ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【5】
「王国を継がなかったもの、それが勇者達だ。嘗て勇者と呼ばれた三人、そして “魔王”」
 突然現れた “魔王” という言葉に、今まで我慢して口を開かなかったマリアが耐え切れずに叫び声をあげる。
「そうよ! ドロテア! じゃあ! あの人が?」
「そうだ、アイツだ」
 ドロテアの言葉に、マリアは真白な舗装の上に崩れ落ちた。
 その驚きように、エギとトハに戻るように命じた法王が尋ねる。
「あの人とは?」
「俺はな、エルセン公認の魔王を倒した一年以上前に」
 よく言えば “ドロテアらしく“ あまりにもあっさりと語られた事実に、法王も声を失う。
「でっ! ですが……あの」
「勝ち鬨を上げる気なんてなかったから放置しておいたんだよ。魔物の元が魔王ならば、そのうちいなくなるだろうと……だがいなくならねえな。それはさておき、マリアが驚いたのは魔王が名乗った名だ。此処に居るのはエピランダとキルクレイムと、今行方不明のヒストクレウス。手前等は魔王の名前は知らないようだが、魔王にも名前はあった。間抜けにも自己紹介してくれたさ。さあ、何でマリアは驚いたのかな? 解るか、アレクサンドロス」
 ドロテアは目を閉じて、少しの猶予を与える。
「まさ……か」
 法王の言葉に目を閉じ腕を組んだままで、ゆっくりと答えた。
「魔王クレストラント。奴は確りと名乗ってくれた」

**********

「お初にお目にかかるな、魔王何とかさんよ!」
 この女性、心臓が強いのか神経が太いのかそれとも両方なのか?
「キサマか! 魔王クレストラントを倒そうとする愚か者よ!」
 魔王の口からは威圧的な声が響き渡る。広い室内は闇に閉ざされ圧倒的な戦力の差を思い知らされる……筈だった、多分ね。
 魔王が語っている所でドロテアは魔法を唱え始める。何かを呟いた瞬間にドロテアの身体はオレンジ色の炎に包まれた。ソレを見て魔王が突如声を上げる、その声は確かに"怯えていた"
「なっ! キサマまさかシャフィニイを使えるのか! あの伝説の!」
 魔王に伝説呼ばわれされる魔法とは?
「知ってるなら早い! テメエの命もココまでだ!!」
 そう言っている傍からあたりに炎が落ち、凄まじい勢いであたりを焼き尽くす。魔王と同じ高さまで上昇の呪文を唱えて上がる。一応床の上にいる三人の仲間を気遣っているらしい、多分。
「チョット待て! は……話を……そ、そうだどうだ、私もオマエの属神になろう? 悪い話でもないだろう?」
 魔王は逃げ腰になりドロテアに懇願する。その言葉を聞いて一言、
「コレに耐えられたらな! 行け! シャフィニイ!」

**********

 台の上から差し伸べられるように、だが全ての者を拒絶しているかのようにしか見えない左腕。
 その四本の指を持つ手の中に世界が握られているかのような錯覚を覚えた。
【クレストラントが……そうか……そうだったのか。奴等……】
「出来上がってたんだよ、アード」
 優しく声をかけるエルストと、
「俺が殺したけどな」
 冷たく言い切るドロテア。
【それは仕方ないと……仕方ないんじゃないかと俺は思う。治しようがないしさ】
「出来上がるとは?」
 法王の質問の声をドロテアは制して、
「その前に、オーヴァート」
「何でも聞いてくれないか。俺の心は今、暑苦しく燃えている」
「燃えるなら、とっとと消し炭になりやがれ」
 この場の驚きなど全く意に介さずに、いつも通りの会話を続ける二人。
「相変わらずつれないなあ」
「うるせえと何度いえば解るんだよ。そこに居る、禿げのように口封じの魔法がかかればいいんだが、お前にはかからねえしな」

 全く気付かれていなかったがヘイド、此処まで強制連行されていた。

 グレイは「ひー可哀想な爺さん。俺爺さん子だから、助けてやりたい気もすんだけど、何せなあ……」と実は自分の親の方に年齢が近いヘイドを、完全に老人と勘違いして哀れんでいた。哀れんではいたが、動かなかった。オーヴァートの屋敷でグレイも “何か” を学び取ったのだろう。
「オーヴァート、クレストラントが地図上から消えたのは何時だ?」
「地図から消えたのは七十八年前」
「この幽霊、便宜上アードとよんでいるコイツが語った所によると、レクトリトアードというのは擬似精霊神なんだそうだ。相当量の神の力をその身に溜め込んで、強くなる事ができる。だが、色々な弊害もあるらしい、限界量を超えてまで注ぎ込まれると当然素になっているヤツの精神も壊れる。敵はそれを利用した、五百年前奴等の野望を阻止した子孫、殺しても蘇って来るこいつ等の血統。勇者は死ねば次の勇者が別の村で生まれる……ならば殺さずに支配下にしてしまえばよい。レクトリトアードを捕まえて、聖地神が居る場所へ連れて行き幽閉してしまえばレクトリトアードに打つ手はない。だから連れて行った聖地のレクトリトアード、アレクサンドロス=エドの直系の子孫、最高枢機卿セツを!」

 それはセツ本人が《捕まった》理由だが、セツは本気であれば、捕まることはなかった。彼が敵に捕まったのは別の理由がある。

「ならば……セツは……」
 それは法王の存在。
 声を失いつつある法王から一人の男に視線を移す。
 長い黒髪、褐色の肌、鈍色の虹彩を持たない瞳、そして紫の唇。世界を見捨てた一族の最後の一人に、ドロテアは挑む。
「五百年前の敵に捕まって幽閉された。あの場所であればお前でも探る事はできない、アレクス。この地上に存在する全てであり、全く異質なる初代皇帝の造った遺跡。それはオーヴァート=フェールセンですら足を運んだことはない場所」
 ドロテアはそう言ってオーヴァートを睨んだ。
 その視線を受けて《皇帝》は無表情のまま唇を小刻みに震わせる。隣に居たヤロスラフは立ち上がり、ドロテアを指差した。

「手前等の知らない世界に俺が一足先に到達した。もっとも……その元を作ったのは、手前等二人だがなあ」

 かつて《皇帝》としてドロテアをハミルカルの元へと連れて行ったオーヴァート。
 その欲しくもない “つて” により、ドロテアは海の底にあるオーヴァートすら知らない場所を知った。
「ドロテア」
 オーヴァートの出した、先ほどとは全く違う声に周囲が静まり返る。
 ドロテアの声は拡声機能のある場所によって響き渡っているが、オーヴァートの声はそれを使わないでも周囲に聞こえる。それは音というよりも、脳に直接響いてくる《指令》のような声。
 泣いていたシスター・マレーヌも、手を握っていたクナも、霊体のアードも「もう一人の勇者」であるレイも、その声の主が誰なのか理解できなかった。
 そこに存在するのが「ついさっきまで居たオーヴァート=フェールセン」ではないことを瞬時に理解できたのは、かつてのオーヴァートを知るヤロスラフとそして養子のミゼーヌだけ。
 表面上の昔のオーヴァートを知っているミロやバダッシュですら、それは見たことのないオーヴァートであった。
「《皇帝》黙って聞けよ。俺は手前の意見なんざ必要としてねえし、手前自体、必要じゃねえんだ。黙れ《皇帝》」



神を捨てた一族を再び神に従わせる為に


「変わらんな、娘」

女は自らが神となる決意をした

「手前もな《皇帝》」


これはいわば決意の表明であり、この世界を作り捨てた彼等に対する反逆




 最後の皇帝と最後の大寵妃のにらみ合いは、ほんの二分程度であったが、その場に居た者にとって、声を聞いたエド法国の首都に居たもの全てにとって、まるで一年以上の月日が流れたのではないかと思う程であった。
 オーヴァートは目を閉じて俯くと同時に、法王は口を開いた。
「助からないのですか……」
 その悲しげな声に、
「はっきり言って、助かる」
 “何言ってんだバカ” という気配を隠しもせずにドロテアは声をかける。
 見事なまでにバカにした声に、今まで《皇帝》とドロテアの会話に飲み込まれていた者達が一斉に現実に戻ってきた。
「本当ですか?」
「お前確り聞いてたか? アレクス」
「聞いていたつもりですが」
「魔王がこの世に現れたのは何年前だ?」
「三十六年前でしたか?」
「その通り。クレストラントが地図上から消失したのは七十八年前。そして魔王が現れたのは三十六年前、クレストラントのレクトリトアードが魔王になるまで必要とした時間は逆算すると四十二年。セツが連れ去られたのは何時だよ?」
「……一ヶ月も経っておりませんね」
「そんなに簡単に作れるもんじゃねえんだよ。それに作り方自体は、それを見てきた俺が言うから間違いないが、精神力でどうにでもなる抵抗すりゃあ抵抗できる。俺は魔王になったクレストラントとセツの両方に直接会ってるから言えるんだが、精神力ならセツの方がはるかに上だ。恐らくあいつを配下にしようと思ったら、百年はゆうにかかるだろう。意味解るな?」
「捕まえて一ヶ月やそこらじゃ、どうにも出来ないって訳ですね」
 姉の言葉にヒルダは答えながら、手から落していた聖典を拾い上げて埃を払う。
「そういう事だ。セツの野郎が居眠りしてやがる場所も大体解かる」
「何処?」
 マリアもゆっくりと立ち上がり、ドロテアに尋ねる。
「センド・バシリアの地の果てだ。魔法も使えない、あの地の底に居るとみて間違いない。海の果てと同じだからな。さて、これで終わりだ。そしてアレクス」
「はい」
「俺がセツを助けてきて良いんだな? エド正教ザンジバル派最高枢機卿・セツ。レクトリトアードの名を持つ男を」
「お願いいたします。セツを連れ戻してください……私のために」


立ち上がり四歩前に出て、ゆっくりと膝をついて頭をも床にこすり付けた。


「解った。じゃあ行くか、オーヴァート」
 ドロテアの声にゆっくりと頭を上げたオーヴァートに、一瞬にしてこの場を凍らせた雰囲気は何処にもなかった。
「おう。楽しみだなあ。なあ、ヤロスラフ! ミゼーヌにグレイ」
 それが余計に彼等に恐怖を与えたが、本人はまったく気にしている素振りはない。勿論オーヴァートは “それに関して” 知っている、だがオーヴァートにとって周囲の感じている恐怖などどうでもいい。
 元々オーヴァートは世界に対し何の執着もなかった。
 魔王が現れたと聞いた時も、トルトリアが滅んだ時も、知っていたが何もしなかった。
 彼にとって人々に降りかかる滅びも脅威も関係ない。
「やれやれ、じゃあ用意に取り掛かるか。ミゼーヌ、付いて来てくれ」
 彼の世界は彼の中で終わっている。彼は完璧であるから外に向かうことはない、いや……向かうことはなかった。
「はい、ヤロスラフ様」
 二人は立ち上がり、ヤロスラフは「かつての知り合いである」トハの方へと近寄り必要なものを用意して欲しいと依頼する。
「それは喜んで……あの、ヤロスラフ卿」
「どうした?」
「あの、あの……」
 トハの言いたい言葉はヤロスラフも理解していた。
「最後の大寵妃。お前達がその言葉を聞いて、どのように勘違いしていたのかは知らないが、ドロテアと皇帝は何時もあの状態だった。あの女が媚を作って微笑んで、皇帝にしな垂れ掛かり鼻にかかったような嬌声を上げていたとは思わないだろう。違う、あの女はあの態度で皇帝破壊した。あの完璧だった皇帝を破壊して、ただの一人の男を作り上げた」
 台の上からオーヴァートを睨みつけるドロテアと、恍惚とした表情でドロテアを見上げるオーヴァート。
「ドロテア、あんまり睨みあってると他の人が動けないよ」
 全く気にしない夫が、いつも通りに声をかける。
 ドロテアはオーヴァートから視線を外してクナに近寄り、
「マリア連れて行っても良いか?」
 声をかけた。
「ああ、勿論じゃ。そうそう、シスター・マレーヌの警備対象にした方が良いかえ?」
 ドロテアは無言で頷く。
 クナは上から下までドロテアを何度も見て、
「寵妃というのも大変なものなのじゃな」
 感心したように声をかけるが、言われた方は笑顔で返す。
「そうでもネエぜ。俺はオーヴァートの機嫌を損ねに損ねて大寵妃になっただけだ。誰でも出来んじゃねえの、機嫌損ねることくらいはよぉ。その後、殺されるか殺されないかは、顔次第かもしれねえが」
 敵わぬな……と言った風にクナは頭を振った。
Copyright © Iori Rikudou All rights reserved.