ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【13】
 ドロテアが目を覚ますと、いつ帰ってきたのか解らないがエルストが隣で寝ていた。なにをしていたのかと聞くような関係でもないので、起き上がりカーテンを開けて裸に近い状態で椅子に座って、地図を開いた。
 天蓋に囲まれているベッドは、カーテンが開いても眠りを妨げることはない。エルストはそんな物がなくとも、日中の眩い日差しのなかで眠ることが可能だが。
 喉の渇きを感じ、上着を羽織って呼び鈴の紐を引く。
 ドロテアが滞在している部屋の真下に待機している召使いが用向きを聞きにやってきた。すぐに飲み水と、その後に朝食を二人分用意するように告げて入り口を開け放った。
 行儀悪く脚をテーブルに乗せて、頭の後ろで腕を組み、夜明けの空に飛ぶ鳥を見てるとエルストが起き近付いてきた。
「おはよう」
「おはよう」
「クラウスと一緒にセツとオーヴァートと同行したいんだけど」
「レイもだ。あとアードとクレストラントも」
「人増えたね」
「人はお前とクラウスだけだけどな」
 運ばれてきた汲まれたばかりの冷たい水がはいったグラスを持ち、ドロテアは微笑んだ。その微笑みは曖昧で、なにかが微量に含まれていることは一目で解るが、含まれているものがなんなのか? 誰にも解らない。
「というわけで行ってくる」
「ああ」
 テーブルに並べられた朝食を前にして、それ以上の会話はなかった。
 ドロテアは朝食を取りながら考えることが別にあった。それは食事をするという行為を未だに続けている自分と神の力について。
 なぜ食事をしているのだろうか? 食事が必要なのだろうかと。その答えを見つける前に、この大陸から去ることも感じていた。
「棺の捜索に行ってくる」
 朝食を取り終えて着替えたエルストが出入り口に立つ。
「そろそろ見つけろよ」
「無理じゃないかな」
「どうしてだ? エルスト」
「いや、なんとなく。今のままじゃあ……って。じゃあ行ってくる」
 扉は開けられたまま。遠ざかるエルストの背中に、
「……」
 尽きぬ疑問がわき上がる。
 ”どうしてホレイルにあったアレクサンドロス=エドの棺は今まで発見されなかったのか? そしてパーパピルスにあるはずのハルベルト=エルセンの棺が見つからないのか”
 ―― 要因でもあるのか? ―― ドロテアはエルストの言葉を頭でなんども唱えながら、どの国に誰を送るかを地図に書き込んで、相互作用で効率が上がるかどうかや、全体的に均整が取れるかどうかなどの計算を再開した。

 ―― 棺が見つかるために必要なもの……

 胸につっかえる物のせいとは言わないが、ドロテアは神の配置が上手く決まらなかった。それほど難しい物ではない。
 戦える神と戦えない神を分けて、戦える神を勢力を削がないように配置するだけのこと。解っているのに、思考が進まない。迷路に迷い込むという感触ではなく、道は真っ直ぐで進むだけでよいと解っているのに踏みだせない。疲れているわけでもないのに、進もうとしない体に理由を問い質したいと感じていたところで、
「姉さん!」
「なんだ? ヒルダ」
 大きな声とともに扉が開かれた。
「エルセン王です!」
 ヒルダが両手で抱きかかえていたのはマクシミリアン四世。
 ペンを置き地図を丸めて立ち上がる。
「そりゃ一目で解るがよ。どうした?」
「お昼ご飯の時間。ミゼーヌとグレイに食事は置いてきたわ。あなたの分も作ってきたわよ」
 ヒルダの後ろからワゴンに数人分の食事を乗せてやってきたマリアが声をかけてきた。ドロテアは思わず指で「俺、マリア、マクシミリアン四世、ヒルダ……四人だよな」と数を数えて、ワゴンに乗っている食事量を再度確認する。
 どうみても”女性三人に、小食な男性一人”の食事量とは思えなかったが、深くは追求しなかった。
「そりゃありがたいが、なんでマクシミリアン四世まで」
 ドロテアがマクシミリアン四世嫌いなのはマリアも知っている。マリアの性格では優先順位はドロテアのほうが遥かに高い。
 それなのにマクシミリアン四世を連れてきたということは、それなりに理由があってのことだろうと。
「嫌な感じがしたのよ」
「嫌な感じ? 殺されそうだったとか?」
「私は殺意とかには詳しくないわ。そういうのじゃなくて……”いや”としか言いようがないのよね」
 ヒルダはクッションを置いて調節した椅子にマクシミリアン四世を座らせて、ワゴンからテーブルへと次々とマリア手作りの食事を並べる。
「”いや”ねえ……どこから出てるもんか、解るか?」
「それは解るわ。大臣と娘から。特に娘の方が……泥と腐った海藻が入り交じったような視線が気持ち悪くて」
「それをマクシミリアン四世に向けていた……と?」
「気のせいかもしれないんだけど。あの空気の中でマクシミリアン四世陛下の口に食事を運ぶのは……」
「泥と腐った海藻か……」
「言い過ぎたかしらね?」
「いいや。言い当ててるなと思ってよ。それとマリア」
「なに? ドロテア」
「マリアは聖騎士だからマクシミリアン四世陛下って呼んじゃ駄目だ。エド法国聖騎士の頂点はあくまでも”アレクサンドロス四世猊下”であって、俗世の王に尊称を付けることは禁止こそしていないが、好意的には受け取ってもらえない。むしろ俗世に未練がありと見なされる。マクシミリアン四世のことは、俺みたいに陛下ぬきで呼ぶか”エルセン王”くらいで呼んでおけ。いきなりは無理だろうけど、少しずつな」
「ええ。解ったわ。ありがとう、ドロテア」
 マクシミリアン四世以外の三人も椅子に座り食事をとる。
 体を動かしてはおらず、頭の働きもあまり良くなかったドロテアは、然程空腹ではなかったので、
「先にマリアが食えよ。俺が食わせておく」
 マクシミリアン四世の食事を担当することにした。マクシミリアン四世の引きつった表情に、マリアは声を掛けようとしたが、ドロテアが専用のスプーンを掴んで皿も引き寄せたので諦めた。
「喉にスプーンやらフォークやらブッ刺して殺しはしねえよ」
 言いながらドロテアはマクシミリアン四世の口に前菜の海老を放り込んだ。
「それでよ、マリア」
「なに」
 ドロテアは指を洗ってからレタスを一口サイズにちぎり、マクシミリアン四世の口に放りこむ。
「……」
 手で直接口に運ぶことは、ドロテア以外であれば吐き出して激怒したが、相手が相手なだけにマクシミリアン四世もなにも言う気持ちにはなれなかった。
 不満はあれど口に運ばれたレタスが舌の上に乗った時、ドロテアの指先がマクシミリアン四世の唇に軽く触れた。その指先の硬さと、冷たいのだが温かいという不思議な感触にマクシミリアン四世は噛むことも飲み込むことも忘れた。
 触れた方はさほど気にせず次ぎに口に運ぶ料理を切り始め、飲み込むまでの待ち時間にとマリアと話をする。
「視線の話だが、娘のフィアーナだが、視線そのものは嫉妬だな」
「嫉妬の視線なら慣れてるんだけど」
 マリアは見ず知らずの女から”自分の好きな男がマリアを気に入っている”という理由で、嫉妬の視線を浴びることが多かったので、それらの判断はかなり慣れていた。
 慣れているのでその視線が「嫉妬」であるかどうかも判断する自信がある。
「マリアがいつも感じている嫉妬とは少し違うな」
 飲み下したことを確認して、マクシミリアン四世の口元にグラスを運び水を飲ませてから料理を再度口に運ぶ。
「嫉妬にも種類があるのは解ってるけど、あんなにこう……なんか腐ってるみたいな感触なのよねえ」
「フィアーナの性格かどうかは解らないが、あいつはマクシミリアン四世の食事の世話をしたいんだ」
「なんでまた」
「色々と考えるところがあるんだろう。まあ国王陛下のお世話ができるってところに、意義とかそういうもんを見出すってか……まあ、ただの馬鹿なんだけどな」
「ただの馬鹿……ねえ」
「今日の夕食時は普通の召使いに食事を依頼しておく。そしてフィアーナの出方を見る、いいな? マクシミリアン四世」
「好きにすると良い」
「酷ぇ目に遭うだろうから覚悟しておけよ」
 食事を粗方食べ終えたヒルダが、
「どういう事ですか?」
 怪訝そうな表情で見つめる。
「お姫様は夢想で生きてるから、食事の世話なんてできねえんだよ。恋人が重病で世話したビシュアや、俺たちみてえに妹や弟が育つ途中に柔らかくした物を食わせるような生活したわけでもねえ。見ただけで出来ると勘違いしたお姫様が、どうやって食わせてくれるか見物だ」

―― ああ、子供の頃から神学校育ちだった、ヒルダも若干そんな感じだったわね

 マリアは皿を重ねながら、今日の夕食時のマクシミリアン四世の無事を祈った。

 マクシミリアン四世の食事をマリアが代わり、ドロテアも昼食を取る。その頃ヒルダはというと、
「この篭ですか。もらったんですよね」
 パネが背負うマクシミリアン四世が入っていた篭を興味深く、様々な角度から観察していた。かなり大きめの篭で、成人男性が背負うために作られたのだろうと一目で解る品だった。
「ああ、後で料金を支払うといったのだが」
「金くらい持ち歩けよ」
「……」
「国王なんてのは金を誰かが支払うっていう思考しかねえからな」
 ドロテアはマリアに”ごちそうさま”と言って、席を立つ。
「悪かったな」
「俺は別に。その篭をくれた奴は損しただろうな」
 近付き丁寧な仕事によって作られ篭をヒルダと同じく様々な角度から眺める。
「だが聖騎士が近くの街まで」
「聖騎士はお前の配下か? マクシミリアン四世」
「違うな」
「まあ、エルセン王……陛下がパーパピルスに向かおうとしたから助かったっていう面もあるから」
「俺がパーパピルスにいたから助かったとも言えるな」
「確かにそうだけど」
「まあ良いじゃないですか姉さん。そしてエルセン王、この篭背負ってもいいですか?」
「……構わんが」
 ヒルダは特別空気を和ませようとしたのではなく、本当に背負ってみたかっただけであり、
「みてみて、姉さん。マリアさん。似合うでしょう!」
「すっごい似合ってるわ……」
 その姿はあまりにも見事だった。
 結っているために僅かしか見ることが出来ないが美しい亜麻色の緩やかに波打つ髪。青と白と金のが使われている司祭服。ドロテアと瓜二つと言われるその顔。
「俺が背負ってもここまで似合わねえよなあ」
 白皙の肌やら鳶色の瞳や、美しい桜色した小さく毒を吐くとは思えない唇とかそういうものが「そこにあるのに何処かに吹き飛んだ」ような状態。
 収穫用の篭がここまで似合う人も珍しいを通り越して、ヒルダのために誂えられた! と疑問など浮かぶ余地もないほど。
「どうして司祭服なのに、そんなに篭が似合うのかしらね」
「……」
 免疫のある二人ですらこの状態。
 初めてみるマクシミリアン四世は、目の前の出来事について行けないでいた。ついて行く必要もなさそうではあるが。
 そんなマクシミリアン四世の苦悩など知らないヒルダは、ドロテアの部屋に置いていた大きな盾を持って来て、
「これにこの盾を背負うことで……完璧に亀!」
 篭の上に被せて床に四つん這いになった。
 ヒルダがなにを考えていたのかは不明だが、
「ぶほっ!」
 マクシミリアン四世を笑わせるのには充分だった。一度堰を切った笑いは中々に収まらない。だがマクシミリアン四世は王者として必死に笑いを堪えようとして体を捩る。
「無表情で有名なマクシミリアン四世陛下さんがお笑いになったぞー」
 捩ったせいで固定していたクッションからずり落ち、床に叩き付けられそうになったところをマリアが掴み阻止する。
「そんなに変な格好ですか? 似合ってませんか?」
「似合いすぎて変なのよ、ヒルダ……」
 立ち上がったヒルダは怒っているのか? とも思えるマクシミリアン四世をみながら「済みません」と礼をしたのだが、その際に篭と盾がますます露わになり、
「ぶはっ!」
 マクシミリアン四世は再度噴き出した。
 無表情で有名なマクシミリアン四世。生い立ちや現状から無表情となったこともあるが、体の安定が悪いので全身で笑ったり、泣いたりができないという理由もある。
 泣くことは敗北だと感じ、笑うことなどはほとんどない人生だったのだが、今心から笑いが押し寄せてきて、体のそのものが不安定に。
 あまり笑わせると怪我するだろうということで、ヒルダは笑いの武装を解除することを命じられた。
「それにしても立派な篭ね」
「確かにな」
 なんとかマクシミリアン四世は笑いから開放された。
「凄いですね。このくらい篭を編めるなんて」
「まあなあ」
「これだけの物が作れたら、一生の仕事になるわね」
「そうですね、マリアさん。聖職者になっていなかったら、篭職人を目指すのも良かったかも」
「聖職者よりも向いてたかもな」
「でしょう」

 それよりも背負う方が向いているようだが。

 美女三人で篭を褒め讃えていると、
「余もあったら編んでみたかったな」
 篭を最も近くで見ていたマクシミリアン四世が呟いた。その声にドロテアは双眸を見開き、
「なに馬鹿なことを言ってやがるんだ? 手前はよ」
「なんだ」
「もしも手前に手足があったとしても篭なんて作らねえよ!」
 マクシミリアン四世に近付き襟を握り持ち上げた。
「……」

―― 手足があれば、パーパピルスとは不仲になってはいないはずだ ――
―― そうかえ? 妾はそうは思わなんだ ――

 脳裏を過ぎるクナとのやり取り。
「手前は篭なんて編まねえよ。手前に手があったとしても、持つのは剣と羽ペンと柔らかな女の体だけだ」

―― 何だと…… ――
―― そなたは両手足が存在していたとしても、あの時パーパピルス国王に対し”同じ理由”で戦争を仕掛けただろう。お主は自らがフレデリック三世に戦争を仕掛けようとした理由を忘れたのかえ ――

 同じ過ちを繰り返した自分の言動に、マクシミリアン四世は体を硬直させる。
「手前の”もしも”は国王が基準だ。それ以外の手前なんてねえよ。国王じゃねえ手前なんて存在しねえよ。だから手前は手足を失っても国王でいられるんだよ!」

―― そなたは善くも悪くも国王じゃ ――

 ”どうして余を殺害しなかったのだ?”マクシミリアン四世は喉までその疑問がでかかったが飲み込んだ。
 何故かドロテアに直接聞くことを躊躇ってしまった。

Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.