ビルトニアの女 外伝1
貴方を抱いた日

砂漠の乾いた風はいつか、海を渡り潮風となる
そこに過去を知る術もなく
そこに誰かがいる事を知る術もない
それでも人間は幸せだ
無知ではなく、知らない事が幸せなのだ

第三話・完全なる翼持つ皇帝・水に映る羽を嫌う少女


「天にあっては比翼の羽……連理の枝」
 ドロテアが図書館以上に本の揃っているこの館で、気晴らしに専門書以外を読もうと探してみると何故か恋愛小説ばかり。それも悲恋などとは無縁、全てが幸せに終わる物語。
 本の版年から察するに、揃えたのは皇帝ではないだろう。恐らく、先代皇帝かそれとも……
「変人のアンセロウムか?」
 どちらにても、誰にしてもやたらと薄ら寒い話である。
 そうは思ったものの、若い頃はそういうのに憧れるタイプだったかも知れないし……と、一人で貶し弁護しを繰り返しながら、字が小さめなまだ「読める」だろう本を何冊か選び出し、ソファーに置いた。その横に座り、ヒマではないのだが一種の気晴らしに本を開いた。
「恋愛小説なあ。古くても新しくても殆ど内容は変わらんな」
 人気の全くない図書室で、斜め読みしながらブツブツ言う。傍から見ていれば、ちょっと怖い姿だが全くドロテアは気にせずに呟きながらページを捲る。
 殆ど読まれた形跡がない本、一度読めば理解し、暗記してしまうタイプの人間が読んだのだろうと。
「魂の片割れねぇ」
 運命の相手、魂の片割れ、人はそれに出会う為に……4冊ほど適当に読み終えたドロテアは、話の内容が幸せに終わる以外にも共通点がある事を知った。
 それは全て「魂の片割れ、己の半身、運命の恋人と再会する」という一点。
「ロマンティックって言うべきか、否か」


人は片方の翼を探し、地上を歩く
二人が出会えた時、人は手を取りあい
空を飛ぶ
その永遠の命で
その魂の……


「飛んでどうするんだかよ……」
 それは憧れだったのか、それとも憎悪か。皇帝の母親が集めていたとしたらそれは憎悪なのかも知れない。あの一筋縄ではないかない皇帝の母親だ、そのくらい含みがあってもなんら不思議ではない。
 六冊ほど流し読みをしたところで、本を置いた。
 召使が「オーヴァート様がお呼びです」と告げに来た為。
「今行く、そう伝えておいてくれ」
 本を棚に全て戻し、やれやれと図書室の扉を開ける
「態々出迎えに来てくれたのか」
「本を片付けていたのか」
「ああ。何でこんなに恋愛小説があるのやら」
 図書室から出ようとするドロテアを、再び室内の身体で押し込めるオーヴァート。後ろ向きに4歩ほど下がり、身を翻してソファーのある方へとドロテアは進んだ。
 閉まった扉の音と、古い紙特有の臭いのする室内。紙が痛まないようにと、日光が全く入らない部屋。



それはあの寝室に似ている
そう思うと、あの薄っぺらい恋愛小説達が
死体の埋め込まれた壁にも見えなくはない



「読んだのか?恋愛小説を。意外だな」
 室内を見回し、前と「置き方」が違うのをみて、そう言葉を言う。普通の人間がそんな事をしたら驚くが、オーヴァート相手に驚く事ではない。ドロテアも
「ああ、意外性を狙って読んでみた。あんたに言えば、面白がるかと思ってな」
 別に驚きもせずに話しを続けた。
「何冊読んだ」
「斜めに読んで6冊」
「運命の恋人に憧れるか」
「全然」
「だと思った。この書庫の中に、運命の恋人と結ばれ、永遠の命を手に入れる話がある」
「あ、見かけた」
 皇帝は笑った。その紫色の薄い唇に酷薄な笑いを浮かべる、僅かにのぞく舌は白っぽい。その口を見るたびに、死体に似ているな、とドロテアは感じる。
 死体を抱く趣味の人間はいるが、死体に抱かれる人間はそうそういないよな……などと。
「完全なる魂が手に入れば、永遠なる命が手に入るなどと思う輩が意外と大勢いるのだな」
 死体のような男に、死体で埋め尽くされた部屋で抱かれている自分は、果たして本当に生きているのだろうか?もしかしたら、自分自身が死んでいるのではないのか?
 死んでいようが死んでいまいが、実際の所どうでもいい様な。死というものが幼い頃、身近であまりに大量に起こると、感情と理性、現実と過去の調節が難しくなると何かで読んだような……そんな上の空になりながら、ドロテア言葉を羅列させていく
「永遠の命を欲する話ではないから、それを主体とはしてないだろうが。永遠の命は人間にとっては何物にもかえ難い、そして決して得る事のできない存在だ。だから、話の空想性を引き立てるんじゃないのか?まあ実際、半身と会って抱かれようが、抱こうが魂が行き来するとは思えないけどな」
 抱いたり抱かれたりする程度で、魂が行き来したりしたら大変だと思う。
 そんな簡単な事で魂が行き来していたら、死んだ運命の相手を抱けば相手は生き返る事もあるだろうし、両者一緒にあの世逝きにもなるだろう。
「ドロテア……いいことを教えてやろう。人間の魂は確かに半分だ」
「はっ?」
「昔、半身同士を集め自由にさせた。中々見物であったがな」
「皇帝は、違うよな」
「違うな。我々は半身を持たない。我々は元々、この世界には存在しないのだ」


 此処まで言った後、皇帝は室内から出て行った。何を言いたかったのか全く理解はできなかったが、どうやら人間は運命の相手、別れ“させられた”魂が存在するのだと、それだけはドロテアもオーヴァートの話しぶりから解るそしてあの言い方からすると、皇帝は運命の半身同士を見つけだす事など容易く出来る。
 運命の恋人同士は、一度でも抱き合えば別れられないとも言う。
 何の為に魂別れているのかはドロテアには解らないが、この地上に自分の半身が確かに存在すると言う事実は、心の中に重い影が圧し掛かったようだった。多分そうなのだろう。
 神が何を考えているのかなど、そんな事はどうでも良かった。この地上に、もう一人の自分がいるという事、その事実。
「運命の恋人を好きになれる自信はないな」
 それが、ドロテアの偽らざる気持ちだ。図書室の明かりを消し、ドロテアはオーヴァートの後を追った。姿は既になく、廊下のギャラリーの絵を眺めていると召使が呼びにきた。夕食はドロテア一人。オーヴァートと食事を一緒に取る時は嫌がらせの一環として、味の薄い料理を並べられるが、一人で食べる時は生粋のトルトリア料理が並べられる。
 最もこれも、薄味の料理に簡単に慣れられてしまえば困る為、そうしているというだけの事なのだが。
 一人、満足のいく食事をした後ドロテアは中庭を散歩する。灯の灯された中庭はそれは見事で、間違いなく王宮にある庭以上のものだ。


「ドロテアは何処だ」
 侍る女達と、酒の香り。目の前に並ぶトルトリア料理。コレを食べている時は、美味しそうに食べているとヤロスラフは言う。
 ドロテアが美味そうに食事をしている姿など、一度も目にした事はない。当然と言えば当然だが。
「中庭を散歩しているそうです。呼んで参りましょうか?」
「いらん、後は片付けておけ」
 全ての人間の魂が別れている訳ではない、稀に魂が別れていない人間も存在する。だからといってどうだ?という事もない。精々、他の人間より頭が良かったり、魔力が高かったりするくらいだ。決して完全な魂を持っているから永遠の命を持ってるわけではない。


 カツリカツリと立つ足音、無意味だ。


 望めば、そのものの前に直に立つことが出来るというのに。ある意味歩く事は、意味のない事だ。人は意味のない事を強制されつづけると死ぬ。
 砂を運ばせ、その砂をまたもとの場所に持っていかせる。それだけで、死ねる。
「なんとも楽な生き物だ」
 私は歩く事は無意味だ、限りなく。呼び立てれば来る、そしてその場に行こうと思えば直に立てる。だが歩く、何故だろうな?そして死ねもしない。
「オーヴァート様」
「なんだ?」
「今宵は誰を用意しておけばよいでしょうか」
「下がれ」
遠ざかる使用人の後姿。抱いても何も楽しくはない、そして抱く事にも意味がない。


− 子を成す


 それにも興味はない。むしろ子を成さないことを生きる目的としてる自分。だから無意味に人を抱く、無意味の繰り返しが死を招くのなら。
 人が嫌がる事をする程度しか、楽しみが残っていない程遊びつくしたこの生で。


 噴水の前でトルトリア体術の訓練をしているドロテアは、間違いなく美しい。彫刻も絵画も到達できぬ域というのが確かに存在する。美しさだけならば、ドロテアもアルリーニも皇帝の存在に肩を並べる。
 例えそれが一時の美しさだと誰もが知っていても。
「水は好きか?」
「噴水はな……エルランシェは水の都だったからさぁ」
「……宝石は執念、神父は魔物、そして宝は……」
「何の話だ?」
「さあな」
 多分知らぬのだろうし、知らなくてもいいだろう。エルランシェの今の姿など。私自身、口にして何のことか解りかねるのに。
 動くのをやめ、汗を甲で拭い取り噴水の縁に腰をかけ、羽織っている服を脱ぐ。一瞬吹いた夜風に躯を、ピクリとさせた。噴水の水音だけがあたりに響き渡る。
「私達皇帝の躯は永遠だ」
 ドロテアは不思議そうに顔を見つめてくる。言葉の意味を探っているのだろう
「……朽ちないという事か」
 ドロテア以上に頭の良い女は多数いる。だが「こんな女」はいない、良い意味でも悪い意味でも。
「そうだ」
「まあな、皇帝は一定の年齢から変わらないってのは聞いた事がある」
「永遠の肉体は作る事が出来る、だが永遠の魂は不可能に限りなく近い。人間は魂は永遠だというが、実際は逆だ」
「ふ〜ん。成る程ねえ、だが不可能に限りなく近いって言うわけだから、不可能じゃあないんだろ。そこまでいえる程近づいた事があるんだろ?」
「不可能ではない、確かに。詳しくは教えられないがな」
「聞いても理解できる気はしないからいらないけれど」
「そういえばお前も、魂の片割れに会いたいか」
「出来るなら……」


「一生会いたくはない」


「随分と、キッパリ言い切るものだ。それとも出会った事でもあるのか?」
「ないね。だが、一生会う気はない」
「どうしてだ」
「答えろと?」
「ああ、答えろ」
「俺は自分が好きじゃないんだよ。外見も性格も境遇も嫌いじゃあない、だが存在が嫌いだ。存在、言い換えれば魂だ。俺は自分の存在を、魂を否定している」
「それはまた」
「物語に出てくる女は、全て自分を愛している。そうだろう?顔が美人ではない、スタイルが悪いといいつつも己の半身を愛する。言い換えれば己自身を好きなんだ、相手の男もそうだ。可愛らしいだの、心が清らかだのそれはお前の半分だ。自分自身を褒めているにしか過ぎない。要するに自分が好きな人間しか、自分の半身に会いたいと思ったりはしない筈だ。魂の片割れに会いたいと思う人間は、全て自分をこの上なく信じ、愛している。俺はそんな盲目的に自分を愛していない」
「お前は半身に会いたくないと思うほど、自分が嫌いか」
「嫌いだな。好きになる要素が何処にある?好きでもない男の腕に抱かれて嬌声を上げる自分だぞ」
「それだけはないだろう」
「そうだな、だがあんたは知る必要はない」
「成る程。……それ程嫌うなら、お前の半身を探してやろう。そしてその時お前がどんな行動を取るのか楽しみだ」
「良かったよ。お前の楽しみを作ってやれてな、愛人として涙が出るほど嬉しいさ」
「楽しみに待っていろ」
「……神も半身がいるというよな」
「そうだな、表裏一体神だからわかりやすい。人間のように、隠れてしまわないからな」
「あのな、運命神の半身ってのは誰だ?」



運命神があれ程残酷なのは、自分に運命の相手がいないから
神の死も司るという運命神



「さあ……いないのかも知れんな」
「あんたが相手になれば」
「神は嫌いだ。神を捨てた一族だぞ」
「そうかい……」



なあ、運命神の運命は誰が紡ぐ?
もしかしたら私は、半身を法王に求めているのかもしれない
本来ならば存在しない彼を



「風が出てきたな、部屋に戻るぞ」
「風ならさっきから出てるぜ?」
「ついてこい」
「はいはい」


私も自分自身が嫌いなのだ
皇帝である自分が
だがドロテアのように、見たこともない半身を自分のスケープゴートとして恨む事もできない
私の魂は完全だ
この地上に、もう一人の私はいない


少女の魂の半分の持ち主は直にわかった、海の男だ
砂漠の国に生まれた少女の相手が、海の帝王とは
運命はやはり引き合わせたがらないのだと
自分が嫌いと言うドロテアに、あの男を引き合わせたらどうなるか?
あの男の結婚式に連れて行ってやろう
「どうなるだろうな?」


眠っている少女に、一枚シーツをかけ部屋を後にした
当人が当人を嫌いならば、当人を優しく扱ってみるのもいいかもしれない



「それだけか?皇帝……」
 軽く口にした言葉は、誰に聞こえても誰も意味を知る事はない。自分自身知る事はない。
「羽を折ってはくれないか?」
 その羽を、お前にくれてやっても良い。


さあ、折ってみろドロテアよ


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