「その模様を合わせろ、そうだ」
レクトリトアードはエルセンの棺を、セツはアレクサンドロスの棺を元からある《シュスラ・トルトリア》の棺と側面の呪文が合致するようにし立たせた。
呪文が合致すると模様は通路となり、三つの棺の表面を細かな青白い光りが駆け巡る。
ドロテアはずっと立ち続けていたシュスラ・トルトリアの棺に素手で触れる。
自分の足元を舞う砂の中に、忘れられない子供たちの笑い声と、それに混ざる鐘の音が”見える”ような気がした。
ドロテアの手元にいる幽霊以外、ここには一人も残っていないのに砂が囁く。廃都の記憶か砂の想い出か。
「建物の全てを壊しても、これは持っていけないか」
滅んだ国はまだ人々を抱いていた。死んだ者だけではなく、幼かったドロテアまで。
―― 聞こえるか? そうだ……邪魔だ、行ってこい。お前たちが行く必要がある所だ
ドロテアが両手を広げ肩の位置まで持ち上げ指を鳴らす。右手は中指と親指で、左手は人差し指と親指で。それを合図に雨が降った。ドロテアの目線あたりから現れた雨が、砂を濡らす。
「これで騒いでも砂が舞い上がらないだろうよ」
”用意はいいか?”と尋ねることもなく、ドロテアは「トルトリアとエド」の棺が合わさったことにより生まれた呪文に手を乗せる。同じようにセツは「エドとエルセン」の間にある呪文に、レクトリトアードは「トルトリアとエルセン」の間の呪文に。
勇者二人はなにも考えず触れているだけで、ドロテアは「描かれた呪文」の奧にある機関を読み、それが動くように力を送る。
「さあ、なにが始まる?」
セツは手を触れたまま、青白く輝き始めた棺を睨み付けた。
輝いた棺は天頂から光りを放ち、空中で三つの光りが一つとなり消える。青空から暑い眩しい日差しが降り注いでいた空は、冬の夕暮れのような薄暗さに変化した。灰色の膜が掛かったためだが、だがその空を覆うのは人々が見慣れている普通の灰色雲ではない。
光を通さない大きな灰色の膜は徐々に色を濃くし”黒”となる。
その”黒”は黒だが夜の闇でもない。明けが約束されている夜の闇と、約束されていない黒。
オーヴァートは高々と手を掲げ、
「異世界がこの惑星を包み込んだ。これから地上や海上に近付き、この惑星と異世界の境を曖昧にして取り込む!」
ヤロスラフ以外には通じない話を嬉しそうに話す。
「そりゃ大変だな」
ドロテアは棺から手を離し、遅らせるための力を呼び出す。
「四つの精霊神。その人柱の白い石の位置から空を支えろ!」
叫びに呼応した四つの精霊神は、ドロテアが指定した場所から、指示通り下りてくる異世界を支えるべく精霊の柱を建てた。
セツの故郷やレクトリトアードの故郷に残っていた「白い柱」の場所から。各々の力が渦を巻き空を支えたのだ。
周囲にあった白骨や、朽ちた建物をも巻き込み支える。
遠く離れた場所にいる者たちにもはっきりと解る「四本の精霊柱」明けることが約束されていない黒き異世界は制止した。
「それでいい。押し返す必要はねえ。それは俺たちがやる。さあ、どうする? イングヴァール。俺を殺さなけりゃ、異世界とフェールセン城が触れ合うことはねえぜ!」
イングヴァールが操る「異世界」がフェールセン城に接触すると、世界の支配権はイングヴァールに移動する。
「押して来てるな」
ドロテアは異世界とフェールセン城の接触により発生する「次元転移変換」というものに懐疑的であった。説明を聞いても、理解が追いつかなかったこともある。だが理解はできなくても、説明の根幹である「接触」と敵の「行動」から正しいことは解った。
「姉さん。本当に向こう側から道が開けるんですか?」
支配権を得るためにはどうしても柱を倒す必要がある。
「心配するなよ、ヒルダ。選帝侯と魔法生成物が出て来る道が開く」
イングヴァールが現れれば精霊の柱であっても即座に破壊できるが、
「イングヴァールはこの異世界を維持する為に、異世界から出ては来られない」
大きな制限があった。
彼がこの世界に再度降り立つ為には、彼が作った異世界がフェールセン城に触れる必要がある。一箇所でも触れたら彼の用意した「次元転移変換」が世界を奪い取る。
だが異世界そのものを維持しているのは彼、イングヴァールなのだ。
異世界には形がなく、一定の場所に収まり力を与えていなければ直ぐに消える。この形のない異世界をイングヴァールが選んだ理由は明確。
形にするのには非常に高度な技術と大量の知識と、莫大な力が必要となるのだ。惑星に建つフェールセン城や過去の遺跡のような物を作るのは不可能で、己の力を媒介とした”支配がおよぶ、フェールセン城に似た領域”を作ることしかできない。
イングヴァールは皇統なのでその力をフェールセン城が拒むことはないので、次元転移変換などを仕掛けることは可能だが、仕掛けるまでの妨害に対して手を打つ必要がある。
「来たようだな」
唯一この場にいる選帝侯ヤロスラフが未だ黒い空を指さす。
「そうか。じゃあ、用意はいいか?」
柱を倒すために選帝侯になれなかった者たちを降ろすためには、彼らの力に耐えうる道を開く必要がある。イングヴァールが懐を開き部下を放ってきた時に攻め込む。
「いつでも」
弦のない弓をアレクサンドロス=エドの棺の前に突き刺してセツが答え、
「用意は出来ている」
レクトリトアードが剣を構える。
「俺もやっぱり行かなきゃだめ?」
腰に差したレイピアの柄を指先で突きながら、エルストが苦笑いして、
「はい」
オーヴァートが作った杖をクラウスが握り直して返事をする。
「お前等も行くんだな? アードにクレストラント」
【行ってくる。俺はクラウスに。クラウスは水属性だから力を増幅してやれるはずだ】
【私はエルストに……まあ……あまりこの男には……その】
「クラウスには手伝ってやれ。エルストは適当にな。ま、お前等は死んでるんだから無理しても良いだろうよ」
霊体に声をかけて背を向ける。
「じゃあ行ってくるから、ドロテア」
”ひらひら”と指を小さく動かして手を振るオーヴァートを後ろから蹴り、
「さっさと連れて行け!」
ドロテアは行けと合図を送った。
降りてくる敵とすれ違う五名と二体。柱を壊すことが目的の彼らは足止めをすることはなかった。
「行ったな」
ドロテアは手のひらに小さな魔方陣を浮き上がらせ召喚ができる状況に、オーヴァートが完全に異世界に消えたことを確認した。
「じゃあ、呼び出すか!」
ドロテアは脳裏に各国の首都を描き、そこに向かわせたい神を重ねる。
以前のドロテアであれば不可能であったが、力を得た今可能となった。光神ハルタスをパーパピルス王国に、海神リヴァスをハイロニア群島王国に、毒神ロインをホレイル王国へと。次々と国に神を送り、そして……
「お前はここでマリアの足になれ」
「きぃぃ!」
不死鳥とうたわれるアンセフォ。
「野郎に踏まれるのは嫌なんだろう。マリアは大陸で最も美しい女だ」
「俺は神で……」
ドロテアは服を握るかのようにアンセフォの体を握り、顔を傍に近づけて目をやや大きく開く。
「手前の意見を聞くと言ったか? 俺が手前の意見を聞くような女か? 召喚属神如きがよお」
「……」
離して手を握り親指を立ててマリアに合図を送る。
「解ったわ。じゃ、よろしく」
槍を構えたマリアが足を上げたので、アンセフォは”鳥”に姿を変えて踏まれることに。周囲は既に選帝侯”くずれ”と戦闘を始めているヤロスラフと、手下たちと応戦している《殺されるために》連れて来られた兵士たちが剣を上げて叫び、ヒルダは既に治療へと赴いていた。
「さてと……いつまで眠っているつもりだ? 勇者ども」
ドロテアは突き刺さった弓を引き抜き、アレクサンドロス=エドの棺を軽く叩いて声をかける。弓を付きだして、再度声をかける。
「さあ、行け。勇者ども。俺はあの国に神を送っちゃいねえから急いでくれよ」
ドロテアは右を向き、見えはしないが視線の先にあるだろう国を見つめる。その視線の先にあるのはエルセン王国。
棺の蓋が開き寝心地の悪そうな機関で埋まっている内部が露わになり、伝承にある銀髪に白い肌、属性を現す目を持った勇者たちが現れた。
ハルベルト=エルセンは楽しそうに笑い、シュスラ=トルトリアは困った様に笑う。そしてアレクサンドロス=エドは、
「セツのまんまじゃねえか」
およそ聖人に相応しくない、セツの祖先と一目で解る笑い顔でこの場を去った。
「さて……あとは。エドは任せたから良いとして……」
ドロテアが水で僅かに濡らした大地は血を吸い湿り、既に血の小川が流れ出している。血の小川が濁流になるまで戦いを続けて血を流させる必要があった。
ドロテアは小川を避けることなく踏みつけて、ウィンドドラゴンの死体へと近付いていった。
**********
精霊の柱が建っている勇者の故郷、人々が避難した首都に神々を送ったが、どうしても送ることができない場所が二つあった。
一つはギュレネイス皇国。首都がフェールセン城の一部に属するので、最も重要な部分でオーヴァートが城を僅かに稼働させて外敵を防ぐようにした。異世界と触れない限りは、誰であろうとも防備を破ることはできない。
問題はもう一つの、エド法国。
アレクサンドロス四世、廃帝エルストがいる国には神を送ることは不可能。聖火神シャフィニイ、聖風神エルシナ、聖水神ドルタ、聖地神フェイトナの精霊四神の誰かならば向かえるが、彼らは今異世界の侵略を阻止する柱を作ることに専念している。
本来ならば「人柱」の名を持つエセルハーネが、名の通り人柱として命と引き替えに異世界の侵略を一時留まらせる役目であったが、ドロテアはそれをさせなかった。
人柱がセツの妹一人だけということもあるが、敢えて神を遠ざけ、そして一人の人物を送った。
「猊下」
エド法国を守る枢機卿の一人、トハがアレクサンドロス四世を呼ぶ。
「解っています」
アレクサンドロス四世はエド法国にやって来た人物に気付き、ゆったりと進み法王庁の前にいる彼女と再会した。
ゴールフェン選帝侯マルゲリーア。
美しい金の巻き毛に衰えなく、優美な手つきで透かし彫りの扇で口元を隠す。微笑む瞳の奧にある尖った、決して和らぐことない氷の塊。
「陛下からのご命令で此方に」
声は穏やかさよりも威厳が溢れ人々を押しのける。
「……解りました。トハ、法王庁は私とゴールフェン選帝侯の二人きりで。ここには敵は決して来ませんから安心しなさい」
「はい」
白と青と金で飾られた法王庁の中へとマルゲリーアを招き入れる。
もともと街中で祈りを捧げ人々に安心を与えることや、避難してきた人たちの生活を助けるようにと指示を出していたので、法王庁に残っているのは僅かな聖職者のみであったので、命令はすぐに実行に移された。
もともと人が少ない場所ではあるが、本当に人の気配が消えるとその建物は瞬時に寂れる。閑散ではなく、寂れ息をしなくなる。
建物の中にいるのが《すでに死んだとされている男》と、
「なぜ貴女がここに、ゴールフェン選帝侯」
「先程も言いました、陛下にオーヴァート陛下に命じられてここへとやって参りました。幸せなことです」
「……私は廃帝ですよ。貴女の矜持に関わるのでは?」
「今日この日、私は死にます。陛下とドロテアは、わざわざこの日を選んでくれました。《最後の廃帝》が滅びる様を見て死ぬがいいと。最後の廃帝は今日滅びます」
《今日死ぬ女》しか居ない。
その死に彩られた二人を飾る建物は冷たく青ざめ、人を遠ざける。
「そうですか。では最後のその時まで、このアレクサンドロス四世と」
「ええ」
マルゲリーアはエド法国の首都を結界で覆い、
「案内してもらいましょうか」
「解りました」
二人は罪の噴水へと向かって歩き出した。
両者とも足音が遠く、その音は過去へと二人をいざなう。もはや未来を必要としない二人の足音、互いに響く足音が遠くに聞こえた。
**********
―― いや……マルゲリーアなんだが、後十年と二十八日で死ぬ ――
マルゲリーアが死ぬ十年と三十一日前、ドロテアは死んだ。
オーヴァートが時間を巻き戻し生き返らせ、それから十年と三十一日が経過し、この世界から消える。
ウィンドドラゴンの死体を前に、後ろから聞こえてくる兵士たちの断末魔に、死を意識するが”もう”ドロテアの傍にはいない。
「機会があるのなら死にたい」というオーヴァートの気持ち、ドロテアは解らなくはないのだが、
「人の死ぬ機会奪っておいて、それはねえよなあ」
アンデッド魔法用の焚きつけにする為に持って来た”幽霊”を捻り、更に絶叫させる。
「死にたかったら、あの時俺を生き返らせなけりゃ良かったんだよ、オーヴァート」
手の中で助けを求める幽霊の精神を傷つけ、ウィンドドラゴンへと放り込むみ、五本の指先からアンデッド魔法を放つ。
「さあ、起き上がれ。貴様の細胞一つまで、使い果たしてやる」
ドロテアの言葉通り起き上がったウィンドドラゴンは、久しく開いていなかった口を大きく広げる。生きている頃と違うのは、口を開きすぎ肉がちぎれる音がすること。
死んだ肉を引きちぎり、顎として保てる限界まで口を開き衝撃波を放つと、かつて体を守っていた硬い鱗が剥がれ落ちてゆく。その鱗は地上に落ちると粉々に砕けて血の小川に宝物が沈んでいるかのように輝かせる。
「撃て!」
ドロテアの声に従い、首を動かし四方八方に撃つ。首の骨が軋み音を上げている。
ウィンドドラゴンの右目の上に立ち、その目を踏みつけながらドロテアは叫ぶ。衝撃波が巻き起こす風が短い髪を舞い上げる。細い顎と形良く桜色をした唇。その唇は明かに嘲ていたが、どれ程の嘲笑もドロテアをドロテアと解らせるだけであった。
すでに戦死者は出始めており、死体は混乱の最中無造作に放置されている。戦死した者たちですら、ドロテアに助けを求めはしなかった。
白皙の肌、鳶色の瞳。亜麻色の髪、そして微笑み死を操る絶対の力を持った女に助けを求めた者は居なかった。世界の誰もが魔帝を倒せる力を持ち、倒すだろうことは解っているが、助けを求めはしない。
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