ビルトニアの女
ビルトニアの女【4】
―― エルセン王国

 城は破壊され、霊廟も壊れたまま。街のいたるところに破損の跡があり、人の数は減った。国王と最後の大寵妃の確執、両手両足のない勇者の末裔。
 人々が逃げ出す理由は多かったが、それでもエルセン王国に残る者もいた。マクシミリアン四世が考えていた以上に人々は残った。
 聖騎士たちと共に残ったクナは、見通しが良くなった首都とは思えぬ首都に故郷を重ねたが、それ以上なにも言うことはなく枢機卿としてもやや変わった態度でこの時を迎えた。
 空が夜とは違う黒く塗りつぶしたような色となり、明かりを用意させようとすると、青色の柱が空へと登り黒を押しとどめる。その柱が放つ光が闇を闇とせず、人々を”支える”
 青色の柱がエルセン王国に近くいためはっきりと見え、白色の柱は小さいながらも確認できた。他の二本は場所と角度の問題でエルセンからは見ることができない。
 元々忠告されていたのだが、あからさまな異変を前に人々は国王の元へと集い、枢機卿に助けを求めた……が、

「祈るより、鉄鍋でも被って身を守れ」

 クナの言葉に人々は驚いた。マクシミリアン四世も民と同じように驚いた。
 信心深い枢機卿が救いを求める人々にかける言葉として、これほど不適なものはない。だが言った側は気にした様子もなければ、驚きにも気付かずに、脳裏の勝利をもたらす美女を描き《現実》を見た。
「祈ってどうなるものでもなし。一心不乱に祈り逃げ遅れて瓦礫に潰されるより、逃げたほうがよかろうて。なあに、祈るのは妾に任せておくがよい。皆の分もこの妾が責任を持って祈る。その際の護衛は、ここに聖騎士がおるから大丈夫じゃ」
 ”祈ったところでどうにもならない”ことは、クナもわかっている。空を覆った黒い物体と、遠くに見える音こそ聞こえないが、捩れながら黒い物体とせめぎ合う青白い光。
「何よりも魔帝を屠るであろうドロテア卿は、お主らの祈りを力に変えて頑張るような女ではなし。むしろ鬱陶しがるであろうよ」
 祈り瓦礫に潰された人の痕跡を見て、腕を組みあからさまに”馬鹿”だと笑うだろう姿が、
「……」
 マクシミリアン四世も脳裏にも描くことができた。
「隠れたくない者は王の代わりに剣を持つがよい。エルセンの祖先は勇者の影に隠れていた者たちではなかろう? 誇り高く勇者と共に戦った者たちの末裔じゃろうて。祈るのはエドに痣を託された妾だけでよい」
 魔帝を倒すのが勇者であるのならば、祈りは”さま”になるだろうが、魔帝を倒すのはただ一人ドロテアという女。
 滅びたトルトリア王国に皇帝を道連れに死を刻む。
 祈りなど求めず、栄誉も求めず、死と向かい合い、それすらも身に取り込んで駆け抜ける。
「身の安全を第一にしろ。生き残り、国の復興に携われ」
「それで良いのかえ? エルセンの」
 勇者の末裔を自負し、戦いが再び起こることがあったら国をかけ、国民全てが死に絶えようとも戦うと決めていた国の王の言葉。
「仕方あるまい、枢機卿」
「お主がそのように決断したのであればよい。後悔はないな? エルセンの」
「あるはずもない。余は勇者ではなく、エルセン国王マクシミリアン四世だ。国民を守る必要がある」
 毒で成長が阻害された肢体を失った体。白銀の髪の下に、勇者の末裔であったことを伝える黒曜石の如き瞳。《勇者》であることに固執せず諦めたその時、マクシミリアン四世は勇者となる。
 本人は勇者となった事に気付かず、気付いたクナはなにも言わず《枢機卿》として祈りを捧げるべく、膝をつき聖印を手に持ち迫り来る敵を見ても意に介さず祈り始める。
「あまり強い敵が来ないことを祈るか」
 ゲオルグが槍を構える脇で、フラッツがマクシミリアン四世とクナを守るために盾を構え、そして笑う。
「なにを笑っているのだ? フラッツ」
「ん? 以前のお前ならば強い敵がくることを望んだだろうと思ってな。手柄を挙げると意気込んでいた頃の」
「怒りはしない、事実だ。よくもまあ、この腕であんなことを言っていられたと、昔の自分に呆れる。だが今は違う。己の実力は弁えた」
 フラッツは槍に耐久力の上がる魔法をかけ、
「だからこそ此処にいられるのだ」
 ゲオルグが盾に同じく耐久力の上がる魔法をかける。
「私たちは勝つのではなく、持ちこたえるために此処にいるのだからな」
「神ではなく、ドロテア卿に祈ろうか。早く援軍を到着させてくださいと」
「一言一句同意する。人間の領分を越えた存在には対応できない」
 エルセン王国上空の暗闇を照らす存在が現れた。眩しすぎるということもなく、見上げるとその姿がはっきりと解る。人となんら変わらない姿の「敵」。
「お前達の後ろに隠れているのが、ハルベルトの子孫か。あの男の……」
 金髪で背中の中程まであり、肌はくすんだ白。着衣の紋様から選帝侯の一族であることは一目で解る。
 マクシミリアン四世は、
「隠れていては問題でもあるのか? そうか、この前にいる二人に勝てないのだな。それは悪かったな、ゴールフェン崩れ」
 ”いつも”のマクシミリアン四世に戻り、見下しながら言い返す。
「このアロイスに」
「アロイスという名なのか、ゴールフェン崩れ。マルゲリーア様はご立腹だろうな」
 祈っていたクナが空中の怒気よりも、隣の態度に”やれやれ”と目を開けると、アロイスの背後に三つの光る点が映った。

―― あれの到着を待っておるのじゃな……

 ”人間如きが!”そう叫ぼうとしたアロイスであったが、背後からの気配に場所を移動する。
「気配に気付くくらいの余裕はあったか」
「ハルベルト!」
 彼らの前に現れたのは、レクトリトアードに瓜二つの男。
 格好はマクシミリアン四世たちも見たことが無いもので、体に張り付いた黒の上を幾筋もの青い線が走り、光点も駆け巡っている。この勇者の格好、棺の表面部分と同じなのだが、此処にいる者たちにはそれは解らない。
「お前が子孫か?」
 背負っていた剣を抜きつつ振り下ろす。ゲオルグとフラッツはマクシミリアン四世の前から移動して、二人が視線を交わす。
「ハルベルト=エルセンか」
「そうだ。お前が最後の一人か。元気そうで何よりだ」
 レクトリトアードが持っている剣よりも幅は広く厚みもあるが、長さは然程でもなくハルベルトの胴体と同じ程度。
「コーネリアの子孫は皆殺しにしてやったぞ!」
 叫ぶアロイスに振り返りもせず、ハルベルトはマクシミリアン四世に話かける。
「気にすんな。お前は良くやったよ。少なくとも、この面倒で勇者辞めようとして、何度もアレクとシュスラに引き留められるってか、殴られて連れて行かれた俺に比べたら。ちなみにさ、俺を殴ったのはアレク……じゃなくてアレクサンドロス=エドとシュスラ=トルトリア、どっちだと思う?」
 剣を持ったまま両手を広げて眉間に皺を、肩をすくめて尋ねるハルベルトに、
「アレクサンドロス=エドじゃろう」
 思わずクナが答えてしまった。
「やっぱ解る? あの男の性格、正しく伝わってるってこと」
「いやあ。性格は伝わっておらんというか、半年くらい前までは聖人だと思っておったが……お主の子孫がなあ、どうやら同じ性格しておるらしいことを、アンセフォが証言したのじゃ」
「ひーひひひひ! やだなあ! アレクが二匹とか、最悪じゃね! アンセフォ馬鹿正直だな! あとで殺されるぞ!」

―― ハルベルト=エルセンの性格も随分と……とは言っても、妾はマクシミリアン四世やジョルジの性格から勝手に考えていただけで、実際は……

 悲痛な面持ちの国王や、権力を求めた王女、王族としてだけではなく人として最低であった公子などから”勝手に”ハルベルト=エルセンの性格を推測していたクナは、目の前の勇者に驚きはしたが、否定する気持ちにはなれなかった。
「アレクさまの悪の遺伝子、強っ! ひゃひゃひゃひゃひゃ!」
「そいつはどうも」
 同じようにやって来ていたのだが《なにか》をして遅れたらしい、白目部分が緑の男がハルベルトの隣に浮いて、マクシミリアン四世を見下ろす。
 顔その物はやはり同じなのだが、歪めた口元と片眉だけをつり上げて話す仕草は、全く善人には見えない。
 自らの肩越しに振り返らずに親指でアロイスをさして、
「必死に娘の子孫殺したって叫んでるんだから、相手してやれよハルベルト」
「叫ばなくても相手してやるって、アレク」
 ハルベルトは剣を構えた。
 クナもマクシミリアン四世もみたことのない構え方で、手を体の横へと移動させ刃を体の前にする。
「対魔帝用に作られた我等がお前如きに遅れを取るとでも?」

**********


 ドロテアは足元の敵は無視し、離れたところにいる敵をウィンドドラゴンを使い葬り去る。ドロテアが無視した足元には敵と必死に戦い、敗れ息絶えた者たちがすでに多数。
「黙って死なせておくかよ」
 ドロテアはウィンドドラゴンの頭上に立ったまま指を鳴らす。ウィンドドラゴンの衝撃波と体が崩れ落ちて行く音に聞こえる筈がない小さな音だが、それは《死者》に届き、
「う……え……ええ……」
「ごふっごふっ」
 まだ血が固まっていないので、傷口などから血を滴らせながら起き上がった。大きな死に至る傷を負っているため、動き方は異様。驚いた元仲間たちだが、その目の昏い光に恐れを成して逃げる。
 アンデッドと化した兵士たちは、目の前で動いている物に近付き、噛みつこうとする。敵も味方も彼らにはすでにない。
 在るのは生者に対する憎悪のみ。それは人間だけではなく、選帝侯や魔物たちに対しても同じこと。
 噛みつき爪をたてて引き剥がされ、体が壊れて肉片になっても蠢く。ドロテアが解放するまでそれは動くことを止めない。
「こ、ここまで……するか……」
 魔方陣の内側から状況を見ているパネは、神の力ではなく自分の力だけで「人を」殺すと言ったドロテアの表情を思い出し、広がるアンデッドたちを前にして息と共に恐怖を飲み込む。
 アンデッドにされた者たちはドロテアに殺された者ではない。彼らは敵に殺された。だからドロテアは彼ら死者を朽ち果てるまで動かす。誰一人としてドロテアは逃がさない、自らが殺すと決めたからには、彼らをどうやっても殺さなくてはならない。
 遠い皇統の子孫や、彼らが作った敵に殺されてはならないのだ。その間違っているだろうが誰にも諭すことのできない意思を持って。助けを求める叫びも、驚き苦痛に満ちた悲鳴も聞こえていないかのようにドロテアは一人ウィンドドラゴンの頭上に立ち続ける。
 ”黒”に溶けてしまわないその立ち姿。その黒に沈み溶けてゆく者たちの中にあって、ドロテアの姿は浮き立ちはしないが、そこに在ることだけははっきりと解る。
 ドロテアという存在に気を取られていたパネは、少しばかり気を抜いて、

「助けてくれ!」

 声のした方を見てしまった。気付かないふりをして、決してそちら側を見ないようにするべきなのに振り向いてしまった。パネの視線の先には、センド・バシリア共和国兵士。
 足を負傷し武器である槍を杖代わりにして逃げようとしているが、力が入らず治療してもらえる場所に辿り着けない。
 パネはこの場所から治療してやることが可能だが、相手は《殺す対象》であるセンド・バシリア共和国の兵士。金属がぶつかり合い、怒号が飛び交い、悲鳴があちらこちらから上がるこの場で、パネはその一人の兵士から視線を外せないでいた。
 助けようという気持ちはあれども、自らの僧衣の鮮やかな青色が視界に広がり動きを留める。エド正教の聖職者として、この戦いの裏側を知る者として戸惑っているパネの視界の端に、駆けてゆく者が映り込んだ。盾を背負っている隙間から見えるのは、エド正教の青と白と金の着衣。
 葡萄のレリーフの付いた杖を掲げて治癒魔法を唱えながら、盾を背負っている《ヒルダ》は助けを求めている兵士の元へと近付き、センド・バシリア共和国兵を治療し逃がした。
「応急処置ですがこれで歩けるはずです。治療所へ向かって、完全に治してもらってください」
 そして近くにいるもう一人の負傷者の治療をしようとした時、ヒルダに影が覆い被さる。負傷者の方を見ていたヒルダは反応が遅れて、気付いた時にはすでに敵の長い指と鋭い爪が振り下ろされていた。だがそれは真上から落とされた閃光により消え去った。
「気ぃつけろ、ヒルダ」
「ありがとう! 姉さん」
 ヒルダはそう言い、目の前の負傷者を治療する。その兵士もまたセンド・バシリア共和国の者であった。
 全てを見ていたパネは「どう理解すればいいのか」に悩み混乱してゆく。
 ヴェールで隠された顔は緊張ではない汗が浮かび、唇は僅かに開き、舌が渇いてゆく。ウィンドドラゴンの頭から降りたドロテアが、死者と負傷者の隙間を縫い歩き陣地に近付いてくる。
 パネはそれらの中を抜け、歩み寄ってくるドロテアに震え恐怖した。
 敵を排除する魔方陣を難なく通り抜け、水の入った瓶を掴み蓋を外して飲む。そしてパネの肩に手を置き、
「ひでぇ顔だな」
 顔を見ながら囁く。それは言葉として発してはおらずパネの頭だけに響く声であったが、パネはそんなことを理解する余裕はなかった。
 肩に置かれた手甲に隠された手によってかけられる重みに体が痺れてゆく。その重さはまさに自らの心のにのし掛かる重さそのもの。
 軽い女の腕は、心を引き裂き焼けた鉄板に押しつけてくる。
「なぜ……たすけ、た」
 渇いた口で発した言葉は、なにを求めているのか? パネ自身解らなかった。誰を差しているのかも、はっきりと解らなかったが、質問された側は解った。
「ヒルダを助けたことか?」
「……」
 微かに頷く。”妹だから助ける”ような女ではないことはパネにも解る。
「簡単なことだ」
 遠くから聞こえる悲鳴。上げたのはヒルダが先程応急処置して、治療所へと走れと言われたあの兵士。それは治療され、また戦いにむかい遂に殺された。
 無駄なことだったのか? 苦痛を二度味あわせたと見るのか。それとも……
「かんたん……な、こと……」
「ヒルダは信仰に従った」
 敵に囲まれた仲間を助けに向かったアレクサンドロス・エド。ヒルダは彼の教えに従っただけ。
 生きるための道標にしようとした信仰そのままに、ヒルダは行動している。
「……」
 パネが聞こうともしなかったヒルダの真意。
「どうして俺がヒルダを助けたのか? と聞きたいのなら、それはお前の間違った解釈だと答える。俺は敵を殺した、その結果ヒルダが助かった」
「……」
「ヒルダはアレクサンドロス=エドに従った。お前が従うのは誰だ?」
 パネはドロテアを見ず、視線を黒い世界を覆う膜に向ける。厚さも硬さも解らないその膜の奥に消えた「現在の勇者」セツ。
 ドロテアは魔方陣の上に水を飲み終え空になった瓶を落とし、
「お前の信仰はどこにある? エドか? セツか?」
 そう言いアンデッドの中へと戻っていった。
 緊張から荒くなる呼吸でパネはドロテアを見送る。答えはしなかったが、パネ本人も解っていた。「助けなかった」それは己の《信じるもの》が、この現し世に存在する権力者であることを如実に表していた。
 パネが頭を垂れるのは次の法王であり、過去の勇者ではない。
 だがヒルダは過去の勇者が残した《信仰》を選んだ。
「どっちも悪くはない。だがどちらも選べはしねえ」
 ドロテアは垂直に上昇し、再度ウィンドドラゴンの頭に立つ。
「柱を壊す前に、お前たちのイングヴァールが倒れるぜ。早く戻ってきやがれ!」
 ドロテアはそう言いながら、精霊神以外の各国に放った神にこの地に集うように指示を出した。


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