ビルトニアの女 外伝1
貴方を抱いた日
 美しい女が編入してくると話題になった。
 マシューナル王学府学長オーヴァート=フェールセンが手元においた少女。首都コルビロに到着してすぐに、マリア=アルリーニを襲った暴漢を、比喩的表現ではなく”真っ二つ”にした、美しさに棘どころでは済まない凶暴さを持った少女。
 容姿は美しすぎるらしく、表情などは搨キけているそうだ。”黙っていれば”という条件は必須だとしても。
 十年ほど前に滅んだトルトリア王国首都の生き残りで、トルトリア最後の美だと誰もが言う。
 嫌でも噂は耳に入ってくる。
 戯れに私を抱くこの学長に聞こうかと何度も考えたが思いとどまった。
―― 聞いたところで、どうするのだ? ――
 私と学長との間にはなにもないのだ。気まぐれに手を伸ばした先に私がいて抱いた。それだけのことだ。私は男だが……

第五話・終ぞ我が心届かず


 私は自分の容姿に劣等感を持っている。女性的な自分の姿が嫌いだ。顔は女そのもので、雰囲気も雄々しさがない。
「今日明日、休みを取った。外出許可も」
 いま私と向かい会っている男は、まさしく美男子だった。
「水分と余裕だね、バダッシュ。補習と追試と課題に追われているというのに」
 成績はよくないが、貴族としての礼儀作法などは完璧に身に付けているまさに貴公子。私は彼のことは友人として嫌いではないが、嫉ましく感じることがある。
 私は貧乏な職人の息子で、学費の工面も相当に苦労している。だが彼は留年しても困ることなどない資産を持っている。
「舞踏会に出席してくるんだよ」
「嫌いだと言っていなかったか?」
 貴族生活を嫌って逃れる為に王学府の扉を叩いた大豪族の子弟。その彼が嫌っていた舞踏会に出席するために休みを取るとは? 私は知らないが、その華やかな空気が懐かしくなったのだろうか?
「いまでも確かに嫌いだが。ユリウスも聞いただろう? 近いうちに編入してくるドロテア=ゼルセッド。トルトリアの美少女」
 まさに鼓動が止まるかと思った。高鳴り周囲の音をかき消す。知っているもなにも、私がいま最も全てを知りたい相手。
「あ……ああ、聞いている。嫌でも噂は耳に入ってくるからな。オーヴァート卿が珍しく長期に渡り手元においている少女だと」
 学長が手元に置き寵愛を与えることは珍しい。だから噂にのぼる。
 様々な憶測が入り交じった噂を聞く都度、頭の奥が痛み出す。姿形を見たことも、声をきいたこともない相手に対して持つには相応しくないこの感情。
 私は表情を強張らせながら、バダッシュの話を聞く。
 話をしているバダッシュに気付かれないように。気付かれては困るのだ、私と学長の関係は。

―― 誰かに知られたら終わりだ ――

 学長はそう言った。私には意見を言うことなどできるはずもない。学長であり、皇帝であるあの人に。
「そうそう。オーヴァート卿の元に”通ってくる”愛人は長持ちするけれども、手元に置いた女には十日も経つと飽きてしまうことで有名だ。そのオーヴァート卿が二十日以上手元に置いているというだけで見に行く価値があるってもんだ」
「”見に行きたい”と思い立ってすぐに見に行ける身分は違うな。……どれほど美しいのだろうな」
「真面目で堅物って言われるお前でも気になるか? ユリウス」
「一般的な範囲で」
 本当は逸脱するくらいに知りたい。私はこの綱渡りのような、なにも生み出さない関係を保ちたい。出来ることなら永遠に。
「”ちらり”と観た奴らの話じゃ、マリア=アルリーニに匹敵するって言ってた奴もいた。オーヴァート卿は美女に飽きたから普通の顔立ちに女を手元の置いてるんじゃないかって言ってる奴もいる。後者は明かに嫉妬だろうな」
「嫉妬のほうが本当ということも多いぞ」
「ところが、だ。俺やお前はドロテア=ゼルセッドって女を知ってるんだ」
「なに?」
「つい先頃即位したパーパピルス国王フレデリック三世がまだミロと呼ばれていた頃の恋人。それが今回ここまでやってきたドロテア=ゼルセッドだ。有り触れた名前だから本人確認まで時間がかかった」
 ”ドロテア”という名前は珍しいものではない。「ゼルセ」も珍しい名ではない。よって「ゼルセッド」所謂「誰々の娘(ッド)」も有り触れている。
「それは……」
 だが即位したてのパーパピルス王国の恋人”ドロテア=ゼルセッド”は一人しかいない。
「聞いたことはあるだろ。前の国王、フレデリック三世の異母兄カルロス三世が唯一手に入れられない美少女。王位を継ぐよりいいものを貰ったと評判だった」
「その少女か……それならば、掛け値無しに美しい」
 夜空の銀の砂漠に映えるだろう。黄金の砂塵を従えて、太陽の輝きに飾られる。
「見たことあるのか? ユリウス」
「ある。以前実技試験で副隊に同行してパーパピルスに行った時に見かけた。遠目でほんの一瞬だったが、あれはマリア=アルリーニに匹敵する」
 海の面した国にいる砂漠の女。なのにとても海が似合っていた。潮風に閉じた目蓋、長目の前髪が風に舞った。それは美しい少女だった。
 だが今噂されているほどに気が強いようにも見えなかったが。

 舞踏会に出席して寮に帰ってきたバダッシュは、行くまでの饒舌さとはうって変わって無口だった。いつもの私なら聞こうとは思わなかったが、今回はどうしても聞きたくて水を向けてみた。私らしくはない行動だが、バダッシュもらしくはないので気付かれないだろうと思ってのことだ。
「どうだった?」
 答えてはくれたが、非常に喋りづらそうだったのが印象に残っている。
「どうって……その、な」
「ドロテアという少女は君好みではなかったのか?」
 バダッシュは首を振った。
―― 今にして考えれば、あの”否定”は”君好みではない”ことの対する否定だったのだろう。あの時の私はそれすら気付かなかった ――
「次元が違った。そんな世界で語れる相手じゃなかった。あれは間違いなく后だ。皇帝オーヴァートの后になるべくして生まれてきた。そんな美しさだ」
「でも平民だろ?」
 私の声は擦れて、眩暈がしてきた。
「平民だけど違うな。あれが寵妃って言うんだろうな」

 彼女は私がバダッシュと話をした三日後に登校してきた。

 編入手続きに要した時間が、一般と同じだった理由は話題にする必要もない。
「綺麗だが怖いな」
 これが皇帝の寵妃と言わしめる美しさだと誰もが認めた。私たちなどが認める必要はないのだが。
「美しい刃物が人の姿を持ったら、あんな容姿になりそうだ」
 美し過ぎるとは過剰表現ではなかった。
 あまりにも美し過ぎ恐ろしさすら与えるが、皇帝の隣に立つのには相応しい。美女にありがちな長髪ではなく、亜麻色のその髪は短く切られ美しい顔を露わに、そして人々に刻み込む。
 以前遠目で観た時には気付かなかった鳶色の眼差しに宿る光の強さ。それが美しさだけではない姿を作り出しているようにも感じられた。
 私の主観であり、尋ねたことはない。瞳に宿る強い光に関してなど、尋ねようもないのだが。

**********


「オーヴァートが俺を? どこに来いって?」
「学長室です」
「了解」
 やっと編入許可が下りた。ま、普通ならこの程度の日数はかかるから問題はねえ。目立つのも慣れてるから気にはならねえ。
 俺が容姿で目立つようになったのは十歳を過ぎた頃からだった。
 十歳前は”可愛い子”で済んでたんだが、十歳を越えた頃から他人が息を飲むほどの美貌になった。顔は母親、俺が生まれたころには死んでた祖母に似てるらしいんだが、二人とも他者に息を飲ませるようなことはなかったそうだ。
 俺はこれほど綺麗に産んでくれと頼んだ覚えはないんだが。
 ……学長室に向かってるんだが、ちょっと場所が違うようだ。
 王学府は教室関係は全て同じ配置だが、学長室や教授の研究室の場所は違いがある……らしい。初めて知った。
「学長室はどっちだ?」
 見かけた教授に尋ねると、それは腰を低くして答えてくれた。
 学者でもあるはずなのに、腰の低いこと低いこと。俗世の権力とは離れ、独自の権力構造がある世界。その頂点に立つ”だろう”と言われている、俗世最大の権力者に気に入られているように見られてるんだから仕方ないが。
 聞いた通りに歩き進んでゆくと、行き止まりとなる大きな扉が見えた。
 俺は扉を叩く。
「入ってこい」
 重厚そうで実際かなりの重さがある扉を体で押し開き、身を滑らせた。扉は勝手に閉まる仕組みではないらしく、開いたままの状態。

―― 帰りに扉を引く手間が省けたな ――

 目の前には権威らしく大きな机があった。その権威の机の上で肌を露わとまではいかないが、なにをしているのか解る状態の人物がいた。
 皇帝に乗られている学生……あれはユリウスだな。
 ギュレネイス人特有の灰色の髪に透明な青さを持った瞳を持った女顔の男。長めの神が机の縁から数本ドレープを描くように広がっている。
「悪趣味なのは解ってたがな」
 俺の登場に驚いて上体をわずかに起こした。
 間違いなくユリウスだ。マシューナル王国王学府の首席で、将来を嘱望されている学生で間違いなさそうだ。
「そうだ。私は悪趣味だ」
「呼び出した理由は?」
 室内の空気の冷ややかさが信じられなかった。
 行為そのものはあったはずなのに、両者とも異様な空気だ。皇帝の空気の異様さは解るが、ユリウスの諦めたような雰囲気はなんだ? 考えたところで解らないだろうし、知ったところでなんの利益にもならねえだろうがな。
「お前の疑問に答えてやろうとおもってな」
「俺の疑問……ああ、そういうことか」
 確かに”男相手でどうしてるのか?”って聞いたことがあったな。本当に知りたかったわけじゃねえし、行為そのものを見たかったわけでもねえ。
「俺に見せて楽しいか?」
 他者の情交している姿を見る趣味はねえ。見ろと言われれば黙って見ているが、それだけのことだ。
 大人の見せ物だよな、もちろん初めて見る”物”だが。一度見たらもう充分だな。
「あまり楽しくはないな。お前が私の意にそった驚きかたをしないから」
 手前の体の下にいるユリウスは、指示通りに喘いでるってことか? 解らねえなあ。
「意にそってやるよ。頬を赤らめて伏し目がちにするとか、目の端に涙を浮かべるとか? 震えて走り出して、人気のない湖っぽいところで自分の顔を水面に映して泣くとか。余程のことじゃねえ限りやってやるよ」
「どれもこれも、お前には似合わんな」
「よく解っていらっしゃるじゃねえか」
 ―― 下がれ ―― 命令された。
 なにをしたかったのかは解らねえが、食い下がるつもりはねえ。あんな場で食い下がるなんて出来るわけねえ。正直なところ、混ざれって言われなくて良かった。
 俺は寮じゃなくて皇帝の邸から通うことになってるんで、あとは用事もなく帰途についた。愛人とお楽しみだったから、今夜の呼び出しはないだろうと思ってたんだが、
「絶倫なこって」
 甘かったようだ。
「そうか? お前も淫乱になればいいだろう」
 事後の睦言代わりに聞かされたのは、ユリウスとの関係について。聞きたくないって言ったところで、止めてくれるような奴じゃねえが”もしかしたら”があるんで一応は言ってみた。
「聞きたくはねえよ」
「お前にも責任があるから聞け」
 責任ってなんだ?  
なんでもユリウスと皇帝の関係は、他者に知られたら終わることになっていたんだそうだ。そして今日関係は終わった。他者は誰でもない、俺だ。
「飽きてたのか?」
 答えはなかった。
 皇帝はこういう奴なんだろう。飽きるとかじゃなくて、冷めているのとも違う。最初からどうでもよかった、それがもっとも近い表現じゃないか? 俺はそう判断した。
 机の上で組み敷かれていたユリウスに対しては、直接言うわけにもいかないが、この言葉を贈ろう《好きになっても悲しい思いをするだけの相手》

 こういう男のことを指すんだろう。でも好きになる奴も大勢いる。理由なんて俺は知らない。

**********


「終わりだ」
 学長は私との関係を清算した。
 私は服を着て学長室をあとにした。関係によってなにかが変わったわけではない。学費を援助してくれることもなければ、特別な計らいをしてくれることもなかった。
 全くなかった……それが私を苦しめる。
 資金援助などがあれば、それで諦められたのだ。だが実際はなにもない。体の関係のみで終わった関係。
 ”関係”ですらなかった。暇潰しでもない。それは”何も無い”に等しいこと。私にとっては様々あろうが、学長にはなにもない。
 私は誰にも言えぬまま過ごしてゆく。言えないのではなく言いたくはない。
 これがなんなのかは、もう解っているというのにな。
 私は一人に戻ってからしばらくしてのこと。
「頭良いな、あんた」
 成績が張り出されて一週間ほど過ぎ、もうほとんどの生徒が興味を失い、見もせずに通り過ぎるようになった頃、
「悪くはないようだね」
 私は彼女と初めて言葉を交わした。
 彼女は待っていたわけでもない。偶然二人きりになったから声を掛けてきたのだろう。二人きりにならなければ、この話題に触れることはなかっただろう。
「恨むなら俺を恨めよ」
 彼女はなにも知らなかったはずだ。結末だけを聞かされたとしか思えない。
 味方は少なく、敵が多い彼女。だが性格は悪くはなかった。苛烈ではあったが決して悪くはなかったと私は思っているし、ずっと信じている。
「いいや。誰も恨まないよ。恨むような筋合いじゃない」
「だから捨てられるんだよ」
 立ち去る彼女の後ろ姿を美しいと、私は純粋に感じた。

 私は彼女よりも一年ほど早く入学していたので、彼女と”バダッシュ”を残して卒業した。バダッシュは私よりも一年早く入学していたのだが、成績の関係で一年ほど留年していた。
 一度目はたしかに成績だが、二度目の留年は彼女と一緒に過ごしたいための留年だろうと私は思っている。
 本人に問い質したことはない。
 恋いとは言ってはならない、思いにまつわる愚かな行動を他者から問われたくないことは、私自身良く知っている。
 成績の良い私は学者としての経験を重ねて、学長から総学長へと位を上げたオーヴァート=フェールセンと共に仕事をすることもあった。
 あったが私のことなど忘れてしまったかのような……最初から覚えてもいないような。

 大寵妃が皇帝を捨てた時、私の心は躍った。

 だが皇帝は終ぞ大寵妃を忘れることはなく、そして私もまた忘れることはなく

第五話・終ぞ我が心届かず[終]


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