魔王の城が消え去った後に残っていたのはやはり “人柱” と呼ばれる白い柱。テントを張り野営の準備に取り掛かっているイリーナやザイツ、その手伝いをしているヒルダやマリアを背にドロテアはその柱の前に立ち、
「じゃあそろそろセツを助けに行ってやるか」
当初の目的を呟く。
「嫌そうだな、ドロテア」
「まあなあ。あの野郎助けたいと思う奴の方が少ねえだろうよ」
言っちゃ駄目だよドロテア……夫であるエルストはそう思いながら無言のまま隣に立つ。『助けたいと思う奴の方が少ねえ』ドロテアの言葉は本当だ。心の底から生還を望んでいるのは、法王とクナ、そしてエギとトハ、兄だと知ったシスター・マレーヌくらいのもので、他の者達は『一切の邪念なく』生還を望んでいるわけでもない。
セツが戻ることがなければ、法王の座が近くなる。その考えがよぎる者はけっして少なくない。
「あの野郎は法王に仕えた。その見返りは大きかったな」
最高枢機卿として法王を守った男は、廃帝により魔帝の手から逃れられていた。
「それに気付かないで人生終えられたら、幸せだったろうけれど。知らなかったら妹さんは不幸せなままか」
勇者とはならず法王としてだけで人生を終えられていたら、それはセツにとって幸せだったのかもしれない。妹であるシスター・マレーヌにとっては不幸せな結末になったであろうが、今の状況も彼女にとっては決して幸せではない。
「……そうだな」
「どうした? ドロテア」
「クレストラントの身代わりは当時三歳の孫で、セツの身代わりは何の力もない妹。正確なことは言えないが、レイの身代わりは母親のような女で、アードの身代わりは “本当” に身代わりになって死んだ従兄弟。アードの “エセルハーネ” はまだ納得できるが、それ以外は何のために存在しているのかさっぱり解らん。代わりに死ぬためだけに用意されているのだとしても……おかしい」
「おかしいって?」
「俺が考えるに “エセルハーネ” は “レクトリトアード” よりも年上じゃなけりゃあ意味をなさない。クレストラントの身代わりになるエセルハーネが五十歳ちかくも離れていたら、その間に攻められた場合はどう対応する?」
ドロテアが気になっているのはその部分。“何故、勇者を守るための人柱が、勇者よりも後に生まれてくる場合があるのか?”
「……クレストラントの身代わりは、勇者がそうであるように、人柱も最初の人は死んで次になった? とか」
エルストが首をかしげながら目の前にある “人柱” を見つめながら自分でも納得できない言葉を声にしてみる。エルストにもそれが、はっきりとは言えないがどこかが “おかしい” ことに気付いた。
ドロテアは煙草箱を開いて、一本煙草を取り出す。
「違う、そうじゃねえんだよ。“エセルハーネ” は攻撃対象になってねえし……」
その瞬間、アードに強制的に連れて行かれてしまったために、たどり着く事ができなかった村の存在を思い出した。
《アラ・エピランダ・ヒストクレウス・アッパールダルア・エセルハーネ・ロミア・レムネス・ライララナラ》
蓋の開いた煙草箱を手から落とし《人柱》を凝視する。
エルストは落ちた煙草箱と、散らばった煙草を拾い集めて、叫ぶことを我慢するかのように下唇を噛み締めているドロテアの横顔を見つめた。
『お前は父である聖地の守護者にその身を捧げる為だけに会いなさい』
**********
「“アラ・エピランダ・ヒストクレウス・アッパールダルア・エセルハーネ・ロミア・レムネス・ライララナラ”……幽霊は現在形で語っているから、レイの父親は生きている事になる。それが正しいとして “その身を捧げる” の意味が解からなねえ。この使い方だと “差し出せ” の意味合いが強い。父親にその身を差し出せ……俺はアイツの口から、父親らしい男の話を聞いた事がない。それほど語り合った訳じゃねえが、アイツの口から出てくるのは “母親らしい女” だけだ」
**********
“何故、父親の名を直接教えなかった? 名前なんざ、同名はザラに居るが手がかりの一つくらいにはなるだろう。いや、大体……待てよ、父親の名前どころか特徴も言いやしてねえ。……解るのか?”
**********
“そうだとしたら『父親の方』がレイを探しに来る方が、はるかに確実じゃねえか? ”父親“ なんだから最低でも十歳以上にはなってるはずだしよ……一体その女は何を告げたかったんだ? 要点を確りと言え!”
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ヒルダとレイが《エピランダ》で聞き、ドロテアに伝えられた言葉が泡となり割れてゆく。
「父親は息子がいることを知らない……なぜ、知らせなか……」
その理由はドロテアにも想像がついた。“母親のような女は、レイを父親に会わせたくはなかった”
「何かわかったのか? ドロテア」
エルストの声に頭を振り、
「セツの野郎に聞いてみなけりゃ解らねえな」
吐き捨てるように言い人柱に背を向けて食事の支度の出来ている方へと歩く。落ちた煙草を握りしめたまま、エルストは人柱を振り返った。それは何も語らないで在るだけだった。
夜の闇も貫くような白い人柱と、中天の黄色い月に見下ろされながら荒野で一晩体を休めて次へと向かう鋭気を一行は養った。
五つほど建てられた夜の風をしのぐテントで、各々が横になった頃にその怒声が響き渡る。
「てめえ! 勝手に隣潜り込んでくるんじゃねえよ! オーヴァート!」
予想通りというか、やらないはずはないだろうと思える行動にマリアは毛布の中の身をよじり “何時ものこと” として目を閉じて眠りに落ちる努力を開始する。マリアの隣にいる、ヒルダや雑事の一切を負っているイリーナは疲れているので、すでに深い眠りに落ちていて起きる気配はない。
「潜り込んでも良い? と聞いたら良いのかな?」
「よくねえ! 服脱がすな!」
ドロテアのテントは《正規》にはドロテアとエルスト二人が寝ている……要するに、妻が服を脱がされている隣に夫はいるのだが、
「オーヴァート、今回はちょっとなあ」
何時も通り、やる気なさそうに声をかけるだけだった。
大体ドロテアが勝てない相手にエルストが勝てるわけがない。なによりドロテアはそんなことを期待も希望もしていない。
「珍しいな、エルスト。どうした?」
靴を脱がされたドロテアは、オーヴァートの手から取り上げて履き直す。
「ん……珍しいって言うかさあ、何時もと違って色々な人が同行中だからねえ」
言いながら “エルストには見る事の出来ない” テントの壁を指さす。エルストは見る事は出来ないが、外側に人の気配があることは容易に察知出来た。
誰かと誰かと誰かがテントの布に耳をひっつけて中の音を探っている事は、
「ぺこっとしてるもんな」
誰の目にも明らかだった。なにせテントが今にも倒壊しそうな程に “ぺこっ” としている。その “ぺこっ” な範囲を人に置き換えると、成人男性三人分。
靴の紐を結び直したドロテアは、ため息混じりに心あたりのある二人に声をかける。
「テント壊す前に入ってこい、ミロ、バダッシュ」
残る一人は、こちらの管轄。
「入ってきても平気だよ、クラウス」
ギュレネイス皇国の警備隊長を筆頭に、容姿の悪くない男三人がテントの入り口でうろうろしている様は、情けなさと不気味さを荒野に映し出す。
申し訳なさそうに『出歯亀』したことを謝る二人と、
「お前という男は! 妻が、妻が……おいっ!」
人間として取るべき態度がなっていないと、怒鳴りつける幼馴染みと、どうでも良さそうに叱られている男。
「夫なら身を挺しても助けるべきだろうが!」
至極真っ当なことを言うクラウスに、頷くように頭を下げながら適当な返事をしていた。
かつてそこには魔王の居城があり、それより昔は幸せに暮らしている人々がいた。作られた存在理由を知りながらも、普通の人々と変わらぬ生活を送った彼等の存在を知る者は二人だけ。
「うるせえんだよ! 黙れぇ!」
《突如現れ、そしていつの間にか存在しなくなった。それが魔王である》
最悪な寝起きを迎えたドロテアは朝特有の靄がかかった空気と、口元に運ぶヒルダの淹れたハーブティーの湯気の向こう側にみえる、人柱を見つめていた。
ドロテアは “人柱” と “人柱が語った言葉” から仮説を立てたが確証はまだなにもない。
アードやクレストラントに問いただせば答えの手がかりを得られることは解るのだが、聞く気が起きなかった。セツがこの事実を知っているのか? いないのか? により取るべき行動が大きく異なる。
『イングヴァールを倒すまで監禁しておこうかと思ったが、そうもいなかくなったな』
半分ほどに減ったオレンジ色の液体がドロテアの溜息に波立ち、波紋を作りきえてゆく。
「ドロテア」
「何だ、ヤロスラフ」
人柱を見つめ続けているドロテアに近寄ってきたヤロスラフは、何時もと全く変わらない口調で話し出した。
「必要ないかも知れないが、教えておこう。ホレイル王国が襲われている。襲っている軍勢の内訳は前回エルセン王国を襲ったものとほぼ同じだ」
まるで “見ている” かのような喋り方だが、ドロテアはそのことには触れず、振り返りもせずに問う。
「それを仕向けたのは?」
「おそらく、イングヴァール配下選帝侯の血族が一人、セラフィーマが派遣した物と思われる」
ヤロスラフの話を聞いた後、ドロテアはヒルダの元へと近寄り、
「急いで飯食うぞ」
朝食を開始した。
「急いで? 何かあるんですか?」
「ヤロスラフ説明」
それだけ言って、朝食を行儀悪くかき込み始めた。
オーヴァートやヤロスラフ、そしてレイ。幽霊のアードとクレストラントは朝食を取らずともどうにかなるが、普通の人間のドロテア達はホレイルに援軍として向かうにしても、向かわずにセツの救出に向かうとしても、とにかく食わなくては力が入らない。
ヤロスラフの説明が終わったところで食事をやめて、撤収の準備を開始する。
「どうするの? ドロテア」
洗い終えた食器を拭きながらマリアが尋ねる。ドロテアの性格からすると『援軍を送らない』という決断を下す確率の方が高い。
「二つに分ける。俺とマリアとエルストとヒルダはイリーナとザイツの馬車でセツの救出に向かう。残りはヤロスラフの空間移動でホレイルに入って迎撃しろ。それとミゼーヌ、余裕があったら “敵の狙っているものを” を探し出しておけ。奴らは皇代の生き物だ、探しているのは必然的に《皇代の品》 要するに《古代遺跡》だ。それが相手ならお前の得意分野だろう? ミゼーヌ。幸い学者としては地を這うごときのバダッシュと、並の国王ミロも動向するから存分に使え」
ドロテアにそう言われるもミゼーヌは控えめに頷く。
残りの《当人以外》全員が、その男に視線を移した。
ミゼーヌよりも《古代遺跡》を知っている男・オーヴァート=フェールセン
信用されていないと一言で表せるも、それ以外の何かがありそうな最後の皇帝は全員の視線を浴びて嬉しそうに語る。
「俺は信用無いからさ」
嬉しそうに言う台詞なのだろうか? 誰もがそうは思ったが、沈黙を保ったまま各々、朝靄の晴れた荒野の地平線に視線を泳がす。
美しき朝日と、長い自分の影を踏みながら撤収作業を再開した彼等だったが、一人だけ人柱のように立ち尽くしていた男が拒否する。
「断る」
ヤロスラフ拒否にドロテアは足を止めて、距離を保ったまま顔を見つめた。
**********
魔王の居城は何処に
風よ鳥よ教えてくれ
**********
どこからか小鳥の鳴き声が聞こえてくる。それと同時にドロテアは、魔王を倒した翌日に “ばからしい” と言い捨てた詳細不詳の詩人の歌を思い出し、それは誰が作ったものなのかも解った。
― 風よ ―
魔王の城の場所を教える 《風》
《鳥》 は 《風》 を隠すための言葉。この場に存在する魔王が風の眷属であることを知り生き続けている男が歌った詩。
ここに風の勇者が住み、そして魔王にされたことを知ることが出来た存在。
「私はお前について行って……神を “観る” そして神にこの存在を “みつけてもらう”」
皇帝と敵対し続ける男がいる。
世界の人々が知らない国の王。フェールセン皇帝により全てを奪われた男・ジェダ。
一つの皇帝よりも長く生き続け、永遠に皇帝に復讐を誓った男。
「……」
オーヴァートの滅びない体を最後に見つけ出すのは、朽ちる事なき永遠の屍ジェダ。
ゴルドバラガナにより全てを破壊された男は、自らの身に施された “ゴルドバラガナ” をこの世界でもっとも死体を上手く操る。そのジェダがオーヴァートの屍を手に入れ、ゴルドバラガナを施したら世界は滅亡するとヤロスラフは考えている。
世界の滅亡はヤロスラフには関係はないが、世界をこのまま《人の自由にさせてやろう》とした皇帝の意志を家臣として汲む時、彼は皇帝の身を滅ぼさなくてはならない。
皇帝を滅ぼす意志を持っていても “反逆” ではなくなった選帝侯に、ドロテアは腕を組み力なく首を横に振り否定する。
「連れて行ってやってくれよ、ドロテア。ほら、ヤロスラフも昔の友達が全裸で囚われているのが心配なんだよ。ついでに昔の友達、同じ女が好きじゃないか。セツが全裸で好きな女に迫ると考えると、気が狂いそうになるに違いない!」
オーヴァートの言葉を聞いた瞬間、眉間に縦皺が寄ったドロテア。
“全裸のセツ最高枢機卿に迫られると言われているマリアさんの方が、よっぽど気が狂いそうな気がしますよ”
ヒルダは鍋を荷台に積み込みながら、そんな事を呟いた。
「お前にそう言われることが、一番気が狂いそうだオーヴァート」
好きに言ってくれよと肩を落とした後、感じた視線にヤロスラフは振り返る。そこには、嫌そうにヤロスラフとオーヴァートを見るマリアがいた。
“そんな事考えてない” といった風に必死に首を振り否定するヤロスラフと、
「セツは絶対全裸。間違いなく全裸。アソコもアソコも全部、絶対に丸見え! この大陸全土を賭けてもいいよ! マリア」
ロクなことを言わないオーヴァート。そのオーヴァートを後ろから殴りつけ、ヤロスラフをにらみ付けて、ドロテアは乖離している表情と声で許可した。
「良いだろう。神と対面させてやろうじゃねえか」
皮肉を含んだ声と、それを発しているとは思えない柔らかな表情を浮かべながら。
“全裸! 全裸!” と叫び続けるオーヴァートと、それに怒鳴りつけるヤロスラフを無視し、何時もの表情に戻ったドロテアは最大戦力となる男に注意事項を告げる。
「レイ」
「なんだ? ドロテア」
「良いか。オーヴァートの前には出るなよ」
「ん?」
「アイツは敵味方の判断が怪しいから、お前ごと敵を討ちかねえんだよ。いいか? 襲ってくる魔物なんざ大したことは無ぇ! 最大の敵はオーヴァートだ! 覚えておけよ!」
「あ……ああ」
「マズイと感じたら、周囲のことなんか気にしねえですぐに逃げろ! いいな!」
「……」
『そんなにマズイなら、ドロテアが連れて行ってくれないか……』レクトリトアードは一瞬そう思ったが、口にせずに頷いた。
レイにドロテアが注意事項を告げている時、エルストは、
「クラウスとアード」
「エルスト、何か用か?」
クラウスとアードに同じことを教えにきた。
「用がないと声をかけちゃダメか?」
「そんな事はないが」
【この若いの、喋り方が突っ慳貪過ぎるんだよなあ。そりが合わない……たしかに、このエルストって男も】
仲が良いのか悪いのか解らない男二人を眺めながら、エルストの背後に乗っている風の勇者に “ども” と挨拶をする。
「用事はあるんだよ」
「ならば最初から」
「クラウス、今回はエルセン王国を攻めてきた程度の敵なら相手にならない」
「……フェールセン皇帝が同行してくださるから?」
「そう。その代わり、今までで最も危険な状態になる」
「は?」
「敵なんて足元にも及ばない。真の敵、いや脅威はオーヴァートだよ。イシリアの虫もエルセンの竜騎士もあの人の敵じゃないけれど、あの人は皆の味方でもない。あの人はドロテアの味方しかしない人だから気をつけな」
ドロテアの味方しかしない
「……」
それはエド法国での “変異” でクラウスも解る。
エド法国での出来事、そしてセツの生まれ故郷での出来事、そして前述の二つとは全く違うが昨晩の出来事。
《皇帝はあの女を諦めてはいない》 その言葉を裏付けるような数々の出来事を前に、クラウスは尋ねたくなった。
「あの人、俺以上に適当だから。クラウスも覚えてるだろう? 前回ギュレネイス皇国に連絡入れてくれた時のこと。いつもなら適度にヤロスラフが推し留めるんだけど、今回は同行しないから、重ねて言うよ “気をつけてね”」
「エルスト。お前は、気にならないのか?」
エルストは “何が” とは聞き返さずに、
「全然。前にも言ったろ? そんなこと気にしてたら、ドロテアとは一緒にいられないって」
手をヒラヒラとさせて、エルストはクラウスの側から立ち去った。
クラウスは自分が納得する答えは決してエルストは言わないのだろうなと、その後ろ姿を見て感じた。
【ちょっと良いかな、あのクラウス君。いったい前回皇帝に何があったのか、聞いて良いかな?】
クレストラントに尋ねられ、ふとあの時の惨状とは言えないが自分の語彙では “惨状” としか表現できないあれを思い出し、額に手をあてて言葉少なに語った。
「海で大蛸とお戯れになりながら、戦っていらっしゃった」
皇帝の権威を損ねないように、傷つけないように最大限の努力を払ったが、クラウスの表情を見て幽霊二人は何となく理解できた。
【……蛸は海にしかいないもんな……】
理解できたので、それ以上のことを尋ねるのは止めた。