ビルトニアの女
運命の女神【8】

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麗しい姫君の危機に
騎士が立ち上がり 見事に姫君を救い出し
騎士は姫君を残して
その国を去っていった 
姫君は永遠にその騎士を想い続けて
他国の王の妻となりました

 最後にゆっくりと歩きながら、エルストが歌を口ずさんだ
「懐かしいな」
 妹が歌っていた記憶がある。少女が騎士に憧れる時代が必ずある。だから女は良く覚えている、そして必ず歌う。
「セツ枢機卿もギュレネイス出身ですか?」
「ああ……もう帰る事も無いだろうが」
 ゲートの向こう側で大きな歓声が上がっている。そして一際高い場所に見える法王。
『妹がいたから此処に残ったんだろうな、俺は。そしていつしか……』

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 ヒルダと同じく “それだけ” を聞いていたエルストには、重要なことなのだとは思えなかった。
「何時聞いたんだよ、そんなの」
 両方を知らなかったドロテアは言うまでもない。
「ドロテアがマリアを背負って歩いて行った後、男二人侘しく会話してた時」
 ドロテアに凄まれながら『あ、うん』と半端に良い記憶力に呼び出しをかけつつ、
「ギュレネイスで良いんだな?」
「うん、ギュレネイス。何処かとまでは聞かなかった。言いたくなさそうだったから。どうした、ドロテア?」
 答えた。
 その答えた男の顔を見上げながら、ドロテアの中で「ほぼ全ての事柄」が繋がった。

 エルストとセツとレクトリトアード

 エド法国に足を踏み入れた時、ドロテアはオーヴァートの従弟にあたるアレクサンドロス四世に意識が傾いていたので、セツのことに関してはほとんど無関心だった。
『意識が向いていたとしても、この状況にならなけりゃ気付かなかっただろうがな!』
 目を閉じて握りこぶしに力を込めて、顔の側まで持ち上げる。
 その姿を見て、
「レイ! ドロテアの前の大皿を移動させてくれるか」
 ドロテアを良く知る男達が、着実に作業を開始しはじめた。
「ああ」
 ドロテアの前にあった大皿を別のテーブルに大急ぎで移動させるレクトリトアード。
「おい、全員退避しろ」
「フレデリック様?」
 部下や市民にテーブルの周囲から遠ざかるように指示を出す国王。
「あの顔は次に来る」
 そして石畳の上に膝を折るエルスト、レクトリトアード、そしてフレデリック三世ことミロ。
 三人とも頭を下げる準備をしつつ、それが来るのを待った。
「畜生!」
 目を開いたドロテアが、左手の拳でテーブルを叩きつけながら叫ぶ。木製のテーブルが落雷を受けたかのように裂ける。その音にかぶさる様に、
「ごめんなさい!」
「すまない!」
「許して、ドロテア!」
 男三人土下座して謝っていた。理由はなくとも、ドロテアが怒った場合は即謝るのが条件反射。いや、この世を生きていく術。
「三人とも土下座しなれてますね。金返せません! もう少し猶予を! って言う人達よりも、凄い土下座です」
 そう言いながら金貸しの娘で司祭は、国王と勇者と姉のヒモの土下座を優しい眼差しで見下ろしていた。
 割れたテーブルと土下座している男と、不機嫌な美女と生温く見守る司祭を遠巻きに眺める町人達の気持ちを無視して、ドロテアは自分の中で繋がった出来事を確かめるべく話かける。
「まるで俺が、貴様等にそれを強要していたかのように映るじゃねえか、あ? とりあえず、三人とも顔上げろ! それはそうとレイ」
「な……何だ?」
 正座が崩れて、女の子座りのようになりながらドロテアを見上げるレクトリトアード。そこに、闘技場最強の面影は全く無いが、それに関しては誰も何も言わない。
「聞くのは始めてだが、お前はどうしてマシューナルに来たんだ? それ以外の国に行こうとは思わなかったのか?」
 ドロテアがヒルダから聞いた『レクトリトアードの村』の位置から考えれば、エドやマシューナルに向うよりも「エルセン」に入った方が近い。
「女が行けといった。マシューナルか、エドへ行けと」
「マシューナルかエドへ行けと言ったのか?」
「ああ、そうだ」
「マシューナルかエドだったんだな? それ以外の国名は出なかったんだな? エルセン王国は名前が出なかったんだな!」
「あ、ああ……マシューナルかエドだ。間違いは……ない」
 レイの数少ない村人との会話の記憶。それに間違いはないと、はっきりと頷く。
「言ったのは、お前がいつも言っている女か? 母親のようであり、そうではない女」
 レイがマシューナル王国に居続けたのは、闘技場の金でも栄誉でもない。ただ、最後に女が行けと言った場所だったから。
 その場所にたどり着き、何が起こった訳でもないが、その何の役にも立たない言葉に漠然と縛られ、彼はマシューナルに居続けた。
「そうだ……」
「そうか」
 エルセン王国はレイの村が襲われた頃には既に『勇者』というものを認定していた。アードの村と同じようであれば、閉鎖的でもなく世情に疎い訳でもない。この『勇者』と名付けられた男が生きていくには、エルセンに向わせるのが最も適している筈なのに、何故マシューナル王国とエド法国の二国だけをあげたのか?


 この二つの国でなければならない理由。幼少の “レクトリトアード” に国を指定した理由


 それはギュレネイス皇国生まれのセツが、わざわざエド法国まで連れてこられ、聖職者となった理由と同じ。
 『普通の聖職者』になるだけでは駄目だったのだ。彼等もセツを聖職者にしようと考えたわけでもない。
 十二年の差はあるが、それはアードの母親のような預言者がいれば解決する。そう、預言者がいたからこそセツは村が滅びる前に、出されたのだ。
 それが解る以上、何処に誰がいるのか? 探るのは可能だった筈。
「ミロ。エド法国に大至急連絡を入れろ、アレクスに今すぐ空鏡を作るように言え!」
「解った。大至急、エド法国と連絡を取れ」
 ミロが伝令に指示を出す横顔を見ながら、ミロの従兄を思い描く。


そう、理由は簡単だ、あの二国にしかない存在がある


 空鏡が出来るまでの間も勿体ないと、ドロテアはヘイドに話しかけた。
「手前、こういう話を知らないか? 恐らく……」
 ドロテアの話にヘイドは首を縦に振りながら、自分の知っている “その話” をドロテアに語る。ドロテアはヘイドに歳の近い街の人達からも、その手の話を聞いて集めた。
「不思議だね」
 集められた話を聞きながら、エルストは煙草を吸いながらそう呟く。
「本当に不思議ですね」
 話を聞いたヒルダも驚いた表情を隠さないでその話を聞いていた。
【俺の村のことか】
 “昔、山中にあった白い髪の一族が住んでいた村が、一晩してなくなった怪談” を聞き、当事者のアードは不思議な気分に陥っていた。
「それな、俺も聞いたことあるんだよ。ま、俺が生まれるちょっと前くらい、故郷の付近で」
 エルストの言葉にアードが目を見開く。
【フェールセン人だよな】
 灰色の髪に澄んだ青空のような瞳。有名なまでのフェールセン人の特徴を兼ね備えたエルスト。
「先祖代々、フェールセン人だよ。それとまだ三十前半」
 笑った男の目の青さの中に映る自分を見て、アードはそれが何なのかを理解した。
 そうしていると、何もなかった空間に見慣れた法王の空鏡が出来上がり、即座にその姿を現す。
『お待たせしました、ドロテア卿』
「お前に質問したら、全てを整えてエド法国に向かう」
 ドロテアはやはり挨拶も何もかも抜きで、いつも通りの詰問口調。
『セツは無事でしょうか?』
「結果を持っていく。エド法国に必要な情報を持ったやつを集めるから、少し五月蠅くなるかもしれないが、我慢しろ」
『はい。それで質問とはなんでしょうか?』
「お前、セツの本名を知っているか?」
 セツの本名。ドロテアには見当がついた、むしろ “その名前でなくてはいけない” のだ。
『知りません』
 法王の答えにそれ程期待していたわけでもない。むしろ知っているかを、聞きたかった程度。
「そうか。それが解れば直ぐにも確定したんだが」
 セツの性格なら、法王に無駄なことは言わないだろうが、言うとしたら嘘は言わない。だから “確実” だろうと考えた。
『セツは本名ではありませんし、もう一つ死せる子供たちになる前の名を知っていますが……どうも本名ではないようです』
 確認作業をする必要があるな……とドロテアは、名前を言っていないなら “それ” も知らないだろうと思いつつ、だが念の為に尋ねる。
「じゃあ、セツが何処の出身だったか聞いた事はあるか?」
『それも聞いた事はありません』
「そうか」
『申し訳ございません、お役に立てずに』
「そんな事は構わねえが、お前は大至急、しなけりゃならねえ事がある」
『なんでしょうか?』
「最外層の教会、ヒルダを少しだけ置いてくれた教会の、シスター・マレーヌってのを法王庁においておけ、いいな」
『かしこまりました』
 ドロテアは手を振り、空鏡を切らせた。
「俺の予想に間違いなければ……」

 ドロテアは何もなくなった空間に、まだ何か存在しているかのように睨みつけながら、全ての事柄を繋ぎ合わせた。


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