ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【11】
 ヤロスラフの作ったホレイルへ向けてのゲートへ、レイを先頭に一人一人足を踏み入れ進んでゆく。
 最後のグレイが入った後に、ゲートは閉じられる。その場に残っていたオーヴァートは、
「行ってくるな、ドロテア」
「ああ」
 ドロテアそう告げて消えた。
「ヤロスラフ、全員到着したか?」
 ゲートを作った男に問いただすと、紫の瞳の男はしっかりと頷く。
「オーヴァートを含めた全員、無事に襲われているホレイル王国首都に到着した」
 ドロテアはその言葉に自分では見る事の出来ないホレイルに視線を動かす。
「オーヴァートさんが向かった以上、負けることはないんですよね?」
 ゲートが閉じた場所を指さしながらヒルダが尋ねると、エルストは曖昧な表情を浮かべて “うん” と答えた。
「大急ぎだ! いくぞ! ヤロスラフ! 地の果てに」
「解った!」
 ドロテアの言葉にヤロスラフがゲートを開きはじめる。ドロテアはゲートが開ききるまでの、ほんの僅かな時間ももどかしいといった風に指を何度も組み替える。
「なんで姉さんあんなに焦ってるんですか?」
 焦燥を隠そうとしない姉の態度を不思議に思うも、それは簡単に説明できる。
「ヒルダは知らないでしょうけれど、オーヴァートって……滅茶苦茶な人なのよ」
「……」
「上手く表現できないけれど “ホレイル王国が襲われているなら、ホレイル王国を消したら敵は帰ると思ったから消しちゃった!” くらいは簡単にやりそうなの。上手く伝わったかしら?」
 マリアの説明はこの上無いほど正確にオーヴァートという人間を言い当てていた。
「凄い良く、伝わっちゃいました……」
 急いでゲートを抜け、地の果てへと到着するやいなやイリーナとザイツに “ここから動くなよ!” と言い残して、振り返りのせずにドロテアは途切れることなく大地が落下してゆく地の果てへと飛び込んだ。
「はや……」
「普通、躊躇ったりしないかなぁ」
 それをみていたザイツとイリーナは驚いたが、驚くだけ無駄であったことを知る。
「姉さん、待ってください!」
 若き司祭も全く躊躇わずに柵を乗り越えて、後ろ向きに落下してゆく。
「いくぞ、マリア」
 ヤロスラフはマリアを肩に乗せて、これも少しは逡巡して欲しいと思う二人の気持ちを無視して降りてゆき、最後に柵をよじ登りながらエルストが、
「じゃ、ちょっと待っててね」
 それだけ言って落ちていった。
 馬たちと共に残された二人は、うなるような轟音を上げる大地の流れを見ながら何を思えば良いのか解らない。
「えっとさ……イリーナ」
「なに? ザイツ……」
「ここが正しいていう証拠はないんだよな」
「無いってミゼーヌは言ってたね」

 そんな不確定な場所へ、普通あの勢いで突っ込んで行くのか? 度胸と無謀を兼ね備えた横暴が何一つ躊躇うことなく消えていったその地の果てで二人は顔を見合わせて頷き合うしかなかった。

 後ろ向きに落下しながら、上から落ちてくるマリアとヤロスラフを眺めているヒルダは “ふと” ある事が頭を過ぎった。マリアが先ほど言った「“ホレイル王国が襲われているなら、ホレイル王国を消したら敵は帰ると思ったから消しちゃった!” くらいは簡単にやりそうなの」それなら、オーヴァート=フェールセンをこちらに同行させたら良いのではないか?
 今ホレイルを襲っているのは、ヒルダも遭遇したエルセンを強襲した程度の魔物の軍勢。
 それならばレイ一人でも十分戦える。あの時、援軍として訪れた法王や最高枢機卿には劣るがクラウスや、それに取り憑く形になっているアードもいるのだから、そんな危険なオーヴァートを送り込む必要はない。
「姉さん! なんで! オーヴァートさんをこっちに連れてこなかったんですかぁ!」
 落下する風を切る音に負けないようにヒルダが大声で叫ぶと、
「邪魔だからに決まってるだろうが! それ以外理由なんざねえ!」
 姉は当たり前のことを聞くな! と大声で叫び返した。

**********


 先頭でゲートを通過したレイの目の前に広がっていたのは、エルセン王国で見たものと変わらない光景。

 ただ一つ違うことは、
「はーはははは!」
 敵なのか味方なのか判別 ”できない” 人物が同行していることだ。
「……?」
 レイは感じた事のない 《力》 を感じて、オーヴァートの方に視線を移したが、それを確認することはできなかった。
 《何か》 が 《何のモーション》 もなく世界を沈黙させる。
 レイがその力の方向、目で追った時に 《力》 は既に破壊を完了させていた。
「これが、オーヴァート=フェールセン!」
【城が……】
 到着した時には存在していた城が、音もなく消え去っていた。
 もう一人 《力》 に気付くことの出来たアードも、目の前で起こった出来事に、それ以上の言葉を続けることはでになかった。
「ナブグレム城が……」
 何が起こったのか解らない、逃げ惑っていた人々の足は止まり、襲ってきた魔物達の動きすら止まる。
 誰もが ”時間が停止しているかのような” 感覚に陥りながら、城を消し去ったオーヴァートにやっとの思い出視線を移すと、一人の少年から青年になりなりかかっている、大人しそうな学者が ”それ” に飛び付いて叫ぶ。 
「オーヴァート様! 敵はあっちです! 消したのはお城です! ナブグレム城です!」
「解ってるぞ、ミゼーヌ!」

― 解っていて……やったのか……

 オーヴァートの言葉に、周囲の雑音は復活し、人々は逃げ魔物は再び攻撃を開始する。
「解っているのは知っていますが、指摘せずにはいられないんです」
 この状況を打開するべく送り込まれた者達は、何をするでもなく城を消したオーヴァートと、必死に止めようとして失敗しているミゼーヌを眺めるだけ。
「ご乱心なのか?」
 オーヴァートの事を最も知らないクラウスが言うと、
「いつものご乱心です」
 最もよく知っているミゼーヌは首を振って否定する。
「じゃあ、普通ということか?」
 複雑な面持ちになったレイは、言葉から推察された事実を言葉に出して語ってみるが、
【ご乱心は普通のうちには入らないだろ……】
 何かおかしかった。
 そんな周囲の混乱や悲鳴を全く無視して、
「次はアレを破壊しようか」
 オーヴァートは笑いながら、ホレイル王国の生命線である堤防を指さす。
 海抜の低いホレイル王国にとって堤防は城以上に大切なもの。
「本気……なのか?」
「私は何時でも本気だよ! レイ」
「レクトリトアードさん以外はオーヴァート様を! オーヴァート様を!」
 ミゼーヌの声に、全員が顔を見合わせそして一斉にオーヴァートに飛びつく。
 王城を消し去った力の持ち主に、天才少年や、若き国や、名家の御曹司、無名の画家に幽霊を背負った警備隊長が飛び付いたところでどうにもならないのだが、とにかく出来ることをしなくてはと、敵を倒しに来たはずの九割が団子状になって、敵に背を向けて、無意味な叫び声を上げる。
 オーヴァートが寄越した剣とドロテアから貰った剣を握って、その騒ぎを黙ってみている……正確に表現するなら、呆気に取られて出遅れてしまったレイに、
「元親衛隊長! 敵を倒してくれ!」
 この中では最も戦闘指揮に適しているクラウスが叫ぶ。
「了解した、警備隊長殿!」
 指示とは言い難いが、指示を受けたオーヴァートは両手に長剣を持ち、飛び上がる。長い剣と長い髪が青空を背に敵を貫いた。

「オーヴァート様! ドロテア様に叱られますからお止めくださいって!」
「だってもう城壊しちゃったから、絶対叱られるの決定! だから気にしないで次々壊そうじゃないか、ミゼーヌ」

 危険過ぎる養父と養子の語りに、それを取り押さえている者達と、宙に舞い剣を振り敵を屠るために作り出された一族最高の戦闘能力を持つ男の心は一つだった。


 “頼むドロテア! 早く戻ってきて!”


 確証もなく飛び込んだ地の果ての底で、無事に海の果てと全く同じ建物の中で、オーヴァートの言うとおりに全裸だったセツを回収することが出来た。
「手前らでどうにかしろよ」
 先日煙草を全て落としてしまって以来、口元に何もくわえることないドロテアは、あらぬ方向を見ながら、何となく答えていた。
「姉さん、どうしたんですか?」
 聞こえずとも聞こえる。見えずとも見えているような気持ちになったのだ。
 間違いなくオーヴァートは、敵も味方もお構いなしに壊しているだろうと。下に向かって落下してゆく土を逆流させて、ドロテアとヤロスラフ、そしてセツが現れ、目の前の音と異常な光景に、馬が暴れ出しイリーナとザイツが必死に手綱を引いてなだめる。
「それじゃあホレイルに行くぞ! いいな? ヤロスラフ!」
 その二人の前に真っ先に着地したドロテアは、すぐに振り返り声をかける。
 ドロテアに言われたヤロスラフは、心底行きたくなさそうに中腰で膝に手をつき頭を下げて何度目かの溜息をつく。
 苦悩に満ちあふれた溜息と、逆流をやめ再び下に向かって落ちてゆく土。その正しい動きに戻った地の果てに向かって何故かピースサインをしている司祭と、選帝侯と同じ格好をしている、イリーナやザイツが見たこともない人物。
「では行くか、ヤロスラフ」
「解ったよ、セツ」


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