ビルトニアの女
皇帝の望み娘の謳う破滅【12】
 箇条書きの 《なぞなぞ》 は七十三問。
「私がわかるのはこれだけね。殆どアンセロウムから出題された 《なぞなぞ》 だったわ。だから、私が知らないのは別の人に出題されたんじゃないかしら?」
 その中でマリアは五十一問の答えを 《知っていた》 問題の脇に書き込まれた回答を脳内で素早く主文に当てはめてゆく。
 答えが出揃っていないので確実とは言えないが、マリアの書いてくれた答えはほぼ合っていると、ミゼーヌは瞬間的に理解できた。
「マリアさん」
 そこに書かれている ”出だし” をミゼーヌは 《知っている》
 エルセン文書は 《当たり前》 の事が書かれていると理解した。今解読されたとしても、誰も驚かない文書。

 それがエルセン文書だった。

「何?」
「マリアさん、アンセロウム様から 《なぞなぞ》 を出題されたのって……大体、ドロテア様やオーヴァート様、ヤロスラフ様が居ない時ですか?」
 マリアが答えられなかった残り二十二問の 《なぞなぞ》
 それの答えを知っている人物も想像がついた。

 ドロテアでなければエルスト。

「そうね。あの闘技場狂いのアンセロウムの世話をしている時に、色々と出題されたのよ。頭良いからって人のことを 《からかって》 たとしか思えないわ」
 「二十二」という数字まで意味があるとは考えたくはなかったが、その数字に意味を持たせていないとは考えられなかった。
「多分、それ……違います」
「ミゼーヌ! 真っ青だぞ!」
 ミゼーヌの顔色の悪さに、グレイが困惑するが、当人にとって 《顔色が悪くなって当然》 の出来事なので、そのまま会話を続ける。
「平気です。マリアさんが解けなかった、残り二十二問の答えを知っていそうな人はいませんか?」
 ミゼーヌには確信があった。
 残り二十二問の答えを知っているのは、
「エルストだと思う。アンセロウムが酒の相手させながら、その長文謎々を語ってたの記憶にあるもの」
 やはりエルスト。

 ドロテアがオーヴァートやミゼーヌと遺跡に関して話をしているとき、エルストは酒にも強い老人を相手していた。
 給仕をしていたマリアは、その時に出題されているのを聞き、料理を取りに向かった背にアンセロウムの拍手の音を聞いた覚えがある。

 ”お主は 《なぞなぞ》 を解く才能があるのぉ”
 ”そうですか。何の才能もないよりは良いですね”

 ミゼーヌは立ち上がり激しい運動をしたわけでもないのに震える膝を手で押さえて、床に落ちる冷や汗の染みを凝視して、二人に部屋から出て行ってくれと頼んだ。
 通常のミゼーヌからは考えられないような行動に、二人は直ぐに部屋を後にする。
「誰かに言ったほうが……」
「平気とは言わないけれど、ほっときましょう。ミゼーヌは将来偉くなる人物なんだから。このくらいの事は一人で乗り越えてゆく必要があると……思うけど、本当にどうしたのかしら?」
 なぞなぞを解いたマリアには、ミゼーヌがあれ程までに顔色を変えて苦痛に耐えるような表情を浮かべるとは思いもしなかった。

 二人が去った後、ミゼーヌは早くエルストの元へと向かい、完成のために 《答え》 を貰わなくてはと重いながらも、足は動かなかった。
 手元にあるエルセン文書は最早 《価値なき物》 に近い。早くに完成させなければ、全ての価値が失われる。

「価値を無くしてから解読を完成させたほうが」

 解読が完成することが、その苦労に対する 《報酬》 なのだとしたら、あまりにも酷い報酬だった。
「一問を一年と考えると……」
 一問を一年と考えると七十三問は七十三年となる。
 それはアンセロウムがエド法国を追われた歳月。
 マリアが答えられた五十一問、そして残りの二十二問。残りの二十二問を二十二年と置き換えると、それは異世界に通じる土地が攻め滅ぼされた年となる。
 こじつけだと言い切りたいが、目の前にある文書がそれを否定させてはくれない。
「……エルストさんに聞いてみよう」
 掌にかいた汗をズボンに拭い、問題の書かれている紙とペンを持ち、一方で 《時間》 を意味する男の元へと向かった。
 ”《ビルトニア》 もう一つの意味が、全てを巻き込んで”
 外でクラウス指揮のもと、荷物整理の積み込み作業を行っていたエルストは、何時になく顔色の悪いミゼーヌを心配しつつ声をかける。
 少し時間が欲しいというと ”丁度休憩したかった所だ” そう言い、クラウスに休憩を申し出て僅かながら貰い、少し離れた場所に腰掛けて説明を聞いて問題に目を通した。
「覚えてるよ」
 半端に記憶力の良い男だが、この 《なぞなぞ》 の答えだけは覚えていた。
 二十二問の回答をマリアと同じように問題の脇に書き込み差し出す。
「間違いはないはずだ」
 受け取ったミゼーヌは、クラウスに ”用事は済みました! エルストさんをお返しします!” そう言って戻っていった。

**********

 ドロテアは一人、バルガルツ海峡を眺めていた。
 荷物の整理から積み込みまでは、エルストが担当しているのは言う必要もないと言うか、最初から自分でするつもりなど全く無い。
 その傲然とした後ろ姿に、ミゼーヌは声をかける。
「ドロテア様」
「解読できたのか? ミゼーヌ」
 潮風に舞う亜麻色の短い髪を手でおさえながら振り返る。
「完全解読は可能ですが、本当に解読しても良いですか?」
 灰色の空と黒い鳥を背にしているドロテアに、ミゼーヌは尋ねた。
「どういう事だ」
「第一部の目次です」
 ミゼーヌが差し出した紙を受け取りドロテアは目を通す。そこに書かれていたのは、歴代エルセン王国国王の名。
 最後に書かれているのは 《マクシミリアン四世》
「ジョルジュ四世の父親、ルートヴィヒ五世は……孫は死に、曾孫は毒により両手足を失う事を知っていた筈です……」
 全てを阻止することは出来たし、降りかかる災難も知っていた。
「やはり予言書だったか。そんな気はしたが、こうも……エルセン文書の序文に ”皇帝の意志に絶対に従え” エルセンの建国碑文、それに類する言葉が書かれてやがるから、奴等は従った」
 だが誰も何も行動を起こさなかった。
 起こした行動の全ては全く関係無く、何の行動をも起こさないことがエルセン王国の意味。
「なぜこんな予言書を作ったのでしょうか?」
 偽書であって欲しいとミゼーヌは考えたが、その可能性は皆無だった。
 書かれた時代とカルマンタンが死亡した歳月を逆算すると 《マクシミリアン四世》 がリストに載ることは決してない。
 推測で書いたと責められたらミゼーヌも頷きたいが、もう一つのリストが否定してしまう。
「ミゼーヌ」
「はい」
「予言書の定義はどこから来たと、お前は考える?」
「え……」
 未来を見通し記している文書。
 世に予言書と呼ばれる物は多数存在し、そのほとんどは偽物だ。
 物事には起源が存在するが、予言書はその起源ははっきりとしていない。だが無邪気に人々は信じる、未来が書かれた書の存在を。
 誰が広めたわけでもないのに、存在すること本能の一部として認める。人々は生まれながら、知っているのだ。
 この未来がどこかで予定されていた物だということを。未来が記された文書が存在し、自分達はそれに沿って歩いているのだと。
「……」
「余計な質問だったな。そっちのメモはなんだ?」
「エド法国法王の順番です。こっちは……十五代ディス二世で ”止まっていない” んです! 十六世アレクサンドロス四世の名が書かれているんです! この方は廃帝だと、廃帝だから!」
 誰が何の為に未来を描いたのか、ドロテア達には解らない。どこかで誰かが笑っているのか、苦しんでいるのかもわからない。
 ドロテアはミゼーヌからメモを受け取り、まだ存在していない 《法王の名》 を見る。
「十七代……こりゃまあ。十八代……ついにあれがな」
 ミゼーヌは十七代の名が意味するものは解ったが、十八代の名を見て何故ドロテアが笑ったのかは解らなかった。
 その時になり、初めて言葉の意味を理解するが、それはやはり未来のことであり、ここには何もない。
「これを完全に解読しても良いのですか? そして解読を急いだほうがいいのですか?」
 エルセン文章の第一部であるエルセン国王の部分は解読を急がなければ 《ただの国王名鑑》 になってしまう。
 終わりの見えた王国。未来から続いた文書はここで終わるのだ。
 王国が終わる前に書き記さなければ、これはエルセン文書ではない。だが滅亡前に、早くに解読しても 《予言書があったこと》 を公表しなければ意味がない。
「無意味かも知れねぇな」
「ドロテア様?」
「文章は失われた時点で、失われる運命にあった。そこにあるのは既に過去の 《物語》 だ。歴史的な裏付けのない、誰も知らない物語。それを真実の歴史にするために、膨大な作業が必要になる。物語だと思って訳せ。それを歴史にしたかったら、お前が補足していけよミゼーヌ」
「……」
 ミゼーヌに歴代が書かれているメモを返し、真っ直ぐ見ながらドロテアは、解読を進めることと、同時に拒否を告げる。
「解読結果は俺に伝える必要はねえ。そして誰にも言うなとは言わねえ。これだと思った相手に全て語っても良い。判断はお前に任せる、ミゼーヌ」
「解りました」
 解読はしない方が楽だ。
 未来に起こる出来事も、過去に起こった出来事も、その全てが白日に晒される。
 隠しておきたい事も、知りたくはない事もある。
 だが……そう思いながら、ミゼーヌは視線をメモに落とす。
「それにしても解読するのに苦労したようだが」
「それはマリアさんが殆ど解読してくれました」
 解読の鍵となった部分をドロテアに告げると、
「……」
 眉間に皺を寄せて、薄いピンク色の唇を噛み締めて、腹立たしさとそれに付随するものにドロテアは耐えた。
「アンセロウム様が、私達が居ない時にマリアさんに 《なぞなぞ》 を出していたのだそうです。同じくエルストさんにも」
 仙人髭と本人が名乗る貧相な髭と、頑なにサイズの合わないサンダルを履き、子供のような探求心と、深みのある知識。そして、長い生涯。
 故国の崩壊、学者狩りで追われ、未来の 《皇帝》 の教育係となり、そして死ぬ。
「そうだよな……そうだよな。あの爺が書き写したんだったな……あの爺、全部知ってて……ちっ!」
 奇行の目立つ老人は、奇行の中に色々な物を忍び込ませていた。
 エド法国でこの予言書の 《原本》 を見て模写したアンセロウムは、自分がどのように動くべきかを知って、それにならって行動したのだ。
 オーヴァートの住居変更の理由はマシューナル王女との結婚ではなく ”儂は闘技場が好きなんじゃよ!” アンセロウムの一言。

 アンセロウムはレクトリトアードがマシューナルに来る可能性が高いことを知っていた。

 カルマンタンがそう動かす事も全て知っていたのだ。
 あの老人は全てを知り、自らの使命であろう 《ヒント》 を完璧に残して去った。
「あの爺に ”魔王はどうしたら退治できますか” って聞いた事もなけりゃ ”どうしてエルランシェが滅んだんですか” とも聞いた事はなかった。聞いてりゃあ……」
 滲む水平線を眺めたところで、仮定したところで何の意味もない。
「ドロテア様……」
 だが答えは貰えなかっただろうとドロテアは思う。
「これで良かったんだろうな」
 滑稽だろうが存在する真実を集めて驚き、そしてゆっくりと進む。この道しかアンセロウムは進ませてくれなかっただろうと、厳しいくもない面倒ばかりかけてくれた師匠を思い、毒づく。
「っとによぉ……」
 アンセロウムが教えてくれたことは全て此処に繋がって先に進む。
「俺は神の力を手に入れたが、未来を書き換える程の力はねえ……見てろよ、アンセロウム。用意された通りに進む未来。その未来を彩る人々の死を」
 そこまで言ってふとドロテアは思いだして、ミゼーヌの髪を引っ張る。
「ミゼーヌ」
「はい」
「耳貸せ」
「?」



「聞こえたな」
 耳朶に触れた柔らかな唇の感触に、手で耳朶を押さえ頬を赤らめてドロテアを凝視する。
「はい。フェールセン人の名前のよう……」
 聞いたそれを反芻し言葉として発して声を失う。
「最後に俺が伝える。アイツが死んだ時、俺が言う。お前は好きな時に告げろ、ミゼーヌ」

 その場に立ち尽くすミゼーヌを置いて、ドロテアは一人立ち去った。


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