてしまうようだが。まず手始めに、正式な宗教(アレクサンドロス=エドを真君としている)を奉じていない、少数部族から改宗する事にした。
その中の一つにアウローラの一族、アーハス族が含まれていた。
アーハス族はそれに抵抗したが、一部族と一国家の争いは、呆気なくケリがついた……否、つく筈だった。
センド・バシリア共和国トップが、アーハス族の生活を良く知らなかったのが原因だ。アーハス族は『アルマデンテロアン遺跡』ってのを信仰対象にしている。
少数部族だってのに、アウローラを含めて四人も学者がいるんだぜ?
アウローラ以外の学者は、部族に戻っていて……そして、負けそうになった時、それを動かした。
七人の乙女を生贄にして。
七人なんて無意味だ、生贄にするならもっと大人数じゃなけりゃな。
最もその意味は、動かす力を得るためではなく、遺跡を使うための使用料のようなものらしいが。
その、生贄という行為がセンド・バシリア側につけ込まれているとは、思いもしないんだろうな
「思ってはいないね」
「……そうか。だが社会的な規範を盾にとられて、協力する国が何処もないとなると、間違っているとは思わないまでも、どこかを訂正しようか? そう考えはしないのか?」
「思わないだろうね」
淡々と語るアウローラと、無言のオーヴァート。
「煙草を吸ってもいいかね?」
「俺は構わないが」
「宜しいかね、学長殿」
「構わない」
「それでは一服。……この煙が好きでね。僕達は土葬ではないのだよ。火葬が主でねえ。正式三宗教は全て土葬だろ? 火葬は罪人を裁く為のものだとされているだろ? それが相容れないのだね。死後を司ることは、その部族にとって最も重要な事だからさ」
「土葬はダメなのか?」
「駄目なんだなあ、これが」
どうしてだ? 聞こうとした時だ
「アルマデンテロアン遺跡は地中にその大部分が存在する。その地中を死者の腐肉で汚すわけにはいかない、と言う事だ」
「その通りです、学長殿」
なる程な。
「僕達にとっては土葬は、とても不幸せなのだよ。でも、それを解かってはもらえない。それを嘆く気はないよ、僕は」
変わった香りのする煙の充満した馬車で、目を閉じた。
**********
いつもならヤロスラフも同行するのに、今回は見送ると聞かされた。原因は、体調不良。
「何か問題行動でも?」
「ただの不調だ」
ただの不調って?
「死ぬかもしれぬが、私が止めを指すまでは死ねぬから、精々生きればいい」
それは“ただの不調”とは言わないような。その言葉を聞き返しはしなかった。出発前に部屋を尋ねた。
「お前の代わりに、細々とした事をしておいてやる」
「悪い」
ベッドの上に身体を起こしたヤロスラフと、看病しているマリア。看病のしようがないのだが、看病している。
「悪いがマリア、少し席を外してくれるか?」
「解かったわ」
パタンと扉が閉じられ、ヤロスラフは語った。多分、もう助からないと。身体が常人よりも優れている代わりに、精神面が身体を怖ろしい程に支配している為に。
人間であれば、食欲不振や睡眠障害が現れてくる所だが、ヤロスラフはその間に何もなく、死に直面してしまうのだと。
「疲れたのかも……知れない。本当の所は、良く解からん。私が死んだら、オーヴァートの事を宜しく頼む」
“前”にもそうは言われたけどな。思うんだが、ヤロスラフは基本的に反逆心など無いように感じられる。淡い水色で統一されたベッドの上で
「困った事があれば、マルゲリーアを頼るといい」
「マルゲリーア? ……ゴールフェン選帝侯?」
もう一人、生き残った選帝侯がいると聞いている。女で、皇帝の側には近寄りもせず、自由気ままに生活していると。
「そうだ。反逆のエールフェン、忠誠のゴールフェン。忠誠心が厚かったせいで、怒りをかった哀れな選帝侯」
表面的には皇帝の側に近寄らないで、ただ自由気ままに生きているように見えるが、実は違うのだと。誰よりも皇帝の側に、オーヴァートの側に居たいのだが、それを許されていない。
「私より苦しいだろう、忠誠があれば苦しまねばならぬ。だが、ゴールフェンから忠誠を奪う事はできない」
それは苦しみに耐えて、生き抜く事で皇帝に忠誠心を捧げる哀れな選帝侯だと。
「お前は、叛意を抱いていないのに死ぬかもしれない。お前も忠誠で死ぬんじゃないのか? ヤロスラフ。お前は……忠誠を信じてもらえない事に疲れ、それでも叛意を抱けない自分に疲れたんじゃないのか?」
「そうかも、知れない」
俺は椅子から立ち上がり、部屋を出た。
何年オーヴァートに仕えているのかは知らないが、延々と信じてもらえない日々の繰り返しが精神に多大な負担をかけているのだとしたら……助けようはない。
助かりたくもないだろうが。簡単には死ねはしないんだろう。
**********
『アウローラを見張る』
それが俺の仕事だった。危険度の低い仕事だ。
アウローラは、センド・バシリア側に拘束されている部族者達に会いたいと言ってきた。交渉したが、相手は難色を示す。
警備なんかは口を挟めないからな、それでも食い下がった。
少しして、オーヴァートが話を通したらしくアウローラは部族の仲間と再会した。そこにいたのは老人ばかり。
若い者達は全て遺跡の中に隠れていると。
アーハス族は、見た目が美しいから、突然戦争を仕掛けてきた(アーハスから観ればそうなるだろう)相手から、身を守る為に遺跡に逃げたのだと。
「ふむ、問題だね」
部族の老人達はアウローラを、弾かれたように見た。
「皆、若すぎるのだよ。老女よ、彼らの自制心は老女の自制心の一割にも満たぬよ? 彼らは遺跡で、ランターを襲うだろう。そうなってしまえば、悪いのは我々になってしまうのだよ」
老女は、歳を取った女の中で一番えらい女の事。ランターはアーハス族以外の人間を指す。
「バーターターシア・アルマデンテロアンはお怒りだ。同行してくださったが、我々の部族をお救い下さる事はないよ」
老人達がざわめいた。
「ドロテア、バーターターシア・アルマデンテロアンとは、我々の中ではバトシニア=フェールセンと同意語だよ」
“アルマデンテロアンを造った人”という事か。何となく、響は似ている。
**********
「彼らは使ってしまうだろう」
アウローラの言葉通り、アルマデンテロアン遺跡は稼動した。
もう、助けられる余地は残っていない。アウローラは説得もしたさ、裏切り者と言われても説得を続けたし、残っている部族の老人達の事も気遣った。
でもな、何も出来なかった。
地中深くに埋まっている、遺跡が動いた時、それでもアウローラは止めようとした。
無理だとわかっていても。
「君は来てはいけないよ。危険だよ」
地面の揺れは、あの日に良く似ている。滅びる音なんだろうか?
「俺はアンタの見張りだ! 何処までもついていく!」
「危ないよ。君が居なくなったら、バーターターシア・アルマデンテロアンは悲しんで死んでしまうだろうから、帰りたまえ」
俺が体験した砂の大地の地震と、この山岳地帯の地震、決定的な違いがあった。
落石と地割れ
落石を避けた場所が、突然口を開いた。俺のつま先の前で。アウローラが立っていた場所で。
亀裂に落ちたアウローラは、岩肌に捕まったものの、止まない振動と落ち続けてくる落石に、登ってくるのは無理。
俺は手を伸ばしたが届かない。魔の舌を伸ばしてみたものの、引き上げられる程の強度はなかった。
「地面に飲み込まれちゃ、アーハス族として最悪だろ!」
声は届く。だが、引き上げられない。
こんな時、女の筋力の弱さは悲しい程だ。人一人を、揺れる足場で引き上げられる力がない事が。
鍛えても、アウローラを引き上げられる程の力がない。
アウローラが何かを投げて寄越した、それを反射的に受け取る。
煙草だった。
「生きたまえ、君よ」
アウローラは、魔の舌を手で切るような仕草を送ってきた。
俺は切った
落ちてゆく金色のアウローラに、叫ぶ事も出来ずに。
地面があちらこちら割れる、逃げようと立ち上がったとき“ふわり”とした。足元が無くなったのではなく、何者かが俺を移動させた。
何者でもない……オーヴァート以外にいない。
四十分も揺れが続いたあと、全ての決着がついた。遺跡内部に居たアーハス族は、全て殺害されて。
生き延びたアーハス族も、改宗を拒んだ。
処刑されると言う。処刑方法は火刑。改宗して土葬にされるよりかなら、火刑にかけられる方が彼らにとってはマシらしい。
俺は大量の紙と、インクとペンを持ち、拘束されているアーハス族の元へと向かった。
そして、家系を聞いた。誰が、何処の出身なのか? それを記入させて、合間に伝承をメモした。
一週間後、痛んだ遺跡内で死んだ若者達の死体と、老人達は一つの小屋に詰め込まれ、火がかけられた。
轟々と燃えさかる赤い火と、何が楽しいのか解からないが喜んでいる、火をつけた兵士。
俺はアウローラから渡された煙草を持って、火に向かって歩き出した。松明を持って、笑っている兵士に向かって歩き出した。
**********
俺達は抗議した。
「酷すぎます! アイツは、この仕事が終わったら、結婚する予定だったんですよ!」
「命令に従っただけなのに」
「あんなに、何度も!」
「なにか! 処分を!」
褐色の皇帝は、
「ドロテア、何故だ?」
白亜の冷酷に問う。
亜麻色の傲慢は、
「邪魔だった。煙草の火をつけるのに邪魔だった。あの男はアーハス族の入っている小屋に火をつけたら、即座に戻るべきだった。俺が火をつけようと思った場所から動かないから。それがどうした? だからどうしたってんだよ? それが」
黒き支配者に、そう答えた
あの女は、悪びれずに言った。表情も変えないで。この任務が終われば、退役して結婚するはずだったアイツを殺した事を。
「諸君、聞いたな。邪魔だったそうだ。ドロテアにとってあの男は邪魔だった、それだけだ」
「処分……とかは」
「諸君に関係あるのか? 警備は警備、学者は学者。その処分などを通達する義務はない。もう、良いだろう行け。行かぬのなら私が殺害するぞ、貴様等を! 皇帝の前で騒ぐ権利が貴様等如きにあると思っているのか!」
俺達は引き下がった。学者達は、ヒソヒソと俺達を見て何か言っていた。
『大陸の端にいるから、皇帝陛下の寵妃の事何も知らないんだろうな』
『兵士一人殺したくらいで、咎められる訳ないだろうに』
『大体、あの兵士、笑ってたよな。気味悪かったぞ。蹴り倒された時、少しすっきりした。大体、部族を殲滅するなど野蛮人のする事だ』
俺達は任務に従って殺しただけだって言うのに……。アイツは殺されたのに、偉い奴等は何も言わなかった
とても悔しかったし、怒りもあった。あの女を、寵妃とか言われている女を殺害したいほどに。だが、殺害したかったのは俺だけじゃなかった
俺は顔に浮き出た文様を前に、皇帝の怒りを知った
−血の婚礼−
俺は仲間に殺された。保身を図る仲間に、殺された。
**********
腹立たしかった。命令に従わなければならない兵士だろうが、俺は腹立たしかった。
近しい人間が、大事に思っていた一族を生きながらに焼く、その行為に。
元はと言えば、貴様等が仕掛けた戦争だ。戦争を勝手に仕掛けて、後始末できなくなり俺達は借り出された。
遺跡を使わせるようなマネをしなければ、俺は此処でアーハスが生きながら焼かれる姿を観る必要はなかった。
お前らが、お前らが、即座に制圧できていれば、此処でこんな物を見る必要は無かった。
火をかけた兵士が、薄ら笑いを浮かべているのを見て、俺は歩く。アウローラから渡された煙草を持って。
薄ら笑いを浮かべている兵士の後に立った、中が良く見える場所だった。まだ、焼けながらのたうちまわっている。
俺は男を蹴った。
腕力は弱くとも、脚力ならば男を倒すくらいはある。男は火に向かって倒れこむ。
前面から火にあぶられた男は、慌てて火から逃れようとする。それを再び蹴り倒した。
今度は後ろ側が焼ける。情けない絶叫が響く。
火から逃れようとしてくる男を、何度も火に向かって蹴る。意味の解からぬ単語を叫ぶ男が、火の中から出てこなくなった所で、俺は煙草に火をつけた。
アーハス族が燃やされている火で、アウローラの煙草に火をつけた。
上を向き、煙草を吸う。煙が上昇気流に乗って空に逝く
せめて、この紫煙だけでも一族の者達と共に行けばいい。
俺はその煙草を咥えたまま、火が消えるまで観ていた。煙草は燃え尽きるまで口にしていたから、唇は火傷を負ったがそれだけだ。
馬車に乗る前に、焼き殺した男の同僚達が文句を言ってきたが、だからどうした? と。
走り出した馬車の中、オーヴァートと二人きり
「唇は痛むか」
「痛い」
オーヴァートはアウローラを助けなかった。だが、それに腹を立てる気にはならない。
生き延びたとしても、アウローラは一族の者達と共に死を選んでいただろう。どちらにしても、俺の目の前で死んでゆき、俺は自分の無力を思い知る。
「来い」
傍により、口付ける。痛みが即座に消えてしまった唇と、
「どうした? オーヴァート」
鈍色の瞳が……
「何も。余計な事に気を回す必要はない」
その首にしがみ付き、言われた通り何も考えないようにして抱かれた
**********
数年後の出来事
頭を床にこすり付けている男の名はゼリウス。
この老人の敵対者はクラウス……センド・バシリア大統領の息子だ。この息子が出世しなければ、アーハス族の改宗なんて話しは出なかった。
「どうする? 宗教家・ゼリウスか? それともセンド・バシリアの男か?」
ただ、政治的な観念からすればクラウスの方が上だ。狂信的なこのゼリウスは判断力に問題があるだろう。下手をすれば、あのディス二世のような事を仕出かすかもしれない。
俺には狂信者の胸の内など解からない、だが俗物聖職者にして政治家の考えている事なら、少しは理解できる。普通の人間は後者の方に近いもんだ。
「クラウスだろ。ゼリウスは支配者には向かねえよ」
「アウローラの一族の殺害を命じた男の息子であり、実質的な原因でもある男を推すか」
「関係、ネエだろ?」
此処でゼリウスを司祭の座に(ギュレネイス神聖教最高位)つければ、アーハス族が蘇って来るってなら考えもするが……多分考えるだけで、推しはしない。
「アーハス族の滅亡の責を、全く関係のないギュレネイス皇国の人々に負わせる理由はないな」
そう、アーハス族が滅亡した直接的な原因は、彼らが住んでいた土地が「センド・バシリア共和国」の領土であったこと。
そして、その支配者が徐徐に国に「国教を浸透」させていったこと。その国教が、息子が栄達した国の宗教であり、息子が最高位についた暁には国民全てをギュレネイス神聖教徒にしようと目論んでいようと。
アーハス族が見せしめに滅亡させられたのだとしても
事実、アーハス族の殲滅後、地方の小部族の改宗は速やかに進んだそうだ。
それでもアーハス族の滅亡に、当時のギュレネイス皇国は全く関係していない。それは俺の中では繋がるが、現実問題としては繋がる事はない。
そして、どちらの人間を選んだとしても、イシリア教国に対する戦争が止むことは無いだろう。
「そうか」
「それに、宗教国家に俗物閣下を推戴ってのは“おつ”だろ? 神聖教が地に落ちる様、それも見物じゃないか」
それでも思う。狂信者の宗教戦争の結末は、異教徒の殲滅だ。だが、俗物は恐らく……懐柔策を取るだろう、俺だったならそうする。何にせよ、俗物であれば狂信的な戦争は仕掛けないだろうから、僅かだけかも知れないが生き延びられるのではないだろうか? 希望的な観測だけだが。
「その私心を捨てられる判断力、大したものだ」
これが判断力なのかどうかは知らないし、私心を捨てているのかどうかも解からない。ただ、情けなく床にひれ伏す老人を見下ろしながら煙草に火を付ける
咥えた煙草の煙の先に、揺らめくようにアウローラが見えた。あんたは、こう言うだろう。
『君が思うように生きたまえ』
ああ、そう生きていくさ
第十一話・ある部族の滅亡に関する学徒の日記
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