ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【7】
―― 私はいつも「独り」だった ――
 ホフレが抱えるのは、孤独という感情だけ。
 復讐や故国再建という感情など、ホフレにはなかった。
 彼女は自分がトルトリア王国にいた頃のことは、それほど覚えてはいない。エルセンにやってきて、そのまま故国を失いトルトリア王国に留まる。
 誰もが向ける同情と哀れみの瞳に最初は気付かなかった。
 なんだろうか? と思いながら、生きてきた。
 訳も解らないうちにトルトリア王国再建の旗印にされた時も、オーヴァートが領地を一時的に取り上げたときもゲルトルートはなにも知らなかった。
 ただ人が近付き、そして去っていくだけ。
 去られることが寂しいと知ったとき、向けられる同情の眼差しを理解した。
 ゲルトルートは身辺から人がいなくなるのを恐れ、考えついたのが自ら勇者になることだった。
「ノイベルトなる騎士がお主に献身的に使えておろう」
「ノイベルトは……私でなくとも、誰であっても仕えたのではないかなと」
「信じておらぬのか?」
「答えなくてはならない質問で、神の御前で語らねばならぬなら、信じていないと答えます」

 ノイベルトを心から信頼していない。
 ノイベルトはゲルトルートに自由を与えなかった。守ってくれていると理解していても、守っている意味が自らを大事に思っているのではなく、国の再建を願っているからの行為でないかと。
 ゲルトルートは直接ノイベルトに聞いたことがある。
 自分に仕えているのは、故国再建を夢見てのことか? そう、はっきりと尋ねた。ノイベルトから返ってきた答えは「違います」だった。
 ノイベルトは故国など再建しなくてもよいと、はっきりと言った。だがどうしてもゲルトルートは信用できなかった。幼少期から人に担がれては、捨てられを繰り返された少女は、いつしか誰も信じられなくなっていた。
 彼はゲルトルートが勇者になることも、最初は反対していた。そして勇者になったあとも、良い顔はしなかった。
 そしてゲルトルートは「勇者ホフレ」となった時、初めて単身で隣国へ旅立った。
 もちろんノイベルトは反対したが、ゲルトルートは忠告など聞かずに、マクシミリアン四世から許可を貰いマシューナル王国へと向かったのだ。
 かつての「知らぬ間に人がいなくなって」の独りぼっちではなく、自らの意思での一人旅は、とても自由になれた……ような気がした。
 だがその自由も、手元にある勇者証を見ると色褪せる。
 なにかに繋がれている自分が、酷く息苦しかったのだ。この勇者証さえなくなれば、自分は楽になれるのではないか? と思いまでした。
 ノイベルトが傍にいるときは足を運ぶことができないカジノへと向かい、
「そこでエルスト=ビルトニアに声をかけられたのかえ?」
 ルーレット台の近くにいたエルストと遭遇したのだ。
「はい」
 エルストが遊び慣れていることは、カジノを初めて訪れたゲルトルートでも一目で解った。
「そこまで分かっていながら、勝負したというのか」
「向こうが仕掛けてきました……」
 格好の”かも”にされていることは分かったが、それでもゲルトルートは良かった。ある程度金が奪われたところで、エルストがお終いにすると告げてきた。
 その時、ゲルトルートは金の代わりに「勇者証」を出した。
「なにも言わずに、借金の”かた”としてエルスト=ビルトニアは受け取ったと」
「はい」
「普通ならば大騒ぎしそうなものじゃが……まあ、あの男ではなあ」
 苦労して手に入れた勇者証を、消極的ながら自らの意思で他者に渡した時、ゲルトルートの心は躍った。
 自由になれたという気持ちで、足取りも軽くなった。
 そのまま宿に戻り一晩明かしたところで、
「恐怖を覚えました」
 勇者証を手放したという事実がのし掛かってきた。
「なんの恐怖じゃ? 勇者証を借金のかたに手放したことか? それとも単身で他国に出たことか?」
「わかりません」
 だがゲルトルートにその理由は解らなかった。解らないままエルセン王国に逃げ帰り、やはり解らないが本当のことを言えず、勇者証を奪われたとマクシミリアン四世とノイベルトに嘘をついた。
 全ての責任をエルストに押しつけて、自分にも言い聞かせ、港で再会することになった。
「なぜ本当のことを言わなかったのじゃ?」
 エルストたちが旅立ってから、ゲルトルートは本当のことをマクシミリアン四世とノイベルトに告げた。二人は怒りはしなかったが、その眼差しは失望を含んでいるように―― ゲルトルートには感じられた ―― もちろん、そんなことはないのだが。
「……」
「この国が破壊された理由の半分は、お主が本当のことを国王に言わなかったせいであろう」
 ゲルトルートは俯き、男装用の厚手のズボンの布を握り締める。
「本当のことを国王に告げ、ノイベルトを信頼せよ……言ったところで難しいか」
「私は……私には無理です……」
「そうか。お主が信じぬ僕、ノイベルトじゃが。あの者にとってお主は故国そのもので、守りきれなかった故国の代わり……というのを受け入れるべきじゃろう。お主があの者を信じていないのであれば、そうするべきじゃろう。逆にお主があの者を信じていたら、あの者はお主を姫として個人で見てくれよう」
「……」
「お主とてあの者を個人として見てはいまい? あの者を亡国トルトリアの騎士としてしか見ておらぬのだろう? だから自分もそのように見られていると感じるのであろう。あの者とて愚かではない。お主が自分をそのように見ていることは理解しておろう」
「……」
「個人としてみて欲しくば、個人として見よ。言うは簡単じゃが、難しいことなのは妾にもわかる。そしてお主には無理じゃよ。勇者証という位一つ捨てるのにも他人を使わなくてはならないようでは」
「……」
「生まれは勇者証よりも捨てるに苦労するものじゃ。捨てようにも捨てられんものとも言えるがな。何処へいっても付いて回る。それに寄りかかるも浸るも逃げるも、その者の自由じゃ。だが、ただ一つだけ決めなくてはならないことがある。それも自分一人で。自らが流されて寄りかかるか? 自分の意思で流されるのか? 形は同じで、結末も同じであったとしても。それだけは自ら決めねばならぬのじゃ」
「……流される以外は?」
「立ち向かえるか? お主」
「……」

 クナはゲルトルートに部屋から出るように命じ、夜の祈りを捧げてから夜着に着替えて窓を覆っている鎧戸を僅かに開いた。
 差し込んでくる月明かりを前にして、先程まで話をしていたホフレのことを思い出す。
「妾が言うのも身の程知らずと言われそうじゃが、お主ももう少し美しければなあ。そうしたら、貴族の姫としてもっと楽に生きられたじゃろうに」
 ゲルトルートがもう少し美しければ、歴史は変わらずとも、彼女の人生は違っただろうと。クナはそう思わずにはいられなかった。

**********


 疲労で青ざめているパネの横顔を見ながら、マクシミリアン四世は黙っていた。
 日は天頂を過ぎ正午は終わりを告げているのがはっきりと解る。
 篭に入っているだけで、なにも出来ない自分に出来る事は、話しかけなどせず無駄な体力を使わせないことだけ。
 強くなる潮の匂いと、城壁の姿。
 見た事のなかった「奪おうとした国の首都」エヴィラケルヴィスが、マクシミリアン四世の前にその姿を現した。
「あと少しで到着します」
「そうか」
 無理をするなとも言えず、黙ってパネの足を引き摺る歩みを、全身で感じながらひたすら到着するのを待った。
 城門に辿り着き、パネがエトワールと聖印を兵士に見せるが、それより先に兵士たちは城へと走りだしていた。
 篭に入っているマクシミリアン四世を見て”有事”に近いことだろうと、彼らの国王に指示を仰がねばならないとして。
「簡単に通してはもらえませんな」
「余は当然だが、お前には悪いことをしたな」
「いいえ」
 兵士たちは他国の国王と大僧正に槍を向けるわけにも行かず、だが相手は危険だとして、非常に対応に苦慮した。
「通してやれ」
 低い女と解る声が冷たい潮風に乗って、マクシミリアン四世の耳元へと届いた。首を動かすが、潮風に舞った己の長い髪が邪魔ですぐには見ることができなかった。
 その声の主、見なくともマクシミリアン四世には解る。
「ドロテア卿……」
「ひでえ面だな、パネ。手前一人か? 背中の国王は抜きで」
「途中までは聖騎士たちを伴っておりましたが、諸事情で別行動に」
 ポケットに手をつっこんだまま近付き、入り口で見せたエトワールをドロテアは乱暴に握る。
「よお、ザンジバル派のパネ大僧正。ヒルダ、マリア。この疲労の極みにある大僧正をセツの所に連れていってやってくれ」
「はいはい。ではどうぞ。肩を貸しますので」
 ヒルダの肩をパネは借り立ち上がり、
「私は荷物を」
 マリアは篭を背負った。
「これは俺が持つ」
 篭の中に入っていたマクシミリアン四世を、ドロテアはつかみ上げた。
「えっと……」
 無造作に持ち上げられている”国王”
 あまりのことに兵士たちも言葉を失ったが、持ち上げたほうは気にせず、
「説明は俺がしておく。気にすんな」
 そのまま城門を越えていった。
 ヒルダに肩を貸してもらっているパネも、あまりの状況に急いで後を追おうとするが、一度緊張が解けた疲れ切った体は、思う様には動かない。
「姉さん! もう少し、運び方を丁寧に!」
 ヒルダがパネと共に後ろから声をかけて追うが、全く意に介さずにドロテアはつき進み、広場へと出た。
 ドロテア一人でも目立つのに、手にあるのは白銀の髪の物体。
 昼食の時間を過ぎた広場は人は”まばら”であった。
「よお、マクシミリアン=グレルガンドレス=エルセン」
 ドロテアはつかみ上げたまま、マクシミリアン四世の顔を隠している髪をもう片方の手でかき上げる。
「ドロテア=ヴィル=ランシェ」
 有事の気配ありと聞いて城から出て来た兵士たちは、広場のドロテアとマクシミリアン四世を見て足を止めた。
「なにをしにきた? マクシミリアン四世」
 ―― 精算しにきた ―― 己が引き起こした過去の遺恨に決着をつけるためにやってきた。それをどう告げるべきかをマクシミリアン四世はこの瞬間も悩んでいた。
 旅の途中考える時間はあったのだが、暑さに眩暈し、風の心地よさに目を閉じて、気付いたら鳶色の瞳に直視されていた。
「頼みがある」
 ここに来た理由を先に述べて、その後に謝罪しようとマクシミリアン四世は決めた。謝罪を先にするべきだという者もいるかもしれないが。
「俺に頼みねえ……」
 ドロテアの語尾は空に消えた。
 マクシミリアン四世の視界一杯に青空が広がった。美しい青空と自分だけの世界。体はすぐに重くなり、石畳に叩き付けられた。
「姉さん?!」
「ドロテア!」
「エルセン王」
 マリアとヒルダに両脇を支えられてやっとの思いで広場に到着したパネは、宙に放り投げられたマクシミリアン四世を見て声を上げた。
 非難の声などではない。ただ驚きだけの声。
 兵士も広場にいた者たちも、起きた出来事は理解できても《なんなのか?》頭に届かなかった。
 仰向けに石畳に落ちたマクシミリアン四世を足で蹴り、俯せにしたドロテアは、
「自力で這いずり回って城までこい。そしたら手前の頼みとやら、叶えてやるよ。内容はなんでもな」
 ドロテアはそれだけ言って、本当にその場にマクシミリアン四世を残して立ち去った。まごついている兵士たちに”城に戻れ”と命じて。
 本来ならば国外の人間で、パーパピルス王国には何一つ関係のないドロテアの意見など、兵士たちは聞く必要はないのだが、どうして良いのかも解らないのでその意見を聞くふりをして、責任から逃れた。
 なにせドロテアが《這ってこい》といったのだ、勝手に起こして運ぶわけにもいかなければ、どこに運んで良いのかも兵士には解らない。
 民間では普通だが、上層部では敵国と認識されている国王を城にまっすぐ連行するわけにもいかない。とにかくドロテアの意見を国王に伝えてからだと、彼らは判断した。
「姉さん! さすがにまずいでしょ!」
 ドロテアの声を聞いたヒルダが叫ぶが、ドロテアは”じゃあな”とばかりに手を上げて、振り返りもせずに手を振って大通りを上って城へと戻っていった。
「ああ……」
「ドロテアは言いだしたら聞かないからね……あの、宜しければ篭にもう一度入りませんか? 運びますよ」
 マリアはパネから離れて、マクシミリアン四世の傍へと近寄り膝を折って話しかける。
「エルセン王。私も姉さんを説得するの協力しますよ」
 だから篭に入って城に行きましょうと、マリアとヒルダは提案したが、マクシミリアン四世はドロテアと似たり寄ったりで、一度”こう”と決めたら動かない。
「ありがたいし、感謝もするが要らん。あの女に縁深き両名よ、ただ一つ教えてくれ」
「はい、何でしょうか?」
「答えられるのなら」

「余が一人で這ってあの城へと到着したら、必ず望みを叶えてくれるか?」

「それは確実ですね」
「ドロテアがあそこまではっきりと言い切ったのだから、確実に守りますよ」
 それを聞き、マクシミリアン四世は石畳を見つめた。
 眼下のすぐ傍にある石畳。手足のない見でどうやったら前進できるのか? 初めての経験だが、
「ならば……やはり、ありがたいが一人で行く。確実が目の前にあるのならば余はゆく」
 必ずや辿り着いてみせようと。
 大通りの先にある城は、今のマクシミリアン四世には見えない。見えるのは、石畳と人々の足だけ。

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