ビルトニアの女
その花は咲き乱れ終焉を高らかに告げる【6】
 マクシミリアン四世とパネの二人旅は、あと僅かながら辛いものとなった。
 二人きりの移動なのでゲート作成に使う魔力そのものは少なくなったが、それ以外のことも全て魔力で補わなくてはならないために、パネが使用する魔力は聖騎士の四名を連れていた時と何ら変わらない。
 マクシミリアン四世を休ませる結界を張り、それから炊事のするための薪を拾い集め、湯を沸かす。
 マクシミリアン四世は見ていることしかできない。

―― そなたは善くも悪くも国王じゃ ――

 手足が存在していようとも、自分は手伝いはしないだろうとマクシミリアン四世自身そのように考える。
 手足があって手伝いなどしないのと、手足がなくて手伝わないのは違うというのは、己の中でだけであり、他者から見たら変わらない。
 国王が移動する。結界と兵士たちに守られ、用意された食事をとり、見張りなどせずに休む。当然のことなのだが、それを当然としてマクシミリアン四世は受け入れられない。
「それでは休みましょうか」
 食事を口まで運んでもらい、寝る用意を調えてもらい休む。自力で体を動かすことは僅かながら出来るが、寝ている間は定期的に他人が体位を変える。
 それらをパネが全て受け持つ。
 強固な結界を張り、焚き火を消して眠りにつく。
 灯りを消すのは危険だが、この灯りが他人の目に付き取り囲まれることのほうが厄介だとしてパネは灯りを落とすようにした。
 空に散らばる星の輝きを身じろぎしたくとも簡単にはできない身で眺め続けていた。

―― この大僧正だけではない。余は誰も信用していない

 結界はしっかりと張られていることは分かる。そして万が一のためにと、パネは手元に小斧を置いている。パネがマクシミリアン四世を殺そうとしたら、簡単に達成できるだろうと『マクシミリアン四世は』考えて、美しい夜空を眺める自分の心の内の醜さに打ちひしがれる。
 マクシミリアン四世はここで自分が今まで誰も信用していなかったことに「気付いた」マクシミリアン四世が他者を信用しないことは、やはり手足を失った経緯から、人々に容認されてきていた。誰も諭しはしなかったし、教えもしなかった。
 誰も自分を信じて下さいと踏み込まなかったことが悪いと一概には言えない。
 誰がどのようにして言うのか、教えるのか? 結局誰も解りはしないのだ。当事者が些細な切欠で気付くしかできない。
 マクシミリアン四世にとって、それが偶々ここであっただけのこと。
 夜中にパネが何度か起きて、寝ていると仮定してマクシミリアン四世の体を動かす。朝日の眩しさに一日の始まりを感じ起き上がり、結界の外で朝食の用意を始める。
「苦労をかけるな」
 人というのがどのように生きているのか? 目の前で生活がなかったマクシミリアン四世には分からなかった。
 それはマクシミリアン四世だけではないのだが、マクシミリアン四世は恥じた。
「いいえ。私も食べねばなりませんし、パーパピルスには行きたいと思っておりましたので。気になさらないでください。今日の正午過ぎにはエヴィラケルヴィスに到着できますので」
「そうか」

―― 会って何を言うべきか? ―― マクシミリアン四世は思ったが、その相手すらまだ定まっていなかった。ドロテアに会いに来たのだが、エヴィラケルヴィスにいる支配者にも挨拶をしないわけにはいかない。
 十一年。諍いの幕も下ろさねばならない。自らが上げた幕である以上、他の誰にも下ろすことのできない幕なのだ。

**********


 聖騎士は本来は騎乗の人である。騎士というのは馬に乗っているから騎士なのだ。だがアニス、イザボー、ゲオルグ、フラッツは徒歩である。
 理由はゲートにあった。
 ゲートは大雑把に言えば、通行する「もの」が重ければ重いほど、術者にかかる負担が大きくなる。その為通常移動では最良の手段である馬を捨てて、徒歩で進んでいた。
「一頭いたら随分と変わっていただろうにな」
「たしかに」
 老若男女混合の移動となると、進む速さは恐ろしく遅い。その上負傷者までいるとなると、遅々とも進まぬような状態だ。
 馬が一頭いればもっと楽に誘導できただろうと思いながら、フラッツとゲオルグは村人たちの後方を歩いていた。
 村人の数は二十名ほど。
 本当に小さなのどかな村で、いま避難のために向かっている街に行ったことがあるものは、村に嫁いで来た一人の女しかいないという。
 その女は先日、マクシミリアン四世に篭を渡した女で、こことは違う小さな村の出だった。
 あまり過去のことは言いたくなさそうな女に、彼らは深く聞くことはなかった。ただその女の名が、有り触れているが忘れられない名なのでついつい話し込んでしまったのだ。

 ゲオルグが話しかけられたのはただの偶然だった ―― 彼自身、そう思っている ――

「ドロテアって知ってる?」
 たまたま手があいていたゲオルグに、これまた手が開いていた篭を渡した女が話しかけてきた。
「ドロテア? 何処にでも在る名前だな。いま私の目の前にいる人物もその名だな」
「まあね。あたしが言ってるのは、マシューナルにいる、皇帝の愛人だった女の子」
 《皇帝の愛人だった女の子》
「いや……女の子のドロテアは知らない」
「トルトリア最後の美少女って言われた子」
「あなたが会った頃は、少女だった……のかな?」
「そうなるかもね。あたしも年取ったしねえ。今は美女なのかな? トルトリア最後の美女ドロテア」
「知っている」
 ゲオルグにとってドロテアは少女でも女の子でもない、傲然とした女の印象しかないが、村人は少女時代のドロテアを知って、懐かしんですらいた。
 どんな知り合いなのだろうかと尋ねるか? 悩んでいると、
「あたしは過去は誰にも言わないよ。言えない過去だよ。それで分かるでしょう」
「……」
 聞いてはならない女の過去。
 ゲオルグは推測を止めた。
「会うことはある?」
「会おうと思わなければ無理だろうが」
「じゃあさ……もしも会ったらで良いんだけど、一言だけ伝えてくれる? ”エリスは幸せだよ”そう伝えてくれる」
 村でドロテアと呼ばれ、篭職人の夫と生活している村人の表情はまさに幸せに満ちていた。
「解った。間違いなく伝えよう」
「あの人のことだから……あたしの事なんて忘れてるかもしれないけれど。綺麗な子だったんだよ、強くて綺麗でさ……」

 それ以降ゲオルグは村でドロテアと呼ばれている女と話すこともなく、無事に避難場所へと送り届け、どこにでもあるエド正教の教会へと足を運び、怪我の治療と彼らが戻る時には護衛をたてるように手配した。
 村長が代表して頭を下げ、村人たちも一様に頭を下げた。
 見送りを受け取り四人はその足で、
「エルセンに急いで戻るか」
「クナ閣下に何かがあったら大変だ」
 エルセン王国へと向かった。

 彼らの帰途がもう少し早ければ、その悲劇は起こらなかったかもしれないが、起こるべき悲劇だったと見るしかない面も確かにあった。

**********


 エルセン王国を委任されたクナは、日中はヘイドの張った下手くそな日よけの下で、人々と共に祈り、ときには説教をしているが、夜は女子修道院で過ごしていた。
 当然下男のヘイドは立ち入ることはできない。
「ホフレと呼べば良いのじゃな」
「はい」
 クナに夜は女子修道院で過ごすように進言したのはゲルトルート。
「女子に向かってホフレというのも、慣れぬものじゃなあ。ところでホフレや」
「はい」
 街中はとかく物騒であった。正確にはオットーの存在。
 オットーはエルセン国王の座を狙っており、以前ドロテアがヒルダやマリアに説明したように、王女と結婚すればその道も開ける可能性がある。
 彼は誰よりもそれを理解し、卑劣な手段を用いて収めようとしていた。
 ドロテアに「人の器ですらない」と言われる男が考えつく最良の手段。それを回避するには男子禁制の場所に居て貰うしかないと。
 だが女子修道院には唯一例外がある。
 それが王族。
 王族の男子は男子禁制の女子修道院に立ち入ることができる。王族の女子が女子禁制の男子修道院に立ち入ることができるように。
 なぜその様なことが可能なのか?
 修道院の奥にある霊廟には、大体身分の高い人が眠っている。王族は王族だけの霊廟があるが、王族から聖職者になったものなどは、王族霊廟ではなく修道院の奥に葬られる。
 俗世との関わり合いを絶ったことを表すための埋葬だが、参ることは修道院側でも拒否はしない。
 その結果、自由に歩き回ることはできないが、禁制に特例を設ける措置が取られている。
 オットーは元は王族男子で、血縁が女子修道院の奥に眠っている。
 嫡子としての権利こそ剥奪されているが、オットーは私生児ながらも王女ヘレネー息子にあたるので、血縁に参りにきたと言えば修道院側としてもあまり強く拒否できないのだ。
 そのため、女子修道院の周囲を担当しているノイベルトは、クナがいる女子修道院だけではなく、女子修道院全てを回り歩く警備にしていた。
 どこにクナがいるか、オットー側にばれないようにするために。
「オットーに関しては、妾よりもお主やその僕たるノイベルトがよく知っておるからして任せる。それで今夜妾が聞きたいのは、お主のこの先のことじゃ」
「……」
「お主とていつまでも”勇者”を名乗ってもいられまい? もはや”魔王”は存在せぬからして、お主は勇者である必要も意味もない。お主の経歴からすると、修道院に入るくらいしか道は残っておらぬであろう。修道院に入るのであれば、妾も力を貸そうではないか。貸せるといっても、然程力はないが」
「……」
「座れ。今は護衛としてではなく、一介の姫として誰にも言えぬことを妾に語れ。決して口外はせぬ」
 クナに促され、頭を垂れて暫くした後、ホフレはクナの向かい側に座った。
 木で作られた硬い椅子と、冷たい石造りの壁に囲まれた空間で、ホフレはポケットからエルセンが発行していた勇者証を取り出し重い口を開いた。

「僕は……いいえ、私はこれが失われた時、嬉しかった」
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