ビルトニアの女 外伝1
貴方を抱いた日
 喧騒と澱んだような臭い。
「此処は何処なんだよ」
 柄の悪い男や、明らかに商売女がたむろしている街に着いたのは二日目の朝の事だ。俺達を乗せてきた馬車は、街の入り口で置いて帰っていった。当然この街中には入りたくないだろう。俺達といっても、オーヴァートにヤロスラフ、そして召使が三名と下男が四名に侍女が四名と衛士が五名の結構な大所帯。
 一緒に出かける事はあまりないが、これだけの人数で出歩くとなると暫くどこかに滞在するのだろうな。出かける前に尋ねても答えがもらえなかったし、着けばわかるだろうと気楽に構えることにした。だが目的地までの中継地がこんな治安の悪い街とは思わなかったのも事実だ。
 此処は何処だ? 地図には載っていなかったが……もしかしたら? 不思議に思っていると
「此処は無法地帯・ロンバークリアース。通称“海賊街”と呼ばれている。大陸の盗品は全てここに集まる」
 頭上からオーヴァートの低い声が降ってくる。聞いて俺も頷いた、大陸にいくつかある盗品街だったらしい。親が金を扱う仕事上、そんな噂は聞いた事があった。勿論存在を知っていただけで場所は全く知らなかったけれども。
 盗品街は地図には載っていない『その筋の者だけ知っていればよい場所』だから。その筋ってのは大体、盗みを生業にしている者や、その上前をはねる悪事に手を染める集団、そしてヤツラの最大のお得意様である金持ち達。
 盗品街も大小様々あるが、ロンバークリアースはその中でも群を抜いて盗品の売り買いが盛んだと旅の商人達から聞いた事がある。そして手に入らない物が無い程だとも。特に“海賊街”とあだ名されるだけの事はあり、海賊が海上を運航する船を襲って奪った品々が多数揃えられている。
 その中で目立つ商品は人間だった。陸上ではそれなりに取り締まりも厳しいが海上ではそうも行かないのが実情だ。ならば陸地を歩けば良い様だが、魔王とやらが現れて二十年と少し経った現在、移動する際には陸地より海上の方が安全なのだ。
 何故か魔物達は、陸ばかりをうろつき海にはあまり興味を示さない、全く現れないわけではないが陸より少ない。
 陸で魔物と出会うか? 海で海賊と出会うか? という二つに一つの選択肢、海上を使うものが減らないのは相手が人間なら何とかなるだろう、と考えるからである。
 実際、大人しく捕虜になり金を払って自由になるという手段が残っている分、海上を進む方が得だといえる。最も安全なのは城壁や村から出ない事だが、それも万全ではない。首都が壊滅する事もある。
 言いかえれば、地上に安全な場所など何処にもないのだ。……いや存在する、皇帝の居城。あそこだけは、何があっても壊れる事はない。そして皇帝の側もまた安全だ、外敵に対しては。その皇帝の隣を歩きながら、あたりを見回す。
「盗品? ……なんか欲しい盗品でもあるのかよ」
 盗品には偶に遺跡関係も混じる。遺跡について知っているヤツが盗んで、王学府が高く買うように仕向けるヤツラも少なからず存在する。その手の類か本当に人間を買いにきたのか? 二つに一つだろう。何となく後者のような気もするが、だからと言って止める気も、そして術もないのが実情だ。
 だが買い物する気はないらしく、大通りを進んでいく。オーヴァートの風体に恐れをなしてか、誰も近寄ってこようとはしない。身なりが悪いのではなく、良すぎるのだ。貴公子然とした格好をしているオーヴァートとヤロスラフが並び立っていると、気圧される。
 オーヴァートは腰の上まである黒髪を右耳の下にまとめて前身に流し、帽子代わりとばかりに赤珊瑚と鼈甲で飾られたプラチナ台の冠を被っている。冠自体は王族にとって帽子にあたるから、被って出歩いていても可笑しくはない、最も普通の人間には冠などは似合わないが。オーヴァートはさすがに支配者階級でいた歳月が長い血筋だ、違和感の欠片すらない。
 右肩側にあるマントを止める円形のフィブラから細い鎖が数本下がっており、その鎖の間には色取り取りの宝石が組み込まれていてキラキラと光を乱反射させている。小さい螺鈿細工のボタンと高級布で仕立てられた、蒼と白を基調とした服は上着が短いので、あのやたらと膝下の長くありながら均整の取れた足が目立つ。黒いマントの縁は金の透かし彫りで装飾されていて厚い布地がそれ以上の風格を醸し出していた。
 さすが皇帝というべきだろう、怜悧な美貌によく似合っている。それは迂闊に側に近寄る事が出来ない雰囲気というものらしい。そんな物を持っている人間なんて、未だにお目にかかったことはない。こいつ以外にはな。
 海賊街というだけあって、港は見事だった。エド法国の港町でも此処まで立派な港はないだろうと言うほどに。船が遠くまで停泊していて、その数が数えられない程だった。その船をヤロスラフが見渡し、指を指す
「あの船に乗る」
 言った。荷物持ちの下男達はやっと荷物が置けると、安堵の溜め息をついていた。ヤロスラフに言われた船に近寄っていくと遠目にはわからなかったソレが露わになった。海賊船なら、必ず掲げている旗。
「あれだ、あの黒地に白い山羊のような生き物の髑髏。それを貫くようにクロスした赤い十字の旗」
 事も無げに言うが
「あれって、よ……」
 あの旗の髑髏部分を除外すると、ある国の国旗に見える。黒地に赤の十字、正式には銀で縁取りされているに違いない国旗。……まさかな? とチラリとヤロスラフの方を見上げると
「予想通りだ、ドロテア。解かりやすいだろう?」
 紫の瞳が少し細くなり、頷く。
「……信じられねぇ」
 あの旗を掲げている海賊は、どうやらヤロスラフの従弟らしい。


 海賊船とはいうが、異様に立派だ。王侯貴族の船より立派……ってあたりまえだなと一人で話を完結させて部屋に入った。俺に一人用に与えられた船室は広く、昔家族四人で行商の旅をしていた時、家族全員で取った船室よりまだ大きい。調度品も半端じゃない、ソファーの布一つとっても市販品などではなく、王宮の歓談室にある物と同じ造りだ。指先を通り抜ける柔かい触り心地といいなんといい、船にこんな高級品乗せるんだな……さすが船上国家と言われるだけある。ソファーに座り小さめの窓を見ていると、周りの船が段々と消えて空だけになった。進み方も穏やかで、出発したかどうかもわからないほど。頑丈で、船の動かし方も熟練している奴等ばかりなんだろう。立ち上がって暫く窓から外を見てみる、太陽の位置と影の具合からこの船が通常の軍船より三倍は早い速度で進んでいるのが見て取れた。速度を割り出す影に使った甲板にいる部下達、ピクリとも動かない、近衛兵さながらの奴等の配置といいその感じられる魔力といい……船の上ではほぼ無敵に違いない。
 さすが海竜(ドラゴンとは違う)をも簡単に倒すと言われているだけの事はある。最も海竜を簡単に倒すのは、この海賊達ではなくこの海賊達の本当の名前のほうだが。
「ドロテア様。失礼します」
 召使の一人と下男の一人がノックをして部屋に入ってきて荷物を置き、水を差し出す。
「お前等も飲めよ、疲れただろう?」
 俺は歩いているだけだったから良いんだが、下男あたりは荷物を運んでいたわけだ。
 促されて喉を潤した二人と話しをする。二人は既に船の中で何人かと会話したらしい、どの海賊も立派な雰囲気だったと語っていた。そしてこの船は海賊王こと南海王の船だと。
「海賊王……な……」
 海賊王と呼ばれる海賊がいる。南海の海を支配している、魔法に長けた男バスラス。

その名は海の王でありながら、大陸にも広く知られている。
大きな海賊帽を被り、黒の長髪に色とりどりの魔法布を編みこみ、サングラスを掛けた男。
彼の本当の顔を見たものは誰もいない……と。

 海賊は魔法に長けている者が多い。“海賊の長”というと誰もが剣を持った、赤銅色の肌をさらけ出した立派な体躯を持ち、少し粗野な行動を取り知性はあまり豊かではない男を想像するが、実際はそうでもない。逆に知性派が多い。高速船や軍船は帆船もあるが、ランクが上がると魔法を推進力にしている。海賊などは当然それらの船を発見して追いつかねば『品物』を奪えず、見つかったら戦わなければならないのだから(バスラスは滅多に退却をしないで有名だ)相当な速さと船を覆う結界を必要とする。よって魔法を使える者が必要となってくる。
 魔法を使える者達を使役する海賊の長が魔法を全く理解していない、魔法素人では航海は成り立たない。それに船同士の戦いとなると魔法が使えた方が断然有利だ。射程距離が長ければ長い程、自分に被害が及ばない程の魔法を使えれば勝ちも同然。その手の才能に恵まれたものを、海賊の長と仰ぐのは海賊として生きていく上では当然の事である。
 召使と話をしていると、再びノックが。
「失礼します、御寵妃殿。私の名はバスラス、遅れましたが御寵妃殿に挨拶に参りました」
 俺の名前は寵妃か? 別に良いんだが、召使達に入り口のドアを開かせて退出させた。現れたのはバスラスと五歳前後年上に見える御付。
「南海王バスラスと呼ばれる海賊でございます、後に控えているものは」
「別に紹介する必要はねぇぜ。覚える気はなからな。もう挨拶は済んだだろ?」
「何かご不満な点でも?」
「全く無い。俺はこういう性格だ、覚えておく必要もないが不必要に気を使う必要もない。オマエはそれだけ覚えておけばいい、バスラス。海賊とはその程度の付き合いでいいだろ? これが国王とかだったら少しは違うが」
「ですから殿下。相手は噂に聞く寵妃ですよ」
 自己紹介をさせなかった相手が、バスラスに耳打ちする。どんな噂なのか襟首掴んで問いただしたいが……相手がデカイ、両者とも。オーヴァートよりは低いが、ヤロスラフと同じくらいはある。みんなこんなに大きいなら船も船室もこのくらい大きくなきゃいけないだろうな……。
「解かってるって……申し訳なかったな、俺はハイロニア王子ハミルカルだ。そしてこの小言をいうのが役割を担っているのがファルケス、海賊としての名はディオン」
「ハイロニアの鮫、策謀の僧正ファルケスか」
 エド正教、僧正ファルケス。ハイロニアはエド法国と手を組んで此処まで大きくなったので、聖職者になっている者も多数いる。特に、法力重視であった“死せる子供達”の一件以来、法力の高いほうが尊ばれる。廃止したとは言え、階級を上げるのに『明確である』その理由、暫くは法力重視の時代が続くだろう。当然ファルケスもその法力重視になっているエド法国で、簡単に位を上げた。ただ、殆どエド法国に滞在したことはないらしい。
「よくご存知で。名前を知られていて良かったな、ファルケス」
「光栄至極に存じます」
 その名前は海の上で聞く。ハイロニアの鮫と言われて、戦いともなれば泣く赤子の頭をも切り裂くと言われている容赦ない冷酷さを持ち、その冷酷さを内政にも生かす男。赤い髪は短く切られ緑色の瞳は冷酷そのもの……らしいが、これとは比べ物にならない程冷酷な瞳ってのを知ってるんで怖くもなんともない。因みに後で知ったのだがバスラスの片腕・ディオンというのはバスラス以上に好戦的な男として知られているらしい。ファルケスだろうがディオンだろうが好戦的らしい。
「謙遜なのか何なのか。知らない奴はいないんじゃないのか……それとも、葬式要員か? 王族の葬儀を執り行うとなれば僧正くらいは必要だからな」
「これは手厳しい。もっと話をしていたいのだが、少々忙しいので。後日の約束に」
 そう言って俺の手の甲にキスをした、南海王バスラス事ハミルカル王太子。これは極めつけの魔法の天才だった。魔力が人間としては桁外れで有名なそいつは……

『そっくりでやがる、雰囲気が。顔も似てるな……ってことはヤロスラフは母親似か?』

 ヤロスラフの母親はハイロニア群島王国の王女だった。現国王の姉にあたる人物で、既に亡くなっている。
「どうでも良いけどよ、オーヴァート。バルミア王女って随分ゴツイ女だったんだな」
 男であるヤロスラフやハミルカルは美丈夫だが、女でこの顔はちょっと美女とは呼べない。美形とは男でも女でも通用するような顔のことだとも言われるが、男らしい美形というのも確かに存在する、よって
「ああ、顔中の骨が張ったゴツゴツとした厳のような顔と体格の女だった」
 オーヴァートの端的な答え……確かにそうとしか言いようはないだろうな。そして、やっぱり王族の結婚は顔なんか関係ないんだ。妙に納得してしまった……男なら文句なしの美形なんだけどよ。あの顔で女ってのは、体格までか? ヤロスラフやハミルカルはその確りとした骨格が男らしい色気になってるけど……まあ、どうでも良い事だ、俺には関係ねぇしな。

 大小・無人有人合わせて533の島からなるハイロニア群島王国。海賊王が建てた国で、歴史は浅いが王国としての勢力は現在一,二を争うといっていいはずだ。海賊王の建てた国らしく、海洋貿易が主で、未だに多数の海賊を配下として治めている。海賊を統べ、海賊達が略奪してきた品を捌くのも仕事の一つらしい。国家で海賊稼業とは中々剛毅なものだ。
「どうりで儲かってる訳だ。法国へのの献上品は襲わないとか、気ぃつけてるのか?」
「勿論。法国との関係は何にも増して重要だからな」
 あまりに爽やかで軽やかなヤロスラフ……じゃなくてハミルカルになんとも毒気が抜かれる。
「ハミ……じゃなくてバスラスさんよ。結構、航海とかしてるのか?」
「ああ、している。まあ俺は人買いはしていないけれどね、余程の事がない限りは」
「余程の事ねえ」
その気になれば人をも襲うと言う事か? なかなかどうして……。
「寵妃殿は」
「ドロテアでいい。寵妃って呼んでたきゃ寵妃って呼んでても良いが、ドロテアでも構わないぜ」
 召使などは名前に「様」付けでいいんだが、ある程度地位だとか位のある人間だとそうも行かない。大体基本的な階級はハミルカルの方が上なのだから、俺の名前に「様」を付けるのはおかしい。だが今の俺の立場(別に立場なんて無いと思うんだが、そうでもないらしい)俺の名前を勝手に呼び捨てにするわけにもいかない。他人の女房を名前で呼べば可笑しいし、仲を勘繰られたりする。よって普通は「奥さん」とか「細君」とか言うわけだ。身分が高い人物は俺の名前に「様」を付けるのは可笑しいが「皇帝の寵妃」であれば「殿」付けで呼べるので失礼にあたらないし、名前を呼ぶ必要もないからという理由で「寵妃殿」と呼ぶのが一番無難だった。全くどうでもいい話だと思うんだが、それほどオーヴァートの影響力は強いんだろう。
「じゃあ、ドロテアと呼ばせていただこう。ドロテアは俺の結婚式に参列するのか?」
「さあ、オーヴァートの気分次第だろう」
 船上で聞いた所によると、これからハイロニア群島王国の王太子ハミルカルの挙式が行われるんだそうで。花婿はただ今ノンビリと帰途についている途中ということになる。相手の女性はイヴリーンという海洋商人の娘。
 海賊立国であるハイロニアには王は存在するが、貴族というものが存在しないので、親が権力を握れば娘を王太子の妻に出来るのだそうだ。逆を返せば誰でも立候補できる分、競争は激しい事になる。偶に他国の王族の姫などにも打診するが、まだ新興国家であるハイロニアは袖にされる事が多いらしい。だがハミルカルは最初から他国の王女など相手にはしなかった。

『俺の代で向こうから頭を下げて、王女を差出し貰ってくれと懇願される国にしてみせる』

 中々に強気の男。そういう逸話を聞いていたのだが、随分と腰が低いような気がする。そしてハミルカルは妙に控えめに
「そうか……そうだよな。参列してくれる事を楽しみにしているよ。それじゃあまた後でな」
 結婚式の参列を希望していた。噂とは本当に違う男だ。
「ああ」
 一人称が“俺”という王太子も面白いが……ミロは一人称が“私”なんかになっただろうか?もう会う事もないとはいえ、何となく……
「潮風のせいだろうな」

海に面していたエヴィラケルヴィスを訪れる事は、もうないだろうけれど。

「元気でやってりゃ良いけどよ」

 宝石のような海、白い砂浜と表現しやすいほど鮮やかな色合いのハイロニア群島王国の首都、ハイロニア島に到着したのは五日後の事だった。最初に乗った大きな海賊船から、途中で早く移動できる小型の船に乗り換えたのが時間短縮に一役かったらしい。
 港には、布を巻いたような洋服と帽子のような王冠をいだいている、髭の長い白髪の目立つ男が立っていた。
「オーヴァート陛下、よくぞお出でくださいました」
 顔から察して、間違いなくハミルカルの父親国王ルキオルスだろう。ハミルカルは国王ルキオルスのたった一人の息子だ、姉は五人もいるそうだがこの国は男児しか王位継承権を認めていないので、ハミルカルがたった一人の跡継ぎになる。
 出迎えにきた国王の後から出てきた、着飾った女はうやうやしくオーヴァートの前で跪き、足に口付けている。何もあそこまでする必要もないような気もするのだが……あれで普通なんだろう。皇帝を出迎えるとなれば、そして国王と共に出迎えに来ているという事は
「あの女、結構若いが、まさかお妃じゃあねえよな」
 見た目が若いんじゃなくて、実年齢が若いようだ。確かルキオルス国王の妻で、ハミルカルの生母でもあったホルダ王妃は既に鬼籍に入っている筈。
「そのまさかだ。中々若いだろう? 後妻だ三十を過ぎたばかりで、後継者争いの問題もあるから妃とはしていないが、実質的には王妃かな」
 隣に立ったハミルカル(バスラスの格好から変わった)は、気になどせずに軽く語った。若そうに見えるらしいが、年相応だろう。年を取った国王と並んでいるから若く見えるが単体でみればまあ、普通の三十代に見える。
「まあ、若いって言ってもよ、オーヴァートと同年代だろうが。それに顔も整ってる程度だろが、あのくらいならオーヴァートの屋敷に掃いて捨てる多数いるぜ。何なら一度見に来やがれ」
「くっ! くっくっ……」
 ファルケスが(こちらもディオンからファルケスに戻った)法衣を纏った姿で笑いをかみ殺す。まあ、法衣の似合わない男だ……顔が出ているから似合わないのかもしれないが、隠しても変わらなさそうだ。俺が法衣を着たのとどっこいどっこいな……。このファルケス以上の策士にして豪腕のセツ枢機卿ってのはどれ程法衣が似合わない男なんだろうか? 一度見てみたいもんだ。幼い頃に立ち寄ったエド法国で見たことがあるのはリク枢機卿、現法王くらい。現法王は幼心に似合ってた気がしたが……法衣が似合ったから選ばれたんだろうか? 力は同じくらいだって言うしな。
「返す言葉もないな。国は豊かだが、美女は少ない……潤いのない国だ。もっと美女を増やすか?」
 どうやって増やす気だ?
「大体、マシューナルには俺が足元にも及ばない美少女がいるぜ」
「ほっ! 本当か?」
「ああ、マリアっていう。ヤロスラフに聞いてみろよ……ヤロスラフのお気に入りだ」
「それは残念。奪って来ようとおもったのに」
 そうやって増やす気か? 海賊らしいちゃあ海賊らしいが。
「そうだ、ドロテアは幾つだ? 女性に年齢を聞くのは失礼かもしれないが」
「十七だよ。別に失礼でもなんでもないさ」
「そうか。因みに俺は二十五歳」
「あ、そう。じゃあついでに聞いてやるよ、ファルケスは幾つだ」
「二十三歳」
「オマエより年下なのか?!」
「あははは! いつも言われるな、ファルケス」
「人をダシに遊ぶな、ハミルカル」
 久しぶりの潮風が心地よかったのかも知れない

 それにしても息子と年齢に大差ないのか、今の愛人。……と言う事は娘よりも年下って事になるのか。……良いけどよ、他人事だからな。

**********

 ハミルカルとドロテアが並んで話をしている所から少し離れた場所で、皇帝と国王が会話にしていた。
「彼女がマクシミリアン四世の野望を退けた、最大功労者の学生ですか」
 肌が小麦色の者が多い海のハイロニア群島王国で、白皙の肌を持つ砂漠の亡き大国トルトリアの人間がいれば目立つ。トルトリア人というだけでも目立つのに、ドロテアは今ではトルトリア最後にして最高の美少女として名高く、その表現が全く過大ではない容姿を現しているとなれば尚更。
「そうだ。美しさにおいては文句のつけようが無いだろう、お前の新しい妻・カトラインも美貌が自慢のようだが、ドロテアに比べれば足元にも及ばん」
 無礼な言い様だが、国王は頷きながら
「恐れながら、国王如きが皇帝陛下のお側に仕える者以上の者を手元における訳が御座いません」
 カトラインは現在三十四歳。ハイロニア群島の南群島を治めていた代官の妻だった。代官も国王と同じ年代であり、病でアッサリと他界したのが四年前。美しい未亡人がいると聞き、国王はそれを召し上げたのだ。
 ハミルカルが言った通りに後継者争いを避けたい国王が王妃冊立しないでいるが、国内では“妃”と呼ばれている。それだけの扱を受けているとい事だ。妃と呼ばれ美をたたえられる事に慣れ、それを好むカトラインに向かいオーヴァートは何時もの如く辛辣に言葉を降り注ぐ。プルプルと震えているカトラインの指先を見ながら、オーヴァートは次々とカトラインの悪口を並べる。
 それはオーヴァートの何時もの楽しみ方だが、それ以上のイラつきを感じさせた。感じ取ったのはヤロスラフだけだが
「オーヴァート、それ以上はやめた方がいいだろう。それにドロテアを自慢したいのなら、ドロテアを褒めて持ち上げればいいだろう? 何も王の愛妾を貶めてドロテアを評価することもないだろうが」
「ドロテアは褒める気にならん。アレは褒めれば際限なく褒めなくてはならんからな、顔といい躯といい。ところで国王、女は準備しておいたか?」
「準備しておりますが、陛下のお眼鏡にかなうかどうか」
「カトラインくらいで許してやろう」

笑いながら、カトラインの前を横切っていくオーヴァートとそれに従うヤロスラフ。国王はカトラインを慰めるわけでもなく、二人に続いた。

 オーヴァートを案内し、一度前を下がった国王に甘やかされていたカトラインが詰寄る。国内では妃とまで呼ばれている女だ、どれ程の我儘も通ったのだろう。
「陛下! 私あのような侮辱は!」
「黙れカトライン」
「陛下」
「お前は陛下を知らぬからそのような事を言うのだ。陛下に対しての文句など口にするのも無礼だ、黙っていろ」
「陛下……」
 だが、今回ばかりは違った。相手が悪い、ハイロニアの発展はエド法国との繋がりにあるが、その元はと言えばエールフェン選帝侯にある。甥というには高貴な相手だが、血縁上甥にあたるヤロスラフが皇帝の側に仕える選帝侯である事も重要だ。
「お前は口の利き方を知らぬ。宮殿においてはそれでも良いが、陛下に対してそのような口を利くなど問題外だ。おぬしは陛下が御滞在中は口を利くな! 良いな! そして寵妃殿のご機嫌を損ねるな!」
 頭ごなしに怒鳴られたカトラインは不機嫌を隠そうともしなかったが、国王が機嫌を取ろうとする事もなかった。土台相手が違う、特にドロテアは。

ドロテア自体そうとう口の利き方を知らないのだが、其処は皆無視している。追求してはいけないのだ

 ドロテアがオーヴァートの元におかれてから一年。
 今まで長くても一ヶ月以上オーヴァートの手元に置かれ続けた者はいな。その常識を覆したドロテアの権力は、ドロテア本人が思っている以上である。この頃から皇帝の后候補と呼ばれるようになり、ヤロスラフもそれを否定はしなかった。ヤロスラフには否定の仕様が無いのだ、オーヴァートの考えがわからない以上。
 オーヴァートのドロテアに対する態度は決して優しいものではない、だがその冷たさの中にヤロスラフは何か違うものを感じていた。無理やり感じ取ろうとしていたものかもしれない、ドロテアとオーヴァートの間にある何かを。
 それは自分が失ったものであると気づかないままに。

 王が準備した女達に囲まれ、数々の宝飾品を差し出されているオーヴァート。女は無料だが宝石類は買うのだ、これらの宝石類は値段が上乗せされており、上乗せ分が王太子の結婚祝い金となる。
「いかがです?」
 ドロテアは脇に立ち、宝石の乗っているトレイを黙って見下ろしていた。確かに極上の宝飾品を目の前にしているのだが、ドロテアはそれ程欲しいとは感じない。宝石に魅力を感じない訳ではなく、欲しい宝石がなかったのだ。
「中々の品だな。どうだドロテア? 欲しいのでもあるか」
オーヴァートが選べと言ったが、ドロテアは
「……別に。女達に配って残ったやつがあったら、貰ってやってもいいが。それに見た所じゃ、有名な南海の珊瑚はないみたいだしよ」
 南海の珊瑚なるものが欲しかったのだが、それはなかった。有名にして、高価で中々手に入らないオレンジ色の珊瑚。観た事がないのでドロテアはそれには興味があったのだが、中々手に入らないらしい。皇帝が来たというのに出せないでいるのだから。
「そうか。じゃあお前たち、欲しいのを持っていっていいぞ。全部持って行っても構いはしない。ドロテア、後で珊瑚を揃えておこう。ネックレスからブレスレットティアラにリング、このハイロニアにある南海の珊瑚を全て揃えて置こう」
「解った、適当に期待しておく。ついでにイヤリングも準備しておけよ」
 女達は一瞬ドロテアを見たが、直ぐに視線を下ろした。所詮自分達がなれるのは皇帝の一夜の相手、対するドロテアは卒業後に后になるといわれている女。そうでなくとも迫力が違う。

**********

 オーヴァートに結婚式に参列しろと言われた「着ていくものがないと」返したが既に用意されていた。元々参列させる気だったらしい。寵妃殿と呼ばれるのもそうだが、俺は着るものも色々とある。元来王族の結婚式に参列するような身分じゃない、そして服も着れる範囲がある。俺がトルトリア王族の格好をしていたら可笑しいが、普通のトルトリア民間人の正装ってのも変だ。大体滅亡した国の正装ってのは、祝宴の席に相応しくない。で、俺が渡されたのは女性選帝侯の準礼装に似た服、皇代の洋服らしい。……益々可笑しいが、これなら失礼にあたらないだろう。色合い的に俺に合うようにつくっているから可笑しくはないが、ついつい鏡の前で笑ってしまった。
「ヤロスラフの威風堂々さとは縁遠いなあ」
 着慣れてないってのもあるんだがな。召使に『似合ってる? 似合ってない?』などとバカな事を聞くわけにもいかない。召使達が「似合ってません」なんて口にするわけが無い。精々俺に向かってそういうとしたら、マリアくらいのものだ。残念ながらマリアはマシューナルに残っている、結婚式には呼ばれたが参列を拒否したアンセロウムの面倒を見ながら。アンセロウムが参列を拒否したのは、闘技場でレクトリトアードなる男が出場する試合を見たかった為だ。今ごろ、観戦して興奮しまくったアンセロウムを鍋の蓋で殴りながら落ち着かせている事だろう……苦労かけるな、マリア。別に俺には関係ないが、あれでも一応師匠なんで。
「それにしても、結婚式ねえ」
 船上で“参列して欲しい”と行っていたハミルカルを思い出す。まあ、参列するくらいなら、何てことはないだろうと準備を整え式が始まるのを待っていた。だが、何となく辺りの雰囲気がおかしい。最初は夜の結婚式というのが初めての体験だから準備が普通と違うのだろうな? くらいに思っていたのだがどうも違うようだ。ハイロニアの召使達が

“あの人だよ、間違いなく”
“でも皇帝の寵妃だよ”
“でも連れて来られたからには”

 等と囁いているのが耳に入った。
 自分が皇帝の愛人だといわれているのとはまた違った雰囲気だ。そこに式が始まると呼びに来たヤロスラフ。選帝侯の準礼服をまとい、足元に広がるほど長いマントを背負っているヤロスラフの隣に立ち廊下を歩き出す。
「似合ってるぞ、ドロテア」
「おまえに言われてもな」
「私は子供の頃から法衣かこの選帝侯衣しか着ていないのだから、これが似合わなかったら困るだろう」
 それは困るな……確かに。
「あ、ヤロスラフ。何となく変な雰囲気を感じるんだがな」
 その問いに、歩みを止めずヤロスラフは言ってきた。
「ドロテア。実はな、ハイロニア群島王国には変わった風習がある。要点だけを言えば、結婚式を挙げる国王若しくは王子は参列している女を一時的に持ち帰り自由にする事ができる」
 王族の結婚風習などに俺は全く興味がなかったが……
「言い換えれば宴の場にいる女は、人妻だろうが踊り子だろうが、国王の妻だろうが血が繋がって無ければ抱けるという事か」
 持ち帰って黙っているっていうのは在り得ない、子供でもあるまいし。
「そうだ。詳細は後で教えよう……私が見る分では、お前が選ばれる可能性が高い。直接本人が教えてくれるかも知れないが」
 俺が選ばれる……ね。そういう事か。
 準備されていた席には既にオーヴァートは座っている、椅子ではなく床に厚い絨毯を敷いて思い思いに座る風習らしい。胡座をかいたら、ヤロスラフに“さすがにそれは止めた方が良い”と言われ、片膝を立てて座ることにした。これでも相当行儀が悪いだろうが、折った膝を少し崩して斜めになる座り方は好きじゃない。
「ヤロスラフから聞いたようだな」
「理由まではきかなかったが海賊だから? 子供は沢山いたほうがいいって考えだろう。それに元々女は財産の一つだし、共有するって考えがあった筈だからな」
「その通りだがもう一つ教えてやろう」
「何だ?」
「ヤツこそがお前の魂の片割れだ。会わせてやると言っただろう?」
「……」
「アイツは間違いなくお前を選ぶだろう」
「あ、そう」
 随分と物覚えが良い事で……口の中で噛み潰した。コイツは多分今まで生きてきた中で交わした言葉、聞いた言葉全て覚えているに違いない。疲れる生き方だと思うが、同情のしようもなければ肩代わりしてやる方法もない。

他人の結婚式で、妻を差し置いて俺が選ばれる訳?
なんとも悪役だな、俺は
まあ、ハミルカルに選ばれるかどうかはまだわからないが

 海と空を松明の明かりで照らし、波の音が祝福よりも良く聞こえる夜の結婚式は中々に幻想的だ。花嫁はカトラインよりも劣る容姿だったが、まあ良いところだろう、未来の王妃の顔などどうでもよいことだ。そして女は自由に持ち帰れるのだから、あまり女性の参列者はいないかと思ったのだが、逆のようだ。やはり民族性、国柄の違いが大きくでているようだった。
 花嫁に選ばれなくとも、この場で選ばれようとしている気合の入った女や、その親族がゴロゴロしていた。ハイロニア群島王国は対外的には一夫一妻制だが、まだ昔の海賊の名残が強く一夫多妻制なのかもしれない。
 仕方ないのかもしれない男児しか継承権がないのだから一妻に拘っていては、色々と問題があるだろう。むしろ男児のみの継承で一妻ってのは妻に多大は負担をかけるからなあ、などと王家の系譜を紐解きながらオーヴァートの隣で南海の珍味などを口に運んでいると、ハミルカルが前に立ちオーヴァートに美しい形の整った貝殻を差し出す。
“これが合図か”
「ご指名だ。行って来い、ドロテア」
「わかった」
そう言われ、席を立つ。嫉妬の入り混じった溜息を聞くのも、もう慣れた。

そんな顔するなよ、王太子妃。選んだのはあんたの亭主であって、俺ではない
最も美しく幸せな表情を浮かべる筈の花嫁が、最も酷く惨めな顔をしている結婚式だった
別に俺は結婚式を壊す気はなかったが
こんな事になるのなら列席しなかった……とは言えない

 室内は南国風と称するのが最も適切だ。甘い香りのするオイルランプの明かりと、散らされた花そして棕櫚の葉。
「詳細は知っているか? ドロテア」
「いいや、知らん。ヤロスラフが“本人が教えてくれるだろう”と言ってはいたが」
「やはりあの二人はドロテアが選ばれると思っていたんだな」
「そうなんじゃないのか? あの二人の考えてる事は解らないしな。それにしても、必ず選ばなきゃらなんのか?」
「いや、別に選ばなくてもいい。ただ、女を多数囲わないと軟弱な男だといわれるのが俺達の国柄だ、気合を入れて愛人を持たなきゃいけないのがこの国の不律文」
 人を財産だとかする考え方は間違ってるかも知れないが、そんな事を一々議論する気は無い。大体目の前の男も、そんな事は望んじゃいない。ハミルカルは慣習に則って俺を抱くだけ、それ以上もそれ以下もないのだから。
「中々大変だな」
「それにしてもオーヴァート陛下も、お人が悪い。こんな美少女を伴って結婚式に来るなんて」
 アイツは人が悪いのが基本だ、だから
「気にするな、こうなるのを楽しみにアイツは俺を連れて来たんだから。それにしても、あの女の量から察するに、一晩で終わりって訳じゃないよな?」
 王太子妃は悔しそうだったが、他の女はそれほど悔しそうではなかった。その位の表情を見る余裕はある、出来るようになったのはオーヴァートの屋敷に入ってからだが。
「期間は一ヶ月だ」
 一日一人で三十人? 一晩で五人とか侍らせれば百五十人? それでもあの場にいた女すべては無理のような。
「……なるほどな、好きな女を一ヶ月間色々と選べる訳か」
「そう。さて? それでは良いかな?」
「どうぞ、ご自由に。まあオーヴァートの癖がついている可能性もあるけど、そこまでは責任取れないし。なにより久しぶりの別の男だ、楽しむとしよう」
「そういわれれば、気が楽だ。オーヴァート陛下より下手でも笑わないでくれよ?」
「はいはい、その程度の礼儀はわきまえてるよ王太子殿下」
「ハミルカルでいい」
「わかった」
 投げ捨てた準礼服と、近くに聞こえる波音。一年以上も聞いていなかったその波音に、ハミルカルには悪いと思ったが別の男が蘇ってきた。王位は継いだがまだ王学府に通ってるんだってな、途中で止めることはできなから。
 トリュトザ侯とはすっかり仲が悪くなったって聞くが、どうしたモンか。
 二度と帰らない女の事などすっかりと忘れればいい。もう、オマエの元には戻りはしないよ……そして多分、この男の側にもいる事はない。

言い直そう。間違っていた……俺は自分が大好きだ。だから別れるんだ

**********

「オーヴァート陛下もお人が悪い。あれ程の美少女を連れてこられては私など相手になりませんわ」
 既に王太子妃は退出している。こうなると聞かされていても、実際そうなれば気分が良いものではないだろう。もしも泣き声を上げているとしても、その泣き声など波音とこの宴の喧騒でかき消されてしまうに違いない。
 少しオーヴァートから離れた場所でハイロニアの有力聖職者達と会話していると、ある種の異変を感じた
「……」
「どうかなさいましたか? ヤロスラフ殿下」
 ファルケスが訊ねてくる。
「いや……少し。大したことではない」
「それにしてもお美しいお方ですな」
「ドロテアの事か?」
「この場で美しいといえばあの方しかおられないでしょう」
「そうか」
「そういえば御寵妃殿からお聞きしましたが、マリアとかいう美女をヤロスラフ殿下はお気に召しておられると」
「ああ、マリアな。好みによりけりだが、ドロテア以上の顔立ちはしている。性格はドロテアよりも穏やかなのでな」
「それ程の美女であれば、マシューナル国王が放っておかないのでは?」
「あそこは女婿だ。王妃が鬼の形相でマリアを拒否していた」
「気の弱い事で」
「そうだな。それにしても女達も諦めてくれれば良いものを。屋敷でも陛下はドロテア以外全く興味を示さないでいるのだから、どれ程纏わりついても宝石を買ってもらえるのが関の山だ」
「それで充分ですよ。あれ達も愚かではありません、御寵妃殿を越えられるなどとは思っていませんから」
「思っていたのは王太子妃だけか」
「ですね」
 オーヴァートは宝石類を放り投げ、女達が取り合ったのを見たあと、二人は宴から部屋へと戻る事にした。オーヴァートは誰一人持ち帰ろうとせず、女達もそれに関しては触れなかった。最初から諦めていたのだろう。
 それはそうだ、皇代服をきたドロテアをみて、あれを押しのけられるとは到底思えまい。似合わないとドロテアは感じていたようだが、そう感じているのはドロテアのみだ。他の人間はそのあまりに似合い過ぎている姿に気圧されていた。片膝を立ててオーヴァートの隣に座っている姿も。あの雰囲気を見て、割り込めると考える人間などいないだろう。それ程までに他人は認めているが、当人同士はそうでもないのが……
「何が気に食わないのだ?」
「何の話だ?」
「何か気に触っているような表情をしているが?」
「もとよりの顔だ」
 それ以上は訊ねなかった。
“ドロテアが他の男に抱かれて嫌なのか?”
 嫌ならばこの場に連れてこなければ良かっただろう、連れてきたとしても拒否すればよかっただろう。オーヴァートが拒否すれば、ハミルカルは簡単に引き下がった筈だ。オーヴァートが戻った部屋の前で、眠りもしないだろう主がこの夜をどう過ごすのか……何をする事も出来ず、隣の部屋で私も眠らないまま夜を明かす。
 心地よい目覚めというものがどんなものなのか解からない、何一つ喋らず身じろぎ一つせずに、ただこの時間が過ぎるのを待った。

 こうなることは解かっていたのではないか? そうだ、お前は知らないことはないのだったな、オーヴァート。

「国王陛下」
「何じゃ?」
「ハミルカル王太子殿下なのですが……その……」
「何じゃ、早く言わんか」
「はっ。他の全ての女性を返してしまって良いとの事です」
「あの息子、もう良いのか? 儂の若い頃に比べれば女遊びが少ないのぅ」
「……そうではなく、一ヶ月間一人の御方で良いと申されておりまして」
「オーヴァート陛下の連れて来た寵妃か」
「はぁ……」
「仕方あるまいな。あれ程の寵妃、儂の婚礼の場であっても間違いなく一ヶ月手元におくじゃろう。さて、父親として、陛下に御願いをしてくるか」
「許していただけるものなのでしょうか?」
「さぁのう……」
 平伏するルキオルスを見る眼は、私の祖先が嘗てお前の祖先から向けられたもの。
「一ヶ月?」
「愚息は他の女は要らぬ言い出しましてな。宜しいでしょうか?」
「……構わんぞ」
「ありがたく存じ上げます」

 それ程気分が悪いのであれば、取り上げればよかろうが……。お前にはその力があるのに、何故そうしなかった?

 不機嫌で極まりない(他人には解からない様だが)オーヴァートから命じられた仕事を果たす。何の事はない、南海のオレンジ色をした珊瑚を持って来いとの命令だ。簡単に引き上げた南海の珊瑚を手に、ハイロニア宮へ戻る。召使達の小声で話をしているのを総合すると、どうやらこれはドロテアが欲しいと言ったものらしい。お前が誰かに言われて、その物を持って来いと命じたのは初めてではないか……なあ? 気になるのならば、嫌ならば……プライドが邪魔しているというのなら私が連れ戻すから
「これで良いか?」
「この三倍は欲しい」
「解かった。急ぐか?」
「いいや」
 笑い、酒を注がせて、歌わせ、褒美を与える。それに何も感じないでいられる人は幸せだ。
「南海の珊瑚はあっちか……行ってみるか」
 急ぎではないようだが、明日に伸ばす程の仕事でもない。人ならば一苦労だろうが、深海だろうが何処だろうが行くのに私は何ともない。行こうとしたその時だ、
「ヤロスラフ」
 オーヴァートを不機嫌にした男。
「ハミルカル。どうだ? ドロテアは」
「聞かれても困るが……あのな、ヤロスラフ……」
「何だ? 歯切れが悪いな、お前らしくもない」
 言うな、ハミルカル。言いたいことは朧げながら解かる。
「皇帝は何時、ドロテアを捨てそうだ?」
 やはりそう言ったか……。
 遠くに響く波音と、この会話は恐らくオーヴァートに拾われているに違いない事を感じながら、私はどう口にするべきか考えていた。
「……」
 私はオーヴァートを裏切る事が出来ない。裏切る事は出来ても、その代償は大きい。自分の命だ、もっとも死んでしまったほうが楽だが、死なないようにしておく事がオーヴァートには出来る。本心から言えば返せというべきだろうが、それはオーヴァートが言うべきであって……結局私はハミルカルに対して何を言うべきか?
「一年になるんだろう? そろそろ捨てそうか? 捨てるから俺の結婚式に参列させたのか?」
「……いや、どうだか。それに皇帝は他人が欲しがると手放さないという性格だ。それにお前、知っているだろう? フレデリック三世の恋人だったという事を、だからあまり手元に置くには良くないだろう。下手すれば」
 戦争になるかもしれんぞ、と言う前に
「別にフレデリック三世はいいさ。枢機卿が惚れている訳でもない。セツ枢機卿の好みではなさそうだしな」
 ハミルカルは本気だと、明らかに本気の目付きだった
「それとなく聞いてみよう。だがドロテアも可哀想に、お前の妻になったところで、二番目だろ?」

 そうだった、ハイロニアにはそんな慣習があった。
「大したものだな、ドロテア。フレデリック三世、オーヴァート、そしてハミルカル。中々どうして……」
 砂漠の女が海の女王か。

**********

 言いつけた以上の珊瑚を抱えてヤロスラフが戻ってきたのは、夕方近くだった。夕日を浴びた室内では、美しいオレンジ色の珊瑚も色褪せている。暮れかかる日に照らされたただの無骨な物体にしか見えない。
「オーヴァート」
「何だ?」
「ドロテアを何時捨てる?」
「何の話だ?」
「ハミルカルが気に入ったそうだ、是非とも欲しいと。お前が飽きたら即妻にしたいと申し出てきた」
「欲しがっているのか?」
 やはりな、という言葉は口の中で打ちけした。
 ハミルカルなどはどうでも良い。ドロテアはどう動くのだろう?
「冗談を言っているようじゃなかったさ。それに本気だろう、ドロテアを海の女王にしたいと申し出た」
「はん……新妻を捨てておいて他の女にうつつを抜かしたか。名君になれる男だといわれていたのにな」
「くれてやったらどうだ? 新しい女なら手に入るだろう? それに名君にはなるだろう、ドロテアが手元にいれば」
「アレが手元にいれば名君になるのなら、手元から離す筋合いはないだろう」
「名君になる必要はないだろう、皇帝は」
「そうだったな」

国無き皇帝の滅びる様を
妃など必要は無い
名君を作る女も必要は無い
ならば……

お前は会いたくはないといっていた相手と会い、そしてどう動く?

 日傘を持った女と、鳥の羽で作った団扇を持った女を従え、ハミルカルとドロテアがテラスで話をしている。ドロテアの着衣は、ハイロニアの女が着るものと同じで布を身体に巻きつけたようなものを着ている。男は厚い布を用いるが、女は透けるような布を身体にまとう。
 首のチョーカーから下がる白銀の鎖で胸の上で布を止めている。その姿は良く似合っていた。異国の衣装を着ているとは思えない程に。
 何を話しているのかは聞く気はないが、会話に花が咲いているのか身振りを交えてドロテアは語っている。そしてそれに応えるハミルカルの表情も何時に無く穏やかで優しげだ。ハミルカルは海賊の血が濃く、老国王が若い頃より余程荒々しい。そしてどちらかと言えば粗暴さが強く、女に優しく接するという事もあまりない。酒乱の気もあるが、この国では珍しい事ではない。その粗暴さ、人がみれば欠点とも言うべきところすら魅力となるのがハミルカルだ。そこら辺はドロテアとハミルカルはよく似ている。
 二人は気づいていはいないだろう、当然だ見えない位置から見ているのだから。私が見ているドロテアとハミルカル、その間には二十枚もの壁がある。こんな物があっても何の目隠しにもならない
「仲が良さそうだな」
「そうだな。少なくともお前といるよりは楽しそうだ」
 後で立って同じ場所を『覗いている』ヤロスラフは……不機嫌だった。他の物は気付かないだろうが。ドロテアの事が関係しているらしい、また『ほつれ』でも現れたか? どうもこの選帝侯とは相性が悪いようだ。
「嫌味か、エールフェン」
「正直な気持ちだ。そう見えるだろう? バトシニア=フェールセン」

 さすが嘗て、フェールセンにたて突いただけの事はある。名の響が似ている、フェールセンの次の強さを誇ったエールフェン。
 どいつもこいつも、ドロテアに興味を持つ……あの女に興味を持っていいのは、この地上に私だけだと。

「久しぶりだな、ドロテア」
「まだ居たのか? オーヴァート」
「ハミルカルは優しいか」
「少なくともお前よりは優しいな」
「ハミルカルが、お前を海の女王にしたがっている。聞いたか?」
「聞いた」
「お前はどう答えた、ドロテア?」
「別に。したければすればいいさ、海の女王って唯の称号だろう?」
「唯の称号ではない。いうなれば海の王妃だ。今ハミルカルが結婚した王妃は陸の女、海の女王となれば陸の女よりも上に位置する国王の伴侶だ」
「……そんなの無理だろ?」
「そうでもない。陸の女は国家の一部だが、海の女王は国家そのものだ。陸の女はそれこそ、親の権勢で決まるが海の女王はまったく別で、当人の素質だけが問われる。寧ろ権勢があるほうが嫌われる、お前なら文句なしに海の女王だ」
 あの男はこの女を連れて船を駆る。大海原を駆け抜け……そんな事にはならない。この女は、フェールセン人と共に砂漠に帰る……
「ずっと海で生活するのか?」
「昔はそうだったらしいが、今はどうかは知らん」
 砂漠の女よ、お前に蒼い大海原は似合わない。
「なるほどね。少し考えてみる」
「心がなびいたか?」
「別に。考えるのは必要だろ? 細かく聞いてみる」
「相変わらずだな」
「お前に言われたくない、オーヴァート」

お前に蒼い大海原は似合わない。だが、私の側も似合わない

 棕櫚の葉の上に分厚いクッション。後ろに孔雀の羽の団扇をもった女と、日傘を持った女が控えている。クッションに座っているドロテア。桜貝色の薄物に銀の華奢なサンダル、首には豪華なピンク珊瑚のネックレス。侍女に命じ、紅を持ってこさせ、それを小指で軽く引いていた。
 何度も引きなおしているドロテアの表情は、どこか幸せそうだ。
 その姿を見て、踵を返し砂浜で何をするわけでもなく立っていた。日が赤く染まり沈んでいく、満ちてきた潮が足元を濡らす。
「オーヴァート?」
「何だ?」
「いや、何時までたっても戻ってこないからな」
「お前は私の保護者か?」
「いいや、誰も皇帝を保護などできまい。連絡だ、此処から近い地点で遺跡を占拠しようとしている輩がいると」
「ふん……放っておけ」
「そうか。ならばそう報告しておく、邪魔したな」

なあ? 手放したらどうだ? オーヴァート。そうすれば少なくとも私は楽になれる……? 本当に?

「残り二週間だが、俺達は帰る。ハミルカルの相手が終わったら、もどっ……」
 ヤロスラフの言葉を遮り、言う
「ここが良ければ此処で学べばいい。そのくらいの手配はしてやる」
「そう」
 素気ない言葉だけだった。高い日の下、化粧を施しハミルカルを待っていた女とは別人。笑えと言っても笑わない少女は、恐れを知らない。
「戻って来いといわないのか? オーヴァート」
「言う必要があるのか? ヤロスラフ」
「ないならいい」
 船の上で見た、見送るお前の笑顔の美しい事。初めてだ、これ程美しい表情を見たのは
「ヤロスラフ、付いて来い」
「何処へ?」
「遺跡に群がる屑どもを殺す」
「畏まりました」

 なあ? どうしたらお前はそうやって笑うのだ?

 助けて助けてと、壊れたように呟くこれ達は、笑えと言えば笑うだろう。
「笑え。上手く笑ったら助けてやろう」
 痛みを堪えて笑うその醜さ、それ程助かりたいのか?
「嗚っ!」
 顔に手をかける、指が骨を突き破りめり込んでゆく握り締め、引き離す。血肉に成り果てたそれを捨てて、助けてとそれでも懇願する愚か者に笑えと命じる。どれもこれも腹立たしい、誰一人として美しくなく、どれ一つとして楽しくはない。世界が楽しくは無いことなど、昔から知っているがこれ程までに腹立たしいとは知らなかった。愚か者ばかりが側にいる事が苛立たしい、世界など消してしまえばいいのだと。逃げ惑う犯罪者を追い、肉に指をかけて引き剥がす。
 脆いこの肉の塊、中身は同じだ。肉の内側にある躍動する臓器、外見がどれ程美しくとも中身は同じだろう。重力に引かれ落ちてゆくそれと、叫び声。ドロテアの身体とて同じ事だ、肉を引き剥がしこの無様な重力にひかれ落ちてしまう脆い内臓を露わにして、命乞いをしろと言ったなら
「だすげで……ぐださぁ……」
 あいつは命乞いなんてしないだろう。お前は瞳孔が開ききるまで睨むことをやめはしないに違いない。
「ヤロスラフ」
 その顔の皮を引き剥がし肉だけになったとしても美しい。お前の美しさというのはそれだ、顔の皮をはがせば同じだ……などと言うものではない。お前は顔を失っても美しい
「何だ?」
「ドロテアは内臓すら美しい、額をかち割り脳が露出したとしてもあれは美しい」
 この私に狂気を与えるほど美しい女の祖先を作り出した、ドルトキアフェン選帝侯よ……貴様も、フェールセンを憎んでいたのか?

 お前は戻ってくるのか? それともお別れか? 未来を見せられるのが怖くて眠ることが出来ない男の元に帰ってくるのか?
 戻ってこなかったら殺そう
 何を?
 すべての人間をだ

**********

「コッチは寒いな、ハイロニアに比べれば」
 一ヶ月半の遅れを取り戻すのは、簡単だとは言わないが出来ない事はない。ハイロニアでもそれなりに勉強はしていた……だが、あそこは魔法使いが多いんで、それに関する事を聞いて過ごす時間も多かったが。やはり魔法は才能だなと心の底から思う。魔法で身を立てる気はないが、もう少し使えるようにはなりたい。そういう意味ではハイロニアに行ったのは決して悪くはなかった。
 馬車から降りて門兵に扉を開かせる。
「ドロテア……か」
「どうした? ヤロスラフ」
「いいや」
 何が楽しいのかは知らないが、楽しそうな。そういえば此処に来て一年、随分と読み辛いヤロスラフの表情も理解できるようになった。
「マリア、土産だ。土産話はまた今度な」
「ええ、それじゃあ。また明日ね」
 マリアとも一方的ではなく仲良くなった。そして……
「海の女王はどうなった?」
 表情は読めないんだが、何となく好き嫌いがわかるようになった、オーヴァートの。こいつに好き嫌いがあるってのが驚きだが、生きている以上好き嫌いはあるんだろう。
「お前に話す必要はないだろう?」
「魂の半分を捨ててくる必要もないだろうが」
「無条件に魂の半分の元に残らなきゃならんのか? そんな決まりでもあるのか?」
「抱かれ心地はよかっただろう?」
「アンタに比べりゃ誰でも優しすぎて涙が出るさ。心地はいいが、俺は下半身で生きてる訳じゃねえんだぜ? いくら身体の具合がよくても人間ってのはそれだけで生きてる訳じゃネエよ。アンタから見れば獣と同じ類だろうとしても」
「そんなものか」

ハミルカルの優しさに応えられる程、俺は優しくはない
だから優しくする必要のない男の元に帰って来た
無条件に優しい男の側にいることが、心地よいとは限らない
人を踏みにじるような男の側にいるほうが、生きる上で楽だ
優しくする必要もない
痛めつけようが何をしようが文句を言われる筋合いもない
俺自身、殺伐としている心で
きつい言葉を吐き、傷つけても良い相手
俺の今の生き方に一番合う男は
皇帝、お前だけだ

 俺は半身に自身の半身の醜さを見せる前に戻ってきた。
 俺は自分自身に自分自身の全てをさらけ出せる程、自分が強いとは思っていない……それだけの事。もう、ハイロニアに行く事もないだろう。俺は波音と共に有る男と相性が悪いらしい。
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