ビルトニアの女
終わりから始まりに向かう世界へ【2】
「まさかアイツと敵対することになるとは、思ってもみなかった」
 パーパピルス新国王シルヴィウスは何時ものように潮風の当たるテラスから遠くを臨み独り言を呟いた。彼の眼前に広がる海ではない大陸の先の先、見えることはない遠いギュレネイス皇国。
「良く解らんが、お前は世界を敵に回して何をする気なんだ? ユリウス」
 かつてパーパピルスの王学府でともに学んだギュレネイス皇国出身のフェールセン人の優等生が、故郷に戻りチトー五世の次の司祭の座に就くなど、当時机を並べていたバダッシュには思いもよらなかった。
 自分の女顔を嫌っていた線の細い本当の学者だった男が、エド正教『法王レクトリトアード』と真向から事を構えるなどバダッシュには想像もつかない。
 だが想像がつかなくても、実際世界はその方向で動いている。
「シルヴィウス陛下。フレデリック陛下……ではなくランシェ王国からの使者が到着しました」
「ここに通してくれ。あいつも此処が好きだろうからな」
 二人で並びドロテアを見送ったテラスで、バダッシュは国を出て行った元国王ミロを待った。

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 フレデリック三世は良い王様であった。
 十一年間私心を殺し善政を敷いた。その彼の善政は国民の為ではなく、ある一人に褒めて欲しいが為だった。最初から違う国に居る愛しい女に自分が称えられている姿を知らせたい一心で全てを行っていた。
 そして愛しい女がこの地上からいなくなった時、彼は国王で“在る”意味を見失い、感情に任せた行動に出る。
 だが完全に感情に任せた行動ではなく、長い間鬱積したモノを『砕く』決意し行動に移した。それは復讐とも言う。
 大陸の国王の中で『最も頭が良い』といわれたフレデリック三世は、まず一族の主筋の男をパーパピルスに招待する。招待された方はまさか復讐に加担させられるとは思いもせず、恋人のような高級娼婦ヴァルキリアを伴って旅行気分でやってきた。
 出迎えたフレデリック三世は、バダッシュに『国王にならないか?』と持ちかけた。持ちかけられたバダッシュの方は最初冗談だと取り『いいぞ。でも王妃はヴァルキリア以外認めないぞ』と言い返す。
 フレデリック三世はその言葉に笑い、計画書を叩き付けた。
 側にいたヴァルキリアはフレデリック三世の笑い声を聞いて全身に鳥肌が立つ。
 目の前の国王が本気であることを、そして隣に座って計画書に目を通しているバダッシュがその本気に加担しかけていることを肌で感じ、顔から血の気が引いていく音を聞く。
「なる程な……少しヴァルキリアと二人きりで話をしたい。この計画書を見る限りじゃあヴァルキリアが作戦の核だ。ヴァルキリアの同意が得られたら乗るが、得られなかったらなかったことにして諦めろ」
 フレデリック三世は頷き、二人は城から出て海を臨む白亜の館で話を始める。計画の主は『譲位』ではなく『トリュトザ侯爵一族の殺害』それを聞かされた時、ヴァルキリアは息を飲み声など出せる余裕はなかった。
「ヴァルキリアも知っているかもしれないが、フレデリック三世の地位を確固たるものにしたのはドロテアがオーヴァート卿の愛人になったのが大きい。それを依頼したのが世襲大臣のトリュトザ侯って訳だ。フレデリック……いやミロには何の相談もなく、勝手に依頼してドロテアは引き受けた……十一年、もうじき十二年になるが、ミロはその間トリュトザ侯を許すことはなかったが、国王として奴を部下にして国を統治した。でもドロテアが居なくなったから、もうどうなっても良いんだとさ」
 バダッシュは籐で編んだ椅子に座り、窓から流れてくる潮風に目を細めながら水平線を眺める。
「私が核ってどういう事なの?」
「世襲大臣の一門を根絶やしにして、その責任を取ってミロは退位する。そしてヴァルツァー家の主筋に当たるロートリアス家に王家を渡す。目星をつけたのは俺、どうしてか? お前がオーヴァート様の愛人だから。あの人と関係のある女が王妃なら、多少強引ながらも俺は王位に就ける。今のミロもオーヴァート卿と繋がりがあるから王の座に就いていられた。あの支配しない皇帝陛下は未だに多大な影響力を持っている」
 ヴァルキリアは指を組み、視線を落とす。
 失せた血の気が戻ってくる気配はないが、その体の冷たさに比例するかのように思考が透き通ってゆく。
「バダッシュは国王になりたいの? 国王になりたいなら協力するわ。私は貴女の為に存在する“女”だもの」
 計画書が風にあおられて音を立てる。
 パラパラと不規則に繰り返される音を聞きながら二人は無言のまま日が暮れるまでそこで過ごした。召使が明かりを持って夕食の支度が出来たと告げに来て、ヴァルキリアは立ち上がりバダッシュは計画書を箱にしまい脇に抱える。
 召使が近寄ってきて荷物を持とうとしたが、それを制して二人で食堂へと向かった。
 向かう途中の廊下で、遠ざかる波音と響く足音を聞きながらバダッシュは少しばかりの笑い声を含ませて答えを伝えた。
「結婚してくれるか」
「いいわよ」
 ヴァルキリアはその日の夕食の味は覚えていない。
 何時もと変わらないはずのバダッシュの指先が、信じられないほどに熱かったことだけが記憶に残った。
 翌日目を覚ますとバダッシュは既に城に向かった後で、書置きには“一人でマシューナルに戻り屋敷の荷物をまとめ、オーヴァート卿にこの先パーパピルスに住むと告げて戻ってきてくれ”とあった。
 ヴァルキリアは裸足のままベッドを降りて窓を開き、風に飛ばされる髪を押さえながらオーヴァートへの別れの言葉を小さく紡ぐ。
「私、王妃で我慢することにしました」


 娼婦の皇帝への愛は終わり、彼女は王妃となった


 フレデリック三世とバダッシュの行動は早くヴァルキリアがマシューナル王国に戻った時には、トリュトザ侯爵の一族が処刑された。
 ヴァルキリアがその情報を聞いたのは、オーヴァートの元にパーパピルスに向かうと告げに屋敷を訪れた時。『本当に殺したの……』当事者の一人でありながらヴァルキリアには何の実感もなかった。
 その時ヴァルキリアが口にしたのは、
「まだマシューナルにおられるのですか? 私が新たに住むパーパピルスか、旧トルトリア領に住まれたらよろしいのに」
 オーヴァートへの疑問。
 ドロテアがいなくなったマシューナル王国などオーヴァートには何の価値もない。然りとてドロテアが去った土地に興味あるとは思えなかったが、何故か口から零れ落ちる。
 その質問にオーヴァートは笑いながら答えた。 
「ダーフィトがいるから。それが死んだら拠点は移す、王学府の拠点もヒルダのいる国になるだろう」
 ヴァルキリアはダーフィトを知らなかったので不思議そうな表情でオーヴァートを見つめる。
「ああヴァルキリア知らなかったか。そうだなあ、もう過去の人間だろう。私の昔の妻だ、そう最後の皇后」
 目の前にいる、愛した相手がかつてこの国の王女を妻としていたことを思い出した。
「……今でも?」
「全く愛してはいない。ただドロテアが気にしていたから、死ぬまではいてやるよ」
 一度会わせたことがあるんだ、という言葉にヴァルキリアは笑顔で頭を下げた。
 人が思う程に自分はオーヴァートに愛されてはいない。ヴァルキリアはその事を良く知って、それで満足していた。
 代々続いた世襲大臣の一族を滅ぼし玉座を捨てる王や、その男に玉座を譲られるような男が挙って縋り、皇帝をも捨てた女と並べるわけがないことを、彼女は初めて『皇帝と大寵妃』と出会った時に解っていたからだ。
 ヴァルキリアはパーパピルスに向かいそこで新国王に推戴されたバダッシュと、いつの間にか先に到着していたオーヴァートにエスコートされて王妃の座に就いた。その国には既にフレデリック三世はいなかった。


 王妃となったヴァルキリアが人伝に聞いた話では、フレデリック三世はトリュトザ侯爵を処刑した直後狂ったように、泣いているかのような笑い声を上げて、首都から単身出て行ったきりであった。


 その彼の行方が判明したのは四年後、法王アレクサンドロス四世が死去しその柩が近年ランシェ王国と呼ばれるようになった旧トルトリア領に運ばれた時に、ジェラルド派王家としてジェラルド派法王へ哀悼の意を表するためにランシェ王国に出向いたシルヴィウス王となったバダッシュと、王妃のヴァルキリアの前にランシェの大臣として現れた。
 ミロ=ヴァルツァー
 ランシェ王国、後の帝国ランシェの建国主の一人。

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「シルヴィウス」
「ああ、ヴァルキリアか。どうした?」
 ミロを待っていたバダッシュの元に現れたヴァルキリアは、手に持っていた扇を開き口元を隠して夫に昔皇帝から閨で聞いた話を教えた。
「オーヴァート様は昔ユリウス=ケルファンザを戯れに抱いたそうよ。その関係は他者に知られたら終わりと、そしてあの方は戯れだから戯れで終わらせた。わざとドロテアを呼び寄せ、知らせて関係を切った。役に立つ情報だったかしら?」
 バダッシュは振り返り、手摺に背中を預けて頷いた。
「情報としては役立つが……ユリウスの気持ちは解らないな」
「ええ。ヴァルツァー殿が来たようね、それでは」
 ヒールの音を響かせて脇を通り過ぎようとしたヴァルキリアの腕をバダッシュは掴み、
「今でも皇帝を愛しているか?」
 ヴァルキリア詰問する。かつてのこの男の為に高級娼婦になった女は笑顔を作り答えた。
「あなたの中にドロテアがいないのなら、私の中に陛下はいないわ」
 バダッシュは腕を放し、乱暴に掴んでしまった事を詫びヴァルキリアは無言で首を振りその場を立ち去った。


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