ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【12】
 ”なにか”になろうと努力することも、なにかで”在り続けよう”と努力することも決して悪いことではない。
 結果が伴わなくとも受け入れる覚悟さえしていれば。道さえ間違わなければ。

「部屋の前で見張るわけではない」

 会議やら会合を終えて夜に滞在用の部屋に戻ったマクシミリアン四世にヤロスラフは”そう”告げて、入り口に目立つ紋章を刻んだ。
 室内側は刻んだだけだが、廊下側は暗めの橙で発光しており、その存在を露わにしている。目立たせてここが監視下にあることを解らせるためのものだ。
 クッションで埋め尽くされている椅子にねじ込まれて体勢を取っていたマクシミリアン四世は、
「して、お前は?」
「ビシュアと申します。陛下のお世話を」
 ビシュアに声を掛けた。
「そうか。疲れた、休みたい」
「畏まりました」
 ビシュアはマクシミリアン四世の体に触れて着替えさせて、ベッドに置いた。
「手慣れているな」
「ほんの僅かな間ですが、死の床についてた女を世話してましてね」
 リリスは寿命が尽きる二、三週間前には、自力で起き上がることはできなくなっていた。
「それでか」
「嫌がられたもんです」
 世話の全てをビシュアがした。
「どうしてだ? 世話なしでは生きられんのだろう?」
 食べさせているのに日々軽くなってゆく体。そして遂にはほとんど食べられなくなり、益々やせ細ってゆく。
「そうですね。でも嫌がられましたね。確実に死ぬんだから、こんな姿は見せたくはないと」
 死ぬことは解っている、それを最後まで見届けると言ったが、覚悟が足りなかったのかな……と思う程に直視したくなくなるリリスの姿。
「やつれてゆく姿を見せたくなかったとでも」
「それはもう、俺もあいつも諦めてましたが……陛下にお話するような内容ではありませんな。申し訳ございません」
「そうか」
 苦労と思わなかったと言えば嘘になるが、最後まで看取れて幸せだったというのも違う。でもそうして二人は終わった。
 マクシミリアン四世から離れてビシュアは部屋の灯りを落とし、部屋の隅にゆき気配を消す。
 ”想像以上に重かったな……”
 暗い室内に目が慣れてから、ビシュアは自分の手のひらを見つめた。
 ベッドに横たわっている、手足のない国王。その体は”小さい”が、弱って軽くなっていったリリスとは比べようがないほどに重かった。
 実際の重さは弱り切ったリリスとは然程違いはないのだが、体の内側にある生命力が重みとなりビシュアの手のひらに伝わった。
 ”手足があって、体が……だったら、なあ……”
 ビシュアもマクシミリアン四世が国王に立った時、失望とまではいかないが、残念だという溜息をついた一人だ。
 なにが残念だったのか? はっきりとした物はない。ただ残念だったのだ。
 ビシュアのその感情は、国王というのは”漠然とした憧れの対象”であって欲しく、マクシミリアン四世はその対象にならなかったためだ。
 では今はどうか?
 漠然とした憧れとしての対象ではなく、石畳を這い目的を果たそうとする国王という存在になった。
 これがエルセン国内で這ったのならビシュアの心に衝撃は同じよう与えたとしても、存在は漠然としたままだっただろう。
 だが他の国で這い回ったところに、ビシュアはマクシミリアン四世を国王と感じた。

―― なんにしても、国王陛下と同室で、お世話という名目で体を触ることになるなんてなあ

 寝息が聞こえてきたマクシミリアン四世に視線を移し、蝋燭が自分の人差し指の節一つ分減ったら体勢を換えさせて貰おうと、椅子にかけ直して指を組み腹の上に手を置いて、天井を見つめた。

**********


 この崖から飛び降りてカルロス二世は死んだ。

 黒い海が眼前に広がる崖。
 傾斜が急で、日中でも降りるのは困難なそこへ、魔法で飛び中腹あたりへと向かう。
「待たせたな、クラウス」
「……」
 座り心地が最悪の崖に腰を掛けて、エルストは持って来た酒瓶をクラウスに渡した。
 黙ってそれを受け取ったクラウスは、それを一気に半分ほど飲み干す。
「ゆっくり飲めよ。良い酒らしいよ」
 エルストも篭から酒瓶を取り出して、口を付ける。
「本当は閣下に伝えなくてはならないのだが」
 クラウスがチトーに伝えなくてはならないこと。
「そうだね」
 それはセツがセンド・バシリア共和国兵を大量に殺害する計画を持っていること。だがクラウスはそれを躊躇っていた。
 セツが言うように「どうせ殺すから」ということもあるが、それ以上にあることがクラウスにのし掛かっていた。
「伝えて……」
「伝えてもドロテアは殺すよ。そんなものは抑止力にならない」
 たとえ伝えたとしてもチトーはそのまま兵を派遣して―― 殺させる ――
 殺すのは誰でもないドロテアだ。皇帝を尊び、帰還を願うチトーにとってドロテアの行動は、自分が殺されない限りは何処までも寛容になれる。
「そうだな……」
 セツが言った通り、クラウスがどれ程尽力しようとも、回避することはできない。未来に向けての戦争に打撃は受けるが、それを補う策を立てることチトーには可能だ。
「イシリアも滅びるのか……」
 そしてクラウスにとって衝撃だったのは、センド・バシリア共和国の兵士が殺害されることよりも、チトーがエド法国と争おうとしていることよりも《解っていた筈の》イシリアの滅びを、はっきりと言われて、様々な思いが押し寄せてきた。
「懐かしい? クラウス」
「滅びると聞いて、途端に懐かしくなった」
 良いことと悪いことならば、悪いことの方が多かったイシリア時代。
 過去は美化されがちだと自分に言い聞かせてみても、収まらないその感情を持て余しクラウスはエルストを呼び出した。
「そんなもんかもね」
「お前は懐かしさや、寂しさは感じない……だろうな」
 残り僅かになった酒瓶を持ち上げて、星明かりを映し暗い海とそっくりの酒をエルストは軽く揺する。
「まあね。まだ空き地?」
 もうエルストの実家はない。
「空き地だ」
 そしてエルストはギュレネイス皇国が滅んだとしても、なんの感情も持たないだろうと。クラウスは横顔を見ながら感じた。
「……」
「……」
「三年国の寿命が延びたとして、なにが変わるだろうか。今滅ぼしてしまった方が、傷は浅いのではないか?」
「イシリアの現状からすると、生活は格段に楽になるだろうね。でも三年あればイシリア教徒が幾人も育つ」
「それは良いことなのか? エルスト!」
「さあ。善し悪しじゃなくて、事実を言っただけだよ、クラウス」
「そうだな……私は……卑怯者なのだろうか」
 ”卑怯者だよ”そう言ってやればいいことは、エルストとしても解っているのだが、言っただけで終わってしまってはどうしようもない。
「違うんじゃないか」
 ――面倒だけど最後くらいは隊長様にお付き合いしますか
 ドロテアに叱られるなと思いながら、逃げ道を作り、一緒に行こうと誘うことにした。
「だが!」
「殺して欲しいと言ったのはセツ枢機卿で、殺すのはドロテアだ。悪いのはどう考えたって二人。クラウスは悩んでいるだけ。なにより止めようとしてもとめられないよ」
「弁護はしないんだな」
「弁護もなにも”しよう”がない。何よりドロテアはそんな物欲しがらないどころか、怒るよ」

 ”神の力ではない、自分の力で。誰にも従うのではなく、自らの意志で”言い切ったドロテアを認めてはならないだろうが、弁護のしようもない。

「一度放棄してみるといいよ、クラウス」
「なにを」
「セツと一緒にイングヴァールの前に立つ?」
「な……」
「それでクラウスの”警備隊長”としての面目は立つ。同時に助けられなかった理由も生まれる」
「おまえ……」
「卑怯ではないと思うよ」
「……」
「行くなら付いて行きますよ、警備隊長。元部下ですけれども」
 空になったクラウスの酒瓶を掴みあげ、コルクを外した新たな酒瓶を渡す。
「いいのか?」
「死ななければ許してもらえるだろうし、死んでもまあどうにかなるでしょ」
「お前なあ……」
 受け取った酒瓶に口を付けることもなく、暫くの間俯いて、クラウスはエルストの提案に乗った。
 イシリア教国の命運が二年から五年に延びたところでなにが変わるのか? ―― クラウスが考えをまとめる時間が増えるんじゃないかな ――

**********


 王城でもっとも豪華な部屋を割り当てられたのは、
「ドロテア」
 ドロテア。当然と言うべきか、言う必要もないと捉えるかは、人それぞれだろう。
「なんだ? レイ」
 夜半に女性の部屋を尋ねるのは褒められた行為ではないどころか避けるべきだが”ドロテアだからいいだろう”とレクトリトアードは足を運んだ。
 部屋にエルストが居ない驚きはしなかったが、何処にいったのだろうか? と、考えはしたが、聞くことはなかった。
 レクトリトアードの目的は一つ。
「俺も……」
「セツと一緒に魔帝と直接対決希望か?」
 胸元が大きく開き気味の夜着から覗く鎖骨。テーブルの上に投げ捨てられた黒い手甲。
「ああ」
 昔触れていた頃と変わらないと、その肌理を見つめながらレクトリトアードは返事をした。
「お前馬鹿なのか? レイ」
「馬鹿なんだろうな」
「理由とか気持ちとか、そんな下らないものは聞かねえよ。ただ条件が一つ」
「なんだ?」

「死ぬなよ」

 ”死ぬなよ”と言った時のドロテアの表情に、レクトリトアードは見覚えがあった。
「……」
 ―― 傍にいた頃、ドロテアはこんな表情をいつもしていた ――
「なんて面してやがるんだよ」
「どんな顔だ?」
「手前の顔だろ」
「たしかにそうだが……」
「情けねえ面だが、その表情も良いもんだぜ。昔の手前に比べたらな、レイ」
「そうか」
 だが自らの表情は昔とは随分と変わったことを聞かされて、少しばかり気恥ずかしくなった。
「ともかく英雄にはなるな」
「英雄?」
「勇者でもなんでも、戦争で活躍して死んだら英雄だ。覚えておけ」
「ああ。夜分遅くに邪魔した」
「じゃあな」

 レクトリトアードが部屋を去ったあと、

「で、お前等はなんでここにいるんだ? アードとクレストラント」
 部屋に残った幽霊二体の表情を見て、
「行きたかったら行けよ。役立たずだろうがなんだろうが、納得できるように動けよ、勇者」
 好きにしろとドロテアは二体に向かってはっきりと”勇者”と言った。
 アードは勇者でしかないが、クレストラントは勇者ではあったが、ドロテアにとっては魔王になる。
【勇者として、行ってきていいか?】
「勇者は勇者だろ。魔王はもう死んでるっての。俺が殺して、俺の心の中でも死んで、手前の中でも死んだ。あとはマクシミリアン四世が”勇者”を廃止したら魔王クレストラントの存在は完全になくなる。残ってるのは未練がましい勇者の幽霊だけ。それでいいだろ?」
 幽霊二体が部屋から出て行ったのを見送って、寝室に移動して大きすぎるベッドに体を預けた。
「ああ……そうだ。もう一つ消す必要があるな……」
 ドロテアが”ドロテア”として破壊するもの。それは砂漠に横たわり支配する美しき屍。死都とも呼ばれる自らの故郷。
 いつまでもそこにあり、人々に夢を持たせる。
 その夢が無害であれば、生きる糧になるのならば良いが、もはやそんな価値もない。
 ただ誰もが滅びを直視せず、自らの幻想の世界を形作るために使用するだけの素材となり果てたトルトリアを葬り去る。

「それであの”男装勇者さま”も目覚ませたらいいけどなあ」
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