ビルトニアの女
神の国に住まう救世主は沈黙の果てに飛び立つ【6】
 混乱に包まれた人々に背を向けて、ドロテアたちは出発の準備に取り掛かった。
 ドロテアはいつも通りの三人と、学者の仕事をしていた頃の三人に、グレイ一人が増えるだけの気心が知れた奴等だけでの楽しくも無いセツの救出旅に向かうつもりだったのだが、そうはいかなかった。
 まずクナがイリーナを連れて現れた。
「イリーナを連れて行けと?」
「そうじゃ」
「俺達は遊びに行くわけじゃねえんだぜ。もちろん、一生懸命セツを助けるつもりもねえが」
「必死でないのならば良いではないか」
「良くネエからここで難色示してんだろうが」
 構えてはいないが、この大陸にあってこの大陸には存在しない《ところ》へと向かうのだ。それも勇者を捕らえた相手が存在しているかもしれない場所に。身を守る術を持たない人間をおいそれと連れて行けるものではない。
 イリーナは通常の旅は慣れていても、身を守る術もなければ遺跡に詳しくも無い。同じように身を守る術をほとんど持たないミゼーヌだが、この先向かう《未確認の遺跡》であって、確認されている遺跡と照らし合わせて身を守るように装置を動かすことが可能。
 本当はドロテアとしては、ミゼーヌを連れいきたくはないのだが、遺跡のわからない箇所を尋ねる相手がどうしても欲しかった。
 オーヴァートは付いて来ても無駄というか答えてくれないことを知っているから。
「妾も本当は一緒に行きたいのじゃが」
 クナの本音は着いて行きたいのだが、この法国の現状と己の能力の限界を知っているので、
「邪魔だ」
 ドロテアの言葉にあっさりと頷く。
「であろう。おぬしの邪魔になることくらいは理解しておる。でもどうしても見てみたいのじゃ、お主達が見る世界を」
「代わりにイリーナに見て来てもらうって訳だな」
「そうじゃ。イリーナは気が利くし、ほれ双子のザイツもおるから」
 だが引かない。自分ではない者の言葉であっても、どうしても見てみたいと言い寄ってくる。
「……」
「姉さん、凄い嫌そう」
「本当に嫌そうね」
 “お姫様なんてもんは、城で大人しくしてるのが仕事だろう?” と言おうとしたとき、ある物体を思い出した。
「クナ」
「何じゃ」
「代わりにコレを置いていくぞ」
 言いながらドロテアは口封じの魔法をかけて、縄でグルグル巻きにしているヘイドを転がした。エルストはヘイドを持って歩いていた。置きっ放しにしておくわけにもいかないのに、誰も移動させようとしないので仕方なくおざなりに引張って連れていた。
 エルストに引かれるくらいなら、逃げることも可能だが何となく逃げそびれてしまったらしい。
「何じゃ、こりゃ」
 クナは転がされた物体に心の底から不思議そうな声を上げて指をさす。
「聞いて驚くな」
「おお」
「カルマンタンの最後の弟子だ」
 カルマンタンと聞き、クナはしばし動きが止まった。
 ヒルダより、そしてセツより遥かに真面目な聖職者であるクナ。そして王女でもある彼女にとって、その名前は自分どちらの人生を持ってしても深く関わっている。
「……あのシュキロスの従弟だったエルセン王族カルマンタンの弟子となっ!」
 驚きに震える声で目の前に転がるスマキハゲの頭頂部にカルマンタンがエド法国に居た頃の半生の思い出し、焚書坑儒以降、行方不明となった彼が辿った足跡をスマキハゲの後頭部に思いを馳せる。
 クナ、どうしてもヘイドの頭から目が離せない。
「でも全然ダメなんですよ」
 純粋に驚いているクナに声をかけるヒルダ。
「本当にダメな人よね」
 同調するマリア。
「俺に言われたくないだろうけれども、ダメな人だなあ」
 そして止めのエルスト。

「……要するに役に立たぬ男という訳かえ?」

 普段の口調に戻ったクナの声を聞きながら、ドロテアはヘイドの口封じの術を解く。
「早い話がな」
「遅い話であっても、役に立たぬのであろう?」
 “クナ枢機卿、その言葉はどうかと思いますよ” と一応ヘイドを繋いでいる縄の端を持っているエルストは思ったが……
「それはもう、聖典に誓って役に立ちません」
 爽やかに聖典の表紙に手を添えて宣言するヒルダ。その自らの言葉に自信を持っていることがはっきりと伺える、だたでさえ美しい顔立ちが湛える迫力。
「生かしておくべきなのかえ?」
「もしかしたら、何かありそうなんだよ。コイツは “コレ” だけどよ、最後の弟子で両親は割合とデキが良かったと」
「幽霊のアードさんが言ってます」
【二人は賢いいい子だったんだよ。可愛かったし……幼い頃から知っている分、余計に……余計に……】
 打ちひしがれている、年齢で言えば自分の大伯父にも匹敵する若い勇者の幽霊の透ける背を眺めながらクナは頷く。
「成程ぉ……まあカルマンタンに連なるものなら、妾としても預かるのはやぶさかではない。それでイリーナを連れて行ってくれるのであらば。そこの、弟子よ」
「枢機卿閣下! ヘイドと言います」
「ではヘイド。カルマンタンの弟子であったのだからザンジバル派であろう。妾の下男として働いてもらうが良いかえ?」
「はい! この顔は良いけど性格が怖い! 怖すぎる女から逃れられるなら! 喜んでぇぇ!」
「逃れる前に死にてえか」
「うぉぉあああ! やめてくれぇぇぇ!」


 こうしてヘイドはクナの下僕……ではなく下男となり、ヘイドが思っていた以上に活動的だったクナに終生仕えて、無難に人生を終えた。


 ドロテアがクナにヘイド引渡しに際しての『過去の罪状』などを語っている脇で、ヒルダが巻き添えを食った青年に声を掛ける。
「ザイツさんは、一緒に来る意志があるんですか? 無理強いはしませんし、嫌なら言ってください」
 既にイリーナは自分の分も用意し始めていることを知っているザイツは、断ることも出来ない。
「勿論です」
 何とかなるだろう! と出来るだけ前向きに考えていた彼に、司祭は最後の警告を出す。
「姉さんと一緒ですけれど、良いのですか? 良いのですね? 私は知りませんよ! でも良いのですね?」
『ヒルダ、止め刺し過ぎよ』
 ほとんど同じ顔でそのように言われてしまい怯んだが、
「……あ、はい。が、頑張ります」
 なんとか踏みとどまり、イリーナの手伝い向かった。
 その後姿はどこか “はぁ” と言った遣る瀬無さを纏っている。
「嫌なら無理しなくてもいいのに」

 彼の遣る瀬無さの最大の理由は、ヒルダの追加攻撃に他ならないが。

 そんなザイツとヒルダのやり取りを横目で見ながら、マリアは見送りを受けていた。
「マリア」
「イザボー」
 気の強い没落貴族の娘はとマリアは仲良くなりはじめていた。イザボーの気の強さに少々閉口する人も居るが、マリアにしてみるとイザボーの気の強さ程度で閉口する人の方が不思議でたまらない。
 何せ親友はドロテア。それに仕えた屋敷の主は、あの気の強さと傍若無人さくらいを持ち合わせていても、口を閉じることはなかったオーヴァート。
 最高ランクの破綻を見たことのあるマリアにとって、イザボーは “言いがかり付けられて可哀想かもしれない” とすら思えた。
「私とアニスが確りと法王猊下をお守りするから、セツ最高枢機卿のことよろしくお願いね。その……嫌いかもしれないけど、助けてね。男としては嫌いでも良いけど、最高枢機卿閣下だから」
「一応私事は挟まないつもりだから大丈夫よ。ドロテアの機嫌を損ねたら、そのままかも知れないけれど」
 “そこをどうにかしてもらいたくて、貴女に同行してもらうのです”
 聖騎士団長はそう思ったが口にすることなく、未だ気だるげにヘイドを繋いだ縄を持っている男に視線を移す。
「それが一番困るわね。でもセツ最高枢機卿はあの勇者や幽霊みたいな顔立ちなんでしょう? 悪くはないんじゃないの」
「私はセツ最高枢機卿の顔は見たことないけれど、レイの顔は嫌いなの」
「じゃあ最高枢機卿は完全に好みじゃないんだ」
「そうでしょうねえ。私、男の人嫌いだし」
 ここまで徹底した男嫌いの女性が唯一同行しても良いと言う男の存在。聖騎士団団長は、その男を見つめて……
 “やる気なさそうなところが、安心感をあたえるのだろうか? あのやる気のない喋り方をセツ最高枢機卿がマスターしてくださ……くださらなくても良いな”
 口には出さなかったが、だらけきった男を見て諦めた。
 セツという男がマリアから見て近付いても良いと言える男になってしまうと、法国としては由々しき問題が発生してしまう。
「ドロテア」
「なんだ? マリア」
 そんな聖騎士団団長のことなどお構いなしに会話は続く。
「セツ最高枢機卿の顔ってレイに似てるの?」
「全然違う」
「違うんだ。あの二人は似てるのに」
「セツの野郎と比べると、アードは柔和だし、レイはまだ幼いくらいだ。顔つきならヤロスラフの方が近い。苦労の度合いと種類の違いだろうな、人生のほとんどを支配者に弄ばれる、それを苦悩に置き換えてもなんら違いない人生を歩むと、あんな顔になるんじゃねえの」
 煙草をくわえて、眉間に縦皺を寄せて訳のわからない言葉で、だが力強く言い切る。
 法王猊下はあの皇帝とは違う……それを聞いてしまった多くのものは思ったが口にはしなかった。それはドロテアが怖いことを知っている事と、
「ひっどいなぁ〜ドロテア」
 先ほど『変質』を目の当たりにして、人々に拭い去れない恐怖を植え付けたオーヴァートが側に居るからだ。
 元々オーヴァートは世界において畏怖される存在であった。
 全く人々の生活に関わってくることはないが、人々の中には皇帝に対する畏怖が確かに存在していた。
 世界の統治権を放棄した皇帝が、これほど世界に関わってくるのはオーヴァートが初めてであり、最後。
 嘗て “ドロテアに大怪我をさせた一族の殺害” を命じた時も、命じられただけであって人々はその姿を間近でみたわけではない。だから人々は、漠然とオーヴァートを恐れたが、それは違う世界の恐怖だった。
 それが今、エド法国において彼等の目の前で起こった。

 オーヴァート=フェールセンはいとも容易く変質する

 人々には理由は解らないが彼が変質すること、その切欠はいつもドロテアであることは理解できた。したくなくとも、理解させられ、見たくなくとも見せられたといった方が正しいのかもしれない。
 そんな人々の思いを他所に、
「天幕は何色が良いと思う? 赤かな青かな、それとも俺が絵を描けばいいかな?」
「天幕に絵を描いてどうする気だ? オーヴァート」
「いいじゃないか、何て言うのかなあ、グレイのスケッチを見てプライドが刺激されたっていうか、俺芸術家だし」
「黙れ! 天幕に絵など描く必要はない。どうせ! どうせ! どうせ! あああああ! お前のことだ! どうせ」
「落ち着いてください、ヤロスラフ様」
 その空間は、いつも通りのままだった。

『皇統に仕えると、似たような苦労が顔に刻まれるのかなあ。将来ミゼーヌも似たような顔になっちゃうのかねえ』

 オーヴァートとヤロスラフの何時もの攻防を眺めながら、一人そわそわしている男に声を掛けた。
「クラウスも一緒に行きたいのか?」
 ずっとエルストの隣にいて “話しかけろ” なるオーラを出していたクラウス。
「ああ」
 解ってはいたのだが、話しかけると絶対に “ついて行く” 流れになりそうなので、エルストは無視していた。
 勝手に同行者を増やしてしまうとドロテアに叱られることは解っているので。
 その状況をはっきりと理解できるのに、敢えて叱られているのだからエルストはドロテアに叱られるのが好きなのだ。命をかけて叱られている男エルストは、もって歩いていたヘイドをクナに引き渡す時にドロテアが “いけ!” といったように指を動かしお許しも出たので、声を掛けることにした。
 聖騎士団長が《やる気ない》と言ったその口調で、心の底から “ついて来なくていいよー ドロテアがついて来て良いって言うのは、相当マズイよ” と思いながらの言葉は後ろ向きで一杯だった。
「仕事に差し支えるんじゃないのか?」
「まあ……」
 でも私は行きたいのだ! と赤い瞳がエルストを睨むように懇願している。
 “素直じゃないのは昔からだったような。性格捻じ曲げたのは俺のせいかもしれないような” 初めて会ったころからこんな性格だったかもしれないと思い出しながら、
「一緒に行くなら、ドロテアに頼み込むしかないよ。頼み込むなら一緒に頭下げるけど」
 一応水を向けた。
「男がそう簡単に頭を下げるな! いい! 私一人で頭を下げる!」
 そう言って怒りながらドロテアのほうへと歩いてゆくエド法国では目立つ、エルストには見慣れたギュレネイスの黒い警備隊の制服をクラウスの背中を見送りながら “じゃあ最初から自分で言いに行くと良いと思うんだよなあクラウス……” と思わなくもなかったが、いつも通り黙っていた。
 だが一言言いたかったのは、

「俺は何時も頭下げてるんだけどね」

 それだけである。
 そんな土下座慣れて亭主と互角を張るほどに土下座慣れしている国王は、
「なんでミロまでついて来る事になってんだ」
 いつの間にか、同行することを勝手に決めていた。
 それに関しては、クラウスよりも上らしい。一般的には身分も上であるが。
「国の決定というもんだよ」
 クラウスと同い年の国王は『国策、国策』と伝家の宝刀を抜いて、ドロテアに追いすがる。
「帰れ」
 昔追い縋りそびれたのを、今になって縋っているようだが、縋られるほうにはそんな事を考慮してやる必要もない。
「国王も偶には休暇取るもんだし」
「今まで取ってたか?」
「休暇やら避暑やらしてると、無駄に女が送り込まれてくるから城から出なかった」
「帰れ」
 ドロテアはそう言うも、十九歳で突然国王になることを求められ『国王の座に就く』と自らの意思で決断し、不特定の女とは関係はあっただろうが十一年間独身を貫いたこの男が、言った所で引き下がる相手ではないことを良く知っている。
 一日に二十回振られても『付き合ってくれ』と言い続けた男のしつこさをドロテアは身を持って良く知っている。

『昔より、諦め悪くなったな……国王としちゃあそれでいいのかも知れねえけどよ』

 私財で優雅とは程遠い休暇旅行を行うことを勝手に決めた国王のほかにもう一人、
「俺もついていくな」
「何しに来るんだよ、バダッシュ」
 国王と並ぶほどに裕福な男も、勝手に同行の用意を “終えていた”
 ドロテア達よりも前にエド法国に到着し、捜査していた男は旅についていこうとさっさと用意を整えていたのだ。
「道楽貴族の五男坊の旅らしくないか?」
「“らしい” っちゃあ “らしい” が。無駄で不必要なヤツばっかり着いて来やがるな!」
 ドロテアは不機嫌極まりなく言い放った。
 
 そんな各自の勝手な理由で、ドロテアとエルストとマリアとヒルダ
 オーヴァートとヤロスラフとミゼーヌとグレイ
 クナの強い要望で、イリーナとザイツがドロテア達の馬車を担当
 人生を何時も悩んでいるクラウス
 好きな女は追いかけずには居られないミロ、またの名をフレデリック三世
 自称・道楽貴族の五男バダッシュ

 そして勇者であるレクトリトアード(火)とレクトリトアード(水)

【この人達は一体何をしにいくか解っているのかなあ……】
 アードの呟きは当然のように、誰の耳にも入ることはなかった。仕方ないと言えば仕方ないだろう。


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