ビルトニアの女
皇帝の望み娘の謳う破滅【11】
 目を閉じる。
 今この体に 《これ》 は必要なのだろうかと考えて、考える必要は無いと深く落ちてゆく。もう 《これ》 の力は必要ない。
 神の力が手元にある。
 神の力を持っているのに、
「ドロテア」
 《これ》 を元に戻す力はない。

 肌が触れる。肌に触れる。

 腹に宿したままで、やはり生きていこう。戻れない道を歩いていたのではない、この道を戻らない覚悟でつき進んでいたが、足がとまり振り返ると道は残っていた。
「エルスト」
 自ら殺害した無数の人々の骸を投げ捨てた道は、綺麗に片付けられ、少し離れた位置に立っている。元に戻してやると笑っている。


 腹に刻んだ罪を消すかと悩む自分の愚かさに涙すら出ない。引き返せるように残っている道を潰す。自らの力で破壊する。
 もう ”そこ” に立つな、オーヴァート。
 何時までも ”そこ” に存在するとお前は言うだろう。だから ”その場所” も破壊する。

**********


「以上になります」
 昼近くにミゼーヌが作った経過報告書に目を通しながら、説明を聞き終えた。
 報告書は時間の関係上、三綴りほどしか作れなかったので、何人かが纏まって一つの報告書をのぞき込む形となっている。
「私が追加した以外にも、調査項目で追加するべきだと思うことがありましたら」
 同じ報告書をのぞき込んでいた者達で、一斉に意見を出し合う。その間、ミゼーヌは突発的な出来事で進めることの出来なかったエルセン文書の手引き書の解読を再開する。
 少しの時間も無駄にせず働くミゼーヌに、
「俺はこの程度しかできないから」
 言いながらグレイはマリアの作ってくれたジュースをコップに注いで脇に置いてやった。
「ありがとうございます。さあてと……これは……」
 ミゼーヌの手元にある、見た事もない数字と記号が混ざった計算式のような ”物体” をちらりと見て、身震いして脇でグラスにジュースを注ぎ、トレイに乗せて立ったままで話し合っている学者やら、その他の人達に給仕する為に細々と動き始めた。
 昨日見つかった棺について、はっきりと解ったことは少ない。
 一つは「棺」は旧トルトリア領広場にある 《シュスラ=トルトリア》 の物とされている棺と、全く同じ形であること。
 二つめは、形は全く同じだが周囲に施されている 《模様》 は違う。その模様は古代言語などではないが、意味がある ”かも知れない”
 三つめは、成人男性十人でも持ち上がらない程に重い。これは予想されていた事で、廃墟の広場にあるトルトリアの棺も、盗まれなかったのは ”とにかく重い” ことが理由の一つだった。
 四つめは、押したり引いたりができない。
 地面に最も広い面を置いたまま、押しても動かず、引いてもびくともしないのだ。
 完全に持ち上げてしまえば移動させられる事はできるが、三つめの項目にあるように成人男性十人でも持ち上がらず、棺の大きさから成人男性十人までしか直接触れることはできない。
 持ち上げて移動させることはレイやセツ、ヤロスラフには出来るが、この三名であっても押したり引いたりでの移動は不可能。それをすることが出来るのが、
「俺の力でも開けないな」
 オーヴァート。ただ一人だけである。
 棺の前でそうオーヴァートが声を上げたのを合図に、色々な意見を出し合っていた全員が一斉に静まり、ミゼーヌはエルセン文章を閉じて、何が語られるか? 固唾を飲んで見つめる。
「棺が開けない理由は? その棺を造ったのはアデライド辺りだ? お前以下なんじゃねえのか? オーヴァート」
 アデライドは勇者を作った 《皇帝》
「力はたしかに。だが頭は良かったらしい。自らの力不足を補う為に、様々な施設や過去の遺物を使った。その結晶とも言えるのが 《勇者》 と 《棺》 だ。回りくどく言うと叱られるから、結論を言わせて貰うと、中に居る仮死状態の勇者は 《薄い膜》 によって覆われている。その膜の力を外側の……この棺部分にも流用しているから、俺には破壊することはできない」
 オーヴァートが ”こんこん” と棺を叩くと、光が現れる。触れた箇所から水面に滴を落としたときのような波紋ができあがったのだ。光の波紋は、水の波紋と同じく、触れた直後は強く徐々に弱まり消え去る。
「膜? 何だその膜ってのは」
 ドロテアの問いに、厚さの正確な数値を言ったところで、イメージは掴めないだろうと少しだけ考え、出来る限り解り易い ”たとえ” を出した。
「本当に薄い膜だ。厚さはシャボン玉くらいで、色も似たようなものだろう。この膜で守られている限りは、魔帝……ふっ……魔帝イングヴァールの攻撃を直接浴びたとしても、確実に無事だ」
 ”魔帝” の件で浮かんだ嘲笑を消さないで、オーヴァートは再び棺を叩く。
 先ほどよりも 《与える力》 が違うので、光の色が違う。先ほどは青白く、今は白味を帯びた黄。
「なるほどな。だから手を出せる勇者の方を必死で ”魔物化” しようとした訳か」
「そして今 《棺》 を必死に回収しようとしているのは、この膜を手繰って ”動向をうかがう” つもりなのではないかな」
「動向をうかがう? 何の動向を……」
 そこまで言ってドロテアは口を閉じ、今だに嘲笑が浮かんでいるオーヴァートの顔を睨み付けてから、ゆっくりだが強い口調で、部屋から出て行けと命令した。
「少し早目だが、全員昼飯食ってこい」
 部屋にいた全員、何も言わずに経過報告書を一綴りだけ残して出て行った。
 棺とオーヴァート、そしてドロテアだけの部屋で問う。
「その膜ってのは、初代が生きている証なのか?」
「そうだ。これは術者が生きていなければ継続しない 《結界の一部》 結界というものを世に伝える為に、この膜を裂いて研究し、術とした」
「聞くのも馬鹿馬鹿しいが、その膜作ったのは ”初代” だな?」
 《皇帝》 で生きている者となれば、それしか存在しない。
「ああ。この膜、どうやって外すのか見物だが……外さないでも、お前なら外せそうだなドロテア」
 部屋に窓はなく、外の音など伝わってこない。
 今日の空は曇りで、窓から差し込んでくる日差しは弱く、それが気分を重くするような錯覚に陥る。
「何で俺が外せそうなんだよ」

 グラスは海底へと沈み、ついに届いた

「お前は嘘をつくのが上手だ、ドロテア」
 波音の聞こえない部屋で、外からの音を全て遮断する部屋で、聞いた事もない海底にグラスが触れた音が耳元ではない 《どこか》 に響く。
「そうか?」
 エルストによって語られた答え。
 オーヴァートは笑い早く言えと、決して開かない、割れることもないと知っている棺を、拳で何度も打つ。
 強い光の波が壁を覆い、天井の窓をも彩る。
「もう見つけたのだろう?」
 さあ伝えろと、オーヴァートはドロテアに顔を近づけ口を大きく開き舌をだして眼球を舐める。
 ドロテアは逃げもせずに目を確りと開いたまま、舐めさせたまま部屋を囲んでいる光をもう片方の瞳で見つめる。
「私を見ないのだな」
 口を離し、だが間近で語りかけるオーヴァートを全く無視し、脇をすり抜けて指で棺を弾いて背を向けたままドロテアは言い返す。
「ゆっくりと待てよ。焦る必要なんざぁねえだろうが」
「残酷な娘だな。どれ程望んでいるのか……」

「知らねえよ」

 全てを否定する言葉を吐いて、ゆっくりと振り返り棺に背を預けてドロテアは笑いかける。
「なにより、もう娘って年齢じゃねえよ」

 昼食後に集まり様々な方法で試してみるも、初日の調査以上のことで解ったのは 《強力な力で守られていること》 だけで、どちらの勇者が収められているのかは判明しなかった。

「調査を続けるにしても、場所を移動した方がいいだろう」

 夕刻にさしかかった時に、エド正教枢機卿として女王との会談を終えて戻って来たセツは、現状が何ら好転していないことに一目で気付き、最もな意見を述べた。
「戻りたくはないが、一度戻って見るべきだろう。棺に勇者が収められているのだとしたら、エド法国にも何か他の手がかりが存在している可能性が無いと言い切れない」
 当初セツは全てが片付いてから帰国する予定だったが、棺の行方を追わなくてはならないとなれば、そうも言ってはいられない。
「エド法国な……もう一度足を運んでみるか。もしかしたら、エルセン文章の他に、何か手掛かりが残っているかもしれねえしな」

**********


 グレイは画材をまとめてから、手引き書と睨み合っているミゼーヌの元へと足を運び声をかける。
「ミゼーヌ、どうだ」
「グレイさん。今はまだ手引き書の解読でして、これさえ解読できたら、暗号はなんとかなりそうな気がします。それ程複雑には見えませんので」
「すげーな」
 グレイがミゼーヌの部屋を訪れた理由は、荷物のまとめ。エド法国に向かうから各自荷物をまとめる様に言われ、自分の分を終えたグレイが気を利かせてミゼーヌの部屋へとやってきたのだ。
「俺はもう終わってるから。俺で良けりゃ、荷物をまとめるぜ」
「あっ! 良いですか?」
「もちろん! 俺はこのくらいしか役にたたねぇからな!」
 ミゼーヌの感謝の言葉を背に、グレイは荷物を手際よくまとめる。
 移動の多い盗賊家業に携わっていたグレイは、荷物をまとめるのは中々に得意だった。肝心の盗賊技能は全く使い物にならないレベルであったが、盗賊を止めた今となっては、荷物を手際よくまとめらえれる技術のほうが、当然ながら役立つ。
 大方の荷物をまとめ終えると、ドアをノックする音が響いたが、ミゼーヌは全く聞こえていないらしく、書き写したノートを見ながら無表情のまま ”ぶつぶつ” と呟いている。
 声をかけるべきか迷っていたグレイだが、ノックをした主は ”この対応” に慣れているらしく、返事など聞かずに扉を開き部屋へと入ってきた。
「ミゼーヌ。食事持って来たわよ」
 ミゼーヌが見ていたノートの上に食器の乗ったトレイを置き、耳元で大声で叫ぶマリア。
「マリアさん! 済みません」
 やっと現実に戻って来たミゼーヌが、何時もの表情で謝る。
「少しは休みなさいよ、ミゼーヌ。考えはじめると食事しないし、眠りもしないで、倒れるまで続けるその癖は治しなさいよ。そうは言っても治るものじゃないでしょうけどね」
「済みません」
 ”ゆっくり食べてね” と言いながら、マリアはミゼーヌの向かい側に座り、食事する姿を眺める。
「最近はゆっくり食べられるようになったようね」
「はい、なんとか」
 ミゼーヌは両親と死別後、子供ながら仕事をしていた。仕事をしていた期間は 《短い》 が子供の時間の 《比重》 として大きかった。
 その為に仕事をしていた頃の特徴が随所に見られ、特に食事を取る早さが異常に早い。仕事を与えられて直ぐだったこともあり手順が悪く、効率的に仕事ができない。補うために出来る限り時間を得ようと、食事の時間を随分と短縮していた。
 ゆっくりと食べてもいい環境になってからの方が、時間としては長いのだが、短期間でついた 《癖》 は容易に抜けず、十年経った今でもかなり早い。
「解読できたの?」
「解読はまだ出て来てません」
 最後のデザートを食べ始めたミゼーヌに、マリアが声をかけると、視線が料理から 《それ》 に移動し、瞬間で顔つきが変わる。
「でもこれ、現代語になってるじゃない」
 脇で見ていたグレイの驚きなど気付かないまま、説明をはじめる。
「現代語になっただけです」
 手引き書が現代語の綴りになった。それだけで ”完成” したように感じられる。事実ミゼーヌも完成すると思っていたのだが、手引き書は二つに分かれており、主文とそれを解読するために用いる 《答》 を導き出さなくてはならない箇条書きの部分が存在していた。ミゼーヌは現在、その箇条書きの部分の解読にいそしんでいる。
「それにしてもあんな訳の解らねえモン、今の言葉に解読したな」
 しみじみと手引き書を眺めながら呟いたグレイに ”こう” 切り返した。
「多分グレイさんは知ってたら、私より早く解読出来たと思いますよ」
「え?」

「使われていたのは特殊立体方陣呪文二十種類です。五種類をアナグラム変換して、五種類をリポグラム変換。残りの十種類がヒントになるように敢えて間違った方陣が組まれていました。十種類が少しずつ間違っているので、ぱっと見た目は解らないのです。何より、答えが書かれている間違っていない十種類と重なり合ってますし。そして立体呪文を図を使わずに表すとなると、レッカーダ変換というデルスの定理に則った二百十五種類の方程式を用いる、学者特有の方陣変換が必要になります。ドロテア様は立体呪文が得意なので、その方面で考えろと言われたので楽でした。グレイさんが正式な形を知っていたら、分解した形を一目見ただけで判別出来たと思いますよ。グレイさん、その能力に優れてますから」

 グレイは出だしの ”特殊立体方陣呪文” の辺りで、ミゼーヌには悪いが理解するのを拒否していた。
 ふと気付くとミゼーヌを挟んだ向こう側にいるマリアが目を閉じて、溜息をついているかのような表情で首を軽く振っていたのが目に入った。
「多分俺、一生解らねえと思う」
 マリアが首を振った理由だろう ”稀に見る性格の良い大天才だが、不治の病でもある馬鹿を軽く患ってる” とドロテアに言われているミゼーヌ。
 その患っている不治病 ”軽い馬鹿” を目の当たりにして、敬意と僅かな哀悼の意を表して言葉を選び会話を続けていると、
「ミゼーヌ。これの答えって、エド法国の地方都市ヒンデルでしょ」
 紙を眺めながら、紙を眺めていたマリアが簡単に解読した。
「マリアさん、解るんですか? その 《なぞなぞ》」
 暗号の最後は 《なぞなぞ》 だった。
 それも一般に流布しているものではなく、アンセロウムが自ら造り上げたもので、回答はどこにもない……筈だった。
「大体解るわよ。アンセロウムから一杯聞かされたもの。これの答えは ”星座” でしょ。次は……えっと ”デルトーギアンドー……” これ、答え聞いたけど覚えてないわ」
 マリアは問題を指でなぞりながら答えてゆく。答えられない単語も、そこまで聞けばミゼーヌにはわかる。
「デルトルトギーラートラー」
 古代遺跡の装置の一つをさす言葉。
「それよ」
「マリアさん……解る範囲で良いんです。その 《なぞなぞ》 解いてくれませんか」
「良いけど……何考えてるのかしらね、大事な文章の解読に 《なぞなぞ》 って」
 椅子に座り直し、マリアは現代語に翻訳された 《なぞなぞ》 の解読に取り組む。
「どうした? ミゼーヌ」
「いいえ……」

 グレイに声をかけられたミゼーヌは、先の見えない ”もの” に意識が遠退く。未知の恐怖ではなく、自分が全く知らない相手が、自分の全てを知っているかのような、そんな素振りで親しげに傍で息を吹きかけてくるような恐怖を。


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