ドロテアは気分転換に一人、邸から出て町中を歩いていた。
現在荒れた治安の悪い町を夜に女一人が歩くのは危険だが、ドロテアにはそんな事は関係ない。
今だ町中と表現してよいのかどうか解らない程に崩れ、再建まで遠い道のりであろうそこを歩きながら、潮の香りに満ちた夜気を吸い込む。
【ちょっと良いか?】
オーヴァートによって消し去られたホレイル王城の跡地。城を再建するために組まれている足場を見上げ、枠組みの中に見える満月を見つめていると声をかけられた。
「駄目だって言ったらどうするつもりなんだよ、手前等」
かけた相手は生者ではなく、死者。
レクトリトアードによく似て全く違う男の幽霊が二人、ドロテアの左右に浮きながら声をかけてきたのだ。
【がっ、頑張って話聞いて貰う】
夜の闇を透かしながらも、存在がはっきりと見て取れる幽霊達は、重要なことを語るためにドロテアが一人っきりになるのを待ち、その時が訪れたので躊躇わずに声をかけた。
「何だ、アード」
【セツとレイの事なんだが】
潮風を除けるための布がその防ぐ為の風に揺らされる。船の帆にも使われる素材は硬く、大きな音を立てた。
「親子だってことか」
ドロテアはアードもクレストラントも見ることなく、誰に向けるでもなく答えた。
【気付いてたのか!】
「気付いてたんじゃなくて、俺は持っていた情報の断片をつなぎ合わせたら ”親子” って答えが出ただけだ。手前達は何で気付いたんだ?」
辿り着きたくなど無かった 《答え》
それはドロテアや赤の他人が辿り着いてはならなかった 《答え》 だが、ドロテアは辿りついてしまった。
求めてはいなかった真実に辿り着き、ドロテアは少しばかり考えた。
この答えをどうするべきかと。
セツ本人に問いただす為に、セツを助け出したのだが、聞かないままここまで来た。
ドロテア自身、このまま聞かずに終わらせても良いのではないかと思っていた矢先に、同じ事実に辿り着いた者達が居た。
アードはクレストラントと顔を見合わせ、そして彼等が気付いた理由を語り始める。
【ヒストクレウスが腕を失った後、エピランダは己の腕を切って差し出した。それがヒストクレウスの腕に定着した。これはヒストクレウスがエピランダと親子であり、上位種であることを示す】
「親子であり、上位種……アラ・エピランダ・ヒストクレウス・アッパールダルア・エセルハーネ・ロミア・レムネス・ライララナラが関係しているのか。俺はこれを元に考えていたんだが、間違ってなかったようだな」
事実を突きつけることは嫌いではないが、面倒だと思う事もある。
他人の秘密を暴くのは良くない事なのだろうが、他人でなければ 《これ》 に気付くことはない。
【それは!】
「お前達の村にもあった、あの白い石。レイの故郷にも当然あって、そこにヒルダとレイが辿り着いた時現れた幽霊が意味深に語った言葉だ。語った相手は名をエセルハーネといったらしい。母親らしいが、母親だったかどうかはレイは自信がねぇと言ってたが」
母親であった筈の女は、レイにとって母親なのか何なのかはっきりと認識されていない。
【……】
「セツとレイならセツが上なのは、まあ認めてやるよ。野郎の面や性格、その他の面でどう見たって上だろうよ。だが血縁ってのは? あの二人は属性が全く違うじゃねえか」
地属性のセツと火属性のレイは性質的に ”隣り合わない”
【属性が違うからこそ気付いた】
「どういう意味だよ?」
【属性が全く違うのに、エピランダの腕が拒絶せずにヒストクレウスの腕の元となる。これは血がなせる技だ】
【ドロテアなら解るだろうが、魔法は火→水→地→風→火と隣り合い、そして円を描く。レイの祖先は俺の祖先キルクレイム種とクレストラントの一族から、火属性を作り出して作ったものだ】
それは紙の円を描いて表せる、魔法の基本。
歪んでもいい、道具を使って歪みなく描いても良い。とにかく一本の線の端と端とを角度無く繋ぐ。
線に囲まれた内側を、これを雑でもいい、はやり道具を使っても良い、真っ直ぐな線を二本引き中心部で交差させるようにして、最初に描いた角度を付けない曲線まで引き四等分する。
手元には二本の交差する線が描かれた円がある。
四等分された部分に色を色分けしよう。使用する色と塗る順番は決まっている青の隣は黒。黒の隣は緑。
緑の隣は白。白い紙であれば、白はそのままにすると良い。
人間はこれらの中に入っている。外側に行けば行くほどに魔力は強い。中点にいる者は全ての魔法が使えて、また全てが通じないとも言われている。
外側の線にいる人間は 《古代種》 だ。中点にいる者ほどではないが、魔法が通じない者や、全てが使える者がいるらしい。
《古代種》 そう古代の人間。今も生きて居るのに古代の人間とはおかしな表現ではあるが、そう呼ぶように決まっている。
二本の直線は色を絶対に隔てるが、見方を変えてみると、それは円を繋げてもいる。
その線を何と呼ぶか?
魔法は血に乗る。だからそれは 《血脈》 父や母から子へと伝わる血の繋がりをさす。
【ヒストクレウスとエピランダは製造過程で一切関係のない一族だった】
ドロテアは幼い頃に聞いた魔法の基礎を思い出して、斜め後ろにいるクレストラントと、右斜め上にいるアードを二度交互に睨んだ後尋ねた。
「手前等はもしも身体があったとしても、互いに身体の一部分を交換して、定着させる事ができないんだな?」
二人の幽霊は頷く。
クレストラントとアードの両者は対極に存在し、血のつながりはない。
セツとレイは対極に位置しながら ”体を交換することが出来た” これは中心を分けた線を指す。即ち血脈。
ドロテアは二人の年齢を逆算し、法王庁でセツが語った過去を記憶から呼び起こした。セツが隠れ村の女と知り合い、恋愛感情を持ち秘密の結婚生活を送ったとは考え辛いが、
「セツは今三十九歳、もうすぐ四十歳。レイは二十三歳……十六歳以前から娼館通いしてた野郎に、その年の息子がいてもおかしくはねえな」
だが女が娼館にいたとしたら、おかしいことはなにもない。
【娼館?】
【まさか娼婦に?】
幽霊二人は否定的な声をあげるが、ドロテは女が娼館にいたことは間違いないと考えた。
《母親のような女》 レイにとって五歳まで一緒にいた女は、はっきりとした母親ではなかった。周囲にも女を母親だと言った者は誰もいないとレイは言っていた。
女はエピランダの勇者レクトリトアードを産むことを望んではいなかった。いいや、産むことは望んでいたかもしれないが、相手の男がヒストクレウスの勇者レクトリトアード、すなわちセツであることは望んでいなかった可能性のほうが高い。
本人が望んではいなかったことを村人は知っていたが、強制したのだ。だがそれ以上のことは強制しなかった。
「さあな。セツが娼館以外で女を抱いているかどうかなんざ、俺も知らねえ。でもよ……セツは気付いて無くても相手の女は気付いている……」
【どうした? ドロテア】
ドロテアは闇夜を睨みつけ、拳に力を入れる。
「気付けるわけがねえ……どういう事だ?」
【気付けるはずがない? どうしてだ】
魔王だった男の問いを無視し、ドロテアは目を見開き闇に染まった空を睨み続ける。
人柱の意味を持つエセルハーネという名を持った女が、占い師の言葉で娼館に向かったのだろうと単純に考えた瞬間、ドロテアの体の奥底で、目の前の闇夜よりも暗い色の長い髪を持つ男が ”叫んだ” 皇帝、その名はオーヴァート=フェールセン。
《皇帝》 の姿にバルガルツ海峡の波音が重なり姿を現す。海にドロテアが煙草を手向けた、金色の髪と菫色の瞳の男。
法王アレクサンドロス四世
セツよりも前にエド法国に到着した廃帝は、古代種の予見を確実に阻む。
「古代種の占い師には、絶対に視えない。視えるはずがねえ」
アードの母親だった占い師が、ドロテアの左腕を視ることができなかった以上に、視えるはずがない。
レイの一族は間違い無くセツを見失っている筈なのに、血の繋がりがあることに気付いた時、ドロテアの記憶の全てが軋み崩れてゆく。
なぜエピランダの村の者達は、セツが枢機卿としてエド法国に居ることを知ったのか?
誰が知らせたのか?
そして誰が仕組んだのか?
偶然と判断を下してしまえたなら、どれほど楽か。
全て答えは目の前存在していることが解るのに、掴むことができないもどかしさ。掴むことが出来ない答えは 《真実》 ではないという言葉が耳元で囁かれる。それは甘く、簡単に自分を解き放ってくれる言葉。
囁きに縋りたくなる気持ちを押しとどめ、ドロテアは話の先を進める。
「ところで手前等、俺に話してどうするつもりなんだ?」
ドロテアは 《答え》 に埋もれている。《回答》 《真実》 《秘密》 その中から抜け出すためには 《問題》 や 《疑問》 そして 《謎》 という道具が必要だった。
【それは……】
「手前達、俺の性格知ってるよな。それで敢えて、俺に投げるのか? 自分達は死んでいるからと俺に判断を投げて逃げる。俺はそう解釈するぞ。それで良いんだな?」
通常ならば疑問から回答を導き出す。だが、ドロテアは最初に真実を手にしてしまった。
多様な 《答え》 を、どの 《問題》 の 《正答》 にするのか?
【……ああ。認めるよ】
【キルクレイム】
それは多くの答えと持ち、疑問に対して答えをくれる ”ドロテア” 解読式であり定理のような存在。四つの神の力を従えて 《答え》 を導き出すドロテアは、人々の目には万能に映る。
【あの腕が付く場面を二人で見た時から、考えていた。だが答えは出なかった。出せなかった……というのが正確な表現だな。あんたなら、無駄な時間を費やしたというだろう。それも認める】
実際はドロテアにとって、神の力は何も答えもくれない。回答に至る道筋をなど一度も提示してくれないが、ドロテアはそれを否定はしなかった。
神の力が万能だとドロテアは信じてはいないが、嘗て神を全否定し知の頂点を極めたオーヴァートの祖先と一線を画するために、人々の根拠のない思い込みを排除することはできないのだ。
混在する知と感情の中点に立ち、ドロテアは疑問と答えを手繰り寄せ、対面させる。
「認めりゃ良いってモンじゃねえけどよ。……大体言わなくても良いじゃねえのか? それとも言わなけりゃならない理由でもあるのか?」
【上位種に関して説明すると、自ずと説明することになるだろう】
「じゃあ上位種の説明をしろ」
【レクトリトアードとエセルハーネの違いだ。人柱、要するにレクトリトアードの身体が大きく、また特殊な相手により破壊され、再生能力が上手く働かない場合、エセルハーネのその部分を千切り繋ぐ。それにより回復が早まる。レクトリトアードはエセルハーネの上位種にあたる】
【俺達古代民族の上位種が選帝侯になるように】
「今は二人しか居ない勇者。セツとレイならセツの方が僅差ながら上位。なるほど、セツのパーツをレイは取り込めないってことか?」
【エセルハーネがレクトリトアードを取り込もうものなら、破壊される】
「レイの身体が破損し再生が上手く働かない場合でも、セツを使うなって事だな」
【そうだ】
どちらか一方に告げれば済む話。その一方を選ぶとしたら、相手の毒になる方を選ぶ。
それはレイの体を破壊してしまうセツを指す。
【逆であれば、レイがセツよりも強ければ誤魔化せたかもしれない。レイは魔法に関して知識がないから。だがセツは魔法に対しての知識が深い。言わなくても気付く可能性もある。気付かない可能性にかけるか? アンタの性格からして、それは選ばないと思ってな】
レイは深く考えないだろうが、セツは容易に気付く。気付いた所で何をする男でもないが、危害を加えない男だとは言い切れない。
勇者であることが終わった時、自分一人だけが知っていると信じているセツ最高枢機卿の取る手段が、苛烈ではないと言い切れない。
処分する可能性もある。
それを押しとどめるとは言わないが、ドロテアが知っていると告げられる事で、判断に違いが出て来る可能性は高い。
「確かに。お前等、セツの野郎にまとわりついて話掛けてたのは、知識量を知る為だったのか」
【ああ】
冷えてきた体と、飽和状態の 《事実》
夜気に自らの体を軽く抱き締め、幾つかを続けるために話続ける。
「まあいい。それに関しては後は俺に一任しろ。口出しは一切認めねえ。ところでクレストラント、手前に聞きてぇ事がある」
夜気が思考を冴え渡らせるとは思わないが、静けさと周囲に人がいないことは好都合でもあった。
【答えられる物なら】
ドロテアはまだ詳しく話を聞いていない魔王だった男の幽霊に声をかけた。
「アードはアレクサンドロス=エド、ハルベルト=エルセンそしてシュスラ=トルトリア、この三人が仮死状態にあると言った。クレストラント、当然手前は知っていた筈だが、それを魔王だった時期に捜すことはしなかったか? 魔帝側はこの事実を知っているようだが、どうやって知った? 手前が教えたのか? それとも別の協力者か?」
【少し待ってくれ。今記憶を手繰り寄せる】
「思い出すまでの間に、アード。手前にもう一度聞きたかったことがある」
【なんだ?】
「手前、パーパピルスにいた時、ホレイル側にアレクサンドロス=エドかハルベルト=エルセンのどちらかの力を感じたのは忘れてねえな」
【覚えている。力が混在して俺には何も探ることが出来なかった】
「旧トルトリア王国、ホレイル王国、エド法国に隣接しているエルセン王国。あの国に何か特別な力は存在しているか?」
【……】
「最も有名なエルセン王国に何かが存在していると俺達は思い込みがちだが、実際あったのは空の棺だけ。そして国を滅ぼすな、皇帝に逆らうなという言い伝えのみ。恐らく失われたエルセン文章に重要な事が書かれているんだろうが、今はそれもない。復元は出来そうだが、その復元よりも前に聞いておきたい。何か気付いたことはねぇか? アード」
【質問に質問で答えると叱られそうだが、一つ聞いてもいいか?】
「聞いてやろうじゃねえか」
【アンタの話を聞いていて思ったんだが、レイが破壊した物で王家に関わりあるものは城と霊廟だけだよな】
「そうだな。他の施設は王家には関係無い」
【俺達の祖先にあたるハルベルト=エルセンの長女が棺を持っていた先は、俺も勝手にエルセンだと思ってたんだが……本物は別の場所にあるとして、長女は棺を持ち帰り霊廟を造らせて何をしたんだろうってずっと考えてたんだが……竜騎士が最初に襲ったのはエルセン王国だよな。でも今は襲っていないのが気になる。まるで目的の物を破壊したかのような】
エルセン王国はあの時以来、襲われてはいない。
彼等は何の破壊行為も行っていない。ほとんどの破壊はレイが行った。
「霊廟が目くらましだった……ってことか」
空の棺が何の為に用意されたかを考えたとき、それが最も妥当な線。
【破壊された事によって、エルセン王国に奪わなくてはならないものはないと気付いて、別の国を……ってことじゃないか。俺は思うんだが、エルセン王国は王国自体が魔帝が敵視するように造った物じゃないかと思うんだ。要するに王国自体が生贄だ。棺が空で文章は隣のエド法国。王国にはなにもない】
「ちょっと待て」
【何だ?】
「手前は今、勝手に長女が棺持って行った先はエルセンだと ”思っていた” って言ったな」
【ああ】
「手前は正式な場所が解らない、伝えられていないってことか?」
アードははっきりと頷く。
宙に浮かぶ霊体は音もないが、それを補うかのように打ちつける波の音が聞こえた。
勇者が何れ生まれる村にまで伝えられていない真実。隠そうとした物か? 図らずも隠されてしまったものなのか?
【俺が知らないだけかもしれないが、俺が知らなければ意味がないだろ?】
そうであったとしても、アードの言葉が正しい。
正確に伝わらない伝承、失われてしまった真実、そんなもの欲している者にしてみれば路傍の石よりも役に立たない。ありがたがるのは精々、関係無く解読を楽しめる時代の者だけだろう。
「そうだな。全部エルセン文章か? それ一つだけだとしたら危険……待て、お前は棺を幾つ感じる事が出来るんだ。まさか二種類だけなのか?」
【俺には旧トルトリア王国のシュスラともう一つしか解らない。それも村にいた時だけだ。探索するのには、あの地に存在している純粋な力が必要になってくる】
「おい、クレストラント。手前は解らないのか?」
アードの言葉を聞きながら、クレストラントに視線を動かすと答えられるといった雰囲気になっていたので、ドロテアはそれも踏まえて尋ねた。
【私が住んでいた場所は、エルセンやその他の国に意識を向けようとすると、フェールセン城に阻まれ、反対側は ”地の果て” により阻まれていた。私が解るのはフェールセン城から今のイシリア側によった限られた区画だけだ。そして今のが質問の答えだ。魔王であった時代でも、私はフェールセン城の向こうにある気配を探知することは殆ど出来なかった。元々魔帝が降りてくる場所は知っていたから、攻撃を加えることが出来た】
彼等の祖先が封じ込めた、異世界に通じる場所、エルランシェ。クレストラントは行動と能力を制限するために魔王に変えられた物で、能力を期待しているものではない。
「フェールセン城なあ……厄介な城……いや」
ドロテアは自らを抱いていた腕を放り出し、一瞬その瞳から光が消えた。
【どうした?】
突然の事にアードが驚いて近寄ると、それを拒否するように手をふる。ほんの一瞬の出来事であり、あの強い鳶色の瞳から光が失われる程の真実を聞くことをアードは恐れ、クレストラントは覚悟を決めた。
「長女は棺を持って村を出て王国に向かう途中、父親であるハルベルト=エルセンが仮死状態で収まっている棺をどこかに隠し、別の棺をつくりエルセン王国へと向かった。これが最も妥当な考えだろう。特殊構造から考えて棺を造ったのは、長女本人の可能性が高い。そして二の方法が思い浮かんだ」
言いながら指を二本立て、もう片方の手で一本を掴み説を語る。
ドロテアは海路と陸路の二種類を考えてみた。
海路を通りエルセン王国に向かう場合、村を出てエルセン王国に直接向かう船に乗る為には旧トルトリア王国を抜けて海にでなくてはならない。
だが旧トルトリアの砂漠の中程を抜けて、北か南の海、距離を短くするならば南、今のマシューナル王国を越えて海に出るくらいならば、横断して隣国に向かった方が当然ながら早い。北は ”ぐるり” とパーパピルス王国の縁を通り、ベルンチィア公国の南の端を通り、北上する必要がある。
【海路はなさそうだな】
「次は陸路だ」
アードの村から最も近い大きな街は、パーパピルス王国の首都エヴィラケルヴィスになる。
パーパピルスは勇者の建てた国よりも、建った時期は遅い。
当時そこに何があったのかをドロテアは考えた時、真っ先に一つの物が思い当たった。
今首都で 《エウレルアカの結界》 と呼ばれているオーヴァートが封印した古代遺跡。
「そこに ”本当の棺” を隠して、目くらまし用の棺を造ってエルセン王国に向かった」
ドロテアの内側に 《アレクサンドロス=エド》 が燻っている。パーパピルス王国に存在するとしたら、それは 《ハルベルト=エルセン》 だと。
パーパピルス王国にはアレクサンドロス=エドの影はなかった。
あそこにはハルベルト=エルセンがなくてはならない、その理由はアレクサンドロス=エドに帰す。
【だ、だが】
アードは頭を振るが、
「言いたい事があっても、黙って聞いてろ」
ドロテアは海路の説を言い終えた時に折った指と、もう一本立てている指を摘みながら話を続ける。
【解った】
ドロテアの中で世界が別の形で構築されてゆく。
それは人間が築いた歴史。争いと間違いに満ちた世界。人々が血を流して築いた過去を振り返った時 《答え》 が導き出される。
「エルセン王国に敵の目を欺く為の霊廟を造らせると同時に、長女は棺を守る為にパーパピルス王国の建国に着手する」
【……】
パーパピルス王国はエルセン王国や、トルトリア王国よりも後に出来た。
地続きのトルトリア王国は何故、パーパピルスの大地を支配していなかったのか? その向こう側に 《敵対するなにか》 が存在したのならば、緩衝地帯という空白を設ける必要はあるが、パーパピルス王国の向こうは海。そしてその向こうは ”地の果て”
彼等はその地を支配せずに、別の国を置く必要があった。
「国を造るのには金がかかる。だから資金はエド法国の資金洗浄を引き受けている、ロートリアス家から出ていると見て間違いねぇだろう」
裏金で棺の保管という秘密を持った王家を建てる。
ある程度の事情を知り、尚かつロートリアス家の命令を聞く家柄が選ばれた。ロートリアス本家ではいけなかったのだ、あくまでも分家で従わせることのできる相手。
「パーパピルス王国のヴァルツァー家は、ロートリアス家の分家にあたるから適任だ。そしてもう一つ、勇者との繋がりが希薄と思わせる行動に出る」
【何をした?】
「ヴァルツァー家はエド正教最大派閥ザンジバル派じゃねえ。当時出来たばかりの新興勢力、ジェラルド派だ。わざわざジェラルド派を作って、エド法国ともあまり関係のない、新興王家の体裁を作って見せたのさ」
分離に宗派はあまりにも適切な理由だった。
同じ宗教母体の中の分派。別の宗教ではない、一つの宗教の元で別に属する。そうしなければならない。
【何故言い切れる?】
《滅びないため》 の分派。
「宗教戦争だ。別宗教を作っての建国じゃあ駄目なんだ。真君をエドにした分離でも駄目だ、あくまでも同宗教内の別派閥でなけりゃならない」
神を捨てた一族が作った勇者。
「トルトリア王国は宗教に寛容な国だった。後にエド正教の分裂から出来たブレンネル正統聖教、それが瓦解して出来たギュレネイス神聖教もイシリア聖教も受け入れていた。あれはただ宗教に寛容だった訳じゃねえ。パーパピルス王国の宗教的緩衝地帯だったんだ。何か事件が起こりジェラルド派がザンジバル派から追われた時、逃げ込める国。そしてパーパピルス王国が完全に孤立しないようにするために」
【……】
「勇者が作った、人々を導く ”宗教” それも隠れ蓑だったんだよ」
その勇者達は宗教を作った。指針を与えたのは 《皇帝》 皇帝意外、宗教の存在を知らない。
「世界は狂っているかのように見せかけて正確に時を刻み、誰かが目指した方向に進んでやがる」
皇帝、皇帝、皇帝、そして法王、或いは廃帝。斯くして死王に魔帝。大陸に散らばった彼等は、阻害しながら全てを繋げてゆく。
【その意味は?】
最近の歴史に疎い形になっているクレストラントがドロテアに問うと、何時もの不敵な笑いを取り戻したドロテアは、潮気を含んだ風にさらされた唇を舐めて味わい、その味に頬を伝った涙が濡らした唇を思い出す。
「全てだ。クレストラント、手前にはフォルトーラが馴染み深いか? 今の皇帝オーヴァートの祖父に当たる男、知っているか?」
涙を思いながら、泣く事のない一族の過去に遡った。
【知っている】
フォルトーラ、それがどんな男であったのかドロテアは深くは知らない。オーヴァートは知っているだろうが、語る事はない。だが確かに存在していた 《皇帝》
「フォルトーラは何処に住んでいた?」
彼がどんな男であったかなど問題ではない。彼が 《皇帝》 であった事が重要なのだ。
【それは勿論、フェールセン城だ】
なぜそんな当たり前のことを聞くのだ? クレストラントは不思議だといった表情を隠すことはない。
「アード。手前が知っている皇帝リシアス、オーヴァートの母親は何処に住んでいた?」
ドロテアは、クレストラントよりも 《下った時代に生きていた》 アードに同じ質問をした。
【エヴィラケルヴィス……これは、何だ?】
アードも最初はクレストラントと同じ気持ちだったが、ドロテアの意図するところに気付き愕然とした。
【どうした? キルクレイム?】
アードが受けた衝撃は激しく、霊体が歪み音声が途切れる程。
【アンタの言った通り、狂っている! 誰かがまるで……】
【何が……】
「手前が生きてた頃は、エド正教は分裂までしてなかった時代だったな、クレストラント。ことの始まりは幻の女法王、ハーニャ枢機卿にはじまる」
マリアに問われて答えた、エド正教とイシリア聖教、そしてギュレネイス神聖教。母体を同じくしている宗教の分離、その後の統治。
エド正教から分離したブレンネル正統聖教。そしてブレンネル正統聖教が分裂した結果の国家。
女性に何の権利も与えないギュレネイス皇国が誕生し、そこには皇帝の居城が存在する。当時の皇帝はフォルトーラという男性。
だが次の皇帝は女性、オーヴァートの母親であるリシアス。
女性の権限を取り上げ徹底を目指していたギュレネイス皇国にとって、全ての継承権がある女性が存在するのは都合が悪かった。
それに考慮したわけではないだろうが、リシアスはギュレネイス皇国を出て、夫として迎えた王子の故国へと入る。
それがパーパピルス王国。彼女は死ぬまでそこに居を構え、彼女の息子であるオーヴァートも住み続けた。
クレストラントが生きていた時代、フェールセン城によって 《その先》 を探ることはできなかった。そしてアードが生きていた時代、リシアスの存在により、キルクレイムに住む一族はパーパピルス王国を探る術はなかった。
ギュレネイス皇国が無ければ、ブレンネル正統聖教がなければ、エド法国がなければ、この状態にはなっていない。
「見事だろ」
例えクレストラントが海に向かって視界を向けたとしても、一周してネーセルト・バンダ王国でその視界は遮られる。
彼女の死後、視界は遮られることは無くなったが、ホレイルには定住はしていないが、一人の選帝侯が拠点を置いていた。
イシリア教国に国を譲ってやったゴールフェン選帝侯。
彼女の存在が全てではないが、目くらましとなり、彼女がホレイルから立ち去った事によりホレイル王国襲撃に至る。
【そんな……】
宗教戦争の裏の理由、それは大陸の視界を遮る皇統フェールセンの離散。
その離散は全ての視界を遮るための、計算され尽くしたもの。
人々は多くの血を流し、真実をその赤黒い海へと沈めていった。何時しか見えなくなった真実。
視界を遮るために離散した彼等にもその自覚はない。
皇統フェールセンすら強大な力の前には 《駒》 なのだ。愚かな人類よりも高度な知能を誇り、優れた身体能力を誇る彼等ですら。
「俺達は使われた。だが……人間には回避する術はあった。踊らされたのかもしれないが、踊っている途中で気付いて止めることができたなら」
そして改めて人間は愚かなのだと、ドロテアは自分を含めて思う。
無駄な血を流しすぎたのは、人間の責任であると。回避する方法はあったのにも関わらず、人々は最悪の道 《宗教戦争》 を選んだ。
否定することの出来ない真実を前に考えるのは、人々に 《再び》 宗教を与えた皇帝達の思惑。
皇帝はやはり人間は愚かだと嗤っていたのか?
過去の皇帝のことを問いただしても意味はないが、人間は近い将来再び 《宗教戦争》 に手を染めるだろう事は解っていた。
セツは己が法王の座に就いた後、ギュレネイス皇国と対立するとドロテアに向かって明言した。
その時皇帝は嗤うのだろうか? 嘆くのだろうか?
「興味もねえが……今はなあ……」
ドロテアが考える皇帝はただ一人 《オーヴァート》
セツが法王の座に就いている、それは皇統が最後の一人になった事をも指す。オーヴァートは最後の神を捨てた皇帝として、神を掲げて争う人間達を見て何を思うか?
【なあ……アンタ、何かに気付いてるんじゃないのか?】
アードの問いにドロテアは答えなかった。
その夜空にも美しい表情には、最早人間らしい感情は浮かんでいない。だがそれは人形のような美しさではなく、然りとて自然でもない。
ドロテア=ヴィル=ランシェとしての美しさのみ。
「一つだけ教えてやろう。俺は皇帝の為に破滅を謳い続ける」
【何時まで?】
「皇帝が滅ぶまで」
皇帝を滅ぼすのではない、皇帝が滅ぶまでドロテアは破滅を謳う。
破滅に多くの罪のない人々が巻き込まれ涙しようとも、ドロテアがそれを止めることはない。
【そりゃあ……大変だな】
「そうでもねぇよ。誰に祈ることもなく、誰を責めることもない。俺が俺の力だけで目指すものだ」
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