ビルトニアの女 外伝1
貴方を抱いた日
 あの街にいた頃は、まだ髪が長かった。
 邪術は使えなかった、使えるようにしてはいなかった。魔法は使えたが、それよりも体術のほうが得意だ。
 誰もがそれを知っている、だから髪を切り躯に血印を描いて制約を加えた。


「じゃあな、エヴィラケルヴィス」


 戻ってくる事はないだろう街に別れを告げた。男に別れを告げなかったのは、この街にこの国に戻ってこなければ、会う機会がないからだ。


 短く切った髪を撫でる風。
 小娘と呼ばれる年で、私軍とはいえ軍人を振り切るには、邪術位は必要だろう。
 どうせいつかは手を出そうとしていたものだ。今まで延ばしていたのは、切欠が掴めなかっただけ。
 目を閉じる。そして躯を作り変える、僅かだが確実に。これもまた戻る事のできない道


渇いた熱い風が通り過ぎた。


 砂漠を横断していると、背後から軍馬の蹄が砂を踏む音。
「お前の逃亡もそこまでだ」
“逃亡”だと?
 瞼を閉じ口を開く、振り返らずに。


「逃亡に失敗した学士はどうしたら良いのかな?」


「我々と共に……」
 言い切る前、首と胴体を切り離す。
「何をした!ドロッ……」
 種を明かしてやる程、優しくはない。無言で切り裂く
「邪術だと!貴様いつのまに!」
 魔法使いを殴りつけ、剣士の首を見えない牙で撫でてゆく。赤い血が、青い空に映える……もんでもない。唯の青空と唯の血だ。
 全員が倒れた後、一人一人躯を縦に切る。
「死んだフリなんざ、みっともねえな」
 イドルグとか言う、貴族の子弟だったなコイツは。
「助け……」
「誰が助けるかよ、バカ」
 左の掌を相手の顔にあて、スッと手を下ろす。躯が割れてゆく
「じゃあな」


 全員殺して、所持品を漁り軍馬を手に入れ、針路を南に。マシューナルの首都早くたどり着かなければ。


渇いた熱い風が通り過ぎた。


 第二話・目覚める少女・変わらない皇帝



「寒いな……」
 身体の節々が痛む。窓も照明もない部屋のベッドの上で寒さに目を覚ます。当然何もかけられていない
「服は何処だ……」
 仕方なしに邪術で手元に青白い明かりを灯す。
「…………。なんて、殺風景な部屋だ、って言うべきかな、これはよ……」
 明かりのない部屋の壁にミイラが埋め込まれている。いや、ミイラでない状態の死体も埋め込まれている。苦悶の表情を浮かべている死体もある。物体を物体にめり込ませる事は可能だが、それを壁の装飾にする感性。衣食住が足りて、罪に問われない身分の輩にはいると聞くが、いい趣味とは到底いえない。
 まさしく殺伐とした部屋。
「本物……か」
 死体を触ってみると、妙に瑞々しいものもあった。昨晩、この壁の前で抱かれていたかと思うと、あまり気分は良くない。ただ、そうは言っても、この先もこの部屋で何度か抱かれる事になるんだろう。頭を切り替えて、洋服を探したが何処にもみあたらない。この遮蔽物の殆どない部屋を歩き回ってみるが、見当たらない。
「持っていかれたのか」
 つぅ……と内腿を伝い落ちた、自分の体温で温かくなった体液に舌打して、扉の方に向かう。
「随分と明るいな……昼前のようだが」
 廊下に出て、辺りを見回しても人影もなければ、人の気配すら感じられない。
「何処に行けば、服があるのやら」
「目が覚めたか、娘」
 突如声を掛けられ、振り返る。全く“人の気配”はしなかったのだが
「これでも羽織って、ついてこい。浴室に案内する」
 差し出されたシルクの大判の布を纏い、前を歩く男の後ろをついて廊下を歩く。“人の気配”がしなかったのは当然だろう、目の前にいる長身で、黒髪の長い男。紫色の瞳と白磁の肌。整った顔だが険が浮かんでいる不機嫌な表情。噂に聞くエールフェン選帝侯・ヤロスラフ。


こんな人間ではない奴の気配を感じ取れる訳がない。


 白と黒のチェス盤のような床を、ヒタヒタと素足で歩く。白は大理石、黒は黒曜石をイメージして、目の前の男が作ったのだろう。この館というより、別城と呼ぶのが相応しい建物を“作った”のは選帝侯だと聞いている。
「浴室だ。躯を洗う者を準備するか?」
「いらねえよ。事後の躯を他人に洗ってもらう程、羞恥心は欠けちゃいねえし」
「そうか。着替えは準備しておく、ゆっくりとするがいい」
 両肩の銀色のアーマーに赤いハイカラーの襟。白いマントがバサリと翻り古代王朝の大貴族は、脱衣所から隙無く優雅に出て行った。
「お言葉に甘えさせていただくか」
 個人宅の浴室……とは絶対言わない浴場で、躯を洗い冷えた躯を温め直した。


湯船で胸に描いた血印をなぞる。
「何て言うのか……時間が動き出したって所だろうかな……」
この先はトルトリアに行き着くのか?


 服を着ると、再びヤロスラフが現れる。そのタイミングの良さに、呆れつつ再び案内され今度は食堂に通された。
 食堂といっても普通のテーブルがあり椅子があるわけではない。ソファーに横になっている皇帝が、高級な絨毯の上に広げられた食事を侍女に運ばせている。
「これぞ皇帝といったところだな」
 侍女は全員、乳首と秘所が隠れる程度の宝石を、細い鎖で躯に纏わせているだけ。
「委細を聞くか」
 委細とは昨日依頼した事だ
「いや、いらない。きちんとしてくれれば、後で噂が聞けるしな」
 ヤツが玉座にいればいい、ただそれだけだ。委細など聞いても仕方ない。
「そうか。ならばコッチへ来い」
「何食うんだよ」
「どう言うことかな?」
「まさかこの料理たちを迂回して、遠回りして来いって事じゃねえんだろ?料理の皿の間を歩いていくんだ、食いたいものがあったら言えば、一石二鳥だろう」
「成る程。ではそこの酒を持ってこい」
 指差されたと思しき辺りにあった酒を持ち、ズカズカと歩く。皿にぶつかったような気もしたが、特に気にもならない。
「ほらよ」
「学府の移動には1ヶ月ほどかかる。それまで好きに過すがいい」
「館の案内は誰がしてくれるんだ?それと、どこに普段いればいい?まさか廊下とかに寝ろとか?」
 侍女の纏っている細い鎖を千切り、彼女に口を開けるように良い、そこから酒を流し込む。強い酒に涙を浮かべながら侍女は噎せる。その噎せて、頭が下がっている侍女の髪を掴み、無理矢理顔を上げさせて、酒を流し込む。
「案内はヤロスラフにさせる。部屋も案内させる、それ以外は?」
 彼女の口から零れ落ちる酒と、目から零れ落ちる涙。
「昨日助けた少女に、洋服を届けたい。作ってくれるか」
「自分で届けるのか?」
「ああ」
「解った。一緒に食事とするか」
「……まあ良いけどさ」
 侍女は若い。年の頃は俺と同じくらいだろう
「そこで苦しんでいる女が気になるか?」
 あまり悪い噂は聞かなかったんだが、それなりに悪い箇所はあるらしいな。気管に入った酒に、会話を消す程咳き込んでいる侍女を見下ろしながら
「いや、別に。ただ、自分ではあんな目に遭いたくないな、って程度だが」
 背中に浮いている背骨、肉の薄い体。
「中々正直だな」
 上気した肌。
「誰でもそうだろ」


 自分を追ってきた男達だって、捕まえたら俺に同じような事をしただろうさ。そう思いながら、とても上品な味付けの料理を口に運んだ。


*




 金髪で菫色の瞳をした少年が、砂漠を駆け出す。
 その走り方は、父母に向かって走る姿だ。
 懸命に、ひたすら懸命に、だが表情は嬉しさに溢れている。
 画面がグルリと回り、女の子と見間違うような少年が駆けて行く先に視点があう。
 背の高い父親。名は解らぬが、生粋のフェールセン人。灰色の髪が眩いばかりの星空に、そして銀の砂を映した空色の瞳。
 トルトリア領の砂漠にフェールセン人とは、随分と奇妙だ。だが、直にその奇妙さは消えた。
 その隣に立っている、少年の母親であろう女はトルトリア人。風をはらんだような亜麻色の髪に鳶色の瞳、そして差し出す左手。間違いなく


今抱いた少女だった


「夢……か」
 殆ど眠りに落ちる事はないが、抱いた体が良かったのか、快感で意識を飛ばしたようだ。眠れば予知夢を観る事が多い、見たくもない物を見させてくれる。超能力を突出させた時代の名残なのだが、全く持って必要ない。出来るならくれてやりたいくらいだ。
「予知夢なんだろうな」
 寒さに丸くなって眠っている少女を見下ろす。夢の状態からいけば、随分と幸せになるようだ。
 今はもう何もなくなったトルトリア王国の地、自分の嘗ての故郷であろう場所で、フェールセン人の男と金髪の少年と共に幸せに暮らすのだろう。夢でみた少女は若い、今よりは年を経ているが
「あの見た目は、10年後くらいか。子供もそのくらいだろうしな」
子供の年齢からいけば、かなり若い。もうじき産むのだろう……


と言う事は、私は直にこの少女と別れる事になるか?


 そんな事を思って苦笑した。
「まあそれも良いか」
 女など、幾らでも手に入る。そう思ってみたものの、『少し惜しいな』と頭を過ぎりもする。
 文句の付けようがない程美しい容姿に、中々の頭脳。そして虚勢とはいえ、強気な口の利き方は魅力的だ。
 これ程の少女なら、立派な王妃になっただろう。貴族でもない娘が王妃、ありえない話ではない。
「それで、か」
 私の声に反応する素振りはなく、ただひたすら深い眠りに落ちている肢体。
 あの国の宰相は私がいた頃から代替わりしたはずだ、息子が継いだのだろう。真面目そうな顔をして、真面目さだけが取得の男。
 結婚して娘が出来たと聞いたが……この少女が邪魔だったのだろうな。この気の強さと機転、そして美貌。国王の心を捉えて離さない少女など、遠ざけるに限るだろう。散々な嫌味でも言ってやろう、楽しみが増えたなと笑う。
「オーヴァート」
 扉の向こうから声が届いた。この壁や扉の向こう側から、声を届けられるのは唯一人
「ヤロスラフか、今行く」


皇帝の永遠の奴隷たる選帝侯。


 脱ぎ散らかした少女の洋服を掴み、部屋を後にする。渡された洋服を受け取り、とくに表情も変えずに
「どうすればいいんだ、オーヴァート」
 受け取る。異国の衣装、ヤロスラフには馴染みのないパーパピルス王国の着衣。
「焼却処分しておけ」
「解った。それと言われた通り、死体は処分したが、一体誰がやったんだ?あの雑な殺し方はお前ではないだろう?」
 通りで少女が少女を背負い、殺しなれない術で人を殺した時、背筋が一瞬だがゾワリとした。殺しなれてはいないが、殺すのに躊躇いを見せない、あの堂々たる眼光。狂気の一つも宿していない、まして冷酷でもない落ち着いた瞳。
 若さゆえの残酷さでも、過去から来る冷酷さでもない。確固たる意思で殺している余裕。
「私の新しい愛人の仕業だ」
殺し方を教えてやれば、上達するやもしれない。
「愛人、な」
 躯を好みの女に育て上げるのにも飽きていた、あの少女ならば違う好みの女に育て上げられるだろう。残酷で冷酷で、そして優雅に。
「トリュトザ侯爵に連絡を入れろ、今すぐだ」
「了解した」


「いい女だな。差し出すにはもってこいだ。こちらでカタをつける、お前は国王のご機嫌でも取ればいい。じゃあな」
 トリュトザ侯爵は頭を下げたまま、何一つ言わなかった。言えなかったのかどうかまでは、理解できないが。


 あの予知夢は幸せそうだった。ならば幸せにしない為にも、少女を手元に出来るだけ長く置けばいいのだろう。
 それはただ不幸にする為だけに選んだ行為だったのか、それとも少女の美しさに惜しさを感じたのか、それとも己の力を否定する為の行為なのか。おそらく全てであり、全てではない。
「……まあ、良いだろう。学府を変えるか」

 少女を手元に置いて、何か変わる訳でもない

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