ビルトニアの女 外伝1
貴方を抱いた日
『なんで俺が、こんなところで立ち回りしなけりゃならねえんだよ!』
 柄の悪い男たちが”場所代”がどうの怒鳴りながら絡んできた。

「やかましい! 俺はオーヴァート=フェールセンの女だ!」

第四話・娼婦と娼婦と皇帝と


 俺がマシューナル王国の首都コルビロに到着した際に助けた少女の家に、洋服を届けに行くことにした。届けがてらに「街中を見てくる」と言い、邸を出た。
 このまま戻らないで、どこかに消えようか? そんな考えが頭を過ぎったが、それは地に叩き付けられた春の雪のように砕けて消えた。
 選帝侯が教えてくれた少女の家の住所。初めての街で辿り着くまで少し手間取ったが、無事に辿り着き《マリアという少女に服を渡す》という目的を果たすことができた。

―― まさか、本当に持って来てくれるとおもわなかった ―― そう言われ、家に通されて茶をご馳走になった。
 マリアも、その弟ドイル……というらしい。ともかくマリアやドイルも俺がオーヴァートに飼われていることを既に知っていた。
「また会えるかしら?」
「会えるとおもうぜ」
 それを別れの挨拶にして、もう一つの目的地へとむかうことにした。
 大雑把な説明は選帝侯じゃなくて、マリアから聞いて。

「それにしても綺麗だったな」
 少女マリアは驚く程の美しさだった。
 美しいと言われ慣れている俺でも、完敗したと素直に認められるし、なによりも悔しさなんか沸かないほどだった。
 俺より一つ年上の十七歳だというから、これからもっと綺麗になるだろう。
 むしろ大人びて色香に艶がでようものなら、迂闊に外も歩けなくなるかも知れねえな。そして見た感じから察するに、まだ生娘のようだ。あれ程の美しさで、誰にも手を出されていないってのは中々強運の持ち主って言っても……いや運が悪いのか?
「そこら辺の感じ方は、個人の自由だしな」
 ”下らない”と自覚しつつ独り言を呟きながら、目的地である花街へとむかった。
 花街へと来た目的は持参した避妊薬が底をついたからだ。七日分しか持ってこなかったのだが、それで充分だろうと気楽に皇帝の寝所へと入った。だが予想以上に皇帝から呼び出されて、ついに避妊薬が切れた。
「もう少し薬持ってくれば……ってもなあ」
 追っ手から逃げる旅だったわけだから、大量の薬など持って来られなかった。
 エヴィラケルヴィスにいた頃は、ミロが避妊薬を調達してきた。まあ最初から「薬を調達してこなけりゃ、抱かせねえよ」そう言ったからだが。
 逝こうずっとミロが買ってきていた。
 普通の街中の薬屋では、避妊薬はほとんど扱っていない。
 避妊薬はある薬を希釈したものだ。その元は堕胎薬。
 堕胎薬、それは毒だ。 
 普通の毒のように、使い方によっては薬となる、などというものではなく純粋なまでの毒。
 人殺しのためだけに作られる毒。
 だから普通の店では売ることができない。だが需要がある。
 花街特有の《資格のない薬屋》が売る。資格がないから、間違って調合してしまった……という言い逃れをしながら。
 花街の薬売りはほとんどが女なのは《自分の体で試す》ことができるからだ。
 ミロも花街まで足を運び、薬を調達してきていた。一度だけ二人で花街ちかくを歩いていたら。どこかの娼館の用心棒にミロは「薬買っておいたぜ」と声を掛けられたことがあった。堕胎薬を売る、資格のない薬売りは犯罪者でもあるから、長居することはない。
 だかから確実に買い求めるためには、その辺りを根城のしている者に依頼するのが最善だ。
 その薬が切れてしまった。
 幸いというか何処にでも花街はあり、首都なら薬売りも頻繁に訪れているだろうから買える可能性も高いだろうと考えてのことだ。
 出かけ際に”金をくれ”と言ったら、持ち歩くのが困難な程金を寄越された。全部持っていっても言いと言われたが、持ち歩けはしないので袋から金貨二十枚を取り出して、
「足りなかったら、またもらう」
 残りは返した。
「金貨二十枚程度でいいのか?」
 驚いたように尋ねられたが、金貨二十枚もあれば余程のぼったくりでも、充分買い揃えられるだろう。客は娼婦だ、金なんてそれ程持っちゃいねえはずだからな。

**********


 花街で有名なのはエド法国。
 宗教国家が身売り野町で有名ってのもどうか? とは思ったが、話を聞けば治安も良いし場所代を要求するような下っ端もいないそうだ。
 きちんと管理されいるそうで、税金を収めさせ三ヶ月に一度は娼婦たちに性病の薬を無料で配り、一年に一回は花街の《避妊に失敗して生まれてしまった嬰児が投げ捨てられ、疫病の元になる》下水掃除を大規模に行うと、至れり尽くせりらしい。
 下水掃除や薬は税金で賄ってるんだろうが、それにしても還元率がいい。娼婦相手にしちゃあ、破格の待遇だ。
 多分誰かが娼館に厄介になってるんだろうな、と思えるほど。
 それで今俺がいる、マシューナル王国の花街はどうかというと、闘技場があるせいで近辺には柄の悪い男が多い。
「いかにも悪いことしてるって感じの花街だな、おい」
 非常に背徳じみて、まさに《悪いことをしている》といった雰囲気が全面に押し出されているような町並みが、眼前に広がる。
「どこに薬売りがいるかとか……」
 まずは薬売りの情報を集めないと。薬の種類が種類なだけに、なに買わされるか解ったもんじゃねえ。
 それにしても……
「そろそろ自分で薬を作るか。いや面倒だな……」
 《穴を開けるか》と考えつつ、鼻につく甘ったるい独特の匂いが染みついている街に足を踏み入れた。

**********


 花街の出入り口に誰かが立ってる訳じゃないんだけどさ
 建物の出入り口には見張りがいるのよ。外から見れば用心棒
 あたしたちからしたら見張り
 逃げてもどうしようもないことは解ってる
 親兄弟は頼れない
 姉さんたちも売られたし、妹も多分もう売られただろうけど
 解ってるんだけどさ

「あっちだ!」
「待ちやがれ!」

 店に連れ戻されたら、また酷い目にあうんだろうな
 以前にも逃げて連れ戻されて、殴られるは蹴られるわで酷い目にあった
 できればそのまま死んでしまいたいってのが、正直な気持ち
 それでも必死に走るのは
 あたしは本当は死にたくはないし、痛い思いをするのも嫌なんだろうね
 酷い目に遭うこと知ってながら逃げるんだから

 体を売るのがどれ程嫌なのか、自分自身よく解る

 曲がり角にさしかかった時、後ろに影を感じた
 もう捕まる! と思った
 でも捕まるより先に、角から出て来た人にぶつかって、あたしは尻餅をついた
 吃驚した
 あたしがぶつかった相手、女だったんだもん
 店の女はほとんど外には出られないし、外出したとしても見張りがつく
 でもあたしがぶつかった相手は、一人だった
「済まないな。ほらよ」
 ぶつかった感触で”女だ”と解った
 その手を差し伸べてきた女は、美少女だった
 こうも整った顔立ちの美少女がいるなんて! 見た事がないのは当たり前だけれども、聞いたこともないような美少女
 あたしじゃあ上手く表現できないくらいの美少女
「おいっ! こらぁ!」
 美少女に見惚れて逃げていたことをすっかり忘れていた
 あたしは追いつかれて、首を掴まれてたたされた
 連れ戻されて殴られるなあ……
「おい、手前はなんだ?」
「どこの店の女だ」
 花街を歩く女なんて、薬売りくらいだから、男たちも驚いていた
 美少女は薬売りには見えないしさ
「ああ? 俺がどこの誰かだなんて、手前らにゃあ関係ねえだろうが!」

 美少女は口が凄く悪いみたい

「なんだこの女!」
「手前誰に断ってこの界隈で仕事していやがる! 場所代はどうしたぁ!」
 この界隈を仕切っているのはキルカス組ってところ。あたしがいる店も傘下にはいっている。結構”たち”悪い。キルカス自体も嫌なオヤジ。
 ま、店にいるババアも嫌な女だけどさ。
「ああ? うるせえな。俺は商売なんかしてねえよ。今はな」
 それにしてもこの下っ端たち、馬鹿だ。
 これほど綺麗な女の子が店にも入らず道ばたで客を引くなんてありえないのに。
 娼館が買うのは小さい女の子だけ。見目が良ければ高値で買って、そのまま綺麗に育てば厚遇されるのよね。
 あたしみたいな”普通”なのは、とうぜん普通扱い。
 それで年を取りすぎている女や、見た目があまりにも酷い女は娼館は買わないから道ばたで客の袖を引く。道ばたで客を捜すのは娼婦の中でも最下層。客は男だから、金を払わないで殴って黙らせたり、酷いときは死んだり。
 店ではそういうことはない。店の娼婦は店のものだから、傷を付けたら大変なことになる。
 だから店に入った方がいいとも言われる。
 やってることは同じだけど、身の安全はある程度確保されるってこと。
 それで目の前にいる美少女は、見た目からして立って客を引くようなレベルじゃない。何処の店でも買うだろうし、買われたその日から店のトップになるのは確実。
 私がいる店に連れて行ったら、店自体が花街一の娼館になりそうな程の美貌ってやつ。
「いまは? だと!」
 どこかの店に身売りしにきた途中かもしれない……とか思うんだけど。
「うるせえなあ! そこ通せ、麻薬中毒の屑が!」
 うわ! 痛いところ突いてくるわ。
 花街の女が逃げた時に追いかけてくる男って、下っ端も下っ端。
「てめえ!」
「やかましい!」
 一人が殴り掛かって、それにつられるようにして四人も、殴り掛かる体勢をとった。
「ねえ。やめさせた方がいいんじゃない?」
 私は腕を掴んでいるやつに、面倒になりそうだからと教えてやることにした。
「黙ってろ!」
「そうじゃなくてさ。あの顔で立ち引きなわけないよ。他の店の看板だったらどうやって謝るの? 顔とか体とかよく見てみなさいよ。うちの店のビアンカよりずっと綺麗じゃない」
 ビアンカってのは、あたしがいる店で一番高い女。
 そのビアンカより高価なのよ。それこそビアンカ程度じゃ勝負にならないくらいに。
「すごい……強い」
 そして男たちは相手にならなかった。屑とはいえ男五人を地に這わせる少女って、あたしは見たことない。
「手前! なんなんだ!」
 あたしの腕を掴んでいる男が、焦りで声を上ずらせながら叫ぶ。気持ちは確かにわかる。
 あまりの騒ぎに人が集まってくる始末。あたしを追ってきたらしい追加の男たちと、強い美少女は向かい会って……

 また乱闘になった

 すごい強いんだけど、屑は数だけは多いから、どきどきした。数で負けちゃうんじゃないかな? って。あたしがそう思って見ていたら、美少女は叫んだ。
「やかましい! 俺はオーヴァート=フェールセンの女だぁ! 手前等オーヴァートに用でもあんのかあ!」
 一瞬にして男たちの動きがとまった。
 そう言えば皇帝が《トルトリア美少女》ってのを手元に置いたって、噂になってたわね。無類の美少女だって。
 これだけの美少女じゃあ、高値どころじゃすまないわよね。
「本当……かよ」
 男たちの手はとまって、顔が青くなる。相手が相手だものね。
「疑うのも仕方ねえ。まずは手前等の店に案内しろ。俺は喉が渇いた。そしてオーヴァートの邸に使いでも出して事情を話してこい」
 美少女はそう言って、あたしの腕を掴んでいる男の顔を殴って、怯んだところで掴んでいる腕を引っ張り奪う。
「店に案内しろ。いま逃げるのは諦めておけ」
「あ、うん」
 あまりにも堂々とした態度に、あたしは驚いた。そして辺り前のように来た道を引き返した。

**********


「まず。もっと冷えた水ねえのかよ」
 言いがかりを付けられて喧嘩して、娼館で水を飲んでる。
 道ばたでぶつかった女を連れて娼館にきて、待合室? みたいなところに腰を下ろして、連れてきた女に水を運ばせた。
 店の奥から出て来た、容姿だけは化け物みてえな婆が睨んできたが、だからどうしたってんだよ。
 俺にまとわりついている女。

―― そういえば。店の女が真っ昼間に出歩いて、追われてたってことは逃げだそうとしたのか。たいした度胸だ。捕まりゃあ折檻されるだろうに。

 オーヴァートの邸に確認を取りに行ったかどうかはどうでもいい。俺はこの女に用事がある。
「おい。この女借りるぞ」
「女に貸す女はないよ」
「黙れ。手前の意見なんざ聞いちゃいねえんだよ」
「小娘がいきがるね」
「いきがってるのはどっちだ? ああ、それとも死に急いでんのかババア」
 金貨の入っていた袋の口を解いて、ババアの顔に投げつけた。
 この女、見た感じだと金貨一枚とかそういうもんじゃないかな? とは思ったが、評価のしようも相場も解らねえしよ。
 ババアは床に広がった金貨を拾い集めて、悔しさを滲ませながら、
「お客だよ、エリス。とっとと連れていきな」
「あ、はい」
 娼婦の仕事部屋ってのは初めてだ。
 女は立ち入ることはないからな。狭い部屋に狭いベッド。簡素っていうより貧乏たらしい装飾。一時の夢を売る娼婦じゃなくて、本当の売春婦の仕事場ってところだな。
 黒髪に黒い瞳のどこにでもいるような町娘……いや、村娘っぽいか。
「おい、エリス」
「なに」
「聞きたいことがある」
「答えられることならなんでも。あの、それと貴方の名前も教えてもらえるかしら」
「俺? の名前はドロテアだ」
 俺の名前なんざ聞いてどうするつもりだ?
 有り触れた珍しいもんでもねえのに。
「ありがとう。それで聞きたいことってなに?」
「もっとも信頼できる薬売りは誰だ?」
 変わったことを聞いた覚えはねえんだが、エリスの顔が”ぽかん”とした。
 省略し過ぎたのか?
「この辺りにもいるだろう? 避妊薬とか性病の治療薬を売りに来るやつ。その中で一番評判良いのは誰か? って聞いたんだ」
「ああ、うん、うん」
 細かく言ったら理解したらしく頷いて、割と良い笑顔になった。
「えっとね、バーバラの薬が一番よ」
「どこにいる?」
「薬売りの常で定位置は持たない。どこに住んでるかは知らない。二ヶ月に一度、四日くらい滞在するわ」
「前はいついなくなった?」
「昨日いなくなったわ」

―― 最悪だな……

 頭を抱えたい気分になった。昨日去って、どこに住んでるかは解らない。犯罪者なんだから、住んでるところが”ばれたら”当然困るだろうな。
 目の前のエリスは薬を持ってるだろうが、仕事柄俺よりも重要だろうし。

「素敵よね」

**********


「素敵よね」
 ドロテアに向かって言ったら、不思議そうに見つめられた。
 綺麗な色の瞳、あとで知ったけどトルトリア人特有の鳶色の瞳で見つめられて、思わず顔が熱くなった。
「なにが素敵なんだ?」
「えっと……」
「オーヴァートがか?」
「あたし、名前は知ってるけど見たことない」
 そう言ったらドロテアはあたしの顔を見つめた。
 綺麗な顔にまっすぐ見つめられて、益々顔が熱くなってゆくのを感じた。
「あんたマシューナル人で、ずっとマシューナルに住んでるんだろ? けっこうふらついてる皇帝みたいだから、見かけることくらいはあっただろ」
 見ただけで解るんだ。
 きっと頭の良い美少女なのね。
 皇帝の愛人ともなると、綺麗で賢くて凄い人が選ばれるのね。
「あたしは確かにマシューナル王国生まれだけど、首都生まれじゃなくて辺境にある村育ちなのよ。よくあるじゃない父親がさ、やめておけばいいのに、調子いい儲け話に騙されて借金作って。娘たちは売られてってやつの娘なのよ。物心ついてから街に連れてこられたわけだけど、とうぜん花街しか知らないわ」
「なるほど。それはそうと、なにが素敵なんだ?」
「貴方よ」
「はい?」
 眉間に皺を寄せていやそうな表情を作ったんだけど、それがまた”さま”になる。こんな動き一つ一つが”さま”になる人って本当にいるんだ。
 皇帝の愛人は、どんな表情でも動きでも”さま”になるのね。
 あたしみたいに、気取った顔しても普通の顔でも変わらないのとは違うわ。
「俺のどこが、どう素敵なんだよ?」
 ベッドの腰をかけて手を振るだけの仕草も、不思議なくらいに惹きつけられる。仕草を覚えておいて……でもあたしの客は雰囲気なんて楽しまないもんね。
「皇帝の愛人なんでしょ? それって素敵じゃない」
「そんなもんか? でもあんたと同じだろう。身売りしているだけだ。素敵でもなんでもねえだろ」
「皇帝の愛人と娼館の女は違うよ。まったく違う! 一日で三人、四人の相手して微々たる金を貰って窓の外から外眺めるだけのあたしと、皇帝の愛人は違うし。なにより自由があって素敵」
「自由ね。……それはともかく、仕方ねえだろう。余の中の男は皇帝ほど金持ってねえし、そんな金のねえ男相手用の店だ。数をこなさなけりゃ、仕事にならねえ。皇帝は金持ち過ぎかもしれねえがな」
 信じられないほど金を持っているって聞いたことがある。
 でも泥棒に入った人は、一人として戻って来なかったともね。
 本当かどうかはしらないけれどさ。
「そうなんだけどさ……そうなんだけどさぁ……どこかに行きたいと想うの」
 あたしの話はつながってない。
 皇帝とどこかに行きたいは全く繋がらない。でもドロテアを前にして、そんな感情がわき上がってきた。
 もう存在しない国の人を前に、沸き上がってきた。
「自分が娼婦じゃなくていい場所にか」
 《もう存在しない》そして《娼婦じゃなくていい場所》
「そう」
 生まれ故郷と、ばらばらになった家族。昔に戻りたいんだろうな。無理なのは知ってるけれども。
「そうか。でもまあ金払いきれよ。殴られて死んだら損だぜ。けっこう働いたんだろ?」
「うん。そうなんだけどさ……気が狂うんじゃないかって思う程、嫌になるときがあるのよ」
「普通だろうな」
「お金払って自由に……なりたいなあ」
 払い切れて自由になれたらあたしはどうするんだろう。
 自由になりたいとは考えていたけれども、その先は考えたことがなかったなあ。
 考えないようにしてたんだろうな。
 客相手に身の上話なんてすることないんだけれど、二度と来ないだろう女のお客さんだしね! と口も軽くなった。
「そうか。でも……」
 語尾は小さくて聞き取れなかった。

 なんて言ったのかしらね?

―― そうか? でも金で自由を買われているほうが”まし”かも知れねえな

**********


 カップを口元に運んでいたヤロスラフは、執事から奇妙な来訪者の報告を受けた。
「バルドー? 誰だそれは」
 それは来客というより、
「卑賤共のようですが」
 強請を生業にしている、明かに場違いな男とその仲間たちだと告げられた。
―― 皇帝を強請にきたのだとしたら、大した物だな
 考えながら続きを促す。
「それたちがどうしたと?」
「美少女が呼んでこいと言ったと」
「その美少女の名前は?」
「聞かなかった……いいえ、聞けなかったと申しておりました」
 ヤロスラフの脳裏に一人の少女が思い浮かんだ。
 亜麻色の髪。鳶色の瞳。手に持っているカップのような、白磁を思わせる肌。
―― あの少女であるならば、名乗るまい。だが美少女と評されるの当然だろうな
「それらは正門の所にいるのだな」
「はい」
 ヤロスラフは真紅のマントを翻し、正門へと向かった。

―― 少女が名乗ったところで、私は知らないのだからどうにもならないのだがな ――

 本の頁を捲っていたオーヴァートの目の前に、ヤロスラフは瞬間移動してきた。二人の間では驚くことではないので、オーヴァートは文字を追ったまま顔を上げようともしない。
「オーヴァート 
「どうした、ヤロスラフ」
「貴方の女の一人が」
「私の女?」
 そこでオーヴァートは初めてヤロスラフと視線をあわせた。
 ”オーヴァートの女”は多数おり、名が解らなければ《解らない》
「言動を聞く分では、最近手に入れたミロの元恋人らしい」
 だが花街で出会い頭に”やくざもの”に高圧的な口をきき、交戦する稀なトルトリアの美少女。
 ”オーヴァートの愛人だ”と叫んだとも、言った。
「正確な言葉ではないだろうが、その口のきき方でトルトリアの美少女で、貴方の傍にいるとなると」
「ドロテアか」
 ドロテアしかいない。

**********


「ドロテアか」
 その名を口にした皇帝の表情は、少しだけ楽しそうに感じられた。
 なぜそのように感じたのかは、私自身解らないが。
「私は名を聞いても解らないが、それなのだろう。そのドロテアが娼婦と間違えられて騒ぎに巻き込まれたのだそうだ」
 起こす事件も変わっている。
 一般の女が娼館街に足を運ぶとは。娼婦以外では薬売りの女くらいしか、あそこに立ち入ることはない。
 あの綺麗な顔をさらし、大手を振って娼館街など歩いていたら騒ぎに巻き込まれて当然だろう。
「変わった女だな」
 名も知らなかった少女は、名と共に私のなかで色づいてゆく。
「そうなのだろうな」
 ”貴方に似ているような”一瞬だけそう思った。
「マリアのところへ行くと言っていなかったか?」
 本を閉じて皇帝は尋ねてくる。
「洋服を持って行くと言っていたから、そうだろう。ここには来たばかりだから、道に迷ったのでは? 到着してから今日まで、邸の中で過ごして居たのだから不慣れだろう」
「あれが迷子なんて可愛らしい間違いをする女に見えるか?」
 迷子が可愛らしいかどうかは人によりけりだが、確かに迷子になるような少女には見えなかったな。 確かにバスラバロド大砂漠を追っ手を振り切り、単身で抜けて来た少女が、街中で迷うとはとても思えないな。
「見えないな。もしも迷ったとしても、建物を壊して直進して帰ってきそうな雰囲気がある。だがそれは今の場合関係ない。花街で娼婦と勘違いされて難儀しているらしい。私が引き取りに行けばいいか?」
 理由や雰囲気はともかく、少女は今、花街で娼婦と間違われ足止めされている。
 皇帝がこの瞬間に飽きたとしても、学者となるべく学業を修めなくてはならないのだから、引き取りに行く必要はある。
 愛人の後始末としては珍しいことだが……
「お前に任せ……いや、私が行こう」
「そうか」
 俺にとってだが、意外なことだった。
 皇帝はまだあの少女「ドロテア」に興味がある。
 椅子から立ち上がり、消えた皇帝。場所を教える必要もなければ、聞く必要もない。
 俺は去った場所に一礼し、召使いたちに告げておいた。
「今夜もドロテアで間違いないだろう。用意を調えておくように」
 先走った気はしなかった。確信もある。
 俺の言葉に、僅かながら空気がざわめいた。皇帝が連日ドロテアに寵を与えていることに対する驚きだけではない。それは嫉妬も含まれている。
 肌に感じた嫉妬と同時に、皇帝がドロテアという少女に与えているものが寵であるのか? 俺には判断することができない。

**********


 俺はエリスから”娼婦の心得”なるものを聞き、薬売りの人相や価格を教えて貰っていた。そうしていると入り口から悲鳴のような声が聞こえた。恐怖による悲鳴じゃないな。
 その悲鳴の主らしきものは、廊下を進み俺がいる部屋の前までやってきたらしい。扉が無造作に開かれた時、理由は解った。
「あ……あの?」
 エリスはオーヴァートの姿を見て驚いて口を”ぱくぱく”させた。本当に驚いて口を”ぱくぱく”させるヤツっているんだな。
 たしかに黙っていればオーヴァートは美丈夫だ。選帝侯も美丈夫だが、全く種類がちがう。
 オーヴァートの長い黒髪は恐ろしい程に艶がある。人間の艶とは全く違う、闇夜も煤ける程の深い黒。その眼差しは気圧されるような光を湛えた鈍色。
「帰るぞ、ドロテア」
 威圧に負けてベッドに尻餅をついたエリスに、指さしながら教えてやった。
「これが皇帝オーヴァートだ」
 見た事ないって言ってたからな。もっとも、説明しなくても一目で皇帝って解るけれどな、こいつはよ。
「はあ……」
「世話をかけたようだな。女将、近いうちに遊びにきてやろう。この女を買う、美しく磨いておけ」
 いつの間にか、あのババアがいた。
「お待ちしております! ほら、エリス! ぼさっとしてないで、お見送りしな」
 さすがにオーヴァートのことは知ってるらしいな。当然か、この大陸でもっとも権力のある皇帝だ。知らないで済ませられねえんだろうな。
「は、はい!」
 ババアに怒鳴られて、呆けたようにして座り込んでいたエリスは立ち上がった。
「ところでこの女は幾らだ? 女将」
「そいつは……」
「俺は金貨二十枚払ったけどな」
 ババアが言う前に、口を封じるように言ってやった。行儀悪い行為だろうが、俺の知ったことじゃねえ。
「ほう。このあたりの店で金貨二十枚となると、最高ランクの女だな」
 そういうもんなんだ。成る程ねえ。
「そうなのか。俺はそのババアが女に女は貸さねえと言ったから、金拾わせてやっただけだ。ところであんた、なんで相場なんて知ってるんだ? この程度の店に足運ぶご身分じゃねえだろう」
「帰ってから教えてやろう。気が向けばだが」
 一生向かなさそうだが、特に知りたい訳じゃねえからいいか。
「おい、エリス! お前はあと幾ら稼いだら自由になれるんだ?」
「え? えっと……解らない」
 普通はそうだろうな。
「おい、ババア。幾らだよ。この男なら一晩で精算できるぜ。この男が一晩で精算できねえ程、借金できるような女じゃねえよな。こんな逃げ癖のある女、稼げる時にしっかりと稼がせて捨てたほうが賢いってもんだぜ」
 ババアは眼球を動かし、上部に貼りつける。化け物じみた顔になった。これは嘘をつこうとしている顔だろうな。
 この手の商売してるんだから、もっと上手く嘘付きそうなもんだがよ。
「エド金貨で四千枚」
 借金だけじゃなくて、生活するための金もかかるから金額は上下するもんだろうが、エド金貨四千枚はふっかけ過ぎじゃねえか? まだオーヴァートが払うとは決まってねえのに。
「じゃあ! あたしの生活も考えて、金貨八百枚上乗せしてよ!」
 中々に強かじゃねえか、エリス。少し見直したぜ。
 金貨八百枚か。慎ましく暮らせば、二年は過ごせるな。その間に新しい生活も軌道に乗せられるだろう。
 オーヴァートは金額を聞いて笑った。
 笑った理由? そりゃまあ、普通の人間には安くねえ金額だが、皇帝には遊び金どころかはした金、いいや金額にすらならなかったらしい。
「はははは! そうか、そうか! 金貨四千八百枚程度か。良かろう、今日中に届けさせる。待っているが良いエリスとやら」
 高笑いのあとにそう宣言して、娼館に背を向けて歩き出した。
 既に日は落ちていて、夜に灯りを点しはじめた娼館の並びは、なまめかしさがあった。
 エリスは今日から客を取らなくてもいいだろう。オーヴァートが客としてくると言ったんだ、他の男に貸せるわけがない。

 この先の人生、上手くいくといいなエリス。

**********


「楽しそうだな、オーヴァート」
「まあな。ところで、ドロテア。お前はなぜこんな所に足を運んだのだ?」
 遊びに来たというわけでもなさそうだ。昔の知り合いがいるとも思えない。私の問いに挑戦的な蠱惑さと表現するに相応しい表情を浮かべてドロテアは言い捨てた。
「女が花街に来た。それで見当つかないか?」
 言うのではなく、言い捨てるが正しい語気だった。
「つかんな」
 知ることはできるが、知ろうとしなければ解らない。
 私はお前から直接聞きたい……説明するつもりはないが。思いながら美しい顔を眺め、答えを待っていると、聞いたことのない言葉が返ってきた。
「避妊薬買いにきたんだよ。手持ちのが底付きそうだからな」
 それは私にとって異国、いや異世界の言葉。
 理解するまでに時間を要したのは、これが初めてだった。
 どの女も次代皇帝を孕みたくて必死な中、この女は拒否する。私よりも学者になることを優先するという。
「なるほど。では教えておこう。安心するが良い、お前が妊娠することは絶対にない」
「え?」
 蔑ろにされたのは初めてだ。
「人間と違い、皇帝は自らが望んだ時、望んだ相手とだけ子供を”造る”ことができる」
 数多くの者が”皇帝の隠し子だ”と現れるが、残念ながら私は一度たりとも子をなそうと思ったことはない。即ち、子供はいない。
 私は自らの代で皇統を閉ざすのだ。それだけを目的に生きている。なにを差し置いても、それだけは成し遂げてみせる。
「……」
「私はお前を孕ませる気はない。安心するがいい」
 私はお前のことを、今までの愛人の中ではもっとも気に入っているが、子供を産ませようとは思わない。
 私の言葉にドロテアは少しだけ考えたような素振りを見せてから、口の端を上げて笑い、
「ふーん。でも俺は薬が欲しい」
 薬を欲する。
「なぜだ?」
 欲しいというのなら、くれてやっても構いはしないが。理由をと言う前に、語られた。
「俺はあんた以外の男と寝ないって明言しちゃいねえし、あんたにも言われた覚えはない。他の男は普通の人間だ。あんたみてえな芸当はできねえだろ? だから薬が欲しい」
 なかなかに豪毅だ。
 私にむかって別の男と寝るかもしれないと言い切るなど。それがこの女の良いところなのだろう。いいや良いところではない、私が気にいっているところと表現するのが正しい。
「そこまで欲するのならば、子宮を潰してやろうか?」
 私の言葉に恐れをなすかと思えば、まるで動じない。
「禁邪術で潰してくれるなら、大歓迎だぜ」
 むしろ、嬉々となる。
「……」
「なんだよ。冗談だったのか?」
「いいや。潰して欲しいのか?」
 私は亜麻色の髪と、鳶色の瞳を持つ少女をみつめる。
 お前の子宮は潰れない。
 私はお前の未来を観たのだ。あの夢こそが未来なのだから。お前の子だろう? あの子はお前の子ではないのか?
「俺はあんた禁邪術を施してもらうつもりだぜ。帰ったらすぐにでも潰してくれるか?」
 私がここで”ドロテア”の子宮を潰せば、未来は変わるのか? その誘惑に駆られながら、
「別の男と寝て、腹が膨らんでも構わん」
 私は運命に立ち向かわない。未来も変えはしない。
「そういう趣味もあるのか?」
 私に向かって笑い声という声をむけるが、それに感情はない。私の笑い声に良く似ている。
「さあな。禁邪術は、私の元を離れる時に施してやろう」
「楽しみに待ってるぜ、へ・い・か!」

砂の地に立つ女
私の見た夢が”ただの夢”であったのか? ドロテアの幸せを願った夢であったと?
違うだろう。この私が他者の幸せを願うなど、あり得ない。あってはならない

あの子が私の子でないことは確かだ
それだけは確かだ

だがそれが、なんになるというのだ? 私よ

「今夜も部屋へとこい」
「チッ……」

それほど嫌がるな、ドロテアよ

**********


 エリスはドロテアと会った日から数えて三日後、自由の身となる。ドロテアに挨拶してからコルビロの街を去った。

―― 行き先は告げず、行き先を尋ねることもなく ――

 エリスがどうなったのか? ドロテアは知らない

第四話・娼婦と娼婦と皇帝と[終]


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